ナラ枯れの目立つ季節

深緑の8月は、ナラ枯れ病にとりつかれた木が次々と葉っぱを赤くして枯れ死する季節。

村を訪れた観光客の方々が、ナラ枯れで茶色になった葉っぱをみて「紅葉、始まったの?」
と言われたそうですが、それほどに「葉枯れ」は目立ちます。

あまりにナラ枯れ菌の勢いが強く広範囲となり、自治体が予算を置いての防除程度ではその伝染をくい止めることは不可能のようです。やはり、病に冒されないうちの伐採で適度な木材利用につとめるのが最大の防御なのか。その伐採も様々な事情、条件、制約があって単純にはできません。こうまで病菌の勢力が広範囲になれば、その対処策も「効果」ということをよく考えなければ、税金の「ムダ使い」ということになるでしょう。

かってはマツクイムシによるマツの枯れ死があいつぎましたが、今度はナラの病菌による枯れ死。同じ樹木でありながら、どうしてマツやナラだけがこのように昆虫を媒介としての線虫や病原菌によって枯れ死するのでしょう。ほかの針葉樹や同じブナ科の広葉樹でもブナにはそういう枯れ死ということがおきませんから、二つの樹種はなにかの免疫力が極端に弱いからなのか、不思議なものです。これも自然界がつくり出したひとつの必然なのでしょうか。

ナラ枯れは、樹木そのものへの被害に加えて、その樹木たちが生きていることによって成り立つ動物や菌類などあらゆる生命体の存在にも大きな影響を与えます。

ナラ林が集団死滅すれば、たとえばそれに実を結ぶドングリがなくなり、ドングリを食用とするネズミ、リス、鳥類、それらの小動物を捕食する猛禽類や獣類、そしてドングリを大量に食べるクマたちなどに大きな影響が及びます。食物連鎖のきわめて大事なひとつが欠ければ、クマの生息と出没にも大きな変化があらわれることは必至でしょう。動物は「食べ物」と「生殖」を中心にして生きているのですから。

ナラ枯れは、ほかにも人々のささやかな楽しみであるキノコの繁殖にも決定的な影響を与えます。とりわけナラ類と共生する土キノコの仲間は、ナラが死滅すればキノコの菌も生きられないわけですから、ホンシメジたちの仲間や写真のようなホウキタケの仲間、コウタケの仲間など、おいしさで代表格のキノコ採りは場所によってはほとんどできなくなるはず。木がなくなれば、シメジのような共生菌だけでなく腐朽菌も繁殖できませんから、楽園のキノコの森は、さぞかしさびしい森となるでしょう。困ったものです。

くりかえしますが、ナラだけ、どうしてこう病原菌に弱いんでしょう?不思議です。

 

骨太の政治評論に触れる

27~28日、岩手、山形、秋田3県合同の町村議長会による中央研修会が開かれました。

研修会は(株)日本総合研究所の高橋進氏が「日本経済と地方創生の課題」、衆議院法制局に長年勤められた弁護士の太田雅幸氏が「地方議員の政治倫理の在り方」、流通経済大学教授で元TBS報道局政治部長の龍崎孝氏が「2019参議院選挙後の政局の行方」とそれぞれ題して講演しました。

龍崎氏は、新聞記者やTBSの政治部長、モスクワ支局長などを経た方ですが、その政治評論には報道に携わる方に欠かせぬ気骨があると受け止めました。年に幾人かの方の政治評論を直接お聴きすることがありますが、久しぶりに骨の太い政界分析に触れることができたと私は感じました。龍崎氏は最近岩手県の八幡平市に移住したということです。

龍崎氏は、講演の最後に『投票率50㌫割れの意味、「れいわ」の登場をどう見るか、左派ポピュリズムの誕生という見方も、「れいわ」は誰が支持したのか』などの項目をかかげて投票率の低さと「れいわ新撰組」の分析に一定数の時間を割き語りました。ここに、現在のわが国の政治の姿が象徴的にあらわれているからでしょうか。「れいわ」には評論家の方々のみならず、与野党の政界筋などからも注目と関心が集まっていることは報道などを見ての通りです。

