仙台、都内で要望活動

27日~28日、県南の市町村を主にして組織されている(一部秋田市や岩手県北上市、西和賀町、それに県南の土地改良区団体も含む)成瀬ダムや雄物川の河川改修、道路など、水と道路に関係する6つの同盟会合同の要望活動が、国交省東北地方整備局と衆参両院議員会館、自民党本部、国交省、財務省にむけて行われました。

 

 

 

 

要望初日には、県内にも大雨への警報がだされるなどで、行動が予定通りできるかも危ぶまれました。なにしろ、要望そのものが物語るように洪水被害の多発する雄物川沿いの大仙市をはじめ県南の市町村長(一部代理)、議長がすべて上京しているわけですから、雨の降りようによっては「行動のすばやい切り替え決断も必要」が念頭にあったからです。

27日午後、都内での活動中も、「雨なんとだ。何かあったらとにかく一報を、メールを」などの旨で、首長さんをはじめ一同は、地元の市町村職員や家族としょっちゅう連絡をとり合うことに。

結果として、新幹線や空の便などに一定の影響はありましたが、予想より雨も少なく大きな被害もなくて、28日の行動は「まずは一安心」の胸中で行うことができました。

さて、都内。延長された国会は27日が党首討論の当日ともなっていて、要望の際にはそれに触れられた感想言葉も議員さんからだされたりもしました。

 

 

 

 

 

今回は、県選出の金田代議士が自民党の副幹事長職に就かれているということもあってでしょう、自民党本部へも要望にうかがいました。今回に限らず様々な要望活動では与党でもある自民党本部へむかうことはよくあることですが、この日は要望行動の一行のほとんどが「入るのははじめて」という総裁応接室で金田氏と、今回の行動でご難儀をおかけした御法川代議士の両氏へ要望書が渡されました。

総裁応接室には、歴代総裁の肖像が掲示されています。それらを目にして私は、白黒写真の人々をめぐる、あるいはそれらの人々をもふくめた国政をさかのぼる与野党の政治史と権力闘争の歴史、それぞれの総裁(お二人を除いては首相でもある)が語られた時々の言葉と各氏の見識と度量のちがいなどに思いをめぐらせました。総裁応接室は、歴史の重みを感じさせてくれる貴重な一室です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の要望活動では、うかがう先方から「人数の多い要望団ですね」と少し驚かれたことも。その大人数の一同が蒸し暑い一日、約9000歩近くの動きでやや疲れた足を全員ゆっくり座って休めるほどに広い総裁応接室は、この日の私にとってほどよい休憩の一室ともなりました。

今回の行動では、いつものようにみのり川代議士と事務所のみなさんに手配やご案内で大変お世話になりました。あらためてお礼を申し上げる次第です。

小さな生きものたち

風雪害や腐食で役立たなくなったりんごの木を薪用として身内からいただいていて、それもふくめた今年の薪切り作業をきのうようやく終えました。この後にはそれらを割る作業が待っています。

 

 

 

この間たんぼの畦で見かけたカエルのたまごが入っている泡です。おそらくこの泡の主は青ガエル(生きもの大好きの孫は、シュレーゲル青ガエルだといいます)でしょう。青ガエルの仲間はよくこういう泡の中に卵が産み付けられています。モリアオガエルも、垂れ下がった木の枝にちょうどこんな泡をつくり卵を包んでいる頃かな。

私たちのまわりでは、命をつなごうとする生きものたちの動きがとても活発な季節をむかえています。すでに野の鳥たちの巣立ちも次々とはじまっていますが、地面では小さな蟻たちが巣へ食べ物を運ぼうとする共同作業がよく目につきます。

自分の何倍もある大きな獲物を遠くから時間をかけて動かしている蟻たちの姿。力の小さなもの同士が、その微力を足し合わせてひとつの目的を成し遂げようとする姿には、それが蟻たちに本来備わっている本能とはわかっていても、どこか感銘をうけるものがあります。「彼らも力をあわせてがんばっている。オレもそのようにがんばらねばな」と。

 

▼今日と明日は、道路、ダム、治水などに関わる県南6つの団体合同による要望活動が行われます。仙台の国交省東北地方整備局、衆参両議員会館、国交省、財務省などを訪れる予定です。

6月下旬は落ち着きの季節

昨日で田植えからひと月を過ぎた我が家のたんぼです。一部圃場の成長はまだかなり遅れていますが、ほかは持ち直してきたようで、これならばなんとか平年並みに育ってくれるだろうかとまずはホッとしているところです。

