古道・仙北街道踏査のみなさんとの交流会

CIMG0366-1CIMG0368-1CIMG0364-1岩手奥州市胆沢区の「仙北街道を考える会」と、村の「仙北道を考える会」の方々による恒例の仙北街道踏査行(踏査参加は20人をこえた)がきのう行われ、夕方の交流会に向かいました。

私も村の会員の一人ですが、なかなか踏査行には参加できず、今回も交流会のみへの参加。
秋田側からはじめて一般参加された横手市の方には、先年あることでお世話になったIさんもおられて、人、歴史、山行というものが結ぶ思わぬ縁のふしぎさを感じた夕べでもありました。

名のある日本史を紡ぎつづけた国内有数の古のブナ街道にかける双方会員の熱意はたいしたもの。胆沢から参加していただいた長年おなじみのみなさんとの交流は、2時間があっという間に過ぎるほどの貴重なひとときとなりました。

胆沢側・大寒沢林道の車両通行が以前のように通常ではないようで、それが街道の踏査にも様々な影響をあたえているという課題があることを知りました。胆沢ダムから一ノ関方面に通ずる林道が秋には全ての整備を終えて開通されるというはこびを以前に別の筋からお聞きしました。

この林道が見事に改良整備されているだけに、そこから分かれて街道に向かう大寒沢林道も早く円滑な通行ができるよう、関係機関、行政の尽力が期待されています。街道は、ブナ原生林を主とする森林生態系保護地域のどまんなかを通り、日本海側と太平洋側を結ぶ国内では稀というほどの特徴をもった古道なのですから。

官房長官への要望と懇話会

菅官房長官への要望行動がきのう官邸でおこなわれ出席しました。

県の市議会議長会と町村議会議長会が合同でおこなった中央要望活動で、県出身の官房長官ということでそれぞれの関係者が尽力し実現した行動でした。

当日は、官邸での要望書提出後に都内での懇話の場も設けられ、政治にかける官房長官の思いの断片をうかがうことができました。「10分刻みの訪問者応対」といわれるほどに極めて多忙ななか、我々のために時間を割いていただいた菅官房長官にはあらためて心からのお礼を申し上げさせていただきます。

CIMG0361-1CIMG0362-1国政の中枢を担う総理官邸という建物、その中枢を担ううちの方の一人である官房長官、平成27年8月27日のそういう建物がかもしだす「気」、政治家の「気」に触れさせていただき、今日は、帰って、秋風に揺れる山村の稲田にまずは足を運んだところです。

永田町界隈を歩いていて感じたこと。「政界一寸先は闇」という言葉をのこした今は亡き政治家がおられましたが、国会周辺をふくめ国内に漂う人の「気の流れ」が、静かに深く、私の体験ではこれまで感じたことのない規模で横たわっているように感じられました。

この「気の流れ」が、今後の国政の行方に大きな影響をあたえることはまちがいないでしょう。抽象的な表現で失礼ですが、国会周辺をつつむ「気」はいつもとちがうことを、私は議員会館やあの界隈で感じ取ってきました。自然界ならこれを「嵐の前の静けさ」とでもいうのでしょうか。

セリ苗を植える

CIMG0358-1水の見まわりもほとんど必要がなくなり、ほんの10数本見えるヒエなどの雑草も抜き終え、わがたんぼは、来月末の収穫にむけて日ごとに稲穂の傾きと実り色を濃くする季節入りです。

ここまでくれば、倒伏しない限りたんぼへ通う足取りもどこやら軽くなります。今年は施肥量を大幅におさえ、圃場もよく干したので、昨年のような規模の大きい早期倒伏は免れることができそうです。

きのうは、内視鏡などという本格的な診療をうけるということではおよそ20年ぶりでしょうか、病院にむかい、検査と診察を受けました。

今日はまた東京へむかっています。そういうこともあって、「今日しかない」と、きのう午後は自家用のセリ苗を植え(苗を蒔く、ならべるという作業ですが)、長い間放っておいた薪積み作業をしたりと、深まる秋とまもなくくる冬に備えて少しの汗を流しました。

秋をつげるキノコ

お盆を過ぎたら夜朝は涼しくもう村は秋。風の通り道にたち隙間が多く風通しの良すぎるわが家は、寝具も重ねをひとつ多くしたいほどの気温になりました。

CIMG0317-1CIMG0325-1CIMG0327-1CIMG0329-1CIMG0332-1CIMG0335-1CIMG0338-1CIMG0343-1CIMG0349-1こうなると秋キノコのはしりとなる菌類たちも活動がさかんになるのでしょう、わが家ではよく食べるホウキタケの仲間のキノコ(村のキノコ通はハギモダシとよぶ)が顔を出しはじめました。

