県林活議員連盟の総会

県内の県議会議員や市町村議会議員で構成される県林活議員連盟連絡協議会の総会がきのう秋田市内で開かれました。

副議長、産業建設常任委員長とともに出席、総会後の講演会も拝聴しました。

講演には、県農林水産部の眞城英一森林技監を講師としてお招き。森林環境税(仮称)と「新たな森林管理制度」について、今後われわれが留意すべき内容などをふくめ解説、助言をしてもらいました。

▼「29日夜からは再び里にも降雪」という予報が出ていたので、帰ってからの夕方近く、所用を果たしながらのついでに村内の集落そばにある林に立ち寄りました。

雪国で、初冬の季節に積雪がないという期間はそう長くはありません。林や野原の葉っぱと藪がなくなり、しかも雪はなしとなれば、野の生きものや冬の植物、キノコなどとのこの季節でなければできない特徴的な出会いがあるので、私にとってはとても貴重な日々なのです。きのう午後もそんな大切なひとときでした。

今回は、積もった初雪がいったん消えた後の雪のない野で、すでに真っ白な姿になっているノウサギを写すことでした。「自分は隠れているつもりだが、私からみれば、あれはノウサギ」と遠方からでもすぐにわかるその真っ白なノウサギを、土色を背景に撮影しておきたいというねらいでむかったのですが、それは空振りに終わりました。

ただ、野原を歩いていたら、落葉できれいになった林内にエノキタケと天然ナメコ、ムキタケが少々見られました。ほかの草木が落葉したなか、冬でも葉と茎の緑を失わない野のワサビがここは豊富で、キノコのまわりには天然ワサビの畑のような群生が目につきます。ふだんは野のワサビをほとんど食べず採りませんが、今回は少し摘み取って天然の辛みを楽しみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野原には、大きなカネバチ(スズメバチの仲間)の巣も見られました。越冬する数匹の蜂がたいがいこういう巣の中には今もいるものです。今なら飛び出てくる危険はまったくないので怖くはありませんが、夏から秋の季節はちがいます。藪に覆われて見えない場所にこんなに大きな最強の毒蜂の巣があるのですから、山歩き、藪歩きはよくよく注意しなければなりません。なにしろ人の背丈より低い位置にあるのですから、用心用心です。でも、野と山を歩くのが趣味だと、いつか、こちらも痛い目に遭うかもしれません。痛い目程度で済めばいいですけれどもね。

村議会12月定例会議は4~14日まで

村議会12月定例会議の日程を決める議会運営委員会がきのう開かれました。

議会事務局提供
議会事務局提供

議会は4日に行政報告と議案説明、11日に一般質問、14日に最終日(通年議会のため、1月4日~12月14日までの会期を1月の招集会議で決めている)という日程で進められます。この間に陳情審査の常任委員会や補正予算案を審議する予算特別委員会も開かれます。昨日は全員協議会もあり、提出予定議案の説明も受けました。

▼「こんな小春日和は、あと終わりかな」そう思えるほどに穏やかな陽射しが注いだ去る27日。晩秋から咲き始めていた我が家のサザンカが、初冬になったら花咲く勢いをぐんと増してきました。

花には、冬ごもりにまだ入らない蜂の仲間が止まっています。夏の間じゅう玄関に巣をかけている大きなクモもまだ巣にかかった虫たちを捕らえつづけています。おなじ昆虫、おなじ仲間でも、寒さに強く、厳冬に入るぎりぎりまで活動できる種もいるのですね。

 

 

 

うつろなガマ公

▼熊本県御船町議会の議長、副議長、元議長さんなどで構成される会派のみなさん6名の方々が、きのう教育行政視察で来村されました。

議会事務局提供

ちょうど広域市町村圏組合の全員協議会と臨時議会(平成29年度会計の決算審議など)に重なり、会場となった中学校で歓迎のご挨拶だけ申し上げて全員協議会に向かいました。

