松むげぇ(門松採り)

月半ばに1㍍を越す雪が積もり、我が家では本格的雪下ろしを一回、下屋などは2回も下ろしをしました。それが今は、連日の雨であの日のことが考えられないほどに雪は少なくなりました。

今朝も除雪作業はなし。7時50分頃、スキー場の向こう県境尾根に顔を出したお日様から朝の陽射しが集落に注ぎました。天気予報でもう今年はお日様を拝めないだろうとあきらめていただけに、この日の出は「うれしい!」です。それでも、明日からは寒気が戻って来そうなので、雪国らしい大晦日と年始になりそうです。

きのうはためていた所用を果たし、読書にふけったり、午後には童と二人でお正月用の松迎え(まづむげぇ・門松採り)にも出かけました。

出かけるといっても、松は自宅裏に植えてある姫松(ヒメマツ・キタゴヨウマツ)の枝を切りとればいいので造作さなく、童にノコをもたせて切りとる術を教えました。毎年記していますが、我が家の門松はアカマツではなくヒメマツ。なので、人里近くではなかなか採りにくくなり、この木は20年ほど前に実生苗を植え育ててきたものです。

童が来たついでに、すぐそばにある姫松の大木の姿を教えておこうと雪を少しこいで尾根へ。合居川渓谷など集落近くの深山には、急傾斜の尾根に姫松の大木がたくさんありますが、おそらく村の人里にこれほどの大木があるのはここだけでしょう。幹周り4㍍20㌢ほどですから、直径は約1㍍30㌢ほどの見事な幹がズーンと空に向かっています。

どこから、どんな経路で種が運ばれてきてここにたった一本だけ育ったのか、近くの尾根にヒメマツは一本もなく、あるのはすべてアカマツ。幹の下についている枝は何十年もの間に我が家と同じT家筋の方々によってすべて門松用に採られて今は手の届く高さに枝はありません。ですから、ここでは幹をただ眺めるだけ。

深山のブナよりもはるかに年を重ねているでしょうから樹齢はおそらく300年を優に超えているでしょう。成長が遅い樹種なのでこれだけの大きさになるには500年さえ超えているかもしれません。ふるさとの歴史を見つめ続けてきた威厳ある大木ですので、敬意を表し、「これからも、よろしくと、あいさつしてゆこう」と二人でお礼をしてきました。

▼今日はおだやか天気の中、役場前で年の瀬市です。餅をはじめ、門松、お正月用の品々を販売する市はにぎやか。あったかい甘酒もみなさんに振る舞われていました。

私がここから発する今年のたよりは仕事納めの今日がしめくくりです。一年間のご愛読ありがとうございました。1月は4日に初議会が開かれ、消防の出初め式も行われます。みなさん、よいお年をお迎えください。

ほぼ完成の新ゴミ焼却場

きのう朝は今冬一番の冷え込みで道路の温度計はマイナス7℃。陽射しの差し込みはあったものの肌寒い一日でした。予報に連続の雪マークがつきましたからもしかしたら村では今冬最後のお日様を見られた日となるかもしれません。

連日の降雨で積雪がだいぶ下がり、残っている雪が締まっていて人が歩いても雪に足が沈まないほどになっています。歩きやすいのでいつもの河川敷を散策。だいぶ色が落ちてきたウメボドゲ(ツルウメモドキ)の実や、まだ少々見られるユギノシタキノゴ(エノキタケ)に立ち寄ったり、テン、キツネ、ムジナ(タヌキ)、リス、イタチなどがつけた足跡をみて、彼らの行動を想像したりしながら歩きを楽しみました。

川の岸辺の砂は、日中でもカチンカチンに凍っていて、ごらんのように人が歩いても足跡などつかないほど。さながら自然がつくったコンクリートみたいです。

▼午後は広域市町村圏組合の全員協議会と12月定例議会へ。全山真っ白の出羽富士・鳥海山を見るのも今年はこれが最後かもしれません。

議会終了後は、ほぼ完成した広域の熱回収施設(ゴミ焼却場)の視察にむかいました。来年4月からの稼働にむけてごく一部の予備的作業も始まっており、外構工事も仕上げにむけたうごきが忙しそうでした。