1年ぶりにお会いした岩手(岩手は副議長さんも出席)と山形の議長さんたち。職務を長くつとめておられる方々とは10数年にわたってのあつきあいもあり、お互いに学び合うという謙虚な姿勢での交流が続いております。私だけでなく、それはみなさんも同じはず。3県合同研修は、県内の枠をこえてそうした結びつきが深まりますから、学び合う、親しみを深め合うという意味でも大きな役割を果たしています。議長会創立70周年を祝う交流の夕べでは、そうしたありがたさを込めて中締めの発声をさせていただきました。岩手・矢巾町の藤原議長さんからは、「今年中に」と教育行政の視察も申し込まれました。

今回は、山形県町村議会議長会会長で・飯豊町の菅野富士雄議長さん、岩手県町村議会議長会副会長で金ケ崎町の伊藤雅章議長さん、岩手県町村議会議長会参与の米田武美さんなどとも親しく語り合いました。みなさん、わが村のことをよく知っておられる方々です。今年は町村議会議長会創立70周年の年であり、交流の夕べには全国議長会の事務総長・望月達史氏が出席されお祝のごあいさつがありました。テーブルでは「議長会がかかげる当面課題のひとつ」についてもややつっこんで望月氏と語り合える機会もありました。

昨年の8月30~31日の3県合同研修では、大雨による洪水被害などで山形の最上地方の議長さんたちが2日目の研修を取りやめ急きょ帰るという事態がありました。今年の研修日には、九州地方北部を大雨前線が襲い、死亡や深刻な浸水被害などが起き、今朝もそれは続いています。台風や梅雨時でなくても前線による大雨への警戒が必要です。被災地の皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

里山も秋キノコの仲間顔を出す

お盆を過ぎたら一朝をむかえる毎に涼しさが増してきました。やはり「盆過ぎれば、あぎがぜぇ吹ぐ(秋風吹く)」です。

こうなれば、秋きのこの仲間たちが次々と顔を出し始めます。

今年は夏の極度なカラカラ天気続きで、いつもならとっくに顔を出していいはずのハギモダシの仲間たちもトビダゲ(トンビマイタケ)とともに大幅な出遅れ。8月末になってようやく里山で姿を見せ始めました。

サンゴのような美しさをもつハギモダシ(ガイド本では毒種扱いされています)。我が家ではこのハギモダシを、おいしくなったナスやミョウガとともに炒め物にしたり、味噌汁でごちそうになります。

ミズ(ウワバミソウ)のコブ(実)も稔り始めです。今年も、秋の野山の幸が食卓にのぼる季節となりました。

自宅土手のオミナエシも、こがねばなこ(黄金花こ)とよばれるように、花の色がいっそう黄金色に引き立ってきました。いよいよ村も秋です。

時にはこういうキノコも

このキノコは、ミズナラ大木の根元にみられるナラトビ(楢トビ・オオミヤマトンビマイタケ)です。

トビダゲ(トンビマイタケ)の発生とちょうど時期を同じくして顔を見せる比較的めずらしいキノコで、今年は度の過ぎたカラカラ天気続きの夏だったので、二つの種のキノコとも平年より15日~20日ほど遅れてお盆過に盛りの時をむかえました。

写真は23日に出会ったまだ軟らかな幼菌です。手にしているのはトンビマイタケの幼菌。老菌になれば姿の大きさが特徴のトンビマイタケよりさらに大きくなり、そんな場面に出くわすと思わず「うわっ、これがきのこ?」と驚いてしまうほどの姿形に。幼菌は味噌漬けや煮物などに、老菌はトンビマイタケと同じで、ゴムを噛むようにしなく(堅く)なりますから、乾燥後お茶として利用されたりします。

このキノコ。素材を活かす調理の腕にもよるでしょうが、幼菌でも味はトンビマイタケより一段下がこちらの格付け。食べるよりも眺めて楽しいキノコで、所や人によって好き嫌いに違いがあるでしょうが、出会っても私の場合は喜びがそれほどない相手です。

