行者ニンニクで免疫力?をつけ

「仕事は先送りせず、やれる時に早く」という私の流儀もあって、28日、ムリして田のクロ削り(畦削り)にとりかかりました。もう少し土が乾けば作業は楽なのにです。

異常な暖冬少雪で早くに雪は消えましたが、下旬は低温と雨続きの天気でした。そのため田んぼも畦も乾きが悪く、道で行き会う農家の方々も「ゆぎ、早ぐ、けだのも、田、かわがねぇ、おがしな、年だ(雪は、早く、消えたが、田は、乾かない、おかしな、年だ)」と言います。

雪解けが早かったので、耕起作業にはもっと早くとりかかれるとみなさんも思っていたようです。でもこの調子だと、いつもの年とそんなに変わらぬ時期の田起しとなりそうです。5月はじめは雨天があまりないようですので、トラクターの総出動はその頃となるのかな。

わが田んぼも道路も雪はすっかりなくなり、土手のカダゴ(カタクリ)とチャワンバナコ(キクザキイチゲ)は花盛り終盤の時に入りました。鍬を持っての畦削りは腰が痛むので、時々腰を伸ばして一休み、花見をしながらの作業です。小花たちの咲き競演はもう今日あたりでおしまいでしょう。

久しぶりに鍬を持った手には血豆ができていました。血豆ができるほどの仕事をすることはそうはなくなったからでしょう、手も柔くなったものです。手のひらを見たら、血豆を通り越してタコが出来ていた当時の昔の農作業時を思い出しました。

ここは集落の中でも吹きだまりの雪が多いところで雪消えが遅く、土手のゼンマイもようやく顔を出し始め、転作田に栽培するワラビの間に植えていた行者ニンニクもやっと食べ頃です。妻は「これとキノゴ(エノキタケ)を食べて免疫力?をつけ元気に」と早速食卓へ。

行者ニンニクの香り、というより臭いはかなり強烈。私は風邪ウィルスの予防では体に元気をつけるために蜂蜜とニンニクをよく利用します。科学的な根拠とかはわかりませんが、それと同じで確かにこの行者ニンニクも体の元気の素とはなるように思います。今の季節限定の山菜ですが、ウィルスなどに負けない丈夫な体を保つためにもおおいに利用したいと思える山菜です。

早春に猛毒キノコもお出まし

過ぎた週末から休日にかけては、新型コロナ禍による休校などもあり訪れていた童たちと過ごす時が多くなりました。

日曜日には「もしかしたら畦削りができるかも」と田んぼへ。こちらが作業をしている間に、童たちには圃場に接する水路で生きもの捕りをさせようとその準備もしてです。

やっぱり畦は濡れすぎていて土削り作業はムリ。童たちの生きもの探しではそんなことはおかまいなしですから彼らは捕りに夢中。

水路の泥の中には冬ごもりをしたたくさんのドジョウが隠れていますし、イモリやタニシもいっぱい。陽射しがあるかと思えばたちまちのうちに降雨と、変化の激しいお天気で長居はできませんでしたが、わずかの時間ながら童たちは生きもの捕りに満足したようです。

ほかにも河川敷に出かけて笹子(ネマガリタケの細い竹の子)やコゴミ、生長して少しトッコ(茎)を見せ始めたアザミ、ワサビ、そして童が採りを好むユギノシタキノゴ(エノキタケ)に向かい「キノコさんキノコさん、出ておいで」などといいながらキノコ探しも。

▼ところで今回のキノコ探しでは猛毒キノコ(最後の写真)とも出会いました。そのキノコの名はニガクリタケ。県内でも中毒死例がいくつかあります。東北では過去に一家6人が食べ、うち子ども4人が亡くなるという悲惨な事故例も伝えられる猛毒キノコです。