御船町の田端幸治議長さんは、熊本地震での全国からの支援に感謝の言葉をのべられました。次いで、あんばいこう氏の著書「学力日本一の村」(無明舎出版)を手にもたれながら、こちらが猟に関わることを知ったらしく、「今日参加の議員にも、猟友会員がおられる」旨を語られました。その議員さんはおそらくイノシシ、シカ猟などが主でしょうが、40年ほどの猟歴のある方だそうですから、こちらとほぼおなじということになります。

ご挨拶のそんな一幕もありまして、お迎えした一同、視察のみなさんへ親しみの心持ちがグッと増した空気を私は感じました。視察はいつものように授業参観、後に教育長と中学校長からくわしい説明があり、質疑応答をしていただきました。

ところで、話題のもととなった「学力日本一の村」の著書は、インターネット販売などをふくめ、県内外で案外広く読まれているようです。この間は、教育関係の方々が集まる県内のある講演会(そんなに規模は大きくない)で、会場に置かれたその著書が60部ほどすばやく完売したということで、ちょっとした話題になったそうです。そういう会場で「本の完売」というのはあまりないことなのだそうです。

ほかにもこの著書についての反応が私にもありました。秋田魁新報の文芸欄によく短歌や俳句を投稿する身内のTさん(元県職員の方)が、「幾冊か買い求めて、身内などに贈ったよ」というのです。7月に出版された著書ですが、口コミ、インターネットなどで読まれる方のひろがりをみせているようです。今回のように村へ視察に来られる方々も、「予備知識」として著書を求めておられるようです。

▼さて、少々長くなりますが話題を変えます。これはとっくに過ぎた日のことですが、可笑しな格好のカエルを写真に捉える機会がありましたので載せました。

それは、我が家まわりの里ではまだ紅葉が盛り、深山では見頃を終えようとしていた10月末の合居川渓谷天正の滝でのこと。妻と遊歩道を歩いていたらヒキガエル(ガマガエル)さんとぱったり出会いました。

その日はやや肌寒く、深山は晩秋。それでなくてもあの通り動きの遅いガマガエルは、もう冬眠間近で気温も低いためにさらに動きが鈍し。その体に手を触れたらコロンと仰向けになり、そのまんまの状態でじっとしています。天敵に襲われたときなど、仮死状態を装うムジナ(タヌキ)の生態に似ていますが、しかしこのガマ公の仰向けは気温低下が原因でしょう。

ガマ公の目はトロンとしてうつろ。警戒の様子ゼロの姿になってしまいました。この無防備な姿を見た妻は「あっ、カエル、ひっくりかえる」などと、すぐにだじゃれです。

そのままかまわずに渓谷や滝の紅葉を写し撮って今度は帰りの遊歩道。ガマ公は起き上がってあの大きな手足でモソモソと落ち葉の上を這い、小さな土崩れの穴に姿を消しました。

その後、初雪がまだ積もったままの25日午後に訪れた滝の渓谷は完全な初冬。雪の季節にも活動するカモシカ、テン、キツネ、タヌキ、そして冬ごもり直前のクマなど生きものたちの足跡がブナの森やトイレ入り口、雪のある車道をどなたかが通られた後の轍上にまでいっぱい見られました。それら足跡の下にある土穴で、今頃このガマ公はゆっくりと長い眠りにふけっているでしょう。

知事との懇談会、クマの冬眠穴、初雪に足跡

▼佐竹知事と全県市町村議会議長との行政懇談会がきのうひらかれました。知事や副知事、県幹部職員のみなさん一同と顔を合わせ意見を交わし合える年に一度の集いです。2つの議長会からの要望とそれに対する答えなどをふくめ、意見が交わし合われました。

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▼長年クマ猟をやっていたこともあり、トンビマイタケやマイタケ採りで山に入る機会の多い8月~10月は、クマが越冬するだろう穴に時々目を注ぎます。

