議長としての最後のブログです

村議会は告示日の18日で無投票となり、新しい議会のメンバーが決まりました。5月1日には改選後の初議会が開かれ、議会の新たな人事構成も決められます。

現職の議員は明日29日で任期満了となり、出馬しなかった5人の現職議員が引退となります。私もそのうちの一人で、7期28年の議員生活はこれで締めくくりとなり、公務の行事を除いてほぼ毎日に近かった役場への20年間の「務め通い」も今日で終わりです。

1995年(平成7年)、初当選後の議会では議会広報対策特別委員会の委員長となり、2期目には総務教育民生常任委員会委員長と広域市町村圏組合議会議員を、後の5期20年の間は議長職に就くこととなり、振り返ればあっという間の28年でした。

最後の2年間は、県町村議会議長会の会長や全国豪雪地帯町村議会議長会の副会長(終わりには会長職務代理)の職務にも就き、全県的、全国的視野でものごとを見つめ対応するという貴重な体験もさせていただきました。

議員活動全体をふくめ、この間なんとかこれらの職務をつとめあげられたのも、歴代の議員各位や議会事務局と執行当局、様々な団体や部署で活動を共にした、あるいは長い間支援していただいた皆様のご理解・ご協力のおかげであり、深い感謝の気持ちで過ぎし日々を振り返っております。ほんとうにありがとうございました。

私の議会活動が終わりとなりますので、公式ブログも今日が最後の記載となります。今から16年前の2007年(平成19年)にはじめたこのブログです。記憶が確かであれば、現村長が総務課でおしごとをされていた時「議長もブログを!」と奨められたのがブログ掲載のきっかけだったと思います。

デジタルカメラが普及し始めた時で、私はまだフィルム撮影のカメラしか持っていなかった当時のことです。最初は文書だけのブログでしたが、「これではいかん」と後にデジカメを買い求め写真を添えたという頃のことで、世の中の通信手段がSNSへと大きく変化した当時にはじめたブログでした。

それからしばらくして2010年の12月末、諸々の思案するところがありブログを閉じることにしました。しかし、ありがたいことにその後も 「なぜ止めた。書いてほしい」とのお便りや声などをいただいたことで考え直し、2011年の7月6日に発信を再開するということになり今日に至っております。そのため、中断の時に発生したあの3.11東日本大震災当時のことがすっぽり欠けたブログとなりました。

議長としてのブログでしたので議会活動を柱に据えるのをまず前提としました。それに加え、公式ホームページからの発信という立場をわきまえつつ、村の自然と、人々や私のくらしの様子を歳時記風、あるいはほんの狭い範囲の準風土記のような内容として「多くの方々に、心豊かに生きられる村の様子をお知らせしたい!」との思いで日々を綴ってきました。村内だけでなく、全国のみなさんに、私が誇れる村の姿をご紹介したいと思ってのことです。

足かけ16年間にわたったブログで、私のその思いをどれだけみなさんにお伝えできたかはわかりませんが、時々寄せていただく「楽しく見ている」という声も、これだけ長いあいだ書き続けるうえでのうれしい励みとなりました。

誤字脱字、変換間違い、私の文によくある同じ意味ことばを重ね書きしたり、文法上の誤りなど、校正不十分での悪文の類いはあげればきりがありません。掲載後に読み返しての当座の「書き直し」は毎日のようにあり、歴代の議会事務局のみなさんには、後日の「訂正」でもずいぶんとご足労をおかけしました。

そうしたことなどをたどってのブログでしたが、長い間お読みいただいた皆様に心からの感謝を申し上げ、これで議長としての私のブログ更新は終りといたします。村ホームページの右側最下段にある各種団体一覧をクリックしていただくと「個人のページ」欄が出てきます。このブログも近々そのコーナーに移動しますので、これまでの記載についてはそちらから検索していただければと思います。

今後は、私的ブログなどをふくめ発信手段や更新をどうするかについてじっくり考えてみるつもりです。また、これまでのブログをなんらかのかたちでまとめ、一冊の本にすることを奨められており、その作業にもいま入っていただいているところです。長い間のご愛読、ほんとうにありがとうございました。

▼写真の太い蔦は、わが家近くにある最大限に生長したシラクチヅル(さるなし・こくわ)です。これまでの太さになるまでどれほどの年数を経たのでしょうか。まことにたくましい姿をそばでしばらくながめていたら、太い蔦からこれからを生きる力をいただいたような気分になりました。