今年は例年に比べて一週間以上発生が遅れているようで、これは干天続きが影響したのかもしれません。

湯がいてわさび醤油などで刺身風に、味噌汁に、あるいは旬のミョウガや秋ナスなどとともに炒め物に、一夜漬けにと、ハギモダシは、食べられるホウキタケの仲間と同じように多くの料理に応用がきく、食通にとってはうれしいキノコです。

※このキノコ、図鑑などで紹介される「ハナホウキタケ」とそっくりです。ハナホウキタケは毒キノコの仲間に含まれています。わが家に連なる家系や、村のキノコ通の家々では100年、あるいは江戸の頃からおそらく食べているハギモダシですが、もちろん一度も毒キノコという症状が出たことは伝え聞いておりませんし、私も60年近く毎年、年に何度も食べていますが子どもから大人までだれ一人として中毒を患ったことはありません。しかし、毒キノコとされているのですから、掲載の写真と似たキノコは、食べないようにして下さい。菌類の世界はまだまだ未知の分野が多いそうです。おそらく、毒とされるハナホウキタケとは、わが家などで食べるハギモダシは違う種なのかもしれません。

▼23日、山内・三又とわが岩井川部落、二つの集落の自治会、部落の役員交流会が開かれました。恒例の催しで、わが村のパークゴルフ場でプレーを楽しみ、今年の開催地当番は三又側なので後段は山内に向かい、南郷温泉で懇親をさらに深めあいました。

昔から岩井川龍泉寺の檀家さんが半数近くおられる横手市山内三又集落は、むかしの郡境峠をはさんだ岩井川集落と相互に縁戚関係が多く、役員が親戚同士ということもめずらしくありません。「オメデぇのアバぁ元気だがぁ」「ジィさまぁ、マメだがぁ」などと、交流会ではあちこちで身内のよもやま話も交わし合われていました。

穫り入れ前の仕上げ作業に少しずつ近づいて

CIMG0313-1CIMG0302-1CIMG0304-1「カメムシ防除の薬剤散布をおこなってから一週間以内に畦の草刈りを」が、一昨年あたりから変更となった防除基準で、こちらもやっと昨日今年4度目の田のクロ(畦)草刈りを終えました。

先日、東京へ往き来の新幹線車窓からのぞむ宮城、福島、栃木、埼玉などのたんぼは、南に下がるにつれて稲穂の色づきが村よりはるかに進んでいました。わがたんぼは、あともう一度、最後の草刈りに汗を流す本田作業仕上げの9月半ばを残しますが、その頃には、北のくにの稲穂もすべて黄金色に染まるでしょう。

CIMG0315-1季節は秋入りですが、夏ミョウガが活きのいい姿で顔を出していたらしく、自家用として収穫のまっ盛りです。「今年は、もう秋ミョウガも出ているらしいから、雪降りが早いかも」などというたとえ話もちらほらと聞こえる山里です。

この野菜は人によって好き嫌いの別が大きいようですが、私にとってミョウガは、薬味などという食材次元をこえて、むしゃむしゃとそれだけを食すほどの好物、元気の源。漬け混んだミョウガがあったら、年中食欲もりもりです。

自治体には自然消滅なし

CIMG0296-1CIMG0294-120日、21日は、岩手、山形、秋田の3県町村議会議長会合同の中央研修会が都内で行われました。
研修会の講演はいつものように3本立て。農林水産省大臣官房・統計部長の佐々木康雄氏は「国の農政改革とこれからの農業のあり方」、元総務省自治財政局長・地域創造審議官で一般財団法人・地域活性化センター理事長の椎川忍氏は「地方創生の課題と私の考える地域力想像のポイント」、東京農業大学教授で小樽市役所から内閣府や農水省の企画官を務め全国の地域づくりに影響をあたえている木村俊昭氏は「戦略的地域活性化論~地域を元気にする処方箋~」をテーマに語りました。

3氏の講演テーマから見てとれますように、今回の研修は地域活性化論、第1次産業の大切さにポイントを定めたもの。椎川、木村の両氏は、ほんとうの地方創生とは何かについて実践に裏づけられた主張を展開。現場重視の佐々木氏の姿勢も共感を集めました。

