凍み大根仕上がる

雪国の人々の「冬越し」を食でささえる大切な役割の自家用野菜たち。その野菜のなかで我が家でもっとも多く利用されるのは大根。

冬の味噌汁具材はほぼ毎朝といってよいほどに大根が使われ、おでんに、ナタ漬けにとほんとにありがたい食材です。

頃はまもなく3月。秋から蓄えていた「でご穴(大根穴・大根の貯蔵庫)」のなかは、だんだんと積まれている大根の数が減ってきました。春のおとずれとともに、生の大根は食卓にのぼる回数が少しずつ減ってゆきます。

それにかわって登場するのは寒風にさらし干していた凍み大根。2月末になったら完全に乾燥が仕上がって、甘くておいしい「加工品」がいろんな料理に用いられます。昔の狩人にとっては、これから脂がのっておいしくなるヤマウサギ(ノウサギ)鍋の食材として、シミデゴ「凍み大根」は欠かせぬ食材でもありました。

唱歌「故郷」の「♪♪うさぎ追ひし………♪♪」の歌詞を「うさぎおいしい」と思っていたという冗談話がいわれます。大根は、生でも、凍み大根のように加工しても、そのおいしいウサギ鍋をひきたてる食材として重宝された長い歴史が雪のむらにはあります。

▼毎年この頃になると、若い頃農業研修で1年間お世話になったSさんから、知り合いの方がつくるミカンが送られてきます。農薬をほとんど使わない栽培が特徴のミカンです。今の時期ですから晩生種なのでしょうか、おいしくいただいております。

無農薬や減農薬の作物栽培は、収量も品質も安定しないので農業経営ということになれば簡単にはできないことです。でも、できるなら農薬は使いたくないのがみんなの理想でしょう。

我が家も、ほぼ一年中食べるジャガイモや大根など自家用の野菜はほとんど無農薬です。野菜は販売していない農家なので、自宅で食べる分だけの量だからそれはできますが、トマトなど野菜の種類によっては農薬なしだと収穫期間はほんのわずかに限られてしまいます。

栽培への工夫をこらせば、このミカンのように無農薬でも安定した収量をあげ、経営としても成り立たせることができるのですね。何事も「できない」で止まらず、探究、努力が必要なことを教えられます。

議案説明で全員協議会

村議会3月定例会議に提出される議案説明の全員協議会がきのう開かれました。

議会事務局提供

その前には日程を決める運営委員会も開かれ、3月議会は1日から19日まで開催することを決めました。1日には行政報告と議案提出、説明、常任委員会の陳情審査、8日に一般質問、12日と13日に予算特別委員会、19日に本会議での議案審議となります。

議案説明でものべられましたが、来年度当初予算案で特徴的なことがいくつかあります。その一つは、これまでの村単独事業についてかなりつっこんだ検討が行われ、継続してきた事業でも今年度限りとされる補助事業がみられたこと。補助事業への予算措置の時期などについても今年度とはちがった対応策がとられることになったことなどがあげられます。

住民全体のくらしを念頭において、合理的、能率的でしかも堅実な予算をくむのが提案側のつとめであり、議会もそういう視点をはなさずに予算案の審議にあたることになります。そのためにも、過去の予算案審議事例や前年度比較、それに決算で審議された内容なども見つめながら予算案の勉強が議会側はしばらくつづきます。

セキショウも姿を

「春が来はじめた、春が感じられる、少しずつ春が」などと春言葉を毎日記しています。そういうこともあって、きのうは、役場への往き来の途中にもう一つの春を感じられる場所に立ち寄ってみました。

そこは、村内でもおそらくここだけになってしまったかもしれない常緑植物セキショウのある小さなヘギ(せき・堰・用水路)。村内用水路はセキショウが育つような旧来の土側溝からコンクリート側溝へかわり、このようなヘギは貴重です。私は、毎年春一番にここに決まって通います。

まだヘギの大半は厚い雪に覆われていますが、わずかに雪が解けた場所で濃い緑のセキショウ(薬用、観賞用植物として愛される)が姿をあらわしていました。押さえつけられていた雪の圧力から解放されたばかりですから、勢いのある本来の植生ではありませんが、それでも、緑に飢えている私にとっては一年ぶりのうれしい再開です。