きのうは国道397号の整備促進に関する要望が岩手県に対して行われ、それには村議会から副議長と産業建設常任委員長が出席。これで今年の議会行事はすべて終わり、です。

中小企業は地方発展のカナメ的存在

大安と重なった天皇誕生日の23日、村内S社の社屋落成と創業45周年のお祝い事に出席しました。

cimg8446-1S社の社長さんの先祖と私の先祖が同じ岩井川のT家との血筋でつながっていた(双方の父と、さらに双方の母方の実家も)ということもあり、生前に双方の父同士が我が家で酒を酌み交わしながら大きな声で語り合う姿を子供の時分から幾度も見てきました。二人の父とも鬼籍に入っていますが、そういうこともあって、泉下でも二人がこの日をどんなにか喜んでいるだろうと思い浮かべながら乾杯の発声をさせていただきました。

祝賀には雄平地区をはじめ多くの関連中小企業のみなさんが見えられました。はたらく場を確保してがんばる中小企業は地方の発展に欠かせぬ存在です。村内でもとくに正規職員を一定数維持しながら雇用確保につとめ続けているS社をはじめとする会社は、いずれも「個」の枠を超えた「社会的存在」としての役割を大きく果たしていることになります。

村や雄平地域の中小企業が元気であれば、県南地域全体の振興、活性化につながります。この後も、それぞれの会社が創意を発揮されて事業開拓を旺盛にすすめ、ひき続き市町村の範囲をこえて連携され雇用確保と産業振興の要としてがんばってもらいたいものです。

▼22日は今年最後の農業委員会総会を開きました。委員の定数を決める新たな条例も12月村議会で決まっていて、現14人の委員会体制では最後の12月総会となりました。

この総会では、村での農地取得の下限面積を現行の10㌃とする決定もされました。農地がまったくない方でも、村では10㌃を確保すれば(農地法は50㌃)営農が始められます。農を考えながら地方へ移住を希望される方にとってもこの下限面積は一歩を踏み出すうえで「広き門」の1つであり、村での農地確保はほかにも可能性がいっぱいあります。

農業委員会は、移住という側面からも農地の権利移動のあっせんでお役に立ちたいと思っていますので、ぜひ活用してください。世界全体の爆発的な人口増からくる将来の食料事情、日本で再びいつおきても不思議でないとされる大地震と大都市での未曾有の震災に警鐘が鳴らされています。これからは、水と食料が豊富で環境保全のしっかりした中山間地の町や村の維持と、そこでの暮らしの大切さが、災害時の都市部への支援態勢のうえからも必要不可欠と思われます。その側面からも農山村を真剣に見つめ直したいものです。

cimg8448-1cimg8451-1cimg8449-1▼わが集落ではもっとも大きな柿の木(根元幹周り約2㍍20㌢)です。今年も実がいっぱいのままで年を越そうとしています。もう渋もだいぶぬけたでしょうか、熟した実には、ほかで食の確保がむずかしくなったカラスたちが群がるようになります。昔なら、漬け物用にまでふくめほとんど残すところなくもぎ取られた柿の実。飽食の時代とともにここだけでなく実のもぎとられない柿の木が何処にも見られます。この柿の木のある当主で今年73歳になるSさんは「俺がワラシ(童)のずぎがら(時から)ある柿だ」と語りました。

雪崩事故

昨日午後、雪崩による事故が大柳でおき、同地区の前の部落長を長くつとめられていたTさんが急逝されました。地元の方々や消防、警察などにより懸命の救出活動が行われ病院に搬送されましたが、無念な事実を知ることになりました。

cimg8430-1このところ村内は、一時1㍍を越した積雪の後に降雨と暖気が続き、まるで春の融雪時のような中小規模のヒラ(底雪崩)が各地で頻発していました。(写真は今日の岩井川地区の国道沿い斜面)

事故はそうしたなか、用水路や取水口などの見回り作業のなかでおきたようです。地区のために一生懸命尽くされ、信望の厚かったTさんでした。村と議会にたいする地区の要望などで、その現場立ち会いなどにもご協力をいただき、議会はよくお世話になりました。その時のお姿をしのびながら無念を深くしています。心からのお悔やみを申し上げます。

まだ雨模様の天気がつづきます。雪が緩んでおりますので、お互い十分な注意をはらうようにしましょう。

ナガタデを新調

cimg8419-1物づくりの技に長けているSさんに頼んでいたナガタデ(山菜・キノコ採り用の大きな背負い道具・昔は丈夫なブドウ皮材料が主だった)が完成し届きました。これはSさんの奥さんが手がけたもので、今の材料は、入手が簡単、軽くて丈夫なビニルひもです。