椎川氏は「自立心の再生、住民自治の確立、地域経済の循環構築、若者が力を発揮できる風土づくり」などをかかげ、木村氏は「(1)地域の産業・文化・歴史を徹底的に掘り起こし、研き、地域から世界へ向け発信するキラリと光るまちづくり(2)未来を担う子ども達を地域で愛着心あるよう育むひとづくりと、33年前から考え、北海道はじめ全国の自治体で実現してきた、今、自分たちはどんなまちに住みたいのか、次世代を担う子どもや若者に受け継ぎたいまちとはどんなまちなのか。地域が『部分・個別最適』に陥っていれば、急がず焦らず慌てず近道せずじっくり、けっして諦めず、『広聴』を重視し、『全体最適』思考で構想することが重要」と、それぞれ述べていることをレジュメのほんの一部から抜き出してご紹介しておきます。

お二人の講演で印象を強くした言葉は、椎川氏の「地方創生は自治体消滅の危機ではなく、集落消滅や無居住地区多発の危機。自治体がなくなるのは合併の時」、木村氏の「本当に2040年までに自治体半分が『消滅』するのか?」という示唆でした。村より人口規模の比較的大きい町でも合併すれば自治体は簡単になくなります。全国数多ある人口のごく少ない小さな町や村でも合併しないかぎり自治体はなくならないのです。当たり前のことですが、どんなに地方創生と言葉で強調しても、地方自治、住民自治を大切にした行動がともなわなければ地域の活性化はむずかしいでしょう。活性化策で全国から注目される多くの自治体は町や村、そして合併時に自立を選択したところ。自治意識の強いところ。

一方、地方自治ですから、自治体によって、そのまちやむらが住民にとって住みよいかどうか、将来にわたって事業も財政も安心な運営が保障される自治体構想をきちんともっているかどうか、その構想どおりに事がすすんでいるかどうか、これらで自治の力が今はとくに試されます。当局も、職員も、議会も、ただひとつ全体の奉仕者として一心不乱にその役割を発揮しているか、私も議会の一員としてそれを常に振り返りながら歩みたいと思います。自然とちがい、社会は、人によってどのような方向にも向いてゆくのですから。
▼帰りの新幹線は大曲の花火で満席状態。あの花火は、その人に、生きる力を与えます。

花の百名山・焼石岳のお盆山行(その3)

春のユキワリコザクラ、ヒナザクラ、初夏のハクサンイチゲやミヤマシオガマと、花の百名山・焼石を代表する花園がンバエシティ(姥石平)とその周辺一帯。

DSC_0155-1DSC_0156-1DSC_0157-1DSC_0159-1DSC_0164-1DSC_0174-1DSC_0176-1DSC_0178-1DSC_0181-1DSC_0182-1DSC_0185-1DSC_0187-1DSC_0190-1DSC_0197-1DSC_0204-1DSC_0211-1DSC_0205-1DSC_0212-1DSC_0214-1およそ8合目から頂上までは、雪解けからこの8月まで途切れのない季節ごとの花姿を見せてくれる。むかし、私の祖母(母方)が祖父といっしょに若い頃はじめて焼石に登り、その花景色のすばらしさに感動してだろう「あど、えず、死んでもいい」と語っていたことを伝え聞いたことがある。その言葉は他の人々にもそうとう強い印象をあたえたのだろう。地元の人にとっても、花景色と紅葉の焼石はひとつのあこがれ、楽天だったのである。

花園といえるほどに開花の種類数が多いのは6月、7月、8月とおよそ一月周期でめぐってくる焼石。いまはその盛りがやや過ぎ具合なのだが、やはりこの姥石平をとりまく東成瀬側コース8合目から岩手側コースの横岳、東焼石、権四郎森(南本内岳)一帯は、開花が比較的早かった今年の8月半ばでも、登山者を惹きつける花園の魅力をまだ残している。実は大きいが、おいしさからはほど遠いベニバナイチゴも熟期のようだ。

焼石連峰ではおそらく残雪が一番多い箇所の一つ南本内川カッチ(最上流部)のシゲイシ周辺をふくめ、タチギボウシやイワイチョウ、イワショウブ、キンコウカなど湿地を好む花が今は多い。ミヤマリンドウやエゾオヤマリンドウもここは多いところ。