 早苗から成長した稲も一人前の株に近づいてきた6月下旬は、全体としてたんぼの緑が増してきて田園は落ち着いた景色となってきます。主にたんぼ仕事だけの農家にとっては、これからしばらくの間は集中した作業がないので、くらしの面でも落ち着いた気分となれるのが6月下旬です。むかしの今なら、草取りや養蚕のしごとで落ち着きの6月下旬どころか、最もきつい仕事が続く日々だったでしょうが。

平場の果樹地帯ではサクランボの主力品種「サトウニシキ」の収穫が真っ盛り。きのう身内から大粒のおいしい実をいただき、「美味い、美味い」とつい食べ過ぎてしまうほどごちそうになっています。

▼きのうは、切り残していた薪用のりんごの木の切断作業を続行。この間、チェンンソーのエンジンをうならしていての作業中、空洞となっていた材のまわりにスズメバチが10匹ほど飛んでいて、なかなかそこから離れません。

「おかしいな?」と思いながらも不気味ですので殺虫剤で退治しようと思いましたが、飛んでばかりで止まりませんからスプレーの噴射も思うようにいかず。それでも、一匹、二匹とスプレーが少し体にかかったらしく次第にハチの数は減りました。

そうしているうちに、それらの蜂より3倍ほどはあるかと見える大きなハチが木の洞の中からいきなり飛びだし、体を重そうにしながら近くのやぶの中に消えました。それは女王蜂だったのです。洞となっている木をひっくりかえしてみたら、小さな作り始めの新しい巣が洞にあり、幾匹かのハチが中にいます。

殺虫剤を噴射したので女王蜂は危険を察知して逃げ出したのでした。飛んでいた蜂たちは巣をまもる役目の蜂たちだったでしょうが、夏から秋の蜂たちよりも攻撃的ではありませんでした。あれがいつもの攻撃的な蜂でしたら、こちらは何匹もの毒針でめった刺しにされてしまうところでした。自然界、何の危険がまちうけているかわかりません。用心用心です。

仙北道のうち、初体験コースを歩く

きのう6月24日、仙北街道のうちのアドレ坂から下嵐江(おろせ・おろへ)間をはじめて歩きました。

この歩きは、村公民館と村仙北道を考える会の主催で行われた歴史の道「仙北道を歩こう」のよびかけで長年行われてきた一連の行事のひとつです。

今回のコースは、奥州市胆沢側の本来の仙北街道(旧仙台藩側)の一部です。アドレ坂から下嵐江までのその約6㌔の間は、仙北道の普段歩く行事メイン区間12㌔のコースでは歩けない行程です。秋田側も、岩手側も、12㌔コースの古道とは分けて、災害時をのぞきほぼ隔年でいわば両端となる古道も歩かれてきたようです。

こちらは、今回のコース周囲の北側山麓、つまり胆沢川の本流側クチナシ沢などからは何十年もの間、古道手前までキノコ採りや写真撮影で入山していますが、その地点区間の古道歩きの体験はなく「今年こそは」と思っていてのきのうの行事参加でした。

きのう歩いてみて、地図上で予想していた箇所に実際の古道がまちがいなく通っていることを、山の全体像からほぼ知ることができました。今度機会があって、今回のような前川筋ではなく胆沢川の本流筋からクチナシ沢などを経て入山したときは、これまでより足を延ばして尾根まで進み古道にたどりつくまで上がってみようと思いました。ただし、それは、野生キノコへの放射能汚染の安全宣言がされ「ここのキノコもだいじょうぶですよ」とされてからのことです。果たしてそれは何年先になるのでしょうか。

今回のコースは、大寒沢林道終点まで車で上がるのであれば、きのうのように散策気分で歩けるまことに軽快な道です。それでいて、古道核心部の広大なブナの原生林ほどではありませんが、ブナをはじめとする素敵な原生林の中をいっぱい歩くこともできて、楽な割には魅力の深いコースでもあります。こちらが数年前までキノコ採りと写真撮影に入った魅力あふれる林と連なりの山でしたから、「なるほど、やっぱり、道はここにあったのか」と一人合点しながらきのうは歩きました。

今回は、遠く気仙沼市からや秋田市もふくめ21人のご参加。奥州市や胆沢地方のみなさんからもご参加やお世話をしていただきました。先立ちとなって「歩こう」会(後の懇親会も)を計画された村教育委員会や会の方々も含め、みなさんご苦労様でした。ご難儀をおかけしました。

