岩手・山田町議会・会派のみなさんが村へ

昨日は、三陸地方の岩手・山田町議会の昆議長をふくむ議会内会派5名のみなさんが、「全国学力トップクラスを維持し続ける教育方法について」という視察目的をかかげ村の小学校を訪れました。

議会事務局提供

 

 

 

 

30歳代はじめの若い議員さんと、議長さんを含む議員歴の長い方々でつくられている会派のようで、3時間ほぼちょうど、村と学校側の説明、授業参観の後、旺盛な質疑をしていただきました。それにたいして、教育に注ぐわが村の意欲と考え、感想の一端を、教育長、学校長、時に教頭、そして私からとお答えしました。

「子どもたちのノートを見て、字がきれいなのに感心」、「学力を維持するために、(教員へのことだと思いますが)プレッシャーがかからないか」、「いじめや不登校の有無は」、「数多くの子育て支援策はいつ頃からやられているのか」、「高校通学費助成の対象者数はいくらか」、「学校統合の時の状況はどうだったか(教育委員会の対応や方針、住民の意向などを含めてのことだと思いますが)」、「小中連携をもう少し詳しく聞きたい」などを旨とするご発言や、その他多くの質問や感想が寄せられました。

議会事務局提供

 

 

 

 

山田町からは、先に教育委員会関係の方々も村へ視察に訪れていただいたようです。昆議長さんとは都内で開催の3県合同研修会で幾度も交流を深めていて、「東成瀬村を訪れてみたい」と昨年からお話をいただいていての今回の視察実現でした。

東日本大震災では800名をこえる町民の方々が死亡、行方不明となり、家屋も大きく損壊、甚大な被害をうけた山田町。復興計画にもとづく将来を見据え、小学校9、中学校2の町の教育にかける情熱が、視察された方々のご発言からはひしひしと我々に伝わるものがありました。

「泊まりは視察先に」ということで、栗駒山荘を宿にもしていただきました。こういうご配慮はれわれとしてはとってもうれしくありがたいことで、視察先に村を選んでいただいたこととあわせお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

香取市議会のみなさん来村

きのう午後、千葉県香取市議会福祉教育常任委員会(田代一男委員長をはじめ久保木副議長を含む6名)の方々が、伊能議長、教育委員会教育部長、議会事務局のみなさん同行のもと計9名で、教育行政視察目的として村(小学校)へお越しになり、総務教育民生常任委員長とともに歓迎を申し上げました。

先日の八王子市議会会派に続いて議会としては今年度2回目の来村です。小学校長と教育長から学校経営と教育行政を説明していただき、子どもたちの授業を参観。後に盛んな質疑応答がなされ、休憩無しで予定の3時間びっしりを過ごしていただきました。

議長さんの姓にもあるように香取市はあの伊能忠敬の出身地。平成の合併で当時5万人近い人口の佐原市と当時1万人や2万人台の人口を擁していた3つの町が新設合併し生まれたのが香取市。霞ヶ浦にも近く水郷と里山景観で名を馳せるところ。茨城県境、あの大きな利根川が長い距離を貫流している市です。

私が直接お聞きした範囲でも、「子どもたちの積極的な発表が印象にのこった」、「人口に比較して予算・決算規模(教育予算もふくめてととらえましたが)が大きい」、「子どもたちの書く字がきれい」、、「異動などでこの学校に新しく就任する教員は、学力で注目されている村に来ることになったとき、率直に言ってどういう心境になるものか」などを旨とするご質問や感想などがだされました。

また、こちらが、昭和と平成二つの市町村合併時に村が単独の自治を選択したことが、村の政治と教育行政を発展させ今日の到達をきずいた柱という旨をご挨拶で申し上げたこともあってでしょうか、「平成の市町村合併を、今ふりかえってどう考えているか」など、その他行財政運営などもふくめ多くのご発言もありました。

視察の方々は、それぞれ自分たちの地方やそれぞれの自治を見つめながらわが村のことを問いかけてきますから、いつものように、こういう場は視察を受け入れる私たちの側も質疑応答などを通じてお出でいただいたみなさんから学べる機会でもあります。きのうも、いろんな面(あらためて、わが村の歩みや政策をふりかえるなど)で参考にすることの多い時を過ごさせていただきました。今日は、岩手県山田町議会のみなさんが来村されます。