ブナの森のちょうど今の季節は、キクラゲが真っ盛りのとき。食べ頃となったキクラゲをひとつかみ手にし、さっそく酢味噌和えでいただきました。

県消防操法大会、壮実スポーツ大会

土曜日、県消防操法大会の小型ポンプ部門に出場した村消防団第3分団のみなさんの応援で由利本荘市道川へ。

湯沢雄勝支部の大会後、県大会におけるこれまでの村の実績を上回る結果をあげようと訓練を重ねて大会にのぞんだみなさん。

結果は8位でしたが、競技にのぞむ、あるいは競技を終えた後もふくめてみなさんの真剣、誠実な姿勢に感銘を受けました。今年の体験がまた教訓として今後に活かされ、村や湯沢雄勝支部の操法水準アップにつながるはずです。出場団員のみなさんほんとうにご苦労様でした。県大会の操法水準は高く、1位美郷町のタイムは39秒台、得点も90点を超えました。タイムで40秒以下の技を私もはじめて目にしました。これが全国水準の技なのです

これで、操法大会にむけた消防の熱くて暑い夏は終わりました。ご家族をはじめ、出場団員を励ましささえていただいたみなさんにも感謝です。ご苦労様でした。

県大会では、女性消防団員による軽可搬ポンプ操法競技も行われました。写真は、秋田市女性消防隊のみなさんです。

▼日曜日は恒例の壮実スポーツ大会でパークゴルフ場へ。

教職員、JA、商工会、村役場、村議会の壮・実年メンバー(OBも含む)による交流を目的としたスポーツ大会です。今年は、国交省成瀬ダム工事事務所のみなさん、同ダム工事の堤体工事会社や原石山工事会社のみなさんもチームとして特別参加。今回の持ち回り幹事はJAさん。男子77人、女子14人の参加でにぎわいました。

組み編成で最終まわりとなったわが組。1コースを残したところで夕刻の雨に打たれ、全身ずぶ濡れ肌寒さのなかで最終コースをまわることに。競技でも、後の懇親会でも、たっぷりと愉快な交流・語り合いができた一日でした。

雄勝中央病院の運営委員会

今年2回目の厚生連雄勝中央病院の運営委員会がきのう開かれました。

市町村長、議長、JAの理事や女性部長で構成される運営委員会議では、入院、外来、保健活動、訪問看護など病院の医療活動などとともに、経営の現状と計画が病院や厚生連の役員さんから毎回詳しく説明されます。

おとなりの県のように地域に県立病院のない秋田の場合は、県立病院の役割を果たしているのが厚生連の各病院といえます。厚生連のみならず県内医療の最大の課題は「医師不足、医師の偏在、必要な診療科目の体制不足」とされています。

病院そのものにとっては医師不足イコール「経営」が大きな課題でしょうが、医療に対して地域住民がもつ最大の関心事、心配事は「必要な医療が、なるべく近くで(妥当な医療圏域の枠のなかで)安心して受けられるかどうか」なのだと思われます。経営面と共に、必要な医療が安心してうけられるかどうか、医師不足はその両側面からみなければなりません。

医師不足は、大都市や県都などをのぞけば全国どの地方でも同じ課題をかかえていると思われます。しかし、経営の面では、秋田県の医療体制とそれへの財政支出は、その点で東北の他県とくらべてどうなのか(各病院の施設更新などでは相応の県支援がされましたが)、あるいは厚生連が県立病院的役割を果たしている全国の他の県と比べて秋田の場合はどうなのか、そうした長期のスパンたとえばこの過去半世紀単位の物差しで他県と比較してみることも必要でしょう。

同じ県内でも医師の偏在や、人口の偏在ということもあり、それらが負の地域とそうでない地域をならべて単純な「赤字、黒字」の経営数値の比較だけでは深い課題背景がとらえきれません。厚生連は公立病院的役割を果たしている医療施設ですので、様々な条件・制約で、いかに努力しても赤字が必然のところ、逆に黒字のところがあるわけで、厚生連全体の経営としてとらえるという視点が我々には必要と思われます。

いずれ、医師の「意思」という就労選択の自由とは別の次元で派生する医師不足の解決については、やはり県に施策の不十分さがあれば県がそれをより充実させ、究極は国が政策転換を図らなければ解決しないものと、こういう分野に疎い私ですが、そういう感想をいつももちます。そのために、議会としてできることにはひきつづき力を尽くしたいと思います。

赤滝神社が遷座

去る17日、成瀬ダム建設にともない水没する赤滝神社の遷座式が、赤滝神社を保存する会によって行われました。

遷座にともない、神社のご神体(能恵姫像?)は近くにある草ノ台集落の山神社に間借りして鎮座。新しい社に移るまでしばらくの間、伝説のご神体はここで過ごすことになります。