「越冬するだろう」というのは、越冬している現場を、その穴では目撃していないからです。ただ、穴のそばのブナやミズナラ、ホウノキなどにクマの新旧の爪跡があったり、穴の中に木の葉がふとんのようになっていたりで、長年の体験とカンから、「ははァ、この穴は、まちがいなく、クマが入る(入った)穴」という判断をします。

10月にそんな冬眠穴のひとつを紹介しましたが、今日は別の箇所にある2つの穴です。
1つは10月に紹介したのとおなじ構造の根穴で、ブナの木が傾き根元の土が盛り上がってできた最高級の土穴です。中には木の葉が敷かれたように重なっていて、床はふかふか。

 

もう1つは、ミズナラ大木の根元にできた木の穴で、写真のほかにミズナラ大木にあるこういう穴をもう1つ知っています。トチノキやマンダ(シナノキ)の根にもこういう穴があります。いずれも大木の穴ですから広さも半端でなく、奥行きもそうとうなもの。ただし床面は木ですから土穴よりはデコボコ、しかも堅いでしょう。木の葉も少しは入っていますが、越冬のクマなら柴木などをくわえ込んで少しの床支度などをするかもしれません。

これまではクマ公たちが活動中でしたから、こうした穴のそばに近づいてもだいじょうぶでした。でも、根雪となる時期にはほとんどのクマが冬眠に入るため、これからは穴の近くに安易には近づけません。年によって根雪となる時期にちがいはありますが、12月はじめには多くのクマたちが穴入りします。村のマタギは昔から「クマは、冬至までに、穴さ、へる(入る)」といい、私の体験からも、例外をのぞきその言い伝えはその通りです。

この2つの穴にクマがはいっているかどうかは、12月半ばになればほぼ確実にわかりますが、身をまもる道具なし、撮影目的だけで穴口に近寄る冒険はしないつもりです。

狩猟体験のある村の方々ならそういう冬眠穴をそれぞれ知っているでしょうが、私もみなさんが知っている穴をふくめ計10箇所ほど(うち5箇所は過去に冬眠を確認)の越冬穴を目にしています。それらの中には、ほぼ毎年冬眠する穴もあります。おなじクマかどうかはわかりませんが、それはいつも母子がいっしょです。子育てするにはいごこちがすこぶるよいのでしょうね。

▼過ぎた25日午後、合居川渓谷・天正の滝まで下りてみました(車は冬期通行止)。初雪後の谷と林を眺め、「運がよければ雪上のクマの足跡が見られるかも」と踏んでの散策です。見込んだ通りに滝の遊歩道と駐車場に、そんなに大きくないクマの足跡がありました。前述の穴の方面に向かった跡でしたから、このクマ公はもう冬ごもりしたのかな。

2度目の部落長・自治会長会議、そして初雪

まだ66歳、人生これからという齢なのに、地元集落のSさんが病を克服できず急逝されました。今年は、地元というほんの狭い範囲で幾人もの方々が鬼籍に入られました。みな、集落でともにくらしてきた方々であり、今年は寂しさ悲しさが連なる年となりました。

Sさんとはほぼ同年代であり、青年時代あるいは子育て真っ盛り世代、そして中年へと、いろんな活動をともにしてきた仲です。突然の訃報に、無念の思いが続いています。

▼22日は、今年2度目の部落長・自治会長会議が開かれました。

議会事務局提供

当局とともに議会も各地区要望の提出を受け、要望箇所の現地視察もまた当局といっしょにおこなっていることもあり、ここ10数年、私もこの会議に出席しています。

二度目の秋の会議では、春に出された各地区の新しい要望にたいして、春以降の役場のうごきや、村、県(県行政に関わること)の考えの内容が当局側から説明されました。

それらは、要望の内容ごとに、①春以降速やかに具体化されたもの、②来年度の予算措置にむけ実施が計画されているもの、③来年度は無理だが再来年度をふくめいずれは実施にむけ段取りが進められているもの、④様々な理由で実現の結論を出すのはむずかしいものなどとして整理され、各担当部署から報告後に意見が交わし合われました。