DSC_0231-1予想していた以上に花景色にひたることができ満足の心持ちで8合目に戻り、タゲの清水に冷やしておいたモモをしゃぶる。歯にしもうほど果肉の芯まで冷たくなっていた。今回はモモだったが、トマトもこうして冷やしておくと、その美味さはたまらない。

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DSC_0233-1清水のそばにサンカヨウの甘い実が熟していたので口にふくむ。並ぶ赤い実はタケシマランだろうか。この日の見納めは、駐車場すぐ近くで目にした花。名はわからなかったが、しらべてみたらジャコウソウという花に似ていた。

DSC_0237-1DSC_0241-1帰り道、食べ頃のきのこツギワゲ(ウスヒラタケ・一月に一度ほどの周期で度々発生するキノコ)が目に入った。味噌汁にしたらこれは極上の味、さっそく手にし、県境近くのブナの森ではフキも少し背にした。行き会わせた若いカップルの登山の方など、ナタを下げフキを背にした私の格好をみたら、山菜採りを業としている山人と思ったかもしれない。

村の人々は、昔から「盆ボギ(フキ)」と呼んで、お盆を前にキタサ(北ノ俣沢)やエシャガ(胆沢川)へとホギ採りで入った。盆ボギは、キタサかエシャガの名がつくホギでないと味に満足できない方が多かったからだろう。

おみやげに汲んできたタゲの清水は、母の手で「ほら、じいちゃん、タゲの水だど」と告げられながら亡父の仏前に供えられ、その残りで妻はコーヒーを煎れ味わっていた。もちろん盆ボギもツギワゲ(月ワゲ)も、季節の分かれ目を知る味としておいしくいただいた。

花の百名山・焼石岳のお盆山行(その2)

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この日の山頂は暑くもなし、寒くもなし。花々と眼下の景色をながめてなら絶好の頂上長居ができるお天気だ。

だが、この日の私には、頂上でゆっくりする予定はなかった。横岳方面に少し足を伸ばしてみようと思ったからである。南の森にはまだ例年の雪渓がみられる。南の森の裾一帯から横岳方面の裾一帯にかけては若い頃によく残雪の春山を歩いた所。

そこには広大なブナ林がひろがり、焼石、南の森、横岳などの南西側山麓の清水は眼下の湿地を経て、私がよく訪れる滝にも流れ込み、胆沢の本流に注ぐ。

DSC_0123-1DSC_0128-1DSC_0134-1DSC_0135-1DSC_0136-1DSC_0140-1ここは雪が多いためか、気流の関係でなのか、8月半ばでも遅咲きのハクサンイチゲが登山道沿いを彩ってくれてうれしいところ。そばの姥石平は6月半ば、花の焼石をもっとも素敵に象徴するハクサンイチゲの大群落で有名。それに連なる南の横岳方面は、東焼石岳方面とならんで花の焼石連峰のなかでもひときわ花の種数の多いところ。足に自信のある方で花をめざす方なら見逃せないコースともいえる。

DSC_0119-1DSC_0121-1DSC_0130-1DSC_0133-1DSC_0141-1DSC_0147-1DSC_0126-1DSC_0125-1ここからは、ハクサンイチゲ、ミヤマリンドウ、タチギボウシなどギボウシの仲間たち、それにシロバナトウウチソウやミヤマアキノキリンソウなども加わる。初夏から秋までの花の種類数が多く、この時期としてはめずらしいほどにもっとも花園らしい景色を堪能できる。

引き返して姥石平の夏油コースへ入り9合目・焼石神社までの途中では、登り下りの登山者が何組もみられる。今日の花の百名山焼石の締め紹介は、隣り合わせて咲いていたウスユキソウの二つのなかま。まさに、花*花*花の山である。

CIMG0284-1▼待ちかねていた水稲の害虫防除作業、薬剤散布をきのうやっと済ませることができた。きのうの予報は主に曇りで、「にわか雨が降るかもしれない」という付け加えもあった。そういうことだったので作業は19日に予定していた。

ところが、朝になって風と陽射しがあり、雲の流れも比較的速い。役場に出てから急きょ心が揺れ予定を変更「よし、今日やるぞ」と妻に宣告したのが10時頃。

こういう急な変更があるらしいことを妻はとっくに承知なのだろう、予想していたように「わかっだ」の返事で俄に段取りをはじめる。「泥縄仕事だな」と小声でつぶやきながら。