山菜やきのこ紹介のブログのようでもありましたので、最後も、わが故郷の萌えで装われた山と笹濁りの川、新しい芽を伸ばしている山菜のウルイ(オオバキボウシ)とシュデコ(シオデ)を載せ、3676回の記載をもって締めくくりといたします。

2023年(令和5年) 4月28日
東成瀬村議会議長 冨田義行

一つ一つがつとめ最後の行事

きのう午前は、村の農業再生協議会の総会へ。午後は、雄物川水系・成瀬ダム建設促進期成同盟会 令和5年度通常総会、それにさきだってのダム事業研修会(講師は、成瀬ダム工事事務所、阿部剛所長さん)もあり、夜は、広域消防東成瀬分署職員の歓送迎会でホテルブランに向かいました。

ダム関係の会では、会を構成する市長さんや議長さん、土地改良区理事長さん各位へ、任期満了をひかえて最後のごあいさつを申し上げる機会ともなりました。29日の付替国道の開通式でもみなさんといっしょにはなりますが。

コロナ禍があって久しぶりに行われた消防分署の歓送迎会は、転出入された方々の代表をはじめとする分署関係者はもちろんですが、恒例で消防団の幹部会に出席された団幹部のみなさんもおそろいでの集いです。こちらは、公務としては最後の、そして久しぶりの「乾杯の音頭」発声に立ち、議会と議員活動で現職の議員一同がお世話になったことへのお礼を申し上げ、転出、転入されたみなさんへ、感謝と歓迎の意をのべました。

ということで、私の議長として、議員としての公務は、あさって29日の成瀬ダム付替国道342号開通式出席で締めくくりとなります。

ブナ渓谷も春の黄・紅葉真っ盛り

草花の萌えの進み具合を下見しようと、天正の滝まできのう午後少しの時間入りました。遅咲きのチヂザグラ(土桜・イワウチワ)の花もめざしながらです。

林道はまだ車両通行止めですから入り口からずうっと歩いての渓谷入りです。車道は、吹きだまりの多い箇所に残雪があり、さらに杉の倒木も今年はいずこでも多く、ヒラ(全層雪崩)の常襲箇所では大量の雪が道を塞いでいます。

雪崩の上方を見ると、今々崩れ落ちた雪の塊や岩石もあり、はるか上部には斜面に雪が残っていますから、そこでは上を見ながら急ぎ足で通り抜けました。まだこの谷は雪崩の危険が常にあると思ったほうがよいでしょう。それに、雪解けにあわせて大小の落石は頻繁に発生しており、道路の除雪・清掃作業も、ガードの設置作業もまだまだ危なくて入られない状況です。雪崩も怖いですが、この谷は落石にも相応の注意が必要です。

ブナが萌え、イタヤカエデの花が咲き、谷は春黄紅葉真っ盛り。ブナの樹下では遅咲きのイワウチワ群落が見頃の花をいっぱい咲かせていました。

きのうの朝は放射冷却で霜が降りたらしく、所によってでしょうがコゴミ(クサソテツ)の新芽が霜にやられて焼けた色に染まっていました。野草によって霜に対する耐性のちがいがあるようで、コゴミは霜に極端に弱い種のようです。霜被害でしおれたコゴミを見て、先日記したリンゴの遅霜被害のことが頭に浮かびました。きのうの霜、リンゴの花はだいじょうぶだったでしょうか。

議員定数10名を決めた歴史を振り返って

わが村の議員定数は10名。平成の市町村大合併時に、旧湯沢市や旧増田町から合併へのはたらきかけがあった折、合併に関する任意協議会にも加わらず、高校生以上への村民アンケートを実施、昭和に続き再び単独で自治を行うことを決断したのがわが村でした。

そうした合併課題もあり、相当の覚悟と規模で行財政改革を進めねばと決意した村において、議会も改革を率先しなければならないとして定数削減が全会一致で決断されました。その結果の定数が現行の10名だったのです。それは平成15年9月議会でのことです。

その際、定数削減の条例案を提出するにあたって議員発議のための趣旨説明が行われています。そこに、村の議会が定数についてどんな考えをもっていたかが凝縮されのべられております。私はこの趣旨説明の内容に議会として責任をもった者の一人であり、この議案が9月議会に提出されたのは私が議長に就任(5月)した年のことでした。