さすがに、そばに咲くフクジュソウはまだ雪の下ですが、バッケ(フキノトウ)は一つだけ芽をふくらませていました。

この小さなヘギに棲むドジョウも、雪がなくなった泥の中で「春が来たな」と感じ始めているでしょぅ。

集落そばでは、ヒラ(底雪崩)がごく普通に見られるようになっています。ここにも春です。

予算案が内示、ネコヤナギ冬衣を脱ぐ

22日に開かれた議会の全員協議会で、平成31年度村会計予算案の概要が説明されました。よくいわれる「予算の内示」です。

明日も全員協議会が開かれる予定で、ここでは3月定例会議に提出される議案の説明が、予算案もふくめ詳しく行われます。一般会計の当初予算案総額は歳入歳出それぞれ32億9千万円。国保、介護、簡易水道、下水道など特別会計を含む全体の額は約45億9千万円となります。

▼週末から休日と朝の除雪なし日が続き、きのうは今年に入って最もおだやかな日和の一日でした。道で行き会う方々は「春だ」の言葉を交わし合える陽射しがつづきました。ひなたぼっこを兼ねながら雪寄せなど外仕事をしている人々の姿も見られました。

積雪の深さも日毎に下がっていて、家周りも雪のない範囲が少しずつひろがっています。集落前後の里山ではヒラ(底雪崩)の割れ目が何処にもあり、すでに雪崩落ちた斜面も各地に見られます。3月半ば過ぎまでまだ雪降りは時々あるでしょうが、豪雪のむらも春の扉が少しずつ開き始めています。

自宅前、なじみの川岸ではネコヤナギも冬の衣を脱ぎ始めています。私が学童の頃のむかし、ちょうど今頃から冬の川でのカジカ捕りに夢中になったことを思い出します。

川岸の石を起こしたり、一年でもっとも水量の少ない岸辺の流れを少しの幅でせき止め、小さな「川干し」をしてのカジカ捕りに心を躍らせたのです。雪深い川辺に見るネコヤナギ。それは、50数年ほどの遠い昔に私を誘ってくれる思い出のアルバムを開いた時のような風景です。

確定申告

きのうは村の税務課による岩井川地区の申告相談の日。予定より一日早めて確定申告を済ませました。

いつものことながら、相談にあたる職員のみなさんの懇切丁寧な対応とテキパキとした仕事ぶりは気持ちがよいものです。

申告の季節になると、毎年考えさせられるのは「こんなに出費増の農業経営がいつまで続けられるか」ということ。

こちらの職業は「農業」ということになっていますが、わずかのお米づくりのために、ウン百万円のトラクターやコンバイン、乾燥調整機械一式、田植機、運搬機、病害虫防除器具をそろえ、機械格納庫を建て、水稲の苗代だけでも11万円余、肥料、農薬費だけで13万円余もかかり、ほかに農業にはみなさん必需の軽トラックも。一回にウン万円、時にはウン十万円もかかるコンバインなどの高額修理費も頭が痛し。これがごく普通の小規模稲作農家の姿です。

大型機械を購入して、あるいは機械作業を委託しての小規模の稲作では赤字経営はどなたにもほとんど共通しているようで、その結論は「作るより、買って食べたほうがよい」を大方は選択する時代です。なので、農業生産法人や個別の担い手などに多くの方々が農地をあずけるようになっているのでしょう。

「コンバインなど高価な機械の替え時が、米作りをやめるとき」という声をよく聴きます。私の体験からしても、それには「なるほどな」とうなづいてしまいます。それほどに、「機械は高過ぎ」るのです。

我が家も、「今あるコンバインが動けるうちのお米づくり」となるかもしれません。それまでは、申告書をみながら大赤字覚悟の「小農業」をいましばらくは続けていこうと思っています。先祖伝来のたんぼをまもり、お米をつくる喜びと自分でつくったお米をおいしく食べるうれしさをできるならなくしたくないので。

陳情の方々が議会へ

村議会3月定例会議を前にして、陳情がいくつか寄せられています。きのうはその陳情を提出されている団体の方々から内容説明を総務教育民生常任委員長とともにお聴きしました。

