歴史の道・仙北街道(手倉越)歩き(その1)

きのうは、国の「歴史の道百選」になった仙北街道(仙北道・手倉越)歩きに「村の仙北道を考える会」の一員として参加。

村公民館と村仙北道を考える会が行った街道の現地踏査を兼ねた歩きで、これには岩手側から奥州市の「胆沢古道の会」のみなさんも会長さん始め7名が参加。今回は、古道が国の栗駒山栃ヶ森山周辺森林生態系保護地域の核心部を通り、そこが「歴史の道百選」となったこともあるためか、岩手南部森林管理署長さんと管理署員、岩手県議の方も参加された。

新型コロナのために、例年行っていた一般参加の公募は行わず、今回は会員と関係者のみによる踏査に重きをおいた歩きとなった。それでも一行は28名で、8時間ほどを要する山歩きとしてはなかなかの人数となった。今年着任したばかりの村の地域おこし協力隊の若者たち3名もユーチューバーの務めを兼ね歩きに加わった。もちろん彼らも初体験。

今日は古道の要所要所をいくつかひろいあげ、歩きはじめ、途中、歩き終わりの様子をお伝えする。昼頃から黒い雨雲が幾度か頭上を流れ、雨にも少し打たれたが、心配した雷雨もそれほどひどくはなく、用意した雨具もほとんど着けることなく行程を終えることができた。

はるか遠くの景色までは雲が厚く望めなかった。でも、栃ヶ森山麓の森林生態系核心部と焼石連峰の原生の森は充分に目にすることができ、その森が生み出す空気を吸い続けた。

山村に暮らしているこちらでさえも「この空気の清さは別」と感ずるほどの清々しい空気が古道全体を支配しているのがこの歴史の道歩きの最大の魅力ともいえる。呼気が口と鼻を経て気道を通る時、空気にも味と香りを感ずるようなそこだけ別の大気の流れがあるような気分に一瞬ひたれる。原生林のそのおかげで、五臓六腑に加え手から頭の先まですべてが浄化されたような古道歩きとなった。

染め和紙と活性炭入りのマスク

マスクを手放されないくらしがつづいていますが、あれほど世間を騒がせた政府から配給のマスクをかけている人の姿は今もほとんどみられません。

もっとも必要とした時からかなり遅れて各世帯に届いたマスクでしたから、その多くは各家庭のどこかにしまわれているのでしょうか。遅れて届いただけでなく、なぜ配給マスクを着ける方がほとんど見られないのか、税金を何百億円単位で大量投入しての事だけに、これもきちんと検証が必要と思われます。

そんな中、新型コロナと共に暮らす年月がしばらく続くとみてでしょう、マスクについても国産の割合が増えていることを報道で知りました。あわせて同じ国産のマスクでも、大量生産から手作りまでマスクそのものもいろいろな工夫が凝らされ、創造性豊かなマスクも各地でつくられているようです。

私の知人や友人たちのなかにもそんな方々がおられて、そのグループがつくられているマスクは素地は染めた和紙、複層構造の一層にはさらに活性炭がくみこまれているというもの。さらにそれらのなかには、アマチュア画家による絵柄が印刷されているマスクも。こうなったら、防疫用ながらも半ば芸術作品のようなマスクといえるかもしれません。

このほどその手作りマスクを入手する機会があり着けてみました。鼻と口の部分がやや盛り上がり空間ができるデザインで、和紙づくりであるうえに活性炭の層があるからでしょうか暑さのなかでも意外と息苦しくなく快適です。

コロナとのつきあいは長くなりそうです。マスクも、コロナウィルス防除にもっとも効果的な構造やあるいはデザインもふくめ、まだまだいろんな工夫がこれからされてゆくのでしょう。

▼先日蒔いた大根がきれいに芽を出しました。連日の猛暑にもめげずよく芽を出せるもの。乾ききった畑の土とこういう新芽を見ると、そろそろ少しのお湿りがほしいと思えてきます。

ナラ枯れ病で山が悲鳴

今年もナラ枯れ病に冒された山が目立つ季節になりました。

山形方面から県内南部に侵入したナラ枯れ病は、成瀬川の下流域から村内にも押し寄せ、いま被害がもっとも目立つのは発症始まりの滝ノ沢から田子内、平良、肴沢、岩井川地区です。