いま、議会の定数のことが報酬などとの関連で全国的にいろいろと論じられております。
そこで、あらためて、わが村議会の場合は10名の議員がいてはじめて本来の議会の役割が果たせるのだということをここに記しておきたいと思います。あれから20年を経ましたが、議会の機能を効果的に発揮するうえでも今後の村づくりを考えるうえでも、わが村議会に最低10名の議員が必要なことは、総合的にみて当時となんら変わっておりません。

そのよって立つ論拠をもう一度振りかえってほしいと思い、当時の本会議で、議会運営委員長が議会全体の意思を代表しのべた議案発議にあたっての「趣旨説明」の全文をここに別掲として載せておきます。

なお、定数課題とは別に、議会改革の様々な課題についても現任期の議会をはじめこれまでの議会は「自分たちの議会にいま必要な改革は何か!」ということを常に念頭においてきました。その考えをもとに、議会運営委員会や特別委員会、全員協議会などで改革の議論を旺盛に行い、時々に求められた議会固有の様々な改革にもとりくんできました。

あわせて、議案審議をより効果的に行うなどのための個別の改革もとりくまれてきました。その内容が、現在の議会の会議規則や運営基準(先例もふくむ)などに反映され、議案審議の過程でも大いに活かされています。それらの規則や運営基準、審議にあたっての手法などは、改革の歴史を積み重ねてきたからこそ成り立っていることをお互いにわかり合いたいものです。議会の歴史を、村政の歴史を、議会議事録や議会広報縮刷版、村広報縮刷版などでふりかえれば、執行当局と議会が何をめざして改革にとりくんできたかが理解できるはずです。予期せぬコロナ禍で中止や実施できなかった改革も中にはあります。

▼わが家前の公園は、4日ほど連続の強風もありソメイヨシノの花は散り始め、タネマキザクラが満開です。わが家のしだれ桜はあともう少しで満開となりそうですので、その花枝にとまるオオルリやキビタキたち渡り鳥の姿が見られるのを毎朝心待ちにしています。

山菜本番の季節始まり

並みの年よりかなり早く芽吹いたブナとあわせてまわりはいよいよ春本番。

きのうは、そんな春のおとずれにさそわれ山菜採りに出かけました。本格採りではなく「山の様子見」という程度の軽い歩きです。

向かったのはわが集落や河川敷が見下ろせる自宅前の山。大きな雪崩がある箇所のため山菜もカオを出すのが早いところです。

コゴミならもう村のどこでも真っ最中。しかし、ホンナ(ヨブスマソウの仲間)やウド、ナンブアザミ、シロデホンナ(ソバナ)、イワダラ(ヤマブキショウマ)、トリアシショウマ、ゼンマイなどを早く採るならヒラ(全層雪崩)落ちの最も頂部をめざして上がらなければなりません。

まずは途中のコゴミ群落で腰を下ろして景色やニリンソウ、チャワンバナコ、オオバキスミレなどの花々をながめ、いっきに上を目指します。ところが、体は冬の間の運動不足でなまっていて、それに体重も3㌔ほど増えていますからめずらしくハァーハァーと吐く息は音をたてます。それと一年増しに体も老いているわけですから、本格山行ではなくてもさすがに歩き始めのいっき登りはきついです。

この日向かった山は北向き斜面。陽当たり良い南向き斜面のヒラ跡よりも山菜の出は遅く、頂部まで上がったものの、ウドやホンナ、アザミはまだほんの狭い範囲でしか見られません。湧水のそばではワサビも花をつけ、ミズ(ウワバミソウ)もカオをみせています。

コゴミだけは村内いずこも真っ盛り。わが家では味噌汁、鍋物、和え物、炒め物にと、これからしばらくは食卓からコゴミがはずれることのない日々となります。どこでも簡単に採れて、クセがなく、どんな料理にもすぐつかえるコゴミ。わが家にとってのコゴミは、暮らしの大事な応援役、栄養確保のうえでもありがたい、ちょうど今の時期は食卓の救いとなるような山菜です。

アザミのトッコ(茎)は朝餉の味噌汁で、ホンナとアイコ(ミヤマイラクサ)、ソバナ、イワダラ、トリアシ、コゴミ、オオバキスミレは夕餉のおひたしと和え物でいただきました。それぞれ完全無農薬、化成肥料無しで育ったとびっきり新鮮な山野の緑菜たちです。それら自然の菜を栄養にとりこんだ体は、五臓六腑全部に新しい血をめぐらせて老廃物を掃除してくれているようです。山菜は、これからの私の動きの元気の源となります。