後の広報でも再度知らされるでしょうが、くわしい説明資料が各部落長、自治会長さんたちに渡されていますから、早くお知りになりたい方はそちらからお聞きください。

▼先週18日にブナの森深山のナメコたちと出会ったことを先日お知らせしました。そのおなじ18日の午後、今度は家周りの林を散策、里のナメコとエノキタケに向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それと、もっと前の9月30日、ブナの森深山に入って見かけた真っ白なキノコも載せておきます。枯れ木を見事に覆っている食べられないキノコです。「見て楽しむキノコ」としては申し分のない模様ではありませんか。その時のキノコと、実の色が映えてきたツルウメモドキも載せておきます。

 

 

 

 

 

 

それから一週間後、3連休の家周りのおなじキノコとツルウメモドキの実、そして房から落ち甘みを増したヤマブドウの実です。22日夜からみぞれぎみとなった空は、翌朝になったら里も真っ白の初雪降り積もりです。

初冬、初春と、雪の下でも元気に成長を続けるエノキタケ。雪国の人々はその様子をよくみていてこのきのこに「ユギノシタキノゴ」と名をつけました。姿はか弱いようでいて凍えるような寒気にも負けず成長するユギノシタ、それは艱難辛苦を耐え忍ぶ芯の強い女性を見るようでもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この休日には、近くに暮らす童たちのうち二家族が久しぶりにそろいました。保育園や学校の行事がなかったその日、初雪で真っ白になった家まわりを散策。そのエノキタケを採ったり、ヤマブドウの実を採ったり、ツルウメモドキをながめたり、オオイタドリの枯れ茎を刀にチャンバラごっこなどで、今冬初の野外あそびを過ごしてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野が雪に覆われたので、散策コースの湧水に育つセリやオランダガラシ(クレソン)もその緑がとても冴えてきました。夕餉のきのこ鍋やサラダに、その緑葉は早速使われ、童たちにおいしくいただいてもらいました。湧水なので積雪の厳冬でもその流れには雪が積もりません。なので、冬の間、野の菜(山菜)が家のまわりですぐに採れますから、これも私にとっては自然からのありがたい贈り物です。

 

NHKホールで町村議会議長全国大会

昨日、第62回の町村議会議長全国大会がNHKホールを会場に開かれました。

 

 

 

 

国会開会中でしたが、この日は両院とも本会議がなく、この大会に総理ご本人の出席は「2年ぶり」という主催者側のあいさつにあったように、首相をはじめ衆参両院議長、総務大臣などが来賓として出席されました。委員会などが開催されていて、国会議員全体の出席は例年より少なめでした。

大会は、全国926町村議会議長の総意を込めた「地方創生の実現をめざす」ための宣言、決議、特別決議と、それらにもとずく具体要望を確認・決定しました。

大会前日には、県出身与党国会議員との懇談会も行われ、大会にしめされる議案等が渡され、それらの内容などもふくめ意見交換がおこなわれました。国会対策などで出席できなかった代議士さんもおられました(代理出席)が、限られた時間のなか、率直な意見が交わし合われました。

私からは、町村議会についても市と同じような内容での選挙公営が早期に実現されるようご尽力願う(制度改正は議員立法なので)ことと、義務教育の充実に関連して、わが村(全国各地の市町村もおなじでしょうが)として「独自の予算措置」をしている施策がいくつかあるが、これらは全国の市町村に共通する課題でもあるので、国の手厚い支援策が必要である旨を申し上げました。

教育の「独自施策」については、義務教育だけでなく、中学生がほぼ全入となっている高校についてもいえることです。たとえばわが村は高校生通学費の8割を助成する施策をとっていますが、これも、少子化などもあり統合再編がすすむ過疎地の高校については、本来は全国的に都道府県や国としてもっと目をむけるべきところだと思われます。憲法26条をはじめ「教育は国の責務」ということも念頭にあったので、申し上げたところです。
都内滞在の2日間は弱い冬型のお天気。NHKホール近くの明治神宮の森と代々木公園は、初冬のあたたかな陽射しを受けながら過ごしている人々が多く、いつものことながら、冬期の太平洋側をうらやましく思ったりしながら原宿駅から会場にむかいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