同じ里山でも、標高のやや高い郡境付近の林はミズナラよりもブナが多くをしめているので山は健全な夏の緑をたもっています。しかし、標高500㍍ほどより下の山は広葉樹ではミズナラがかなりの面積をしめていて、そこがご覧の通りの褐色の山肌となっています。

この木の病気は、進行速度の速さと被害規模の広大さという特徴があり、わずかばかりの防除対策ではこの病は防ぎきれません。対策の1つとして地区によっては被害木を伐倒活用する対策もとられていますが、その際には皆伐方式(樹種などに関係なく山全体の木を伐採)で山全体の木が伐られるため、保全や計画的な森林利用という観点からはそういう一律策への懸念もあるようで、防除対策のむずかしさをあらわしています。病気が、いっきにあまりにも広い範囲に蔓延してしまうからで、それは、人間を脅かし続けている猛威の新型コロナウィルスにどこやら似ています。

山が濃緑の季節になると葉の枯れイコール木の枯れ死や半枯れ死が目立つだけに、それらのそばにあって葉が緑でもすでにナラ枯れ病菌にとりつかれているナラの木たちが悲鳴、うめき声をあげているように見えます。褐色の葉色はすでに病が進行して死んだ木か、枯れ死直前の木なのでしょう。

ナラ枯れ病被害の現場をずっと以前にわが村議会がはじめて視察したのは山形県でした。以後、山形のみならず被害はひろがり、仙台キノコ同好会の方々によれば、宮城方面でもナラ枯れ被害が急速に進行しているようです。ほかの東北各県も被害の状況がひろがっています。平成から令和にかけての日本の里山は、ナラ枯れによってナラの木の多くが失われるという自然にとっても歴史上異例の年代となりそうです。

今年最後のカメムシ防除

きのうは早朝4時半から田んぼの消毒作業へ。朝早くの作業理由は、助手の都合と日中は猛暑なので薬剤による稲の負担を避けるなどのためです。

今年はこれが二回目の害虫カメムシ防除で、我が家でカメムシ防除を二回も行うのは初めてのこと。昨年のカメムシ食害がやや目立っただけに今年はやむをえず二度目の薬剤散布となった次第。

田んぼにはたくさんのボンアゲヅ(アキアカネの仲間)がいて、なかにはしっぽが紅くなり始めたアカトンボも。

連日の晴天で稲穂はすべて傾き、穂の登熟進行にあわせて空からはスズメが舞い下り、畦ではハトやカラスが歩きながら稲穂を啄みます。四つ足動物ではタヌキやアナグマ、それにハクビシンなども加わってでしょう、田んぼの中にはそれら獣たちが稲の茎を倒して穂を食べた跡が所々でみられます。

これからは、所によってクマもその食害の仲間入りをします。「稲穂を食べるクマ」など以前の村では聞いたことがなかったのですが、近年は所々でそんな被害が毎年聞かれます。

この後9月下旬の収穫までには、生きものたちの食を田んぼはしっかりとささえることになります。彼らの侵入は防ぎようがないので「生きものたちも食わねばならないだろう」と中途半端な仏心をもって自分に言い聞かせ、被害規模の大きいカメムシの食害とはちがってこれは防除策をあきらめています。

今はその程度のあきらめで済ませていますが、もしかして、何年か後にはその被害に最近目撃情報が絶えないイノシシとシカが加わるかもしれません。そうなったら、西日本や東北太平洋側のように抜本的な防除策が必要になるでしょう。稔りの秋は防除・防護の秋でもあります。

▼連日の真夏日、猛暑日がつづきます。小学校夏休み最後の童と夕方近くに川へ。例年の夏より流量はまだ多い川ですが、晴天続きなのでここ一週間ほどで水位はぐんと下がり泳ぎには最適。透き通った川底には水が少なくなってきたのでカジカもよく見え、つかまえたり放したり。いまの童にとってカジカは、食べる対象ではなく、見る対象。