消防団は地域活力の源

15日、真夏日、まさに炎天下で村の消防訓練大会が行われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも本部テントのテーブルの上に置いた大会資料や空の紙コップがとばされるほどの涼しげな西風が吹いてくれたので、恵まれたお天気での大会といってもよかったでしょう。

小型ポンプ操法に出場したある分団の方々は「5月半ば頃から練習を始めた」と語っていましたし、また夜遅くまでお仕事をされている方などは「夜中の2時に寝て、朝は練習で4時起きもある。これはなかなかきつい」という声もお聞きしました。それは愚痴とかではなく、みなさん、「大会をひかえての練習とは、そういうもの」ということを理解していての、明るい表情で語る難儀の声です。

このようにみなさん職種に違いはあれど、本業のお仕事があるなかで、夜、休日、そして早朝とよく練習に励まれこの日の大会を迎えます。北海道から沖縄まで、全国の消防団の方々が災害や遭難時の出動だけでなく、こうして技、体、心を鍛え社会奉仕の団活動をくりひろげているわけですから、住民にとってはほんとうにありがたいことです。

団の活動は、全国の農山漁村、そして都市と、津々浦々に組織されております。とりわけ農山漁村では、私からみれば消防団は住民の安心安全のカナメであるとともに「地域活力の最大の証」の存在として目に映ります。地域の若者たちが活躍する消防団は、「地域の活力の源」なのです。

村の各分団には年々若い方々が名を連ね、若い役場職員も一定数加わり、青年時代に関東方面から村に移住されて久しい方々も団活動歴を重ねています。村では何十年ぶりかでこのほど復活した若い女性消防団も加わっています。これほど多彩な方々で構成される組織もまたひとつの特徴と思われます。

今年の大会から、小型ポンプ操法の部において各担当部門(指揮者、1番員、2番員、3番員)毎の最優秀選手賞がはじめて設けられました。最初の写真はその賞を受けられた4人の方々です。横浜から大柳地区に移住されて久しいSさんも「2番員」の役割部門で最優秀賞を受賞されました。村としてはこういうこともまたなんともうれしいことですね。

小型ポンプ操法の部では、指揮者含む最優秀選手2人を輩出した第3分団第3部が優勝、湯沢雄勝の支部大会へ連続出場となりました。昨年と同じように支部の大会でも優勝して県大会へも出場を決めてほしいものです。

ご挨拶では、豪雨による土砂(岩石)崩落災害への備えと人的被害を起こさないということで、団としての固有の役割を果たしていただきたいことをとくにお願いいたしました。

▼村議補欠選がきのう告示、2名の新人が無投票で当選。欠員がなくなりまずはホッです。

無念の別れが続く

14日は村の社会福祉大会でご挨拶を申し上げ、いろいろあってそこを中座、後に故佐々木健夫氏(6月に村議を辞職)の葬儀へむかいました。無念の思いを込め、最後のお別れのことばを申し上げました。以下は、その弔辞のほぼ全文です。

弔辞
健夫さん、十二日午後に奥様から訃報のお電話をいただき、あまりに突然のことにお返しする言葉に詰まりました。
このようなかたちで、あなたにお別れの言葉を申し上げることになりましたこと、まことに無念の極みであります。

世の中ではむかしからよく「いだましい人ほど先に逝かれる」といわれてきました。人の命はみなひとしく尊いものですが、あなたが大切にされたご家族の方々をはじめ、あなたが歩まれた生涯に刻まれてありますように、役場、議会、地域と、多くの方々にとってあなたはほんとうに大きな存在でした。

青年会活動、村職員と各課長職、そして平成15年から4期途中までを勤められました議会での活動と、あなたのご活躍を直接目にし、あるいは活動を共にする中で、私はあなたから、物事に向かうときの決断力のすばやさとあふれる正義感をとても強く感じました。

課長職を辞して二度の村長選挙を果敢・不屈の精神でたたかわれ、後に議会で活動されることになったあなたは、病に伏されるまで村民の負託を受けた立場として議員の責務をほんとうによく果たされ、一般質問を毎議会欠かさず、質疑も旺盛に行っていただきました。