説明を受けた陳情は、全国一律の最低賃金の実現を求めることと、消費税10㌫引き上げの中止を求める2つの内容です。

昨年も村議会は消費税10㌫引き上げ中止を求める意見書を政府に提出しています。また最低賃金についても、やはり同じ趣旨の意見書を政府に毎年提出し続けています。

都市部のほうが家計支出が多いから地方との賃金格差があってもやむをえない、という論は成り立たたなくなっていることを、われわれは家計支出のデータでも日々の暮らしでも強く感じています。

たとえば公共交通網の発達していない地方では自家用車が必需品であり、また特別豪雪地帯のくらしには除雪や暖房経費など、雪や寒さ対策に関わる多額の出費が家計を大きく圧迫しています。これらひとつをみても、支出の規模は大都市部も地方もほとんど同じであり、我々は「むしろ、地方、雪の地帯こそ支出が多い」という実感で一年を過ごしています。支出はそういう内容をはらんでいるのに、収入のカナメ最低賃金に大きな格差があるのはまったく理不尽であり、村議会はその是正をもとめて意見書を提出し続けてきたものです。

賃金格差をなくすことは、大都市部への人口一極集中の是正を止めるためにも欠かせないことは、識者の間でもひろく指摘されています。政権与党内でもその意見はひろがっているようです。若者たちが都市部へ就職先を求める大きな理由のひとつに「地方は賃金が低いから」をよくあげるそうで、私もそういう声を時々耳にします。

地方の人口減少くい止めを本気で考えるなら、中小企業への支援を強めつつ、全国一律の最低賃金実現は欠かせぬ施策のひとつであることを政府にはしっかりととらえていただきたいものです。

ノウサギのうごきにも春が

18日の午後、生活用水路取水口のゴミを取り除くついでに裏手の里山中腹まで2時間ほど雪の上を歩きました。

途中、冬でも沢水が注ぐたんぼ跡の湿地にはバッケ(フキノトウ)が。まわりが2㍍50㌢ほどの積雪なのにそこだけ雪がなく根が水に浸かっているため、バッケが早くも新芽を膨らませているのです。脇にそれますが、バッケといえば、先日宮城方面の道の駅には店頭にたくさん並んでいて、1パック20粒ほどが250円で売られていました。栽培モノでしょうか、たらの芽、こごみ、ぎょうじゃにんにくなどもありました。店にも春のカオたちがごく普通にみられる2月です。

さて本題にもどります。沢の上流部では、何百㍍もの上方斜面から沢の上を落ちてきたワス(表層雪崩)の塊が堆積している厚い雪の層も見られます。見えないところから猛スピードで落ちてくるこういうワスもありますから、冬山歩きは油断なりません。雪崩の沢は、こちらがよく通る冬山歩きコースの一部でもあり、なおさらワスへの用心を強くしました。

雪原もブナの林も、眼下にのぞむ大字椿川地区を主にする成瀬川とその流域の集落も、積雪が落ち着いてきたからでしょうか、厳しい冬はもうピークを過ぎつつあることを感じさせます。遠くにのぞむ焼石連峰はまだまだ真冬の様相ですが。

この日は、途中の杉林の中で、思わぬノウサギとの今冬初の出会いがありました。

「思わぬ」というのには訳があります。当日午後はやや強い風の下、曇り空に時折陽射しのあるお天気で、木々の枝に残っていた雪が風に揺すられていっせいに落ちていました。そのために林の中も雪原斜面も生きものたちの足跡が落ちるボダ(杉の枝に着いた雪の塊)で消されてしまい、とくに足跡の浅いノウサギは林の中では跳ねた跡がまったくわかりません。

それに、ノウサギは「ボダの落ちる時は杉林の中にいない」と村の狩人(マタギ)たちはよく言い伝えてきていて、この日はそのボダも激しく落ちている最中でした。ボダの落ちる音や雪の塊をたいていのノウサギは警戒するからです。しかし、そんな日でも杉林の中に稀に伏せ隠れしている個体もいますから、いつでもどこでも例外はあります。

この日はそんな例外日だったのでしょう、大きな杉林で盛んにボダの落ちる中を通っていたら、過去何十年もよくノウサギの伏せている斜面に、なんとその「例外」の個体がひたりと雪に伏せていました。