時間はすべて「およそ」ですが、6時30に集合場所のゆるるんをバスで出発。歩き開始8時10分。ちょっとした登りの連続から一部残雪も歩いてアドレ坂に8時40分着。時にタケノコを手に楽しまれる方も。ドウダン(サラサドウダン)やオゲッコツツジ(ウラジロヨウラク)などを愛でながら、道に倒れた大木の下をくぐったり、越えたりして小胡桃山着10時3分。

クマがホンノギ(ホウノキ)の皮を剥ぎ生々しい爪跡を見せるそばを通り、造林されたままのカラマツ林が目に入る中を進み、御清水場すぐ手前の見ほれるようなブナたちの根元で休憩が10時50分。記念写真を撮り、軽い食事をし、快適なお天気の下、寝転がる方もおられたりするほどに一同ゆっくりと休み11時45分に出発。そこから4分ほどで御清水場の標碑に着。

 

 

 

 

 

 

 

そこから先、登山道の主に南側には一部造林杉の林も混じります。道はその杉林を東方向にほぼ尾根に沿い8分目ほどの位置でしょうか進みます。その後にもやはり広く続く変化のあるブナの林を楽しみながら尾根の8分目ほどを歩きます。時には尾根に出たり、尾根をはさんで前川方面や胆沢川方面に出たり入ったりしながら西宮大神宮の碑などとならんで立つ野頭の標碑着2時13分。やがて右手に胆沢ダムの湛水がちらほらと視野にはいる中を進み、終着点の下嵐江には2時30分という歩きでした。晴天ながら暑くも寒くもなく、何よりもお天気に恵まれた快適な歩きでした。

植物や昆虫などに詳しい村外の方々が幾人かおられ、新しいことを知ることができて楽しい歩きでもありました。

最後の写真は帰りのバスからながめた猿岩です。ここらダム周囲は、いまから40年ほど前から私も妻も「ヤマボウシがとっても多く美しいところ」とながめてきた山。猿岩に咲くヤマボウシの花々は今が満開、とっても素敵な景色がながめられました。

帰ったら妻から「あらぁ、肌着シャツ、前後ろ逆だ」の声。なんだかおかしいとは思ったものの朝からそのままで通していたのですが、山歩き専用の肌着を反対に着て歩いた一日で、こんなこともめずらしいことです。

珍種のチョレイマイタケ

キノコの仲間のうちでもめったにお目にかかれないチョレイマイタケを、このあいだ初めて口にする機会がありました。つまり試食です。

去る10日、村内の山にわらび採りに入ったある村外の名前もわからない方が「こんなキノコがあった」と直売所に持ち込みそのまま置いていったそうです。この話題のはじまりはそこから。

ご本人も、直売所のどなたもそのキノコは、見たことも、もちろん食べたこともないキノコですから、その場面はとりあえず「ほほう、めずらしいキノコもあるもんだ」程度で終わったのでしょう。

その後、こちらなら「そのキノコのことがもしかしたらわかるだろうか?」ということででしょうか、我が家にそのキノコは持ち込まれました。

早速、こちらは蔵書のあらゆる図鑑やきのこガイドブックを開いてそのキノコとにらめっこ。しばらくの時間を要して、発生時期、発生環境、キノコの色かたち、姿から「これは、チョレイマイタケだろう?」と99㌫ほどの確かさで素人判断をしました。

判断だけでは物足りず、「この機会に食べてみれば、食べられるか、毒か、不食かわかるはず」と、こういうことではいつもためらいがちの妻に、無理矢理たのんでお吸い物をつくってもらい試食を決行してみました。

キノコの世界は奥深いですから、研究者でもない限り「食べたことのないキノコは、食べない」が一般人の鉄則。そういうこともあって、いかにも食べられそうですが、まずは用心にと、ほんの一箸を口にしましたが、それほど特徴のある味覚はなく、だいじょうぶそうだったので、とりあえず少々をいただきその日はそこで止めに。

翌日になって、内臓にも頭にもなんの変調もなく「これは、まちがいなくチョレイマイタケ」と、こんどは安心の気持ちでゆっくりといただきました。ただ、ガイド本に記されているほどおいしいキノコではなく、やや甘みはあるもののそれほど出汁もなく、マイタケに比べれば味は数段格下。味覚への反応というものは人によってあまりにも多様ですからいちがいに決めつけはできませんが、私にとってはごくありふれた味のキノコでした。漢方薬としては珍重されるきのこのようです。