Sさんにはキャンジキ(カンジキ)も作っていたただいており、雪の村内に、くらしに欠かせぬ道具をつくれるご夫妻(こちらとほぼ同年代)がおられるので助かります。

いま愛用しているナガタデは、村の長老でやはり手先の技に秀でていた今は亡きTさん作。それは使い始めて10年ほどになるでしょうか、無理な使い方をするので形がだいぶ崩れ、そろそろ新調しなければと思ったのです。

ところが、小、中規模の同じような道具なら作り手はたくさんおりますが、これだけ大きな、しかもそれがナガタデとなると特別に注文しなければそうは手をかける方がおりません。自身も山歩き、渓流釣りや山菜採りを大きな趣味とされるSさんですから、こちらが「どんな仕様を必要としているか」もわかっていただけたようです。

完成品は、深さ50㌢、間口が60㌢×20㌢、手作りナガタデとしては最大級です。たとえば1本のミズナラ大木に計30㎏のミャゴ(マイタケ・舞茸)があっても、これならキノコをそれほど壊さず楽に荷造りすることができます。

ちなみに、私が一本のミズナラで過去に出会ったマイタケの最大量は、どっしりの重さで二人分の背負い量でしたから、50㎏前後はあったのか。そういうことを3回は覚えています。何年にか一度、もし出会えれば舞いたくなるほどと人はいうそんな希の日を待ちながら、またしばらくこのナガタデは私の背となり奥羽深山の峰や沢を渡り続けるでしょう。

▼きのう抜糸となり、片眼不自由な日々がようやく終わりました。

cimg8427-1眼といえば思い起こすのは仕事部屋に並んでいるダルマさん。これまで議会だけでも7回の選挙を経てきたわけですが、一回目の補選挑戦ではダルマに片目をいれただけで両目が黒くなることはかなわずでした。

以後は、両目を塗りつぶされたダルマさんが大小ならびますが、墨の濃淡や筆の入れようによるかたちのふぞろいなど一つ一つの目にちがいがあります。それぞれのダルマをながめると、同じ4年に一度の審判の夜でも、筆にこめられた心の趣が微妙にちがっていることをそれらの墨目は物語っています。

両目があいたダルマをかかえた時のように、きのうは晴れの完全開眼。眼の大切さをほんとうに思い知らされた一週間でした。もう片方の手術はいつになるか、これから病の進み具合を診ていただき断が下されるようです。

理不尽に屈しない政治

片目となると距離感がおかしくなり、ペンをもつと、それでなくても形のくずれている字がさらに読みにくい字になります。その点、パソコンなら字だけはなんとか当たり前に打つことができます。

今日はやっと抜糸です。眼の不快感もだいぶなくなり右目だけでも文字を読むのはごくふつうに出来るので、ここ2~3日は、ためていた本を次々と読める時を過ごしました。

いずれも、感銘、共感など「うん、なかなか、おもしろい」という読後感に浸ることができましたが、とくに心に突き刺さり残ったのは「戦う民意」(沖縄県知事・翁長雄志著・角川書店)、「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」(東大大学院教授・加藤陽子著・新潮文庫)、「外科医の腕は何で決まるのか」(国際医療福祉大学三田病院教授・羽鳥隆著・幻冬舎新書)の3冊。ほかに、いくつかの愛読書の繰り返し読みもじっくりとできました。

cimg8426-1最初の「戦う民意」は、贈っていただいたもの。右と左、与党と野党、保守と革新、イデオロギーを超えて、沖縄問題の本質、日米安保条約、日米地位協定をより客観的にとらえるうえで、あるいは自治体の自立、わが国の従属と真の独立を考えるうえで歴史をたどり教えられる著書でした。(日本の従属ということでは、先日のさきがけ新聞6面の記事にも注目しました。秋田さきがけ政経懇話会が先の13日に秋田市内で開催され、元ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファクラーさんの講演を紹介した記事です。)

著書が世に出てから1年を少し過ぎました。その後の沖縄、日米のうごきと著者のたどった足跡、そして起きたばかりのオスプレイ墜落とそれへの対応などをみれば、「理不尽には、相手がどんなに大きくても決して屈しない」自治の原点を堅くまもりながら地方政治の先頭に立つ著者の洞察と信念、行動は、柔軟と原則を織り交ぜながら一貫しています。