ウサギはこちらをとっくに発見していて、いつでも跳び出せる状態でスタート前の「位置について」の姿勢をとり、私の動きに全神経を集中させています。一㍍、2㍍とウサギに近づくにつれ、シャッターを押す私の指感覚と呼吸、そしてウサギの方はいつスタートをきるか、双方の緊張感が極まります。ついにそれが頂点に達したとき、見事な瞬発力で相手は跳びだしました。

山へ愛用している一眼レフカメラが故障修理中で、写真は別のコンパクトカメラで撮ったものです。伏せ穴から飛び出す瞬間に私の体がうごき、とび跳ねる様子(写真の左下部)は一枚しか写すことができず、それもぼやけです。でも逃げる様子はうかがえるでしょう。

足跡が消されない雪原には、夜にノウサギたちが遊び跳ねた跡があり、その足跡からも春を感じ取りました。ノウサギは、春になると今年第一回目の繁殖行動をはじめ、オスとメスが夜にいっしょの動きをし、それが足跡として雪上に残ります。最後の写真2枚の足跡もそのひとつで、エサを求めて跳ねとぶ通常の跡とは異なります。そろいとび跳ねしたり、円を描いたりなど、いかにもじゃれ合っているような2匹の連れ合い跡がくっきりです。

 

それに、足跡の脇には、繁殖期特有の濃い黄褐色の「おしっこ」跡もみられます。狩人は、この時期になると「ノウサギは、ほぼ同じ箇所にオスとメスがいる」と判断して猟を行ってきました。このように私たちは、ノウサギの動きからも春がきたことを感じています。

▼きのうは、県町村電算システム共同事業組合議会の定例会が開かれました。平成31年度一般会計の歳入歳出それぞれ645,894千円の総額となる当初予算案や30年度補正予算案、専決処分案などが審議され、可決、承認されました。

凍み大根も干し上がりへ

きのうは久しぶりに一時の陽射しもあり、今日は一年を二十四の節気に分けたうちのひとつ雨水の日です。実際のお天気も暦も春模様なので、きのうも記しましたように、私の心と体も厳寒へ備えるコートを脱いでいささか春の趣に傾きはじめています。

軒下に吊されている凍み大根もようやく仕上がりに近づいたようで軽くなり、陽射しの下、そよと吹く風でもたやすく揺れ動くようになっています。

一冬の間、雪との格闘でわが集落の人々を助けた命の用水路「おおへぎ・大堰(遠藤堰)」も、冬の最も大きな役割を終える頃が近づいています。

用水路のごみを取り除きにあがった我が家裏手の里山では、斜面から落ちた雪が「ゆぎだんごろ・雪だんごろ」となっています。降る雪、積もった雪が湿ってくるとよく見られる雪がつくる春の兆しです。これからは、豪雪の村らしい「春」のおとずれを感じられる人と自然の動きが日毎に増えてくるでしょう。

なるせ芸術文化祭

今週からはそれほど強い寒波の襲来が予報されず、それに県内の主な雪まつり行事も終わる2月下旬入りです。「雪は、かまくら、ぼんでんまで」が、季節の流れを知るわれわれの口ぐせなので、冬らしいきびしい雪降りはこれで終わりかな?と思い込みはじめています。爆弾低気圧がもたらす地吹雪はこれからも来るでしょうが。

そんな中、恒例のなるせ芸術文化祭がきのう開かれ、前段には村の方言「さあ・シャベローゼ大会」もおこなわれました。

シャベローゼ大会も芸術文化祭も、会場のみなさんに自分の発表、歌、踊り、演技、芸、技、たしなみを披露するということですから、それはすべて「自分を観ていただく」という点である意味の勇気がいることです。毎年のことながら、すばらしい作品、演技などを発表、出品してくださるその心意気、文化の尊さを教えてくれるみなさんに感謝、です。

その発表、芸術によって自分も楽しみ、観る人々をも楽しませることができる。いつも記しますが、芸術って、ほんとにありがたいものですね。

 

▼16日は、所用で仙台、塩釜方面に向かいました。村の集落は今冬のほぼ最深積雪を保っている状態でその日の雪は2~2.5㍍前後だったでしょうが、太平洋の沿岸部はもちろん積雪ゼロ。立ち寄った塩釜神社では、梅の花が早くも咲き始めていました。