思わぬチョレイマイタケとの出会い。こちらにとって勉強になったことがいちばんうれしいことで、村内では6月10日には成長したかたちのそれが発生しているということを知りました。採取されたどこかのどなたさんかは、「まだ、ほかにもあった」といわれていたそうですから、採ってきて食べてみてほしいものです。「毒見」をした本人が証明します。食べられるキノコであることはまちがいありません。

6月議会終わる

村議会6月定例会議は、きのうの本会議ですべての日程を終え、休会となりました。

提出された議案は、平成30年度一般会計補正予算案をのぞきすべて原案どおり可決されました。

平成30年度一般会計補正予算案は、一部助成金について削除の修正案が予算特別委員会に提出され、委員会は賛成多数でこの修正案を可決、本会議でも同じように委員会修正案は賛成多数で可決されました。可決された修正案部分をのぞいた原案も賛成多数で可決となりました。

議会事務局提供
議会事務局提供

議会はいったん散会となりましたが、これからは常任委員会の活動をはじめ、広報対策特別委員会と議員全体の全県研修会などが予定されています。

▼17日に須川高原地区で発生したタケノコ採り遭難は、捜索隊が出動した翌日の18日午前、ヘリコプターからの捜索により早期に無事発見救助された模様です。

遭難者は予想したようにやはり山形の男性の方二人ということで、入山箇所は例年遭難事例が多発する湯尻沢山域でのことだったようです。とにかく無事発見されてよかったです。

雪解けのおそい箇所をのぞけば、タケノコ採りはこの週末休日でほぼ終わりでしょう。役場も、警察も、消防も、捜索隊も、その分野ではやっと一息つけるでしょう。

一般質問、水稲苗の発芽不良など質される

村議会6月定例会議の一般質問がきのうおこなわれました。

質問に立ったのは、佐々木悦男議員、佐々木正利議員、佐々木修議員の3氏。

3議員は、成瀬ダム事業の本体工事着工にともない増加すると見込まれる車両に関わる交通安全対策や、春以来大きな課題とされていた水稲苗の発芽不良問題、国道397号の県境までの冬季閉鎖早期解除などを質問。そのほかもふくめ多方面にわたる議論が交わされました。

発芽不良の件については、2議員が諸々の視点、角度から質問しました。

常任委員会で審査され採択とされていた陳情3件は本会議でも可決され、午後は予算特別委員会が開かれ補正予算案が審査されました。

▼田植え(5月24日~25日)から一月近くたち、なんとか成長への勢いがつきはじめたたんぼの苗たちです。発芽不良のために、あっせん手配されたのでしょう、各地から集められたそのいわば「代替苗」は、わが家の場合は当初から根張りも極端に悪く、高冷地の環境下では「負けた」らしく、圃場の一部(2枚目の写真)ではまだ本来の緑と勢いになれない苗株も目につきます。

この間、そこへ少しの追肥を試みましたが、いまのところ所々にみられる勢いの弱い苗株は回復しそうにはありません。

無念の別れ

鈴木湯沢市長の奥様の葬儀がきのうおこなわれ会葬の席にならびました。

公務のうえでは、湯沢市長が湯沢雄勝広域市町村圏組合の管理者であり、こちらはその組合議会の副議長という関係にありますが、鈴木ご夫妻とは、若い頃に鈴木氏とわたしが横手の同じ事務所でしごとをしたという縁などもあって、現在の公務とは別に20歳代の頃からの長いおつきあいがありました。

それだけに、「洋子さん」と私らが親しく呼んでいたそのお方が、あまりにも早く67歳で生涯を閉じられたという報には、葬儀を過ぎてもまだ信じられずの心境がつづいております。

「洋子さんは心のひろい方」という旨を友人代表の方が弔辞で述べられましたが、そのとおりの方でありました。故人は100万本のバラのうたが大好きだったそうですが、生前に多くのみなさんに届けつづけた洋子さんのあの笑顔と心のこもった仁愛の言葉は、それこそ人々への慈しみにあふれた幾万本もの花にもたとえられるでしょう。

故人の生前を偲び、夫君をはじめとするご遺族皆様の心を察すれば、かける言葉がないというのが葬儀の場でも今でも率直な気持ちです。無念の思いを抱きつつ、心からの哀悼を込め、ご冥福をお祈りいたします。