このキノコ、ほぼ一年中発生するようで、豪雪の土地では春から晩秋、初冬まで見られます。秋から初冬にかけてはごく普通に目に入るキノコで、ちょうどサモダシ(ナラタケ、)やヤマドリモダシ(クリタケ)、ナメラコ(ナメコ)、ユギノシタキノゴ(エノキタケ)などと発生時期が重なり、発生場所もほぼ同じ、場所と種類によっては同じ木に発生していることも時々あります。そういうこともあって注意がとても必要な猛毒キノコです。

しかしこの猛毒キノコ、「春に出る」といっても、早春の4月に見かけたことがこちらにはありませんでした。それが、こうして顔を出しているのです。確認のために少量を口に含み噛んでみたら、名の通りで苦みがジワーと口中に広がりました。まさにニガクリタケです。前述のように最も多くの方々に採られる食用キノコたちと間違われたり、混じったりして採られることがあり得ますから、ほんとに要注意です。

とりわけ初冬と早春は、ユギノシタキノゴ(エノキタケ)の幼菌と間違いやすく、二つのキノコの鑑定に絶対の自信がなければ、ユギノシタキノゴ採りは避けたほうがよいでしょう。相手はこんなに小さき姿ながら、人の命を奪える猛毒をもっているのですから。村であまりユギノシタキノゴを採らないのは、長いキノコ食の歴史のなかで、そういう毒種への警戒感があるからなのかもしれません。

村のホテル(三セク)も臨時休業

例年より早く、須川温泉に向かう国道342号の冬季閉鎖が24日に解除されました。(しばらくの間、夜間は通行止)

しかし、道路は順調に早く通れるようになったものの、冬期休業のホテル栗駒山荘は新型コロナウィルス禍による自粛要請で来月6日までオープンは当座見送り。宴会をのぞき営業中だったホテルブランもやはり6日まですべて休業となりました。

栗駒国定公園圏内に隣接する秋田県南の市町村と通ずる岩手の奥州、一関、西和賀や、宮城の栗原、大崎、それに世界遺産平泉とも近くに接し、342号とともに周遊観光カナメ路線のひとつ国道397号も、岩手県側の橋梁工事のため6月下旬まで全面通行止め。雪が少ない年でこちらも早く通れるはずだったのになんとも残念なことが重なります。

前述の村の三セクホテルは、ゴールデンウィークなのですでに宿泊予約も入っていたようですが、お客さんにはお断りの旨の連絡が急きょなされたようです。

ゴールデンウィークに大都市圏からの人の入りが多くなることはコロナ禍でもとっくに予想されたこと。観光目的での国民への移動自粛要請と同時に、それに並行して観光客を受け入れる側に対してももっと前に休業補償とセットで全国的な「自粛の要請」がなされていれば、こういうことへの事前の理解が深まり予約も控えられたでしょう。観光目的の動きへの的確で素早い対策、これも我々からみれば国の対応は遅いととらえざるをえません。

繰り返しますが、営業に関する「自粛要請」なので休業補償とセットでなければ経営側には説得力に欠けるものとなります。それへの要望は日増しに強くなり、雇用調整助成金などで制度の拡充方針をきのう国は示しましたが踏み込みは遅く、「持続化給付金」案の対象の不十分さの見直しや「経営に要する固定費全額の補償を」という切実な声は大きくなるばかりです。そうしている間に感染の範囲はどんどん広がってきました。医療や予防衛生体制のみならず、後手と思われる策がこうした面でも続きます。

補正予算待ちだとコロナ対策が遅れることは我々ですら懸念していたこと。補正待ちではなく国の新年度当初予算にこうした対策費が盛り込まれていればもっと素早い対策が打てたはずです。こういう面でも、国政全体の危機管理への在り方が問われているように思われます。

▼晴天が続けば畦削り作業に入る予定の土、日曜日でしたが、変化の激しい時々の降雨で畦の土が濡れ作業は無理となりました。

そのちょうど週末に、注文していた5立方㍍のナラの薪材が運び込まれましたので、時々小雨の中ながら薪切り作業にとりかかりです。これには休校中の童も「体を動かす」と手伝い。身内のりんご農家からは、剪定作業後の廃材も薪用としていただき運び入れました。

