若い頃を偲ぶチヂザグラ(イワウチワ)

集落の住宅からだと直線距離でわずか200㍍ほどしか離れていない近くに、魅力的な小花の咲くささやかさな「花園」があります。

その花の名はチヂザグラ(土桜・イワウチワ)。この花は、村のブナの森の里山や深山の林下尾根筋ではごく普通にたくさん見られる早春の花です。でもここのイワウチワは、ブナがまったくない住宅すぐそばのナラ林にある小さな群生で、すぐ近くでということでは集落ではきわめて貴重な植生といえます。どうして集落のここにだけこんな植生があるのか不思議です。なかには白花のイワウチワ(最後の写真)も少し見られます。

フクジュソウ、カダゴ、チャワンバナコ、ニリンソウ、エゾエンゴサクなどなど、里山の春の小花たちはどれもみな個性があって美しいのですが、私は、このチヂザクラにもっとも惹かれます。

それは、チヂザグラには、はるか若い頃の思い出があるためかもしれません。

その思い出は、20歳前の頃ですから今から50年ほど前、村の鉄砲ぶち(マタギとも呼ばれた狩人たち)たちに初めて連れられ遠くの山へ春のクマ猟に出かけた時のことです。

場所は岩手との県境にある奥羽の脊梁最深部の渓谷と断崖の山です。そこはクマの巻き狩りを行ううちでは最も範囲が広く急峻な一つの有名なクラ(崖)で、この日こちらは初の勢子役(クマの追い出し役)でした。連れていただいた先輩一行は10数名。

大きな巻き場(狩り場所の崖)ですから、勢子役は3人だったでしょうか。役割を命じられた勢子役のつとめは、崖の下方、つまり谷の底までいったん下り、下方から3人は別々の尾根に分かれて上へクマを追い上げることです。その時は、巻き(狩り場)の中にクマがいるかいないかはわからぬままの追い上げです。これを集落の狩人は「黒(クロ)巻き」といいます。(クマの姿を確認してから追い上げる狩りも、もちろんあります)

初体験の勢子役で、今のようにトランシーバーや携帯電話もないなか、まったく知らない尾根を一人往く孤独。その「黒巻き」の時に、ラクダの背のような急峻な尾根を大声で叫びながら上がりますが、冬の間に北西風が強く雪が飛ばされてわずかしか積もらない尾根は雪解けが早く、そこにはチヂザグラがいずこにも満開でした。追い上げが終わり、一同で一休みをし、あるいはにぎり飯を食べた尾根にもまわりは花満開。周囲は残雪、快晴の春山、その当時の花群生の景色が忘れられないのです。

この時に狩りを共にし教えられた父や集落の先輩狩人たちの多くが今は故人となってしまいました。チヂザグラは、狩りの先輩たちをしのび、今では冒険ともいえるまったく危険なクラ(崖)狩りをした当時を懐かしむ、私にとって山行思い出の象徴のような山の花なのです。

災厄遮断の願いを伝える「鹿島様」

多くの人の命が短い期間で失われることが人類の歴史には度々ありました。

最も多くの人命が奪われたのは人災の最たるもの戦争だったでしょうが、それを除けば、自然災害とともに人類を脅かし続けたのは流行病(はやりやまい)、今でいうところの感染症だったでしょう。

村でも、いわゆる伝染病に脅かされた歴史を「郷土誌」は綴っていて、昔の人々が流行病を含む災厄が部落に入り混まないよう身をまもるために、集落の入り口に建てた石碑(塔)で私たちはそれを知ることができます。

塔のなかでも病や災難を防ぐための願いがとりわけ強くこめられたのは「鹿島様」と伝えられます。村で「鹿島様」といえば、歴史が深く代表的なのは天江の「鹿島様」(1~2枚目の写真)。各地によく見られる藁作りの鹿島様ではなく、人の像が彫られている天江の鹿島塔はめずらしいらしく、その道に通ずる方々のなかには、村外からもここに見学に来る姿が時々あるそうです。天江の「鹿島様」には、集落が、戊辰戦争にちなむ災難から免れたことなどにちなんだ伝承もあります。