途中、明治神宮入り口表参道で尺八の路上演奏をしている青年の音色を聴き、なかなかいい響きだったのでCDを買いもとめました。演奏する姿の写真(撮影の承諾を得ました)が、その青年で入江要介さんという方です。その道の世界では名の知られる若手演奏家の方のようで、以前テレビで視たような記憶もあります。今後の活躍を期待したいものです。

街頭での演奏、こういう積極姿勢に私は惹かれます。数年前に上野公園で街頭演奏を聴き買い求めたアンデスの音楽を奏でるマルカマシスのみなさんのCDは、いまも枕元で時々聴いています。人間、いずこでも、歩けばいろんな出会いがあるものですね。

代々木公園は、いつものようにバラの花がまだいくつか観られます。そばの池にはマガモやカルガモたちがいっぱい。狩猟シーズンになっても、猟場からはるか遠くで生きる都内中心部のカモたちは安全。マガモ(写真。夫妻かな?)がこんなにゆっくりと人のすぐそばで羽を休める姿を見られるのは、村ではできないことです。

落葉の終わったブナの森深山へ(その2)

深山では、ナメコの出ているブナの倒木はたいがいが樹齢300年ほどといわれる大木。時々、ワス(表層雪崩)やヒラ(底雪崩)の直撃を受けて倒れた受難のブナもありますが、ほとんどは寿命を終え、腐朽菌(キノコ)などにとりつかれ、強風などで倒れた木です。それだけ横たわる木の径が大きいだけに、運がよければ一本の木でもう充分というほどの量が採れることも時々あります。この日はそんな倒木はありませんでしたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブナ林の地面でこの季節に目立つのは、初冬の陽射しに輝くイワウチワの葉っぱです。春一番に可憐な美しい群落を見せる森の名花は、ほかの草木が葉っぱを落とすなかでこのように丈夫な葉っぱをつけてそのまま厚い雪に押さえられ冬を越します。たしかイワカガミもおなじでしょう。花がなくても、初冬のブナの森でとっても存在感のある野草です。

イワウチワのそばにはカモシカのきれいな糞も。おなじ反すう動物なのに牛の糞はベタベタしていますが、カモシカの糞はヤギと同じようにポロポロの粒状。どうして糞のかたちにこんなちがいがでるのかな?などと思いながらながめました。

広く深いブナの森、歩けば歩くほどナメコは見られ大木への群落もまだまだ期待できます。しかし、この日はキノコ採りだけが目的でないので背中の入れ物に3分の1ほどの収穫にして「採り」は止め、「撮り」と「風景眺め」の方に時間を集めました。

ここの深山には所々のブナ林に昔炭焼きをした炭窯跡がみられます。合居川のカビラ沢(桑平沢)、アガクラ東部のワシ沢(鷲沢)などは、大正7、8年頃に銅鉱の採掘(岩井川鉱山・合居川鉱山)が行われていたことを村の郷土誌はつたえます。岩井川鉱山の開発に当たったのは当地の備前善蔵(昭和12年就任の13代村長)。

また太平洋戦争がはじまる頃の昭和16年には、それまでの尋常小学校から国民学校へと名をかえた村内の各小学校が、労力不足をおぎなう木炭運びの「奉仕作業」にかり出されたこともあります。合居川では、椿川小学校の児童が木炭運搬奉仕作業にあたったことをやはり郷土誌は記します。岩井川の児童たちも入道で、東成瀬小学校の高等科2年男女たちなどは仁郷で宿泊の運搬作業がなされたと郷土誌はつたえます。

明治の銅鉱採掘、そして戦中の木炭製造と児童らの「奉仕作業」は、この林内の炭窯跡と何かの関わりがあったのでしょうか。渓谷のほとんどは明治の時代に国有林にされてしまっていますから、森林管理署などにはそれらの参考となる資料があるのかもしれませんね。
おなじ山歩きでも合居川渓谷入りは、自分が集材架線作業ではたらいた40年ほど前をふりかえるときであり、70数年前からの郷土の歴史をしのぶ歩きともなります。