突然の訃報。薪を切り、畦草を刈り、終わり初物と初物も

鈴木湯沢市長の奥様が亡くなられたとの報が突然届きました。病魔におそわれておられたことは承知していましたが、まさかこんなことになるとはと、ただただ驚いております。故人の無念とご遺族の悲しみ、心の痛みをお察しすれば言葉がありません。今はただ、ご冥福を心からお祈りし哀悼の意を表すことだけです。

▼先週は燃料用の薪5張(約5㎥)の切断を終えました。週末は今後の議会運営の段取りなどをはじめ公務に私用にと所用などをはたしながら、金、土、日と合間合間のしごとで2度目の畦の草刈りも終えました。

きのうは草刈りを終えた後、およそ1時間ほど村内のブナの森に入り、仙台から来ていた妹に「終わり初物のタケノコ鍋を」と、今シーズン最後のタケノコを背にしました。

県境の尾根のうち最も雪解けの遅い箇所は、範囲はごく狭くわずかに10㌃ほどと限られます。それでも採取はまだできるので、短時間で20㌔グラムほどは採れました。

 

シーズンはじめ、タケノコが早く出る箇所にもクマは集中しますが、遅くまで出る箇所もそれは同じでクマはわかっています。こちらの歩く先々にはクマの食べ跡があっちにもこっちにもといっぱいあります。そこの山には今はタケノコ採りはどなたもいないので、警戒度をややアップさせ、いつもより多く声を出してブナの森を歩きました。

息子の妻宅(果樹農家)からは、自家用栽培のおいしいサクランボがとどき、初物をごちそうになりました。タケノコシーズンが終わりの頃、サクランボは熟期をむかえるのですね。ここ幾日か肌寒い天気がつづき、きのうも夕方には県境の尾根にフカゲ(東からの冷たい霧)がかかってきました。

▼県内で、タケノコ採りの遭難事例が続いていて、村でもきのう須川高原地区で遭難者が出た模様の連絡が今朝早くに入りました。「朝からの捜索への出動要請」の連絡でしたが、「こういうことで今日は会葬にむかうので」と出動できない旨をお伝えしました。

きのうの県境付近はいずこも厚いガス(濃霧)でしたからきっと迷いやすかったのでしょう。幸いにも今日は濃霧が晴れそうですし天気もよさそうです。空からも地上からも捜索隊が懸命のはたらきをするでしょうから、きっと早く発見救助されると思われます。

地区からの要望箇所をみる

先に出されていた各地区からの今年度要望箇所について、村当局と議会常任委員会合同による毎年恒例の現地視察がきのうおこなわれました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要望は、道路(側溝も含む)、水路などに関する内容がやはり相対的に多くなっています。村の場合はこれまで、独自の施策もふくめかなり手厚く道路網、水路(生活用水路、農業用水路、流雪溝など)網関連の整備に力を注いできています。その内容と規模は「どこの市町村にもひけをとらない」といってよい水準とわたしはとらえております。

それでも、やはり道路と水路関連は今もって生活のカナメ。要望には新設希望もあれば様々な規模の改修・補修もありで、今後もこの2つは行政のとりくまなければならない大きな柱として続いてゆくでしょう。

要望に対する村当局の現段階での考え、答えはすでに各地区の代表へ説明されていて、議会にもその内容はしめされています。それを前提にしての現地視察後の講評では「ここの要望は急いで対応を」など、視察を踏まえた意見が議員各位から出されました。

前日に続いてきのうも寒気の流れ込みで気温は上がらず、国道の温度計は日中でも13℃のところも。私は冬構えと同じ装いで出かけましたが、いつも「暑い暑い」とよく言われて寒さに強い方々も、さすがにきのうは衣替えの季節ながら半袖の姿はありませんでした。寒すぎる6月ももう半ばです。今日からは週間予報通りあたりまえのお天気となってくれればいいのですが。

▼きのうはあの岩手宮城内陸地震から10年目の日でした。村と隣り合わせる県境すぐ近くが震源地で、村と県境をはさむ各国道がズタズタに損壊、宿泊施設をはじめとして大きな被害をうけました。あれからもう10年、道路も村内の各施設も完全復旧しましたが、観光施設への通行が長く遮断されたことなどから当時の被害は深刻なものでした。

村の場合は後に起きた東日本大震災時の揺れよりはるかに大きな地震で、あの日の朝、自宅二階にいての激しい揺れは忘れられません。隣県において亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、いまだ行方がわからないご家族がおられるみなさまの心のいたみをお察しいたします。