オシドリ夫婦?

レンゲツツジに続いてヤマツツジが咲き始めた田んぼの土手。早苗田が根着いた圃場には満面に水が張られ、「水田がダムの役割を果たす」という光景が農山村全体にひろがる季節です。この頃になると深山の雪解け水も安定し、田んぼに大量の水が引かれることもあって成瀬川の水量はグンと下がり落ち着いてきます。

焼石岳に登り、西のわが村や横手盆地、東の胆沢平野を眺めたとき、春のこの早苗田に水が光る風景と秋に黄金色の稲穂が輝くふたつの風景美に心が踊ったことを思い出します。それらは日本の農村風景の象徴ともいえる人々のくらしと、水と緑と瑞穂の美がとけあった景色に満ちているからです。

田植え後のその田んぼは水鳥たちの絶好のエサ捕り場、休み場となり、カルガモをはじめ、サギの仲間、シギの仲間たちが入れ替わり立ち替わり登場します。田んぼは、タニシなど貝類、ドジョウなど魚類、イモリやカエルなど両生類やあらゆる昆虫、は虫類、ネズミやモグラ、ミミズたちの住み処だけでなく、それらを食べる猛禽類や小鳥まで多種の鳥や、キツネ、テン、イタチ、タヌキなどのほ乳類もふくめて生態系の命をつなぐ大きな役割を果たしているのです。

先日は、時期が時期ですから繁殖期に入ったのでしょうかオシドリの夫婦らしい2羽が、やはり早朝の田んぼにいるのが目に入りました。このオシドリ、カモ類の仲間ではカルガモより警戒心が強く、近くではなかなかシャッターチャンスに恵まれません。が、この日はかろうじて何枚か写真にすることができました。

そばにはそれより一回り小さいシギの仲間も一羽いましたが、こちらはもっと警戒心が強く、車を止めたらすぐに飛び立ってしまいました。

隣家出身の方の著書を読む

先日、地元集落で懇意にしていただいている先輩のKさんから「これ、読んで、みでの」と一冊の本が届けられました。本といっしょに一巻のDVD(2018年、京都で開催の一般社団法人日本パーソナルブランド協会主催のセミナーコンテストで、全国の代表7人が集まったなか、その本の著者が準優勝した際の記録)も添えられ「これも、見での」とKさんは言います。それは「セミナー講師の甲子園」といわれるその道では権威のあるコンテストのようです。

著書の名は、リーダーのための育み合う人間力(岡山ミサ子著、医学書院発行)です。この4月15日に上梓されたばかりで、著者(旧姓・備前)は村内岩井川出身の東成瀬中学校第28期生のお一人。主な経歴はご紹介の通りです。著者は愛知県看護管理協会の会長を12年間つとめた経歴もお持ちです。

岡山さんの生家は我が家と隣同士でした。このブログでも折にふれて紹介していますが、先代は大正の終わりから昭和20年代頃にかけて「気仙屋」という温泉や旅館、それに併設して気仙館という名の映画・演芸館(収容人員約300人と郷土誌は記す)を営んでおり、屋敷には「坪」と呼ばれた庭木と池のある庭園もありました。

当時「気仙屋」をつつむすべての雰囲気、人々のにぎやかな出入りの姿が私らガキにとってはとても華やかに見えたものです。(気仙屋は村の郷土誌にも記述があります。気仙の名は経営者の妻の出身地が三陸の気仙地方だったため)。後には岡山さんの父親が建設業を営んだ家筋でしたが、今はご家族の方々は村から離れられ生家はありません。

著書の内容は、これも表紙をご紹介しておりますからそれでおよその想像がつくかと思います。岡山さんは、病院の看護師、婦長、看護部長を通算40年近く体験されたうえでの「リーダー論」を、とてもわかりやすく述べられております。それは、看護師など医療関係者のみならず、多くの組織体のリーダーやリーダーとなる方々へのひとつの示唆であり、あるべき姿勢として学ぶべき内容は少なくないと思われます。

作家・井上ひさし氏の有名な言葉に「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことをあくまでゆかいに」という教えがあります。私はいつもその言葉を「訓」とあおいでいて、断片的にその何万分の一でもよいからそういう心がけで書き言葉や話し言葉にむきあいたいたいと思っています。その井上氏の言葉を思い出しながら岡山さんの著書に目を通しました。

著書は、自身の体験をもとにして豊富でかつわかりやすい語彙と文体でちりばめられていますから、啓発の著でありながらそれは一編の体験小説のようでもあります。セミナーコンテストのDVDも、発表の内容とうったえる姿に感心しつつ拝見しました。