写真の初めがご神体がなくなった後の19日の旧赤滝神社の建物、2枚目がご神体が一時の鎮座となった草ノ台の山神社です。

赤滝神社は、赤滝の方角を向いて建てられ、鳥居も当然ながら滝側に配置されています。よく通う参詣者や、旧桧山台集落などで暮らした土地の人々は「神社を拝み、そして滝をも拝む」ということ。なるほど、鳥居のそば、滝壺頭の平らな土の上の境内にも、ロウソクを灯し御神酒を献げた痕が常に見られたのはそういうことだったからなのです。

草ノ台の人々は「昔は、草ノ台がらも赤滝神社まで向かい、おさめおの(納めもの・奉納)したもんだと、オヤジ達から聞いだごどある」と言います。

赤滝のそばでは、ダム建設用のプラント工事や堤体掘削工事、原石山採取の関連工事が盛んです。プラント工事のクレーンでしょうか、滝やご神体のなくなった旧神社の背景にそそり立って見えます。その光景が妙に心に焼きつきましたのでカメラを向けました。

滝を象徴する赤い岩のそばには、たった一輪のリンドウが咲き始めています。

秋田栗駒リゾート(株)の営業状況説明

村議会の全員協議会がきのう開かれました。

会議の議案は、9月定例会議(9月3日開会予定)に提出される平成30年度期間の村の三セク施設、秋田栗駒リゾート(株)の営業状況その他について、会社側から事前の説明を受けることなどです。

6月に開かれた第28回の株主総会資料に基づいて説明があり、売上げに大きな影響を与えている働き手の不足など、課題の主要部分などに集中して質疑応答が交わされました。

民間の経営体でも、公務の組織でも、われわれの社会は「人の確保」がカナメです。課題解決のためには、何事においてもその原因究明がまず必要です。

社会全体の「労働者不足」という共通した現状に止まらない、この会社個別の究明・分析と具体的な打開策の確立が強くもとめられるでしょう。三セクの経営陣とともに、出資の大元を占めている村についても課題解決では責任が大きく問われています。

人家近くにクマ

17日朝「畑に動物の足跡ある。クマか見てほしい」という旨の電話が突然入りました。

現場は大橋場、旧田子内橋のたもとの畑。早速かけつけたら、耕起されたばかりの畑に真新しい足跡がいっぱい。まちがいなくこれはクマ。足跡から推測すればそれほど大きなクマではありません。2~3歳ほどでしょうか、昨年夏か、もしくはこの夏に母グマから離されたばかりの若グマでしょう。

3年ほど前だったか、車の先になって新しい田子内橋の路上を駈けるクマ(成獣?)が、ドライバーによって撮影されています。ここら辺りは、道路でも、畑でもよくクマが発見される所です。山から下りてきたクマは、成瀬川に下りて川沿いを歩き、ちょうど大橋場付近が滝ノ沢と下田の間を通るのに最適の場所として定めているのでしょう。いわば人家そばのそこは「けもの道」「越えっぱ(川を越える場所)」というわけです。

住宅のすぐそばですから、早朝などに畑仕事や道路を散歩などで運悪くクマと出遭ってしまえば危険です。村内の人里には、そうしたクマの越えっぱの「けもの道」が各集落のいくつかにあります。山村ぐらしではそれが当たり前ですが、クマはそういう所をしょっちゅう通るものだということを知っておくべきでしょう。

▼お盆土曜日のひととき、童たちから「川で、魚や生きものを見たい」とかなり強い「要求」が。しかし、成瀬川の本流は先日のわずかの雨でも濁りがまだ残っていて、増水はしなかったものの水遊びはムリ。一方の支流の各沢は、水は澄んでいるもののアブの大群に猛攻されますからそこへ向かうもムリ。

でも、どうしても水遊びがしたいようなので、水量が少ないものの水が澄んでいる合居川の開けた明るい川原に向かいました。藪がなく明るければアブも少ないからです。水量の少ない淵は、泳ぎには少しもの足りませんが、水温が成瀬川よりかなり低いので猛暑の日の水遊びにはうってつけ。瀬にはカジカ、浅い淵にはヤマメやイワナもいて、素早く石に隠れたイワナをエゴクジリ(石の下などに潜んだ魚を手づかみ)したら童たちは大喜び。