さて、入山者が激減あるいはほぼゼロとなる深山では、何週間もの日数が経つのにどなたもここには入らなかったらしく、老いてしまったナメコやムキタケもあちこちにいっぱい。「あ~あッ、もったいない」とつぶやきながら、その様子をお知らせしようと写真にだけは収めてきました。ナメコ写真の最後の方の4枚はその「もったいないナメコ」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

めずらしく雪がないので入れた11月下旬近く落葉後のブナの森深山歩き。こういうことができるのはまた何年か後でしょう。帰りには、華やかな紅葉からまるで趣をかえた天正の滝と「いずくら」の崖ものぞいてみました。

落葉の終わったブナの森深山へ(その1)

晴天の18日、かねてから計画していた合居川渓谷の奥深くへ入りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落葉の終わったブナの森と谷歩きを楽しみ、初冬のキノコ(主にナメコとムキタケ)たちとも出会うためです。運がよければ冬眠前のクマ公を遠くからながめることも期待して。

タゲ(焼石岳)も、岩手の南本内川と胆沢川、わが村の合居川と、3つの流れの分水嶺となるサンサゲェ(三界山)などの頂と尾根筋や県境部の峠は一時真っ白な雪景色となりました。でも、その後のおだやか天気で18日に雪の白さが残るは頂だけになっていました。

11月18日で山麓のブナの森の深山に積雪もなく、降雪後に点在する残雪もゼロというのは、山歩きを楽しみにしている者にとってはそうは訪れないなんともありがたいこと。

葉っぱがすべて落ちた谷は、山も、林も、沢も、はるか遠くまで見通しがきき、ふだんは歩きをじゃまする足下の草も枯れていてすっきり。落ち葉で地面の凹凸がかくされているので転倒には要注意ですが、踏みにさえ注意すれば自由自在に歩くことができて歩きはまことに快適です。

山の色は、葉を落として幹を冬構えにかためたブナと枝の灰白色、尾根に悠然とそびえ立つキタゴヨウマツと、これも尾根筋の低柴木ネズモヂ(アカミノイヌツゲ?)の少々の緑が目立つだけ。雪降る前の山水のような世界が眼前にひろがります。

こういう時には、地上に落ちたブナの実やドングリを食べているクマもよく遠目に入るのですが、この日、私の目にその姿はうつりませんでした。時々声をだして歩いていたからでしょう。ただし、実のついたブナの根元では、今々落ち葉を寄せてブナの実をさがした痕跡があちこちで見られました。こちらの声に気づいて遠くに離れたのでしょうか。

 

まだ積雪がないためか、谷のイワナが淵尻の瀬でエサをもとめる姿があり、人影を感じてエゴ(岩や土塊の隠れ場)や淵に横たわる枯れ木の下に素早く泳ぎ隠れる姿を何度も目にします。段差の大きな滝があれば、そこはそれ以上イワナがのぼれない魚止めの場。最上流の淵周辺には20㌢ほどのイワナも見られました。産卵はとっくに終わったはずですから、それほどの上流にもかれらは「定住」しているということです。

今の時期のブナの森深山は、最高級の晩生ナメラコ(ナメコ)たちの独擅場。晩生ナメラコは、今シーズンの山の最後の競演舞台に立つ大トリ役みたいなものです。ナメコにおつきあいして、ムキタケも時々見られました。

まずは、数カ所のブナ倒木に出ていた最高級のナメコをご紹介です。大きくてもカネ色(濃い栗色)のは、それらのなかでも最高級のうちの超特Aクラスです。実も厚く、味も濃厚。数多く山を歩く私も、こういうナメコと出会う機会が多いのはやはり初冬のいまです。

 