とにかく、村出身の方の著書です。社会や職場で多様性へのとらえ方を大切にしなければならない時代です。社会におけるリーダーの資質は、時代状況にあわせてあらゆる分野で永遠に問われる課題です。そういうこともあって、ご一読をぜひおすすめいたします。コンテストの動画もネットで視聴できますから、どうぞ。

新緑の須川高原へ

春の農繁を終えたので、この季節になると毎年通い続けている須川高原へ日曜の午後向かいました。

夏のような天気が続き、残雪に新緑が映える季節ですが、県境・須川高原にある岩手、秋田の二つの温泉宿泊施設はコロナ禍により休業中。標高1100㍍ラインの温泉と高原の新緑、残雪の景色を楽しみに訪れる方々にとっても残念無念、また、温泉宿にとっては最大の稼ぎ時なのにこれも残念無念、閉鎖されている二つの施設を目にすると、どこにもむけられない言いようのない思いが何度も何度も湧いてきます。

高原では、県道仁郷大湯線が早く開通しているので須川湖へも車で行けます。雪解け水により一年で湖の水位が最も高くなる季節ですから、満々と水を湛えた湖面にブナの新緑と残雪多い村最高峰の秣岳(1424㍍)の稜線が映え、それらがお互いを引き立たせて絶景を見せてくれます。

高原でいま花の咲き始めの樹は、須川高原の春を象徴するタムシバ。栗駒山荘が営業されていれば、露天風呂の眼下にのぞむ群生地があり、周囲湿原のミズバショウとならんで花盛りです。タムシバの白色の花はちょうど高原のシロヤシオツツジと同じで、群生の箇所で花数が多いと初めて訪れる方なら遠目では残雪と見まがうほどです。

須川高原温泉の県境露天風呂そばにある大日岩の脇には花色のちがう二つのミネザクラが満開で人目をひきます。高原のイワナシの花はもう終わり寸前、帰りには仙人水をたっぷりとボトルにつめてきました。

山菜のオンパレードは深山へ

里山の山菜はオンパレードの季節がほぼ終わり、これからは旬をむかえたワラビや、採取期間の長いミズ(ウワバミソウ)やホギ(フキ)などに種類は限られてきます。

それでも雪消が早い割には今も家周りで採れているのは笹子(細めのネマガリタケノコ)で、我が家ではワラビやアザミとともに毎日のようにごちそうになっています。

里山でいま盛りをむかえているのはサグ(エゾニュウ、シシウドの仲間)。サグは、新芽が腰の高さほどに生長してから新たに出てくる中心茎を採取する山菜です。

サグは我が家の冬のでごじる(大根汁・おでん風大根煮)に欠かせぬ山菜です。私の大好物で、毎年たっぷりと塩蔵します。サグの中心茎はクマも大好物で、深山のタケノコが出る前は今の季節の彼らの主食といってもよいほど。タケノコだけでなく、サグのある山はクマがいると思えばまちがいなし、気をつけましょう。

これからの山菜のオンパレードは深山の雪崩斜面に移り、さらに6月に入れば本格的なタケノコ採りの季節がやってきます。クマ狩りや登山などで雪上の深山を長く歩いた経験のある方なら、強風で積雪の少ない尾根筋を知っています。そこに笹があればタケノコが早く出ますが、そういう早く出る箇所は人と同じようにクマも知っていて集中し、鉢合わせてしまうことがありますから、これも要注意です。

県境深山の雪庇のできる尾根筋の東側には大量の残雪がみられます。それは鳥海山をはじめ豪雪地方の山々の東側山麓に残雪が遅くまで見られるのと同じです。西側尾根は北西の風が強く雪が吹き飛ばされ、雪庇ができる尾根の東側に大量の吹きだまりができるからです。

深山の尾根筋散策が趣味のこちらは、今も時々そこへ足を向けます。早くタケノコが出る箇所もさすがにまだ採れ頃とはならずほんの少しが見られるだけ。尾根の風下や窪地には残雪がいたるところで見られます。ブナ倒木には毎年いただいているワゲ(ヒラタケ)がようやく姿を見せ始めました。