暑さがつづくので刺しアブはまだ健在。この虫がいなくなる「晴れた9月がいちばんいい」と、童はその時の川遊びを楽しみにしているようです。

大根種まき

お盆を過ぎた頃から白菜や大根など秋野菜の種まき風景が村内のあちこちでみられます。

我が家でも、ジャガイモを掘り取った跡へ白菜と大根の種を先日蒔きました。

種まき

連日の猛暑のなか、花期の長い盆ばなこ(オミナエシ)が炎天に負けず黄金の輝きを引き立たせて咲きます。村では盆ばなこと呼ぶほかにコガネバナコとも呼ぶオミナエシ。

オミナエシ

この花、花言葉は「美人」とか「はかない恋」とかをあてているようですが、村の呼び名は同じ美しさでもコガネにたとえた美。昔の人々は即物的な名前をよくつけたものです。

薬草

晴天続きなので、我が家の「健康茶」のもととなるヨガノハシ(ゲンノショウコ)とドグダミ(ドクダミ)、それに遅れて加わったトリキシバ(クロモジ)も陰干しながら乾燥がよくすすんでいます。

夏キノコもそろそろ終わりのシーズン

季節の移ろいを肌にふれる風で感じ取った昔人は、「盆過ぎれば秋風吹く」といいました。確かに夜朝は涼しくなり、かすかに秋風を感ずるものの、先週に続き今週も真夏日が続くようです。

そんな中、訪れた里山では、シーズン終わりを告げるホウキタケの仲間ハギモダシ(ハナホウクモドキ)の二番手発生株がありったけに生長し、私が再度行くのを待っていてくれました。

このキノコ、今年はほぼ平年並みの発生量で、これから顔を出す株はあるものの、シーズン盛りは終えようとしています。

そばには、これも夏キノコの代表格アカヤマドリが、採り頃、食べ頃のいい形で顔を出していました。

ハナホウキモドキは早速いつものように味噌汁の具にしたり、ナスとあわせて炒め物で毎日ごちそうになり、残りは冬のおでんや煮物用に塩漬けです。アカヤマドリは、刺身風や一夜味噌漬けでいただきました。

先日採ってきたナラトビ(オオミヤマトンビマイタケ)の幼菌は、一夜味噌漬けなどを楽しんでいます。これまでは食材としてはそんなに値のないキノコとしてきましたが、肉厚の幼菌は「山のアワビ」のような食感があり、炒め物をふくめ味付け次第では「優れた食菌」の仲間入りになるとして、私の格付けは評価を高めに変えました。

稲穂の多くが傾きを見せるようになった盆を過ぎた村。キノコの世界は秋の立役者達が地面のなかで顔出しの準備を始めているでしょうし、農家も、心始末を夏から秋の準備へと少しずつ取り替えようとしています。

童たちといっしょの焼石岳登山(その3)

姥石平を経て後の9合目からの下りでは、上りの時よりもはるかに視界が開け気分爽快。8合目の沼にもまた立ち寄りイワナを眺めながら小休止。朝とちがって沼の全景もまわりの山々もほぼみな視界に入る。すゞに浸しておいたモモは予想していたとおり適度に冷えていた。最高の清水での天然冷蔵モモに一同満足。背にしたものを喜んで食べていただけるのはうれしいものである。

家へのお土産にと今では慣習みたいになっているすゞ水(湧き水)をいっぱいのボトルに詰め、リュックの荷をやや重くして最高においしい水とお別れしゆっくりと下山開始。車到着は3時半となった。駐車場では、そばの小枝にいたボンアゲヅ(盆秋津・アキアカネ)がふわりと飛んできて、体のすぐそばで止まった。我々に「ごくろうさん」とあいさつをされたような気がした。

真夏の晴天日中でもやや寒さもあるというなかでの登山だったが、「暑さのことを思えばかえってそれがよかった」との感もあった今回の山行。当初予定の深夜歩きご来光登山は出来ず残念だったが、そう多くは体験することのない霧と晴れ間がのぞく景色を堪能。そしてこれもあんまりはない童たちとの愉快な長歩きが出来た。語り、笑いながら、いろいろと教え考えさせられ、学ぶことの多かった山行の9時間半は終わった。

クマの住み処ど真ん中を通る童たちとの登山ということもあり、クマには普段以上に注意した。往きも帰りも、クマ避け鈴はもちろん鳴らし、時々ラジオもつけ笛を吹き、クマ狩りで勢子(クマの追い出し役)が出す雄叫びをあげ、やや声がかすれるほど大声を出し続けた。もしその声をきいた森のクマさんがいたならば「これは、警戒せねば」と感じただろう。山や海は、大声をあげるには絶好の場所。大声を出すのは気分がよいもの。コロナ禍、鬱屈している気分をはらすなら、みなさん、里山でもそれはできますよ。

