童たちといっしょの焼石岳登山(その3)

姥石平を経て後の9合目からの下りでは、上りの時よりもはるかに視界が開け気分爽快。8合目の沼にもまた立ち寄りイワナを眺めながら小休止。朝とちがって沼の全景もまわりの山々もほぼみな視界に入る。すゞに浸しておいたモモは予想していたとおり適度に冷えていた。最高の清水での天然冷蔵モモに一同満足。背にしたものを喜んで食べていただけるのはうれしいものである。

家へのお土産にと今では慣習みたいになっているすゞ水(湧き水)をいっぱいのボトルに詰め、リュックの荷をやや重くして最高においしい水とお別れしゆっくりと下山開始。車到着は3時半となった。駐車場では、そばの小枝にいたボンアゲヅ(盆秋津・アキアカネ)がふわりと飛んできて、体のすぐそばで止まった。我々に「ごくろうさん」とあいさつをされたような気がした。

真夏の晴天日中でもやや寒さもあるというなかでの登山だったが、「暑さのことを思えばかえってそれがよかった」との感もあった今回の山行。当初予定の深夜歩きご来光登山は出来ず残念だったが、そう多くは体験することのない霧と晴れ間がのぞく景色を堪能。そしてこれもあんまりはない童たちとの愉快な長歩きが出来た。語り、笑いながら、いろいろと教え考えさせられ、学ぶことの多かった山行の9時間半は終わった。

クマの住み処ど真ん中を通る童たちとの登山ということもあり、クマには普段以上に注意した。往きも帰りも、クマ避け鈴はもちろん鳴らし、時々ラジオもつけ笛を吹き、クマ狩りで勢子(クマの追い出し役)が出す雄叫びをあげ、やや声がかすれるほど大声を出し続けた。もしその声をきいた森のクマさんがいたならば「これは、警戒せねば」と感じただろう。山や海は、大声をあげるには絶好の場所。大声を出すのは気分がよいもの。コロナ禍、鬱屈している気分をはらすなら、みなさん、里山でもそれはできますよ。

帰りの車道ではモヂエヂゴ(エビカライチゴ)が目に入り、熟れ盛りの真っ赤な実をごちそうになれるというオマケもついた。

かなり疲れて帰宅した童は、「なんだか、すごい達成感があった」と語ってくれたようだから、私だけでなく、童たちにとってもいい体験の山歩きとなったようである。私らが子育ての頃は、小学校高学年で焼石をめざす、先生と親子による集団の「学年登山」や、山仲間達との小学低学年の子を連れての一泊登山をよくやったもの。いまこうして歩いてみて思えば、よくやったものとつくづく思う。みんな、気も体も若かったのだ。

▼これからの焼石は、秋の花、そして9月下旬から10月初めは花の百名山に代わり「紅・黄葉の百名山」としての絶景が楽しめます。落葉後の晩秋のブナ道歩きもすてきです。コロナ対策に心がけながら、あるいはコロナ禍が一定の収束をみたら、栗駒山、焼石岳、わがふるさとの山にぜひみなさんお出でください。