今日は父親の月命日。仏前のお膳にも旬の山菜たちがいちばん多く供えられる季節です。

田植え真っ盛り週間に入る

いつの年も5月下旬のほぼ10日間は、土、日曜をはさんで村の田植えが真っ盛りとなる週間です。

その始まりのきのうおとといは、土曜日にこそ午後に一時の雷雨があったものの、きのうは真夏のような陽気で田植えには絶好のお天気となりました。

我が家は、予定を一日早めて金曜日午後3時から植え作業をはじめ、土曜日でまずは春の農繁のしめくくりとなる田植えを終え、きのうは初期の除草剤を散布しました。村内では、わが集落だけでなく田子内地区から椿川、大柳まで、過ぎた週末から植え付け作業がいっきに始まりました。来週日曜までに田んぼは早苗の育つ風景へと一変し、山里の田園には一年ぶりにカエルの鳴き声が響き渡るでしょう。

植えつけの終わった田んぼには、耕起作業の始まりであちこちへ「一時避難」していたイモリたちも戻り「やれやれ、これでやっと落ち着いた」と思っているようです。我が家の田んぼは、タニシ、イモリ、ドジョウ、アキアカネ、各種カエルなどなど多くの生きものたちの住み処ともなっているのです。

早苗田のそばのレンゲツツジも満開となり、遅れて咲くヤマツツジもつぼみをだいぶふくらませてきました。焼石連峰の名峰サンサゲェ(三界山・1380㍍)の頂き近くまで木々の芽吹きが上りつめ、残雪と萌葱の緑の色対称が鮮やかな風景として目に映ります。

三界山麓すぐの沢は天正の滝の源流ともなるのですが、合居川渓谷最上流部のそこには残雪の白さに混じって「よろいのクラ」と呼ばれる崖があり、その脇には私が勝手に「よろいの滝」と呼ぶ河床面に土の多いめずらしい滝があります。(写真のなかに滝は入っています)今はまだ残雪の白さに滝の白さが混じっていて、ここに通い慣れた人でないと遠目ですぐにはわかりませんが、もう少し経って雪がなくなれば、滝の白さだけがはるか高所に浮かび上がります。わが集落から眺めるならそれは最も高い所にある滝となります。今でも双眼鏡ならすぐに滝の存在がわかりますが。

家族は農作業の合間に、転作田25アールほどに栽培しているワラビ採りもしています。ワラビも、毎年田植えの頃に真っ盛りをむかえるのです。

田植えを終えた日の夕餉、妻は神棚に御神酒を献げ、滞りなく春作業を終えたことに感謝しつつ出来秋への思いを込め「穣作となりますように」とみんなで祈りました。

転作田にはウルイやミズ、ギョウジャニンニクも植えられ、脇の土手でもゼンマイやミズを栽培しています。その土手にはシュデコ(シオデ)とならんで山のアスパラガスとも呼ばれるオオナルコユリの仲間が食べ頃で顔を出しています。この仲間の山菜は自生最適の条件がなかなか厳しいらしく、そう多くは手に入らない種です。山菜のなかでも甘みがとりわけ濃く、茎のボリュウムもあるので、「山菜の王者格」にもよくあげられます。私も、大好きな山菜のひとつです。

▼自粛要請により休業していた村の「夢なるせ直売所」が22日、今シーズン初のオープン。コロナ禍や国道397号が閉じているために車の通行量もお客さんもそれほど多くはありませんが、それでも、342号や県道仁郷大湯線は開通しているため須川高原への行き帰りの方が結構おられて、直売所らしく久しぶりに人の出入りが見られる光景を取り戻しました。

暖冬少雪の割には山の残雪が遅くまで

橋梁改修工事で岩手側にはまだ通行できない国道397号は、県境の大森山トンネル手前までの秋田側は通行出来ます。合居川の道路も通行止めが解除され天正の滝へも気軽に通えるようになりました。

二つの道路にきのう入って見ましたが、異常ともいえる暖冬少雪の冬だった割には山の雪解けが遅く、道路沿いにもブナの森や小沢の中にもいつもの年とほぼ同じ残雪が見られます。いつもワゲ(ヒラタケ)の出るなじみのブナ倒木もまだ雪の下。代わりにユギノシタキノゴ(エノキタケ)が見られますから、山の季節の歩みがそれほど早くないことはこれでも分かります。

合居川渓谷「いずくら」の柱状節理の崖には、桜に変わって今度はヤマツツジが咲き始めています。

雪解けの遅い谷ではニリンソウやサンカヨウも花盛り。そこには春一番に最高品質のコゴミが採れる肥沃な土壌の一画があります。大きくなり葉を広げたコゴミの株の群生の中に入り、株立ちの様子や、ひろげた茎葉の形を目にすると、何かおとぎのくにの風景のようにも感じられます。