帰りの車道ではモヂエヂゴ(エビカライチゴ)が目に入り、熟れ盛りの真っ赤な実をごちそうになれるというオマケもついた。

かなり疲れて帰宅した童は、「なんだか、すごい達成感があった」と語ってくれたようだから、私だけでなく、童たちにとってもいい体験の山歩きとなったようである。私らが子育ての頃は、小学校高学年で焼石をめざす、先生と親子による集団の「学年登山」や、山仲間達との小学低学年の子を連れての一泊登山をよくやったもの。いまこうして歩いてみて思えば、よくやったものとつくづく思う。みんな、気も体も若かったのだ。

▼これからの焼石は、秋の花、そして9月下旬から10月初めは花の百名山に代わり「紅・黄葉の百名山」としての絶景が楽しめます。落葉後の晩秋のブナ道歩きもすてきです。コロナ対策に心がけながら、あるいはコロナ禍が一定の収束をみたら、栗駒山、焼石岳、わがふるさとの山にぜひみなさんお出でください。

童たちといっしょの焼石岳登山(その2)

沼から9合目まではいつの季節も花の道。急登は体にきついが花と景色の観賞にはうれしい道のりだ。各登山コースが交差し分岐の9合目に着いたら風がさらに強く、頂上までの岩上や稜線歩きでは体が動かされるほどの強風だ。
山の神で「登山ができることに感謝」や「それぞれの願いや思い」を一同合掌であらわし頂上をめざす。頂上近くになったら帽子など風に飛ばされるものは手に持たなければならない。真夏なのに少々寒さを感ずるほどの風なので「こりゃあ、頂上での長居はムリかな?」と思った。先に頂上に着いて同じコースを下山してきた「大館の方」は、「霧で何も見えなかった。風も強かった!」とすぐに引き返したことを語りかけてくれた。
花の百名山も予想したように夏の花の大部分は上旬で盛りを終わり、ハクサンシャジンやタカネナデシコ、ハクサンフウロなど夏の名花の見栄えある花姿は遅咲きがごくわずか。マルバダケブキやトウゲブキはまだ花盛りで、秋の花のウメバチソウやミヤマリンドウは蕾が多いが、咲き始めている株も所々にある。
頂上到着は10時20分。やはり風がものすごく強く濃い霧が激しく西から東へ流れている。
記念写真を撮ってすぐさま頂上の東側に寄り、風をしのいで早い昼食タイムとする。
山仲間のAさんは、つい先日に栗駒と秣岳をお子さんたちと縦走したばかり。でも、ご本人も、焼石は昨年に次いで二度目の登山というお子さんたちも、栗駒・秣を縦走した直後とは思われぬほどに歩きはとっても軽快で感心。
ところで、Aさんとの山行で気楽なのはその健脚ぶり。おそらく同じ年代の男性のみなさんの多くもその体力と脚の力にはかなわないだろう。それに楽しみなのはAさんのその明るさとともに食後に沸かしてもらえる熱いコーヒーだ。この日は、コーヒーの前に温かな味噌汁まで振る舞っていただいた。使う水はいずれも8合目のタゲ(焼石)のすゞ。それをコーヒーと味噌汁6人分をボトルに詰めてAさんが背にしたもの。幾重にもなるうれしさありがたさを思いながらみんなで味噌汁とコーヒーをごちそうになる。
昼食をとっていたら時折あたたかな陽射しが霧の合間から注ぎ、霧も瞬間的に途切れる時間が多くなった。眼下の姥石平がパアーッと明るくなって目に入り、胆沢平野も霧の合間から確認できる。辛抱して頂上で待っていたかいがあったというもの。「辛抱」「耐える」を経ての幸、不運は山歩きではよく体験すること。以後も、流れの速い霧と山がつくる光景を食事をとりながら満喫できた。こういう霧の日でなければ眺められない山と出会えて一同からは時々「アーッすごい。ウオーッきれい」など喜びの声があがる。流れる霧も山では立派な景色となる。
休憩場所では、童が足下にいる真っ黒な小さいカエルを見つけた。めずらしいのでみんなで眺めるが種はわからない。帰宅して写真をアップしたら背中にガマガエル(ヒキガエル)特有のイボイボがある。なんとそれはガマガエルの子だったらしい。
頂上には我々以外は幾人もおらず、休憩をとっているのはすぐそばの親子らしい3人だけ。ほかにもわずかの登山者がみられるが、みな頂上での休憩はあきらめすぐに下山の方が多い。
昼食後はいつものように岩手側コースに下りて姥石平をまわる。すれ違う登山者はごくわずか。夏の花のシーズン盛りがすぎたとはいえ、お盆夏休みシーズンの焼石では考えられない人の少なさだ。
泉水沼まで下りたら霧の晴れる時間が長くなり、さっきまで滞在した焼石の山体がそれまでよりも長く姿をあらわすようになった。雪解けの早いところでは咲き始めのミヤマリンドウが多くなり、花盛りのタチギボウシが風に大きく揺れている。背が低く茎がなよなよしていないキンコウカは風にも揺れず、群生だからこその輝きを見せている。