童たちは気分転換に成瀬川での石投げに興じ、そのついでに川原に落ちているプラスチック類ヤビニルなどのゴミ拾いでも体を動かしました。先日、集落こぞって大掃除をした公園にも、もうビールの新しい空き缶が二つ投げられています。たばこの吸い殻も相変わらず見られました。公園なのにこうして堂々と不法投棄です。

先日のクリーンアップ活動でも道路沿いや小河川沿いなどで多くのゴミが拾い集められました。ゴミについてはよく「ポイ捨て」などという言葉が使われます。「ポイ」も「捨て」も語感の上ではさも軽い行為のようにとらえがちです。しかしそれは「不法行為・犯罪」なのだということを社会全体にもっと深く浸透させる必要があるでしょう。

こうした行為をなくすには、まず家庭での子ども達への「教え」が第一。さらに小、中、高校でのゴミについての「教え」「公衆道徳」の徹底にももっとつとめていただかねばと、山、川、海のゴミを見る度に思います。

おかしなムジナ(タヌキ)

先週、所用果たしで村内を回っていた時のこと。

手倉真戸地区の村道で車を走らせていると、真っ昼間、舗装道路の上をトコトコとこちらに向かい歩いてくる生きものがいます。はじめ「ネコかな」と思いましたが、だんだん近づいたら、それはネコではなくムジナ(タヌキ)。

車を止めて眺めていたら、こちらなどまったく無視、どんどんそばに寄って来ます。それで「オッ」と声をかけたら初めて彼は立ち止まりました。

よく見たら、秋のあの丸々と肥え太ったムジナとは大違い。ぎすぎすと痩せ過ぎていて、冬毛から夏毛に変わる時期ですから毛が抜けているのはわかりますが、それにしてもほんとにみすぼらしい姿です。

やがてそんなに急ぐこともなく彼は山の藪に姿を隠しましたが、こんなに痩せて勢いのないムジナを見たのは初めて。病気なのかな?それともこの歩き格好はよくあるムジナの擬死と似たようないわば彼のお芝居で「ムジナ特有の生きる術なのかな?」などとも思ったりした、おどけたようなムジナとの出会いでした。

新型コロナウィルス関連で全員協議会

村議会全員協議会がきのう開かれました。新型コロナウィルス感染症に村が対応してきた状況や今後の方針などについて説明をうける目的での会議です。

この感染症対応では、村はまず災害対策部を今年2月27日に設置。4月1日にはそのまま災害対策本部へ移行。同8日午前9時、今度は国の対応をふまえ法に基づく「東成瀬村新型コロナウィルス感染症対策本部」が設置され、この日まで4回にわたる対策本部会議が開かれています。広範にわたる危機管理課題なのでその担当部門は総務課となっています。この日の説明には、個別分野として村有観光施設の指定管理者である秋田栗駒リゾート(株)からも出席していただき、栗駒山荘やホテルブランの営業動向も聞きました。

説明を受け一定の質疑や意見などが議員各位から出されました。いずれこの感染症は村政のあらゆる部門に影響する大きな対応課題であり、今後も状況をみて随時、議会としての提言も視野に置いた活動がすすめられます。

▼おととい、所用で横手と湯沢に向かいました。途中、県内でも有数の観桜公園とされる増田の真人公園と湯沢市の前森公園そばの道路を通りました。

どちらの公園も今年は小鳥ウソの食害がほとんどなかったらしく花の着きは見事。暖冬で例年よりかなり早く桜がほぼ満開のように見られましたが、人の姿は少なし。公園入り口には新型コロナ禍を理由に「花見宴会」のお断り書きがどちらにも掲げられていました。

公園の長い歴史のなかでもこういうことはあまりなかったことなのでしょう。花の咲きそろいが見事な年だけに、全国、東北、県内と、観桜行事にいろいろと関わるみなさんの無念がよけい強く感じられました。

▼村の育苗センター(JAこまちに指定管理)でつくられた緑化苗が各農業法人や個々の農家の育苗ハウスへ移される作業が始まりました。個々の家々での種まきも村内あちこちで見られるようになっています。