いつの年だったか、この底部の真ん中に小鳥の巣と卵がありました。小鳥も、巣作り子育てに最適のスポットだとおもったのでしょう。なにしろ、まわりはすっぽりと囲まれていますから。

植え代掻き終える

おととい午後からきのうにかけては本代掻き、植え代掻きとも呼ぶ2回目の代掻きに入り、田植え前の準備作業をこれですべて終えました。

小雨模様のなか早朝4時半からの作業でしたが、朝などは気温が低く濡れた手袋では手が少々かじかむほど。日中も、人々と行き会えば「さんびなぁ(寒いですね)」という言葉が交わされるほんとに寒い一日となりました。

代掻きを終えたためか、水が張られている田んぼも私にはなんとなく落ち着いた風景となって見えます。敷地や田んぼ脇のレンゲツツジも満開。土曜日にはいよいよ我が家も田植えの予定です。

元検察OB連名の二つの意見書

検察庁法改正案の採決が急きょ見送られる事態となった。

SNSをはじめとする広範な批判・抗議の世論と、15日の検察OB14人や18日の元特捜検事有志38人による意見書提出、野党のみならず最大与党内部の有力な国会議員からも批判的意見などが集中した結果の採決見送りである。

この件では、「法案はもっとていねいな説明が必要」という旨の批判的見解を発信した与党内部の方々(総裁選の党員票では現総理を上回った得票実績のある元幹事長や元防衛相)の動きに注目するとともに、元検事総長をはじめとする検察OB14人や元特捜検事有志38人の方々が連名で法務大臣宛に提出した二つの意見書の全文を私はとくに注目し読んだ。

法案そのものはもちろん「改正案」と銘打たれるのだが、当然ながら法案への批判・抗議を旨とする側の二つの主張は「改定案」反対と「改定案」に対する意見書となっている。「改正」ではなく「改定」である。それは今回の法案は「改正」とは認められないからだろう、いずれの意見書とも法案の問題点を明快に指摘しながら結論として、この法案は「検察は国民の信託に応えられない」「検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼を損ないかねないもの」と述べられている。

法案の重要な問題点を理解するうえで、また検察OBの意見書にあるように「正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。」という見地から検察のこれまで果たしてきた役割や疑獄事件とむきあってきた検察活動の歴史の一端を知るうえで、二つの意見書は実感のこもるまことに明快な論立てとなっている。まだお読みでない方にはネットなどで是非一読をおすすめしたい。

今は新型コロナウィルス禍で大規模な集いなどでの抗議行動などはできない状況だろうが、国民の批判がこれだけ大きな法案であれば通常の場合なら国会をとりまく空前規模のデモなどをはじめ全国的な世論の意思表示はもっと大きく「見える」化されていたものと思われる。ネットでの抗議世論の広まりが何よりもそれを物語っているし、異例ともいえる採決の見送りそのものがその証でもあろう。

地方政治の小さな議会ながら、私らが常に重きをおくのは「政治の主権は村民にある」ということである。国政も、都道府県政もそれは同じで、「国民、県民一人一人の主権」が政治を動かす要であることは民主政治の理だ。国民多数の批判の声とともに、二つの意見書を読めば、法治国家であるがゆえに、この法案の再考、撤回がもとめられていることはもう疑いようのないものであると私は思う。

▼写真は、撮りだめしていた渓谷の春の風景と小鳥です。

レンゲツツジ咲き出す

私の集落では本代掻き(植え代掻き)前の畦草刈りを「ノデ刈り」と呼びます。今シーズン第一回目のそのノデ刈りを終えた田んぼは、床屋さんに行った後の頭のようにすっきり。

水が張られている田んぼの脇にはレンゲツツジが3日ほど前から咲き始め、そのあざやかな朱一点が新緑に映えます。わが村の里山に咲くツツジは、ムラサキヤシオツツジとレンゲツツジ、それにヤマツツジ。

この後、一歩遅れて花が咲く紅色のヤマツツジは、我々がガキの頃はお菓子代わりの貴重な食べ物で、花びらをたっぷり摘み取り蜜の甘さと花の酸っぱみが混じった味や、葉っぱについた虫こぶのような塊の味を「もぢっこ(餅っこ)」と呼んで楽しんだもの。

それに比べレンゲツツジは「毒ツツジ」と呼んで昔のガキたちには人気のない花でした。鮮やかすぎるともいえる毒々しい朱色の花は、なるほど花密が毒というだけあって「毒ツツジ」の名がいかにもお似合いです。でもそれは花の食毒のこと、眺めてならばヤマツツジに比べて鮮やかなレンゲツツジの存在の大きさは多くの方々が認めるところでしょう。