豪雪の村から脊梁山脈をひとつ越え、雪ゼロの町々をながめ通り、おだやかな松島湾を見下ろす土の丘に立ち梅の花をみながら「ほうっ、たまげだ」とため息。帰りに雪ゼロのところからわずかの時間でまた山脈の中心部で吹雪と豪雪の山中に入った時に「ほほうっ、タマゲダ」とまたため息。

豪雪の土地で生きるには、やはり、心にそうとうの「しなり強さ」がなければできないことだと思ったりもした、2㍍台の積雪の村と、別世界、雪のない町への往き来でした。

▼その前日は、屋根の雪おろし。通常なら50㌢近く積もっていれば「7回目の本格的雪下ろし」ということになりますが、今回はマブ(雪庇)のある風下と軒の部分だけの下ろしで済ませました。「もう、これ以上積雪が増えることはないだろう」と考えたからです。

集中して雪が下ろされる風下のマブの下は、二階の窓よりも雪が高くなりました。この雪の小山が4月末にはほとんどなくなります。明日は暦で「雨水」の候。昔の人々はよく自然を観察していたものです。降る雪にも、風にも、水の流れにも、どことなく冬の厳しさが薄れ初めているように感じてきましたからね。こうなれば、雪の下の土も少しずつ温かくなりはじめているでしょう。

ありがたい地元のお店

戸数200戸余りのわが集落。そこにくらす人々が日々のくらしで頼りにしているのは地元集落にある3つの商店と、お隣集落からおとずれる移動販売の魚屋さん1つの計4つのお店です。いずれも代々にわたって商いを続けている方々です。

そのうちのひとつは谷養鮮魚店さん。お店の通称は「よぎめへ・よぎ店」。文字通り魚やそうざい、雑貨等を扱う集落の総合食料品店です。仕出し業も営んでおり、それは村外にも根強い人気があるようです。鮮魚、食肉、野菜はもちろん、たいがいの食料品はそろっていて「主な食べ物なら、ここでほとんど間に合う」といわれるお店です。地元をはじめ大字椿川地区への長年の移動販売車による商いも続けられています。

もうひとつは佐々由商店さん。その通称は「よしめへ・よし店」。お米の集荷業、米穀や肥料、農薬、燃料、ガソリンスタンド、お酒やタバコ、雑貨などを扱う幅広経営のお店です。国道バイパス沿いにお店が移ったので、車で立ち寄る村内や集落の人々だけでなく、村をおとずれる方々の利用も近年は目立ちます。

もう一つの老舗は佐藤小吉商店さん。その通称は「べっけめへ・別家店」。米穀や雑貨、塩、たばこ、ガラスを使った戸の設備や修理を主にするお店です。今のように農業法人や担い手に農地の集積や作業委託が集中する数年前までは、秋のお米の乾燥調整で村内多くの農家に頼りにされ大きな役割を果たしました。その仕事も今なお続けられています。

さらにもう一つ、IZUMIというハイカラ文字がシンボルの移動販売車で長年わが集落を訪れる方は、お隣肴沢の魚屋さん「和泉商店のケイスケさん」。昭和、平成と自宅の店舗と移動販売で長年村の人々の食をささえてこられた方で、わが集落の方々にも根強い固定のお客さんをお持ちです。

こうしたお店をここであえて個別に取り上げたのは、それは、集落にお店があるということは「ほんとにありがたい」とみなさんが感じているからです。

商いはある意味では社会奉仕を内包しているしごといわれます。信頼、信用されるお仕事というのはすべて需給のお互い同士が「ありがたい」という気持ちでむすばれるものです。人口減少、商店大型化、働き方や家族構成の変化で、日用品や食品を商う方々が村内でもやむなくお店を閉めました。そんな中がんばりつづけているわが集落の3つのお店とお隣集落の1つの移動販売車は、人々の食とくらしの大切な拠り所です。

それは村内ほかの集落で商いを続けておられる「田子内の豆腐屋さん」、「ゴロめへ・五郎店さん」、「平良のショウゴめへ・菊地商店さん」「手倉のアズギめへ・管原商店さん」、「椿台のダイガグめへ・大学店さん」、「ホンマめへ・本間店さん」などもみんな同じです。

こうしたお店がいつまでも営まれるような適度な人口があって、経済循環が成り立つ地域の存在こそが、わが国の本来めざすべき国づくりのはずです。村政、あるいは県政、国政のそれが大事な柱であることを、みんなであらためて見つめ直したいものです。