過ぎた日曜日、その「鹿島様」をじっくりながめ、そのついでに、平良、岩井川、手倉にある鹿島様(3~5枚目の写真)にも足を止めました。村にはその鹿島様の塔が12基あるとされています。

現世では最強の感染症のひとつとなった新型コロナウィルスが地球規模で猛威をふるい続けています。感染症予防では、心がけるべき必須の方策諸々について、個人や集落、村でできることに最大限のつとめをすることが第一です。が、昔の人々の思いが込められている「鹿島様」にも、新型ウィルスの入り込み、災難をくい止めるための、心のささえの役割を果たしてほしいものだと願いながら四つの塔と向き合いました。

さあ、コゴミも出たぞ

いつ出るかと待っていたコゴミが、過ぎた週末に家周りでやっと芽を出し始めました。同じ時期に河川敷の柳も芽吹きです。

すでにクレソン、ノゼリ、バッケ、ヒロッコ、ワサビで新春の野の味覚はごちそうになっていますが、これにコゴミが加わりました。そばにはミツバも軟らかな新芽を出しています。おかげで我が家の食卓は新鮮な天然の若芽たちでいっぱい。家周りではあいかわらずユギノシタキノゴ(エノキタケ)も次から次へと顔を見せてくれています。

雪解けが異常に早い今年。なので、完全無農薬、化成肥料無しで自然に育ててもらった走りの山菜を、いつもの年より早くたっぷりといただくことができています。

目に留まる石垣とミズナラ大木

沼又沢の様子をきのう載せましたが、この沢、つまり国道397号線を歩いて通る時に私の目にとまるのが道路法面の石垣です。

この石垣に使われる石は、一つ一つが石工の手で割られ細工されたもの。大きさや形に一定の基準はあるでしょうが、手で細工したものですから細かく見れば一つとして同じ石はありません。それなのにこれほどきれいな石積みができる石工と石積み職人の技の巧みさは見事なものです。

写真の石は「村内産ではない、石を割り積んだ職人さんも村の方ではない」ことを今は亡き集落のBさんからお聴きしたことがあります。その故Bさんも村内では名の通った技のたつ石割職人でした。河川敷に流れ着き角のとれた大きく堅い合居川石(景勝地いずくらの柱状節理の石英斑岩。合居砕石の原石)に確か鉄楔(かなや)をいくつか打ち込み、大きなハンマーを振り下ろし石を割るBさんの姿を記憶にとどめておられる方々は少なくないはずです。

割られた合居川石はひときわ青く、Bさんの割った青い石は「国道397号のもっと上の方で使われた」とご本人からお聴きしています。子ども達の夏の水浴び、川に潜っての石拾いでは、天正の滝方面から流れて丸くなったこの青い小粒の合居川石を、よい目印として水浴び場の淵に投げ込んだもの。つまり合居川石は童たちの遊び道具でもあったのです。

国道397号線(昭和57年国道認定)といえば、それがまだ「水沢増田線」の頃の昭和31年、県境をまたぐ山脈の貫通促進決議に基づいて国が事業化し、翌32年、秋田側で起工式が行われております。私の記憶には、現合居砕石(株)がある場所の合居川と沼又沢の合流点にかかる下野尻橋の工事現場(施工業者は和賀組さんか山一組さんのどちらかだったかな)で、ガキ仲間で錆びたクギを拾い集めた思い出が濃くのこっています。クギは、「フルガネ屋(古鉄屋)」に売って小遣いにするためと、クギ打ち遊びに使うためでした。

▼山々が萌葱の前は葉っぱに邪魔されず見通しがきいて、林や沢の様子などを知るのに好都合です。山岳遭難救助にあたる人々は、春山のいまのうちに自然の地形や山と木々の様子をよく頭に入れておくことも大事で、以前は遭難者の多い須川高原などでも捜索救助のための学習踏査を残雪上で行ったものです。そろそろ引退の頃かとは思いますが、まだ村遭難救助隊の一員であるこちらは、春山歩きではいつも遭難救助のことを念頭におきます。「いざ有事の時、どこをどう歩けばよいかなど」を思案においてです。