童たちといっしょの焼石岳登山(その1)

童たちといっしょのご来光登山かなわず、代わりとして急きょ計画したお盆13日の焼石岳登山。

一行は山仲間のAさんとそのお子さん達(中学女生徒と小6男子)、わが娘とその子(小6男子)の計6人。日帰り登山は焼石林道終点の駐車場から6時頃に歩き始めを開始。駐車場には秋田ナンバーの車がすでに2台あり、これから登ろうと準備をしているらしい単独登山の男性の方々がいる。二人とも後に我々を追い越して行ったが、お一人は「大館から来た。焼石は初めて」と語られた。

前日にやや激しいにわか雨があり、朝方までは時々弱い降雨もあったので川の水量をやや心配した。予報は午後には晴れを告げていたので気分的には安心をもって登るが、山中はどこまでも霧で真っ白。歩き始めには少しの雨粒も体にあたる。でも雨具をつけるほどではない。

3回の川越はあるが心配したほどの流量ではなく、全員長靴装備なので渡れる石を選んだりジャブジャブと川に入って難なく渡れた。ただしかし、前日の降雨は別にして今の季節に通常時でもこれほど流量の多い川は、やはり雨続きの今年だからこその特徴だろう。水の多さは登る途中のいずこでもみられた。

途中には、クマがアリでも食べようとしてだろう倒木を起こした跡や、ミズバショウの茎を倒した跡も随所に。手が届くところに垂れ下がったブナの枝に実がたくさん着いている様子も見られた。隔年結実のブナ、今年は実の豊作年ではないが、なかにはこういう例外の幹もある。単純ではない自然の奥深さを知る一風景だ。

県境付近の秋田側にはクマの生息調査用だろうか、自動撮影の監視カメラらしい機器が登山道の木の幹に設置されていた。生きものだけでなくすべての登山者の姿も撮影されるとすればあまりいい気分はしないものだ。

一つ目の関門8合目到着は8時40分。タゲ(焼石)のすゞ(湧き水)で喉をうるおし、「帰りに」と、旬のモモを水溜の木枠に冷やし沼でまずはひと休み。

依然として霧が濃く、沼は目先の岸辺わずかが見えるだけ。西風も強い。童たちに楽しませようとした草原の群生エゾノクサイチゴは、おいしい実がほとんど熟れどきを過ぎていた。

待ち焦がれた川泳ぎ

ようやく晴れの時間が長持ちしてくれたお盆送り火の日。川遊びを待ち焦がれていた童たちとともに自宅前の成瀬川に出かけました。

異常に雨の多いお天気は8月になっても続いていて、お盆なのに川の水はずいぶん多く、流れの勢いが強いままです。ふだんなら瀬のどこでも童たちが自由に往き来できるのですが、所によっては大人が沿わないとそれがやや不安なほどの流量の多さです。

でも一帯の川の様子は昔からどこがどうなっているかよく知る所。童たちが遊べる範囲の淵と瀬を見定め、存分に水浴びをしてもらいました。

流量が多いので、普段ならたくさん獲れるカジカも発見できる場所が少なく、網に入ったのはたった1匹だけ。川の水も、日照不足と水量の多さのためでしょうか、この季節にしては温度が低く、童たちは「冷た~い」と歓声をあげ、陽射しに温められた石や温んだ岸辺の水で時々体を温めながら水と戯れていました。こどもは風の子といいますが、童というのは、川の子、海の子、水の子でもあるのですね。