奥州市、一関市のみなさんと要望活動

16日、国道397号と342号ふたつの道路の整備促進期成同盟会の要望行動に出席。副村長(村長代理)もいっしょでした。

要望先は、秋田県庁の建設部と雄勝地域振興局。同盟会別に時間を前後してほぼ同時に要望活動がおこなわれました。397号の会長は奥州市長で、342号の会長は一関市長と、いずれも会長は岩手県側。今回の要望にも時間は別々でしたが2つの市の副市長さんと奥州市議会の議長さんが担当部長さんらとともに出席されました。

秋田県側の国道に関する要望では、397号については要望の最初に通年通行のための具体的手法の調査・検討をかかげ、ゴールデンウィーク前の早期の冬季閉鎖解除にむけた整備促進がうったえられ、342号についても仁郷から狐狼化までの雪崩防止対策、小五里台工区の早期整備、ゴールデンウィーク前の早期の通行止め解除が具体要望としてかかげられました。

県建設部長をはじめ建設部の幹部のみなさんと、雄勝地域振興局長と同振興局建設部長、建設部の幹部のみなさんへは、2つの同盟会の総会決議などにもとずく要望と状況説明の発言が岩手側の副市長さんたちや秋田県側の横手副市長、湯沢市長代理からそれぞれおこなわれました。副村長と私からは、それらとあわせて、現道路を最大限有効に通行できるために冬季閉鎖のはじまりの期間について、降雪、積雪状況にあわせた柔軟な対応(段階的な閉鎖、岩手側との同時閉鎖だけでなく、固有の事情がある秋田側だけの対策など)について検討をお願いしました。

いずれの道路も村や湯沢雄勝、横手平鹿への周遊観光や交流としておおいに役割を発揮している国道であり、わずか一日でも多く通行できることが地域の産業振興に寄与し道路利用者の利便につながります。「一日」の長短がカナメとなる道路であることを心に込めながら、降雪、積雪にともなう安全を考慮しながらも柔軟な対応策実現をうったえました。

県側からも「柔軟な対応について検討したい」という旨のお話があり、とても前向きに語られたとこちらは受け止めました。

とりわけ397号については、閉鎖ゲートがあまりに手前のために(342号ももっと桧山台入り口あたりでもよいと思うのですが)、閉鎖時期が早くなれば、地元集落住民のくらしの面でも様々な不便が生ずること、積雪前の秋田側からの焼石登山者や晩秋・初冬のすずこやの森など散策をされる方々の楽しみも早くに失われることなども念頭におき実情を申し上げました。村の簡易水道事業も、今年から397号沿線でスタートし、そういう固有の事情も閉鎖期間とおおいに関わります。

過疎地域の自治体集う

全国の過疎地域自治体が集う催しが、きのう都内浜松町のメルパルクホールで行われました。

正式の名称は、全国過疎地域自立促進連盟(会長・溝口善兵衛島根県知事)の第49回定期総会。過疎地域の知事、市町村長、議長などが構成員で、監事にはわが村の佐々木村長も就任中。

今年の総会は国会の本会議開催と重なり、来賓のみなさんが例年より少ない総会となりました。議決された決議などの内容には、地方の人材確保や度重なる自然災害への国の支援策の充実、企業誘致などでそれぞれ新たな視点の項目が盛り込まれるなど、過疎地域のおかれる状況が反映されています。

早朝に自宅を出て会議が始まるまでに時間が少しあったので、いつものように芝公園を散策。晴天ながら日陰は都内もやや寒く、昼休み休憩のはたらく方々や公園散歩のみなさんは、陽射しのあるところに多くみられました。

 

 

 

 

 

 

 

芝の上で昼寝をしている人々、団地やマンションの布団干し、わが雪国のこれからはほとんど見られなくなる光景が、太平洋側ではごくあたりまえに目に入る季節です。おなじ列島でも脊梁山脈をはさんで極端な陽射しのちがいが出る、ほんとうの冬間近を感ずる日帰りの都内会議でした。

写真は、芝公園の花々と東京タワー。コスモスが真っ盛りでした。