著書のあとがきで特に私が共感したのは以下の部分です。それをひろいあげます。(前段は略)どんな環境にあっても、大きな壁にあたっても、それでも負けずに力を尽くすというところに人が生きていく価値があります。難しいからといって一歩でも下がろうものなら、子や孫に責任を持った政治は実現できません。(中略)生身の人間である私たちは、これからも場合によっては木の葉のように舞い散るかもしれません。しかし、それでも私たち責任世代は、自分の姿を伝えて、子や孫の世代に勇気と誇りと自信を持ってもらいたいと思います。自分の生まれた故郷で未来の世代が自信を持って生きていけるような素地をつくることが私たちの使命です。(以下略)(()内書きはこちらの記)。

子や孫の世代に責任を負う政治。これはいちばん大切な心構えだとつねづね思うことなので共感をおぼえます。国政でも地方政治でも、刹那のことだけでなく将来に責任をおえる政治の大道を歩んでいるのか、骨太の姿勢が我々には常にもとめられます。政治に身を置くすべての人々、とりわけ首相、首長、なかでも地方で影響力の大きい知事のみなさんは、「理不尽には屈しない」「将来に真に責任を負う」この2つを放さないでほしいものです。

積雪1㍍を超えれば落ち着きます

cimg8404-1一度積雪1㍍を超えましたから「これで、まちがいなく根雪」。スキー場も予定していた17日の営業開始から滑走が可能となり、日曜日は時折の晴天という幸運もあってお客さんたちも、経営側もうれしいスタートをきることができたはずです。

県内スキー場のなかでも本格滑走ができたのは早いほうで、豪雪の土地でよかったと思えるのはたとえばこんな時。真綿に包まれたようなふんわか静かな雪景色となり、あたりまえの冬到来に心はやっと落ち着きました。

cimg8415-1cimg8413-1久しぶりに暖かな陽射しのあったきのう、わが仕事部屋の窓からゲレンデを眺めたら、初滑りを楽しむ方々の姿が片眼に入りました。スキー場がこんなに早く営業本番に入れたのは久しぶりのことなのかな。陽射しの温みに誘われたのでしょう、屋内のどこかで冬ごもりしていた蜂も「春かな」と勘違いしてか障子戸を上がり下がりしていました。

cimg8411-1こちらは明日に術後の抜糸ですのでまだ眼帯で運転ができません。きのうは絶好の雪下ろし日だったのに、片目で遠近判断が鈍く「屋根上がりも絶対ダメ」と言われ、作業場の屋根に上がっている妻へ「気をつけろよ」の言葉を出すだけです。

cimg8402-1「平地歩きなら」と、池に引く用水のゴミづまりを除けようとカンジキ履きで雪原をこぎ行きましたが、新雪が1㍍をこえる深さ、ただでさえこういう時の雪こぎは大変。ましてや片目ですから、まっすぐ雪をこぐのにはそうとうの難儀を要しました。

この何年か、乱視ということを知らずにカメラのシャッターを押し続けていた訳ですが、ほとんどがオートですからそんなことにあまり気づかないで過ごしました。ただ、「どうも、ピントの合わない写真が多くなったな」とは思っていました。野外では老眼鏡をほとんど使わなかったので、そういう無精もあるうえに、老眼に「乱視」も加わっていたわけですからこれはいけません。

今度は乱視とはおさらばですので、野外でもメガネは持参して画像を確かめねばと思っているところです。

昨日夕方からの雨で積もった雪が3分の1ほどまでぐっと圧縮、今朝も雨模様で積雪はぐんと下がりましたが、水分を貯めた雪の重さは新雪の何倍にもなっているでしょう。暖気のきのうもそうでしたが、今日のような時も屋根の雪下ろしは滑りに要注意を。

眼を手術

12月議会の真っ最中、眼鏡(老眼)を壊してしまいました。それに、老眼度が進んだのかどうも今年にはいってものの見えがさらに悪く、とくに左目がおかしい。それで「眼鏡を新しくするこの機会に眼医者さんに」と、議会休会中に眼科を受診しました。

そしたら、一発で「手術が必要。なるべく早く」ということに。老眼で見えにくくなったばかりでなく病気が進み「乱視になっている」という診断です。白内障手術などで予約の患者さんが多いのでしょうが、病状の進行を診られての判断なのでしょう、初診から一週間後のきのう急きょの手術となり、無事終えました。通院で済む手術ですが今回は左眼で、いずれ右眼も症状があるので手術ということになるようです。