新型コロナウィルス禍で社会は春のはじめから大きな痛手をうけています。それだけに、こういう時だからこそ「なんとか、今年の田んぼは、良い作でありますように」との思いが、いつもの年より強く苗に、そしてこの苗を育ててくれるお天気にこめられるような気がします。まずは5月末の田植えまで苗が順調に育ち、田んぼに移植されてからも豊かな稔りの秋となることを願いたいものです。

野はみんな新鮮、いきいきの季節へ

これまでもお伝えしているように、まだ藪とならない春の河川敷では、平坦な川原を散策しながらの山菜やキノコ採りができます。歩きついでながら先日採ったユギノシタキノゴ(エノキタケ)は10㌔ほど。このキノコ、ここでは春の発生量は初冬より少ないですが、それでもこれだけ収穫できるのですから充分です。これでまたおいしいキノコがしばらくの間ごちそうになれます。

ユギノシタキノゴはもちろんですが、雪解けの早い水辺や日向ではコゴミもいよいよ最盛期、ワサビも蕾がいっぱいとなり、花が開いた所も見られはじめました。

我が家前でもようやくニリンソウが咲き始め、甘くてとろりサクサク食感のカンゾウ(ヤブカンゾウ)も食べ頃。クレソンやノゼリも勢いよくどんどん草丈を伸ばし、いよいよ旬入りです。

河川敷ではイワダラ(ヤマブキショウマ)やササゴ(笹子・ネマガリタケのうち細いタケノコ)も顔を出し始め、ヒラタケも見られます。友人からは「まだアエコ(ミヤマイラクサ)は食べていないだろう」と初モノもいただき、食卓はいろんな山菜やキノコでにぎやかになり始めました。

新型コロナウィルス禍で社会には重く沈んだ雰囲気が漂っています。本来なら職場も学校も新たなスタート、新たなメンバー、新入生が加わり、新鮮、躍動感あふれる季節の頃なのにです。体験したことのないこの大きな病禍は長期にわたる可能性もいわれますが、力を合わせてこの苦難に耐えなければなりません。こういうときなので、山村暮らしの特徴をありったけ活かしたいもの。よく体を動かし、コロナウィルスに関係のない山菜やキノコたちからも新鮮いきいきの活力をいただいて、病への抵抗力を高めたいと思います。

▼平良集落北の日向でヤマザクラが満開に近くなり、おととい役場前のソメイヨシノも開花し始めていました。その頃になれば人里近くの湿地ではミズバショウも真っ白な苞(ほう)をすべて広げ開花しはじめます。

岩手との県境となる村の名峰・東山は、里山の雪解けが終わるにつれ残雪の山姿がひときわ麗しく見えます。それは、岩井川、肴沢、蛭川からのぞむ県境の三界山も同じです。隣接の自治体から村の学校や保育園に通う先生方も、晴天の日の朝には真白き焼石連峰のくっきり山容を目にしているでしょう。

実は今年、東山近くの柏峠や小出川上流、そして笹森山へ。あるいは土倉沢から蟻巣山経由で三界山へ上り合居川カッチ(最上流部)を巻いて沼又沢へ下りる。以上2コースどちらかの残雪上春山行を計画していました。

しかし、残雪の締まりがあまりよくないようなので雪上歩きは今のところあきらめました。そうしているうちに雪も所々消えてしまい雪上歩きはなおのこと難儀になるでしょう。逆に雪解けが早いようですので、登山道をたどってリュウキンカとミズバショウが盛りの頃の春山に今年は早めに向かってみようと思います。

▼きのうは、羽後町議会の阿部養助議長、後藤忠保副議長、小沼美奈子事務局長の各位がお見えになりました。この3月に改選されたばかりの羽後町議会。先の臨時議会で新たな議会人事が決まったことによるあいさつでのご来庁です。佐々木副議長にも同席いただき、互いが関係する今後の活動の打ち合わせも含め懇談しました。