つかまえたイワナは放そうとしましたが、強くつかまれたため勢いがなく、やがておなかを上にしてしまい、放しても生きられないようです。その様子を見た童は、めずらしく「イワナを食べる」と言い、早速塩焼きに。天然のイワナの手づかみ現場を直に見て、それを焼いて食べたのは初めての童たち。童たちは楽しく、おいしいひとときを過ごしましたが、私も、童心にかえったひとときでした。昔はイワナ捕りが夏休みの日課でしたから。

▼今年4度目の畦の草刈りをきのう終えました。畦に多いイネ科雑草には害虫カメムシの好きな長い穂がいっぱい出ていましたが、これですっきり。実りをむかえるまであと一月余り。これからは実る稲穂に惹かれてだんだんと田んぼが「めんこぐなる(可愛くなる)」季節。歩きやすくなった畦から、日毎に増すめんこい稲穂の傾きをながめる初秋です。

お盆ならトビダゲ(トンビマイタケ)

「お盆の食卓や仏前にはトビダゲキノゴ(トンビマイタケ)」というのが、わが集落や村の人々の昔からの慣わしでした。ブナの根元に発生するトンビマイタケは、ブナ林の多いわが村の大切な食文化のひとつだったのです。

キノコ採りを大の趣味とするこちら。お盆の季節を象徴するそのトンビマイタケをめざしての山入りを予定していて、やっと成人式の日の午後に村内のブナ原生林に向かいました。

月の初めからすでに同じ目的で山入りした方々の歩いた跡でしょう、山道にかぶさる草木が所々で切り払われ、数人の足跡が途中まで見られます。

連日のカラカラ天気で渓谷の流れは水量が少なく、淵のイワナたちがよく目に入ります。それ以上は魚ののぼれない魚止めの滝の淵には、大きなイワナをはじめ数匹がみられるほど魚影が濃し。この日の目当ては魚獲りではないので、毎年トンビマイタケが発生する二本のブナにまずは直行。

ありました。お盆の象徴が。今年は平年より発生がかなり遅れたようで、いつもなら8月はじめ頃から発生、お盆には過ぎ時となるのですが、今年はお盆で真っ盛りというところでしょうか。ただ、こちらの目ざしたブナは、いつの年もほかより発生時期が早く、今年のキノコは、しねぇ(堅い)老菌が多しで、幼菌はほんの少しだけです。その幼菌も、連日の極端な晴天で地上と空気中に水分が不足のためか、本来のサンゴ状の白い美しさはなく、幼菌なのに体も堅めです。林内にはチンダケ(チチタケ)もちらほら見えます。

過ぎ目のトビダゲですが「仏前にキノコの香りはあげられるだろう」と写真に撮り、採りを開始。なかには陽があたらないで真っ白な大株も。一本のブナの根元だけで背にいっぱいとなり、入った沢からはすぐに出て合居川の本流に引き返し、沢水で喉をうるおし休憩。

まだ時間が早く本流の水量も少ないので「この機会に」と本流の沢上りを思いつき、荷をおろして久しぶりに大谷の上流に向かいました。沢にはどの淵にもイワナの魚影が見られ、小さな淵ではつかみ捕りも簡単にできるほど。

岩手県境にかけての合居川渓谷全体は、若い頃からクマ狩りで、あるいはキノコ採りで、登山で、ブナ林の架線集材でと、何度も入ったもっともなじみの深い山と沢です。クマとの様々な巡り会いのシーン、マイタケを何度も採らせて戴いたミズナラの木々とその時の喜びのシーン、急峻な滝に阻まれてやむなく斜度のきついガケを遠巻きしたシーンなど、ここの沢入りは過ぎし日の山歩きをしのぶ歩きともなります。

沢の途中、イワナの魚影が濃く泳ぐにうってつけの淵があります。着衣を脱いでその淵にゆっくり浸かって山や谷をながめたら、暑さとともに、このところ少し溜まっていた疲れもすっかり消し飛んだ気分になりました。

谷沿いにはいつも眺めるヤマブドウの蔦があります。今年はヤマブドウの実のつきが良く、ここの蔦はいつもの年よりかなり多くの房実をつけています。

背にしてきたトビダゲは、早速煮物と一夜味噌漬けにされ、お盆を送る前の仏前に供えられました。