眼の病気としては重いものではないのですが、侮りはできないらしく「手術しなければ、失明も」といわれ、内心はおだやかでありませんでした。紫外線が影響した病気といわれますが、原因は不明のようです。子供時代からの遊びの場も、仕事も趣味も紫外線の強い川や雪山と野良のくらしが並の方以上に多かったので、うなづけるような気もします。

そういうことで、片目が眼帯姿になり、車の運転も少々の間不可。治療のために時間を割き、なんらかのごめいわくを方々にかけることになりますので、明かしておくところです。

手で片方の眼を塞いでみればよくわかりますが、片目だけでも、眼が不自由だとどんなに困るか痛感の日々です。遠近差がよくわからない。足元が不安。もちろん眼鏡は不具合ですから細かい字は読むのに時間がかかる。無理して読もうとすると一方の眼が疲れるなど、不都合は次から次へです。

片目が不自由といえば思い浮かぶのはあの独眼竜・伊達政宗公。馬上と刃の戦国の世、武家社会で、隻眼であのような歴史に残る動きをされたのですから、その生きる力、まことに恐るべし尊しです。わが身がこのようになって、体が不自由な方々の日々の思いと意志の強靱さをあらためて知るところです。

それに比べればか弱いこちら。術後一週間の抜糸するまでは片目なので運転ができず、移動は「おかかえ運転手」をもったようにして妻に頼り切り。ここ2日間は通院治療ですが、決済文書などへの「はんこ」はもちろんきちんと確かめて押せます。

今冬初の雪下ろし

昨日は12日、「山の神」の日。小さな木材業を営んでいた我が家は、冬も夏も危険な山林労働が生業の柱だったので、12日という日はとりわけ強く頭におかれていました。

林業を営む方々の中には、一年の締めくくりとして年の暮れ12日にこだわる方が多く、山にはたらく地元のSさんが、きのう「今日は、安全祈願。みんなで拝んでもらう日だ」と語っていました。

cimg8385-1その山の女神が微笑んだのでしょうか、昨日はつかの間の晴れ空。13日午後から14日にかけての大雪予報が出たので役場で週明けの所用を済ませ、「この機会を逃がさず」と住宅と車庫で今冬初の本格的雪下ろしに動きました。

都会のくらしと違い、移動を車に頼る村ではウオーキングやスポーツなどをされる方以外は歩くということが極端に少なし。冬になると雪に制約されてその歩数はさらに減ります。

cimg8391-1cimg8396-1cimg8390-1きのうは、久しぶりに屋根の上で行ったり来たりの繰り返し。それでも歩数計は7千700歩余(約4㎞)を記録しただけ。東京へ要望活動などでむかう時は、一日に1万5千歩近くを記録していますから、大都会の電車乗り人のように「もっと足を動かさねば」です。汗をじっとりとかき全身をつかう雪下ろしは、その点、なんぼかいい運動になっているはず。

根雪を覚悟

大陸からの季節風が弱いためなのか「岸に近づくのが遅い」といわれていた秋田の季節ハタハタ。

過ぎた週末、釣りに出かけたHさん。今冬何度目のお出かけかはわかりませんが今回は釣果があったらしく活きのいいのをいっぱいいただきました。ブリコが粘り、適度な脂がのっている今のハタハタは県人にとっては最高のごちそう。

cimg8380-1釣り大好きの方々のおかげで、内陸にいて海の魚のお裾分けを食卓にあげられるうれしさ。お裾分けでうかぶのはみんな「お互い様だんす」の山里にくらす同士のつながりの心。ほっこりとした心の通い合いを感じながら、よく焼けたおいしいハタハタのブリコをズーッと粘らせ口にしました。

cimg8383-1日曜朝起きてみて雪の多さにびっくり。一晩でいきなり積雪50㌢近くとなり、日中から夜へとさらに積雪を増しいよいよ根雪を覚悟、おとずれの少し早い冬本番です。

週末までは、雪の薄かった里山でまだドングリを食べていたクマたちも、この雪で冬眠穴へいっせいに入ったでしょう。中にははるか遠く奥羽の脊梁、県境や隣の県の山奥に穴を決めているクマもいて、彼らはこちらの里から雪をこぎこぎ合居川や明通沢、北ノ俣沢、胆沢川や南本内川の穴に向かったはず。

cimg8382-1年の暮れですから「少しずつ掃除を」と、きのうはまず煙突掃除。薪ストーブもだいぶくたびれてきたので新品と交換。部屋を暖めるゆらゆら炎の後には燠(おき)がいっぱいでき、ストーブの上で焼き芋が楽しめる季節入りです。