それと合わせてこうして芽吹き前で見通しのきく山歩きで私がもうひとつ頭におくのは尾根や斜面の木々のこと。とりわけ大きなミズナラの木がどこにあるか、地面に倒れ横たわっているミズナラやブナなどの大木がどこにあるかを頭に入れておくのは、キノコ採り、撮りを趣味としている者にとってはこれも心がけの一つ。今年の春も、マイタケの出そうなミズナラ大木を新たに何本か頭に入れておきました。あくまでも「出そうな」ですが。

小花たちの春賛歌

天気予報士さんが「貴重な晴天を活かして」と知らせてくれたきのうは、中途にしていた田んぼの水切り仕事をしたり、トラクターの装備を除雪用から耕起のロータリー用へ交換するなど少しずつ春作業の段取りに入りました。

用水路のゴミ上げなどまだ準備作業はほかにいくらでもありますが、なかなか若い頃のように「いっきにすべて」というようにはいかなくなっています。それに、田んぼの雪こそなくなったものの、まだ4月の上旬ですからそんなにワラワラとあわてなくてもよいわけです。

ひととおりの作業を終えてからの午後、自宅そばのチヂザグラ(土桜・イワウチワ)がまもなく咲きそうになったのを見て、カダゴ(カタクリ)などの小花たちをながめに沼又沢に向かいました。

国道閉鎖地点より奥はもちろん歩きですが、しばらくの間はまだ除雪はしていないのに道路に雪がなく楽に上がれます。4月上旬でこんなことは初めて。

渓流に落ちた雪崩によってできる「雪の橋」も今年は極端に規模が小さく、下旬まで残っているかどうか。残雪上の道のない春山歩きで、雪解け増水濁流の深山渓谷を渡る時には「雪の橋」がないと回り道を強いられやっかいなことがあるもの。どうやら今年はそんなふうになりそうです。

雪消えが早いので、入会林野や国有林にはチャワンバナコ(キクザキイチゲ)とともにカタクリもすでに花盛り。国有林に入ったら雪解けの遅い道ばたのフクジュソウもそれらに加わり、その様子は小花たちがコーラスで春を讃えているようにも見えます。国有林でフクジュソウを見られるのは村内ではここだけかな。

流れのそばには、毎年ここでいただいているユギノシタキノゴ(エノキタケ)もおいしそうな黄金の色に輝いていました。

気を新たに

きのうは村立小中学校の入学式。小学校は、卒業式とちがいまだ新入生も幼いため、保護者のみなさんも上級生のみなさんと式典会場内でいっしょの式となったそうです。晴れの入学、それは「よかった」と思いました。

中学は卒業式と同じように保護者のみなさんがやはり会場には入れなかったようです。これは卒業式後の全国的なウィルス感染の拡大をみてのことでしょう。でも、在校生が出席できなかった卒業式とちがい、上級生のみなさん出席のもとで歓迎されたでしょうから、内容はちがいますが卒業式の時の「残念さ」が少しは晴れたと思われます。もちろん我々はどちらにも出席なしです。

村の駐在さんも異動で交代です。教職員のみなさんや消防分署のみなさんも幾人かは異動です。新型コロナウィルス禍なので例年のような集まっての合同あいさつの機会はすべてなくなりました。各位には、ご苦労をおかけしたことへのお礼と歓迎を申し上げながら、みなさんそれぞれ新任地でのご活躍を願う次第です。

さて新年度の議会ですが、こちらは前年度と同じ職員で歩むことになります。3月議会での条例改正により職員定数が変わり、議会はこれまでの1名から初めて2名までの正職員をおけることとなりました。新年度からは会計年度任用職員の配置となりましたが、これは実質的に議会事務局は職員2名体制になったといってもよい内容です。新たな年度ですので気を引き締め、体制の充実に合わせて議会活動もいっそうの発展を期すよう職員も私もよく心して力を尽くす決意です。