さらに、議会運営、議会改革、議会広報の各委員長としても重責を担われ、とりわけ通年議会制導入をはじめとする歴史的といってもよいでしょう村議会の改革にあたっては、その先頭に立って役割を果たされました。それらの活動にあなたがご尽力されるお姿は、議員としての鑑となるものでありまして、その姿勢に多くの方々が学ばされました。

それだけに、健康な時には鋼のようにたくましかったお体が、病魔に襲われ議会活動が充分に出来なくなり、さらに質問や質疑がかなわなくなった折のあなたの悔しさを、私は心に染みて察しておりました。しかし、あなたは議会人としての使命をこの時も貫かれ、無理をして病室から外出され、質問こそできなかったものの一日だけ3月定例会議の議席に着かれました。この時、あなたの姿勢に我々は強く胸を打たれました。

「病を克服されて、また議場へ、そして、あの迫力ある声音で一般質問を、質疑を」と、私は願っていましたし、何よりもあなたがそれを一番望まれていたでしょう。しかし、病魔はその願いを断ち切り、ついにあなたは議員を辞職され、そしてこのような今生の別れという悲しい日をむかえることになってしまいました。

健夫さん。先輩。私は、この間、病の床の上であの病室を出る時に長く堅く交わし合った握手の時のあなたのあの掌の温もり、力強さを忘れません。あなたがあの時に私に伝えようとされて握手に繰り返し込められた熱い思いにこたえ、私たちは今後もがんばります。

苦しかったでしょう。無念でつらかったでしょう。健夫さん、どうか、もうゆっくりお眠りください。ほんとうにご難儀をおかけしました。お世話になりました。さようなら。

▼葬儀の後にも、村発展のうえで貴重な人材を失ってしまい残念でならぬ心境は続いております。しかし、故人が果たされた役割や村政に臨んだ思いを大切にし、よりいっそう議会活動を強化、旺盛にすることこそが故人のご遺志にこたえるものととらえ、今後の歩みを進めたいと思います。野辺に咲くエゾアジサイとカンゾウ、それに妻が蒔き育てたキキョウの花をささげつつ。

 

突然の訃報

きのう午後、元議員・佐々木健夫氏ご逝去の報が突然入りました。重い病で先月に議員を辞職されたばかりでしたが、安置されたご遺体を前に悲しい現実を認めなければなりませんでした。

無念極まる心境です。今は元職とはいえ、過ぎた3月議会にも一日出席され、後に病重くやむなく6月7日に議員職を辞されたばかりであり、われわれ議会にとっては現職の仲間と変わらぬ間柄でした。ご逝去の報に接し、ご遺族皆様の痛恨の悲しみをお察しいたし、謹んでお悔やみ申し上げます。

▼きのう午前は、東京都八王子市議会の会派のみなさん4名の議員さん方が教育行政視察で来村されました。

3日間の日程で、山形・鶴岡市では「学校司書の取り組み」、秋田県北の藤里町では「ひきこもり対策」、そしてわが村では「学校給食の無償化」についてを視察の直接目的にかかげた活動でした。

教育長はちょうど出張と重なり出席かなわずでしたが、出かける前にごあいさつを交わしていただきました。説明は教育委員会の次長さんが行い、ほかの子育て支援策もふくめわかりやすくまとめられた解説をしていただきました。質疑応答も交え「村づくりのカナメは人づくり」と位置づける村のとりくみ、教育行政の熱意の一端はご理解いただけたものと思います。

今年度からは、議会会派のみなさんの行政視察にも原則同席することといたしました。

18日には千葉県香取市議会のみなさん、19日には岩手県山田町議会の会派のみなさん(議長さん含む)が、やはり教育行政視察でお越しになられます。

エネルギー自給と人口維持への探究・実践

再生可能エネルギーへの転換は世界の大勢となりつつあります。あわせて電力の自給策も食料と同じように各国の重点戦略です。それとともに再生可能エネルギーを、これも食料と同じく各国内の地方においてもなるべく自給しようとするうごきがあり、わが国内でもその動きが顕著になっています。