平成の市町村合併の際、湯沢雄勝管内旧6市町村のなかで羽後町は我が村より一足早く単独町の方針を決め、ともに合併せずに自立で歩んできたところ。諸施策や議会活動などで刺激を受けとても学ぶところの多い町です。前職の藤原議長さんと和泉副議長さんのご尽力とご厚誼に感謝を申し上げながら、新しい議長、副議長さんとも、これまでと同じようによく連携して学びながら歩みたいと思います。

暖冬を経ての生きもの考

過ぎた週末17日の午後、県境近くまで上がり鳥海山を遠望しつつ深山の残雪風景を少しの時間目にしてきました。この日は、新型コロナウィルス禍、再度休校となった童といっしょです。山に向かった目的は、残雪の自然を歩くことと森の生きものたちの観察です。運がよければ「冬眠明けのクマ、それにクマタカを見られるかも」というわくわく感をもちながら双眼鏡持参で向かいました。

できれば県境の北尾根まで上がり、その尾根を北に少し進み南本内川やその支流のヒヅヅ(羊・ツルクラ沢)のカッチ(最上流部)、山内・黒沢分水嶺方面の三森山近くまで足を伸ばす予定でした。が、車から下りて雪上を歩き始めたら、足が20㌢ほど雪に沈みます。

たとえ午後からとはいえ、晴天の堅雪の季節にこれだけ雪に足が沈むのは意外なこと。「この雪のぬかり具合では、雪山歩き初の童を連れて県境までは上がれない」とすぐさま雪上歩きは断念しました。積雪量が少なく、暖冬だったためか、シラパデ(締まった堅い雪の層)が少ないためか、雪の締まりが今年はどうも緩いのです。

歩き始めたすぐの雪上にはカモシカらしき古き足跡があります。すでに爪の痕がはっきりしないようなクマの足跡らしきものもあります。2~3日前ほどに歩いた痕でしょう。足跡からしてかなりの大グマらしく、それは南本内側か三又・黒沢方面から来て合居川方面に向かったように見えます。足跡が古いし雪に足が沈むし童もいっしょなので追跡は止めました。

県境近くまで上がったついでに、集落の狩人たちが昔からクマ狩りのクラ(崖)として通い続けた「ブサ穴」を前にして「あの崖の松の木が二本並んでいる右手(東側)に、ブサ穴というクマの冬眠岩穴があるんだよ」などと教えながら、童に双眼鏡で崖をのぞかせました。この穴で冬眠したクマだけでなく、ここら一帯の崖は日向で雪解けが早く食べ物が早く見つけられるためか、通りすがりのクマたちがよく見かけられるのです。

もう4月も半ばを過ぎ、例年この時期になればクマの春山有害駆除が始まる頃。でも今年は里山ではあまりに雪解けが早く山が「黒く」なってしまい(雪が消えた山を村の狩人は、黒くなったという)、クマの姿は林や藪で確認がむずかしくなってしまいもうほとんど無理。

残雪がある山もこのとおりで雪に足が沈みますから、雪の堅い朝は歩きやすいが帰りにこれだけ足がぬかったらカンジキがないと、やはりこれではクマ狩りに必定の遠出も無理でしょう。つまり、今年の春は、有害駆除でのクマ狩りはどっちでもなかなか気が進まないということがあるのかもしれません。雪上の山ではこれからが春熊駆除の最盛期となるのですが、雪の締まりがよくないのに加え、もうブナ芽吹きの嶺走りが始まっています。葉っぱが萌えれば視界が遮られます。こういう狩る側の悪条件が重なっている今年は、おそらく、例年に比べ春に捕獲されるクマはかなり少なくなるのではと推測されます。

暖冬少雪の今年は、クマの捕獲数減が推測されるだけではありません。それに加えて、県南や県内に急速に増え始めたとされるニホンジカやイノシシも、冬の間の捕獲はおそらく雪が少なく藪が多くて県内ではそれほどの成果はなかったと思われます。雪が少ないために彼らの多くは、普段は活動しにくい豪雪の土地でも多くがそのまま生き残り、今年はいっきに繁殖数を増やす可能性が大と推測されます。クマもイノシシもシカも、異常な暖冬を経た今年はこのように生息数増が推測され、被害増加の可能性を私は心配しています。