りんごの廃木を薪用に

身内のリンゴ農家では、毎年のように果樹の倒木や幹折れ、枝折れ木が発生し、それらは、整枝・せんてい作業にあわせて雪解けまでにきれいに片付けられます。また樹園地では、新しい苗木植栽の時や、何かの事情で果樹をひろく切り倒すこともあり、そんな時も、廃木がたくさん生じます。

それを、薪用にといただいて運ぶのがわが家の春の行事で、きのうと今日にかけて材の運搬にあたりました。

横手市平鹿町・増田町・十文字町は、いつもお知らせしているように県内屈指の果樹地帯で、県の果樹試験場も平鹿町にあるほど果樹栽培では県のさきがけとなった地方です。

平鹿町、増田町はリンゴやナシ栽培で、十文字町はサクランボやブドウ栽培で古くから名の通った産地でした。近年では桃やサクランボも栽培農家がこの地区全体にひろがり、県内で農業産出額がもっとも大きな横手市農業の重要な位置をしめる地区となっています。

いま、それらの樹園地ではサクランボやモモの花が満開で、リンゴも花開き始めました。ここでは土地の北東にそびえる金峰山のブナの萌えも背景に映えます。今年は早い雪消で花も早し。果樹地帯ならではのそんな素敵な農村風景を目にしながらの薪材運びとなりました。

通りすがりの樹園地内では、村のスキー場で長年パトロールの仕事に就いていただいてきた果樹農家のIさんがお仕事の真っ最中でした。いつもの年ならリンゴの花が咲くのは5月はじめですが、今年はもうリンゴも花が咲き始めています。Iさんは、「今年はサクランボとモモも花咲きが早過ぎる。」とのべ、これらの霜被害の状況を語ってくれました。

私たちはただ「花が美しい」と、表に見えることだけしかわかりませんが、果樹農家のみなさんにとって、こんなに早過ぎる果樹の開花は大きな霜被害とつながるため深刻な懸念がもたれているようです。リンゴも遅霜被害がなければいいですが。

Iさんの樹園地そば、旧亀田小学校の校門そばを通ったら、散り始めたソメイヨシノの老樹の幹に松の木の幼木が育っていました。樹種はどうもヒメマツ(キタゴヨウ)に似ている姿ですが、何かの鳥が種を食べた糞からでも芽生えたのでしょうか、そんなめずらしい様子も目に入りました。

タネマキザクラ満開

平年より早い雪消にあわせて萌えたブナは、標高800㍍近くまでポツポツと芽吹きが駆け上がっています。

村の里山は、軟らかな緑とタネマキザクラ(ベニヤマザクラ)やイタヤカエデの花が満開で、まもなく春黄葉本番の季節となります。

河川敷もヤナギの緑が映えるようになり、笹濁り色の成瀬川は、勢いを増した流れが冬の間に沈殿した河床の泥をもうほとんど洗い流したと思われます。

田子内やわが集落の里山は斜面の雪も目立つところはほとんど消え、お日様に温められた地面はウドザグ(ハナウドの仲間)やヘリザグ(シャク)で緑の範囲をいっきに拡げています。白の支配から緑の支配へと地面はたちまちのうちに装いを変えました。

こうなれば、ウドやアエコ(アイコ・ミヤマイラクサ)ホンナなど、遅出の山菜たちも本番入りがまもなくとなります。わが家で植えているヤマウドはもう食べ頃で、初モノをきのういただきました。

わが家周りではショウジョウバカマも花を開き始めています。いよいよ躍動の春本番がやってきました。

無投票で終わった村議選

任期満了にともなう村議選がきのう告示され、定数10に10人の立候補で選挙は無投票となりました。

これからの村づくりをそれぞれが熟慮してのことでしょう、現職議員が私もふくめ5人の引退となり、議会の構成は新人が半数をしめるという結果となりました。平均年齢もグンと若くなりました。

これからの村づくりを託されている執行部も議会も、新たな発想と活力でそれぞれの役割を果たし合い、村行政の二つの輪を円滑に前進させることが求められます。新しい議会がそのつとめに向かって、村民の願いに応え、議員の活動教本となる「議員必携」に述べられているような旺盛な活動にとりくまれることを期待するものです。