村議会が先に行った視察研修は、エネルギーをめぐるそうした時代背景を見すえ、再生可能エネルギーのひとつである水力発電のうち市町村規模で導入がすすめられている「小水力発電」について先進の事例を学ぼうと山梨県北杜市を訪れたものでした。

わが村にも「平良発電所(東北自然エネルギー(株))」という100年の歴史をもつ水力発電所がありますが、小水力発電はたいがいが300㎾前後規模のものをいうようで、平良発電所(常時出力390㎾、許可最大出力1千㎾)よりずっと発電量は小さいものです。

北杜市には市単独設置の発電所に続き、市と民間会社出資の小水力発電共同導入事業による発電会社も設立。小水力ながら4つの小水力発電所で市民約4万7千人、約2万1千世帯の約10㌫世帯相当分の電力を「地産」しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おとなり南アルプス市も砂防ダム活用の小水力発電所があります。全国小水力利用推進協議会事務局長(東大理学部物理学科卒)の中島大氏は、自身の著書「小水力発電が地域を救う(東洋経済新聞社刊)」で、それぞれの置かれた発電用水の取水条件などによって、多様な小水力による電気発生の方法があることを全国の先進事例をあげ紹介しています。

わが村の条件に適した再生可能エネルギーの自給を考えた場合、それは小水力とバイオマスでしょう。なかでも小水力は可能性のより高い分野であると思われ、議会の常任委員会視察もそうした観点から行われたととらえます。

今回の視察のもう一つの目的は、人口減少社会下での地方自治のあり方、実践例で、その視察先として選ばれたのは、人口が急激に減少し、町としては日本で最も人口が少ない早川町。リニアモータカー工事の起点の町、あのフォッサマグナ断層が見られる町です。

早川町は、昭和の合併時は約8千人、町内へのダムや発電所(13箇所)の建設で昭和35年には1万679人のピーク人口が、平成30年5月末現在で1077人と激減、高齢化率が約46.24㌫の町です。宗教で知られる七面山、身延山の町でもあります。

職員数は45名(うち保健師2名、保育士1名)5課1室1局の体制で自治が行われている町です。人口問題は教育、子育てと関連が密接です。中学校1、小学校2、保育所1の子育て体制についても、「人口の過疎はあっても教育に過疎が有ってはならない」「早川の子どもを育てているのではない。未来の日本の子どもを育てているのだ」「地域が学校を育て、学校が地域を守る」の教育理念をかかげる町の施策を学んできました。

桃太郎トマトの初物をいただく

きのうは妻と二人でたんぼの溝切り作業に。

水を落としていたたんぼの土が溝を切るのにちょうどよい軟らかさとなったからできる作業です。きのうの晴天で水気がだいぶ抜けたようで、きょうからの雨天予報を思案しての一作業をまずは終えました。

いきなり水を抜かれたので、たんぼを住み処とするオタマジャクシやタニシ、ドジョウたちは大あわての様子です。

たんぼ面が均一でなく、加えて圃場のほとんどが粘土質土壌のためにまだ水の溜まっている箇所があり、我が家では溝切り作業が欠かせません。排水には労を要する土壌ですが、その分できあがったお米の食味値は高く、数値は例年80前後を記録。

我が家の「あきたこまち」を食べた県内平場の米作り農家の方は、「自分の家でつくる『あきたこまち』よりおいしい。なぜだろう」とよくいいます。おいしい要因は、粘土質もふくむ深い土壌、日中と夜間の温度差が大きい標高のある山間、適度な土壌改良材の散布、イワナやヤマメが棲息するきれいな用水、多収をめざさない施肥方法など様々で、一言では言い切れません。

県南の「あきたこまち」は特Aのランクが続いていますが、村のお米はその中でもさらに美味しさが一段上をゆくでしょう。我が家の「こまち」もその仲間入りをし、微量ながらも全国どこかの店頭にならび見知らぬ方々の食卓にのぼり、「おいしい」とよろこばれお役に立っているはず。そんなことを思うと、労の多いたんぼ仕事にも張りがでてきます。

▼7月も半ば、無農薬で家族がつくるナスやキュウリ、新ジャガイモなど自家用野菜が次々と食卓にあがるようになりました。今週末からは、村の直売所にもトマトをはじめ初物野菜たちがどんどん並ぶはずです。