きのうは湯沢市議会の柏原議長さんが後藤事務局長さんとともに挨拶でお見えになりました。広域市町村圏組合議会ですでに議長職をつとめておられますし、合併前の雄勝町議時代から、あるいは農業関係等で旧知の間柄の議長さんで、同じ年齢でもあります。今後もよく連携を取り合いながら広域行政と地方政治前進のために力を合わせて歩みたいと思います。

農道もまもなく車が通れる

過ぎた休日には田んぼの排水作業で少しの汗を流しました。4月初めに田んぼの土とふれあう、こんなことはやはりそうはないだろう記録にのこることです。

いつもなら厚い雪に閉ざされ役場の機械で除雪しなければ車が通れない農道も、今年は除雪無しなのにかなり雪解けが進んでいます。この様子なら、あと一週間も経たないで車が入れそうです。

たんぼの水たまりにはカエルの卵があちこちにいっぱい産みつけられています。この水たまりは天然ではなく春の陽気とともにまもなく水はなくなってしまうもの。カエルはそんなことを知らずに何百何千何万もの命となる卵を産みつけるのでしょうが、毎年のことながら「もっと、別のところに産んだらいいのに」と思ってしまいます。

野のヒロッコ食べ元気に

過ぎた週末は久しぶりの晴天に恵まれ気温は暖か15~17℃。やり残していた住家の冬囲いを、まだ新学期の始まらない童にも手伝ってもらいすべて解したら、半年ぶりで家の中がパアーッと明るくなりました。

その陽気にさそわれ、作業後は、童といっしょにヒロッコ堀りにも出かけました。アザミ、ワサビもいっしょに採り、野のヒロッコ貝焼き(鯖缶詰やシーチキン缶詰を出汁に)や早春の採れたて山菜をまとめてごちそうになったら、心も体も新たな元気の源をもらったようになりました。昔はこの出汁の素にカド(ニシン)がつきものでしたが、今の我が家は缶詰で間に合わせています。

河川敷湧水そばのクレソンやノゼリも春をむかえたら冬より明るい緑葉となり、日増しに草丈も伸びてきました。そのそばにはチャワンバナコ(キクザキイチゲ)が花盛りです。

湧水に植生するミズバショウがもう白い苞を見せ始めていますが、先日の強い霜で軟らかな苞にはやや焼けた痕がみられます。

今朝になったら外は真っ白。花たちは、昨日のあられ今日の降雪に蕾を閉じたままです。今日から春の交通安全運動が始まりました。予報は日中も雪マークをつけましたから、夏タイヤに換えた方々はとくに注意を要する一日となりそうです。

農作業の春が来た

前日から降り続いた雨によって雪消えが進んだためでしょう、昨日の成瀬川は小規模の雪解け増水の流れを見せました。

例年なら雪解け水の本格シーズンはもう少し先。でも今年は、増田町真人地区、成瀬川河川敷の柳も芽吹きはじめるなど春の訪れがあまりに早く、成瀬川はこれからしばらく雪解け濁流が続くでしょう。

育苗や施設園芸につかわれるビニルハウスも、いつもの春ならいっせいに除雪機械で雪を吹き飛ばす作業がされるのですが、村内の一部を除けば今年はその作業をしないうちにハウス棟周囲の雪はすべてなくなりました。その雪解けに合わせて、育苗のための準備が少しずつ始められています。

越冬の平良カブも美味し

冬の間、畑に埋めておいたニンジンやカブなどの根菜類を、雪解けの春に掘り出して食べる習慣は雪国の村に昔からあったもの。

とくに雪の下で冬を越したカブは甘みがあっておいしく、漬け物や煮ものなどで昔はよく利用されたものです。

村でカブといえば、有名なのは伝統野菜の「平良カブ」。特産の漬け物として人気があるこの「平良カブ」を昨年秋に知人からいただいた妻は、それをそのまま畑に埋めておきました。

雪がひと月ほど早くその畑からなくなり、埋めていたカブが姿をあらわした先日、妻は早速それを掘り出し麹で漬け物にしました。何日か経って出来上がった春の平良カブのそのおいしいこと。「平良カブ漬けは春も美味い」のです。