今週はこの後に植え代掻き、そして田植えが待っています。週末になればレンゲツツジは花盛りとなり早苗田の脇でさらに朱さを増すはずです。

ツツジが咲きはじめるようになればワラビは採り頃の時期。これからの食卓にはワラビが毎日上がり続けます。

▼15日に開かれた村新型コロナ感染症対策本部の会議の直後にその内容をうけとめ、きのうはその情報を議員各位へ発しました。村のホームページでもその情報は発信されておりますが、7月の村消防訓練大会、公募中だった仙人修行、それに8月の社会福祉大会なども新たに中止が決定されています。

来賓として参加する各団体・組織の総会などもおしなべて中止。構成員となっている組織の総会もすべて全員合意の上「書面議決」で済まされています。組織・団体によっては、あるいは会議の内容によってはこれでよいという訳にはいかないものもあるでしょうが、こういう禍を経た後には、慣例にとらわれずいまの状況にふさわしい総会や会議の持ち方も検討されてよいのかもしれません。

ブナの森の象徴トガクシショウマ

「トガクシショウマの花に会いたい」その思いひとつでこの土曜日、深山渓谷に向かいました。この花と私が最初に出会ったのは今から40年ほど前でしょうか。そこは北上川支流の奥州市胆沢川上流部にある渓谷の急斜面で、土地は岩手の山ですが、秋田のわが村わが集落では古代から「地元の山」として親しんできた所。そこで山菜採りの際に偶然花が目に入ったのでした。それ以後は、わが村の深山渓谷でもこの花の群生地を目にすることができ、以後は毎年のように花時を見込んでそこへ通い続けています。

今年は花の着きがとても多く、美しさはピークぎりぎり。群生の中にはもう色褪せているところもあり、この日会えなければアウトという状態でした。そばには深山の貴婦人とでも呼びたくなる日本の名花シラネアオイも花真っ盛り。二つの花とも、肥沃な土のあまり溜まらない急斜面が好きなようで、とりわけトガクシショウマはそれが徹底していますから、写真に収めるにはやや手こずります。何度も斜面の足下をかため、左手は柴木につかまり、右手でカメラをもっての少々危ない片手撮りです。下手すれば写真どころでなく「滑り落ちる」、ここのトガクシショウマはそんな急斜面に素敵な群落をつくっています。

それらの斜面には深山なのでゼンマイも今が真っ盛り。場所によっては、前述二つの花とゼンマイが隣り合わせていたり、シドケの群生もすぐそばでみられたりします。崖下雪崩跡の肥沃な地面には、雪解けがおそいので真白きサンカヨウも花見頃です。

すっかり若葉に模様替えしたブナの森。灰白色木肌のブナに混じり1本見える黒みがかった木肌のミズナラは、秋にミャゴ(マイタケ)をいただける大樹です。樹下にはムラサキヤシオツツジが花盛りです。谷の上部に向かえば岩手との境を成す山々の残雪と新緑、ブナの森深山だからこそ望める景色が眼前にひろがります。展望のきく尾根では毎年決まったところでゆっくりと腰を下ろし新緑が生み出す空気をいっぱい吸い込みます。

深山のヒラ(底雪崩)跡は、ちょうど氷河が土を削ったのに似たような痕跡をヒド(小さな沢)につくります。ヒドは雪崩で運ばれた斜面の肥沃な土が溜まるところで、そこはウドやシドケ、アザミ、サグ、アエコなど山菜の宝庫となります。

山菜の豊富な雪崩跡はクマ公たちも食を摂る場所で、この季節のクマの主食ともいえるサグ(シシウドの仲間)を食べ、あちこちに糞をした跡もよく見られます。食事をした場所に糞をするのはクマの習性としてよく見られること。わざわざ食事場所で糞をするのは「ここは、オレのえさ場だぞ」という発信の証なのでしょうか。ニリンソウとオオバキスミレの花園の中にも大きなクマでしょう、特大の糞の塊もありました。糞は新しいものではありませんが、サグは今々食べた痕跡ですし、糞の様子からしてクマの体もかなり大きそうなので、谷に響く大きな追い払い声を発しこちらの存在をクマ公に知らせました。

谷に倒れた大きなミズナラの枯れ木からは、毎年天然のシイタケをいただいております。朽ちが進むにつれて発生量が少なくなり、今年はわずか3個出ているだけでした。