 

 

 

 

おとといは親しくしている篤農家の方からハウス栽培の桃太郎トマトをいただき、初物をごちそうに。我が家の完熟もぎ取りトマトが食卓にあがるのは月末の頃になるのかな。

▼西日本の豪雨被害、被災の規模が日を追うごとに大きくなっています。日本で最も美しい村連合の愛媛県上島町も被災し、同じ構成自治体である県内のわが村と小坂町から飲料水が支援物資として送られたことが報道されました。

あの豪雨が迫っている最中、政権の中枢を担う方々が宴会に興じ、それを参加者が会員制交流サイトに写真などを投稿していたことも同じ朝刊で報じられました。これには驚きました。あの事態にそういうことができる心情がわたしにははかりかねます。「大災害時の宴会」に、これを知った被災地の人々はどんな思いを抱いたでしょうか。

私がある部分ではその方の考え方と政治姿勢について共感をもち注目してきた政治家の一人、政権党にあって衆院の議長をつとめられた方が、今晩のBS放送で8時から国政のあり方を論ずる番組に登場されるようです。元議長のその方が、「堕落している」と報道される昨今の政治状況などにたいしてをふくめどんなことを語られるか、注目しております。

「医者いらず」、「十薬」の薬草採り

真夏日の下、きのうから薪割り作業をはじめました。

マサカリを振り下ろしての割り作業は昨年から止め、薪割り機械を使っての作業に切り替えたので以前のような難儀はなく、仕事はどんどん進みます。

昨年も同じようなことをつぶやいたと思いますが、10数年前に機械を購入していながら「薪を割るぐらい、まだまだマサカリでだいじょうぶ」などと、強がりをみせて機械を動かしていなかったことを今は悔いています。「こんなに楽なら、もっと早くに使っておけばよかった」と。

今使っている機械はエンジン型式。これは身内を通じてリンゴ農家の方からいただいたもので、購入してあったもう一台の電動式薪割り機械は倉庫でお休み。自宅から離れた場所での作業はエンジン型式で、自宅近くは電源があるから電動型式でという使い分けです。

エンジンの方は力がありますから、「これは無理だろう」と思う難材でもたやすく割ってくれます。小さなエンジンでも油圧の大力にはたまげています。

薪割りでは、カミキリムシやクワガタの仲間でしょうか幼虫たちとのご対面がしょっちゅうあります。同じ木虫の幼虫でももう少し小さいのはガキの頃ならよくあぶって食べたものですが、これだけ大きいのは食べたことがありません。国内や世界各国になら、栄養価の高い貴重な食材として利用されているところがあるかも。

 

 

 

 

 

作業する道ばたにはクマイチゴの仲間が熟れ初め、桑の実などとともに夏の自然の味覚を遊び半分に楽しんでいます。モヂイヂゴ(餅いちご・エビカライチゴ)が熟れるのはまだまだ先、子どもたちが夏休みに入る頃のようです。

 

 

 

 

季節はまもなく夏土用。妻は今年初めて「ドグダミ(ドクダミ)ど、ヨガノハシ(ゲンノショウコ)干して、飲む」とめずらしいことを言い始め、畑にいっぱいのその雑草2種を抜き取っています。

二つの野草とも昔から「医者いらず」、「十薬」、万病に効く(予防か?)とされ、毎日飲んでいい薬草。ガイド本などで2種に含まれる成分をみても、ほんとにすばらしい薬草ということがよくわかります。それがあたり一面にあるのですから、これまで利用してこなかったのがむしろ不思議といってよいのかもしれません。

これまで薬草には興味をしめさなかった妻が薬草に手をかける、何か思案するところがあってのことでしょう。

西日本豪雨災害の日、草刈り共同作業

過ぎた週末から休日は、定期の所用を果たしながら村内をまわったり、この後の行事や活動のための書き物準備をしたり、買いだめしていた本を読んだりで過ごしました。

たんぼの水をすべて落とす中干しを行っていますので、朝早くの田んぼ見回り時間はとらなくてよくなっています。でも、夜明けが早いので夜11時前後の就寝でも朝4時を過ぎる頃には目が覚めてしまいます。若い頃の朝は1分でも遅くまで眠りたいものでしたが、65歳を過ぎたら目覚めが早く「これも、年のせいか?」などと思ってしまいます。

