旱天に「おたがい橋」

水の豊富なわが集落で、たんぼへの用水確保最優先に協力をよびかける「回覧書き」が届いた。

沼又川と合居川の流水のほとんどをまとめ集落を貫流する最大用水路の「遠藤堰」が、最下流部で流量が極端に細くなったためで、こういうことは記憶にない。降雨不足が豊富な地下水に影響し、蛭川清水、五郎兵衛清水と近郷近在の人々に親しまれている村の名水も日ごとに細くなり、蛭川清水などは時々長い列がみられる時もある。

平野部ではおそらくまた「番水」が日常となっているだろうが、わが集落でも、用水路最下流部の水門には「朝8時頃になったら水門を開けるので、それまでは開けないで下さい」という旨の言葉を連ねた伝書が水門に下げられていた。お互いにやりくりしあって水を使おうということで、同じ集落に長い間暮らしているが、こういう伝え書きを眼にしたのもはじめてである。

東西に長い集落なので、用水路の水は上流部から順に引配水され、最下流部はどこの土地でも常のように水は一番後回しの引水となる。これまではそれほど難なくなんとかしのいできたが今年の旱天はその程度のしのぎでは間に合わなくなっているのである。

CIMG9951-1CIMG9954-1最下流部には荒沢と名のつく小沢があり、そこに用水を大きく分けることでは最後となる水門があり、沢をまたぐ村道の橋には「おたがい橋」という名がつけられている。おそらく、細くなった用水の大きな分け目の水門なので、「おたがいさまの心で、水を利用しあいましょう」というのが名付けの由来なのだろう。

いままでこの橋の名をこれほど強い印象で見つめたことがなかったが、この異常な猛暑続きと乾いた天気。「おたがい」の橋名が、水を利用する人々の心にいつもの年より何倍も強く響いているのではないか。名付け親はどなたかわからないでいたが、「おたがい橋」、思いのこもった名前をつけたものである。

▼きのうは、ふるさと館の指定管理や縄文ロマン事業関連についての常任委員会調査活動が行われ、終わっては村商工会との行政懇談会がおこなわれた。

議会全体で遺跡発掘現場に調査ででかけたのははじめて。現在も調査中で、これについては後に触れたい。商工会との懇談会も初の試み。今回は指定管理の件についての調査が主であったが、出席していただいた会の役員からはほかにも意見や要望が出された。常任委員会の活動として貴重な時を議員各位はすごされただろう。