「にわか雨」は、作業が終わった直前と、しばらくたってからの二度あったが、薬剤を洗うほどの量ではなかったのでまずは一安心。昨日はそのにわか雨が降るかどうかで「バクチ」みたいな作業決断の選択だったが、お天道様は私どもの賭に微笑んでくれた。百姓は、時に天候判断の賭け心でお天道様を見つめ、穫り入れまでの日々を過ごすのである。

花の百名山・焼石岳のお盆山行(その1)

歩きを開始は朝6時。まだ早いので駐車場には車が1台のみ、ホテルブランの軽自動車と林道の途中ですれ違う。登山客を送っての帰りなのだろう。

歩きはじめてすぐに、その方々の背がみえる。ご挨拶を交わし合ったら、東京から来られたという。ご夫婦らしい。

若い頃、残雪の春や夏の山でブナ材の搬出や架線集材作業に通った岩手・大森沢のブナ林で少し立ち止まってからは、8合目までまずはどんどん進む。

わずかの間も手を浸していられぬほど冷たい8合目の「たげ(岳)のスズ(清水)」でのどをうるおし、冷やして帰りに食べようと、傷まないよう背にしてきたモモをスズの湧き口に沈める。

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DSC_0074-1DSC_0075-1DSC_0077-1焼石沼の小平原では夏の花はやはり終わりを告げ、あるいは終わりに近く、いま目を引くのはヤマハハコやトリカブト、それに背高のっぽのエゾニュウやシシウドの仲間たち。ノウゴウイチゴやエゾノクサイチゴの実が「まだ、残っているかな?」と淡い心で草原を歩いたが、いずこも食べられる実はわずかだけ。

DSC_0067-1沼のほとりで簡単な朝食をとり、いつものように三界山をながめたり、沼に浮かぶ昆虫類を入れ替わり立ち替わり次々と朝の餌にしているイワナを見つめたり。小学生の頃からここで泊まりの山遊びに明け暮れた頃を想いおこしたりで、ここは飽きの来ない私の休み場。

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8合目からの夏の名花タカネナデシコとチシマフウロ、ハクサンシャジンも、なんとか花姿を残している。でも、盛りの美しさからは遠ざかっている。

それらに代わっていきいきしているのがサラシナショウマ、ミヤマアキノキリンソウやウメバチソウなど秋の花たちで、9合目の焼石神社付近からはこれぞ高嶺の名花ミヤマリンドウもちらほらと顔をみせはじめた。

DSC_0092-1DSC_0093-1神社へのご挨拶と諸々の安寧無事をこめたお参りをし、頂上へ到着9時25分。まだ秋田側からのぼった方はこちらを含めて二人。他に岩手側からの方が二人いる。秋田側、岩手側両コースの登山道を見下ろしたら、どちらにも頂上をめざしている方が幾人も見られる。
山に多い団体登山のみなさんは、お盆でお休みかまだ時間が早いのか、長い列はまだない。

南の森を眺めながら食事をとっている一人の女性がいて「この山が好き。ここで食事をとるのが楽しみ」と言われた。おたずねしたら一ノ関の方という。この日は、若き女性一人だけという単独登山者もほかに幾人かみられた。昔ならほとんど見かけない山の新しい光景である。若夫婦か、恋人同士らしい熱々カップル幾組かとも行き交った。こういう時は、男一人だけのこちらの姿というものは、どうも様にならないものである。

戦後70年、終戦記念日の成人式

CIMG0100-115日は成人式へ。案内された新成人は24人で、出席は21人。

戦後70年にあたる日で、しかも集団的自衛権行使をめぐる法案をめぐって国論が法案ノーへの声をますます大きくしているなかでの成人式です。挨拶の内容はほぼ同じでも、例年以上に平和憲法を尊重することへの大切さに力をこめたつもりです。

▼お盆で童たちが遊びに来ている間はあいにくの天気。いつものように川でおつきあいができず残念無念。たんぼも、害虫の防除をしようと計画していましたが、天気の変化が心配だったり、妻がお盆の直売所臨時営業などもありこちらも作業できずに過ごしています。

天気予報の変化が激しく、予想に反して昨日は曇り予報だったのに朝から急に晴れ空。でも妻は直売所なので防除作業はできません。それで、真っ最中の夏の花の山をながめるには少し時期が遅くなりましたが、「秋の花も咲き始めているだろう」と急きょ花の百名山・焼石岳へ向かいました。

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