昨日の朝は、早朝5時から部落の草刈り共同作業に出ました。これは集落内の山林を通る林道や、はりめぐらされた作業道沿いの草刈り(柴木もありますから下刈りかな)で、全員の義務作業ではなく6割ほどかな?の世帯からの出役による作業です。

せっかく公費を投入してつくった林道や作業道も数年そのままにしておけば草だけでなく木も生え出し、たちまちのうちに車の通行ができなくなります。「いったん荒らせば、復元にはまた多額のお金がかかる」という自主的判断でよびかけられ、維持作業がはじめられたものです。この作業には、村でも一定額の予算を置いています。

集落内には、維持される農地があるのでかろうじてそれらの農家によってまもられている農道や作業道があります。そうした道も、その農家が作物の耕作を止めれば、やはり今回のように山林に入る道を何らかの共同作業で草刈り維持しなければならなくなるでしょう。集落にある山に入る道は、単に農地や山をもつ狭い範囲の「受益者の道」というだけでなく、広くは「集落全体の人々のくらしをまもる道」でもあるからです。
▼刈り払い作業の道脇にはミモジイチゴが真っ盛りでした。

 

 

 

▼稀にみる梅雨前線の長時間停滞で西日本への豪雨被害が深刻です。山と崖沿いの地や、旧来型の工法による堤防をかかえている土地では、全国どこでも同じような土砂、崖崩れ災害や浸水のおそれがあるでしょうから、わがことのように報道を見つめています。被災されたみなさんへのお見舞い、亡くなられた人々のご冥福をお祈りするとともに、行方がわからない方々の一刻も早い救出・発見を願います。

同じ山間や山沿いの土地でも、豪雪の地方とそうでない土地では集落や家屋の立地がちがいます。雪の少ない西日本や列島の太平洋側では、急斜面の山肌そのものに、あるいはその直下に家屋や集落が多くあります。雪がないからそうした集落構造が成り立つのでしょう。雪とのたたかいがある地方ではそういう家屋や集落は比較的少なく、私たち素人の目でも「こういうところに、もし特別警報クラスの大雨があったら、土砂・崖崩れが怖い」と不安を覚える土地が、こちらが西日本を訪れた範囲だけでもそれこそ無数にありました。

ただ、雪国のわが村でも急傾斜、土砂、崖崩れ災害の危険箇所を背後にかかえた集落はあります。「大雨警報が出たら、すばやく避難」これが命をまもる先決、鉄則でしょう。

エネルギー地産地消と小規模人口下の自治視察

3~5日と村議会常任委員会の視察研修に同行し、山梨の甲府地方に滞在しました。

この時期、昨年も台風3号の来襲直前で四国地方を訪れ、早明浦ダム下流の河川が洪水状態のなかでの視察でした。今年もほぼ同じで、台風7号(途中から温帯低気圧)が日本海を北上するなか、西日本や東海、甲信越地方に大雨などの予報が出されるなかでの山梨滞在となりました。

幸い、訪れた北杜市も早川町も大雨はなく、予定通りの日程で視察の目的を果たすことができました。

北杜市では、農業用水路を活用した小水力発電事業のとりくみを、早川町では、人口減少社会における行政運営についてを学んできました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視察では、おかれた条件を活かしての再生可能エネルギー地産地消への探究と実現、狭隘な山間部で地方自治の本旨を大切にして「町」を維持発展させようとする意欲あふれる姿勢などを学ぶことができました。今の社会、一定の情報はインターネットで知ることができますが、現地での見聞はより深く物事の全体をとらえることができます。「百聞は一見に如かず」やはり自分の目で見、感じとることが大事です。視察を通じての所管は後に記すことにします。

お忙しいなか、ていねいなご説明をしていただいた北斗市役所生活環境部と三峰川電力(株)のみなさん、早川町役場の副町長、教育長、総務課のみなさん、そしてこの視察のために対応ご協力いただいた各議会事務局のみなさんにあらためてお礼を申し上げます。

仙人郷の自然を熱く語る!