29日で現職の任期は終わります。が、今月中の新たな行事もまたポツポツと入ってくるなかで机のモノの整理も先日から手をかけています。そうした日々ですので心の整理もいろいろとあって、なかなか気持ちが複雑ななかで過ごす4月となっています。

そういうことで、このブログも4月28日で締めくくりとなります。2007年にはじめたブログは、足かけ16年ほどを綴ってきたことになります。議会の改選で新しい議員が決まり、私は今任期限りで引退となります。当然ながら「ブログもあと一週間ほどで終わり」ということになりますので、村議選の結果が出た機会に予告しておきます。

りんご園はキツネの生きる場

それは土曜日のわらび座公演を鑑賞して帰りのこと。

横手市・平鹿町のアップルロードを走っていたら、りんご園の中に何か生きものが動いています。

犬かなと思いましたが、しっぽの様子をみたらそれはキツネと即座にわかりました。彼らは日中でも動き回ることがよくあり、とくに春の今は、りんご園に多く棲むネズミたちの動きが活発で、それを知るキツネは夜までジッとしてはいられないのでしょう。

フクロウと同じで、ネズミを主食のようにするキツネにとって、下草もまだそんなに繁茂しないりんご園は、ネズミが捕らえやすい格好の狩り場となるわけです。ここら辺りのりんご園では日中にキツネの姿を見たという方が時々いますから、もしかしたら同じキツネが縄張りにしている所かもしれません。

この周囲は、わが家の身内のりんご園がある界隈であり、案の定、すぐそばでは身内の方が作業をしていました。でも、キツネは人の存在などお構いなしでネズミ探しにやっきとなっている様子。

こちらの足は革靴履き、残念ながら樹園地では、ネズミを捕らえる瞬間までの彼を追うことが出来ませんでした。雪国のほ乳類たちの今は毛がわりの季節。本来うつくしい光沢の冬毛は色あせ、ボソボソした毛色の姿となっています。

人生に欠かせぬ心の糧・芸術

15日(土)、あきた芸術村わらび劇場の今年の定期公演開幕でミュージカルを観賞しました。

今年の上演は、ワンス・アポン・ア・タイム・イン アキタという作品。8世紀の古代秋田城とそれらをとりまく人々の群像を描いたものです。

作品のテーマは、争いごとに直面した時、武力ではなく話し合いで解決することが大切なこと、それには人と人の信頼関係をつくりあげることが何よりも求められること、と私は受けとめました。ロシアのウクライナ侵攻をはじめ、戦争や紛争とよばれる国家による暴力行為がいまだ進行中、あるいは懸念される世界の動きを見たとき、この作品はまことに時宜にかなった内容だと思いました。

新型コロナ禍で大変な状況におかれたわらび座とわらび劇場でしたが、コロナの一定の収まりのなか、ようやく通常のかたちで公演もほかの事業もすすめられるようになりました。この日の公演も久しぶりにコロナをそれほど意識せずに鑑賞することができました。

大変な荒波を乗り越えて通常のかたちで演ずることができた俳優をはじめとする座のみなさんは、きのうの客席からの拍手が、いつにも増して「ありがとう、がんばれ!」の思いがこめられた拍手の音であることを感じたと思われます。感動し元気をもらったのでしょう、私のまわりの方々は、みなさん涙、涙、涙で拍手をしておりました。

芸術は人の心を豊かにしてくれます。わらび座は県内に生まれ育った劇団として、県の芸術活動発展のうえでも大きな役割を果たしてきました。わが村も含む県内多くの市町村がそうしたわらび座とフレンドリータウンに関する話し合いをすすめ、わらび座との活動を通じて観光文化の振興、相互の魅力発信、福祉増進と人材育成、教育振興と生涯学習充実、交流促進と地域振興などにとりくむことで協定を結んでいます。

今年6月21日には、全国公演の一地点としてわが村でわらび座のミュージカル公演「いつだって青空」が村民体育館を会場に計画されています。文化・芸術を重視する村が、今年の当初予算にその計画を盛り込み議決されたものです。児童生徒や若者たちはもちろん、高齢の方々までふくめ幅広い年齢層の方々に親しまれている演目です。6月が楽しみですね。

あたたかで雪消が早く、劇場のまわりの桜も満開。途中の真人公園もふくめ県南部の名のある公園のソメイヨシノはいずこも満開。山のベニヤマザクラと里のソメイヨシノと、往き来は桜、桜、桜の花ロードでした。