集落総出の春作業

きのうは集落総出の春作業。各施設の冬囲いを解したり、国道沿いや成瀬川河川敷、支流の沢にあるゴミを拾い集めたり、幹線用水路(遠藤堰)の泥上げ作業にと、今年最初の共同作業です。

公園のブナの木が若緑の新芽を見せ始めていて、公園、周囲の河川敷や田んぼ、里山にも雪だまりをのぞけば通常の積雪は無きに近し。4月の第三日曜日でこんなに早く雪がなくなり公園のブナが萌え始めたのはこれまでなかったことでしょう。この日は地元部落の総会もあり、村内各集落でも今年度の事業がいよいよスタートです。

▼焼石連峰のひとつ三界山の残雪の白さがひときわ映え、河川敷の柳もいっそう緑を増した晴天の週末。田んぼ25㌃ほどに転作栽培しているワラビ畑への施肥と、畑に生えた樹木や雑草の取り除きに動きました。

以前は田んぼであったものの、ワラビ栽培をはじめればそこはもう原野と同じ。それもそのはず、田んぼ開墾の前のそこは正真正銘の原野、藪だったのですから。

ワラビも決して繁殖力の弱い植物ではないのですが、動物や人間社会と同じでどんな世界・分野にも「上には上」があるもの。植物の世界もそれは同じです。放っておけばワラビ園に増え始める最強の野草軍団は茅(ススキ)、ヨモギ、ホギ(フキ)。樹木では、柳、各種バラ類、ナラ、ヤマグリ(シバグリ)、フジ、クゾ(クズ)、ほかに名前のわからぬいろんな低木類がたちまちのうちに根を張り芽を出します。

人の手が加わらず5年も経てばそこはまた藪、10年も経てば林になってしまうでしょう。減反政策にはじまり、生産者米価の大幅下落とあわせてそういう「元は田んぼ」であった土地の藪化と若齢林化がいっきょに進みました。田んぼがこれほどまでに荒れた様子など、30年ほど前には考えられなかったことです。

さて、草木を除かずにそのままにしていたら、やがてススキや樹木は手で引き抜くのは無理となり、ノコや刃物で切断するしかありません。いちばん望ましいのは、ワラビが倒れた後に毎年火を入れ、昔の入会林野の「茅野」のように焼ければいいのですが、今の時代、火災の危険や法などの制約もあるらしく通常一般個人ではそれはなかなか覚悟のいること。そういうことで、毎年増え続ける木と草をこつこつと取り除いているわけです。

▼その作業を終えたら、先日ご紹介したチヂザグラ(イワウチワ)の小さな花園を「今度は満開になった頃」とまた見学に向かいました。途中のあちこちではショウジョウバカマが花盛りとなっていました。この季節、低木で花らしくない花をつけて目につくのはマメボッチ(キブシ)。低木類のなかでは、多様性の象徴ともいえるような花形です。何しろこれが花ですからね。

田んぼに向かう道路の雪も、今年は除雪機械を動かすことなく先週末までに解け終わり車が通れるようになりました。雪解けの遅かったそこの土手にはチャワンバナコ(キクザキイチゲ)がいま真っ盛り。次いでカダゴ(カタクリ)が蕾を開く寸前まで生長していました。もう少し経ったら、これら小花たちの咲き競いをながめながらの畦削り、そして耕起作業へと入ります。

田んぼ用水路の上には、雪崩落ちた雪だまりがまだ残っています。雪解けが遅いそこら一帯にはまだ採り頃のみずみずしいバッケ(フキノトウ)がいっぱい。妻は「バッケ味噌をつくって保存する」と、品定めをしながらそれらのなんぼかを摘み取りです。

春一番のワゲ(ヒラタケ)は肉厚美味

成瀬川が洪水の度に、ブナやミズナラをはじめ大小の枯れ木が流れ着く我が家前の河川敷。
まだ木々の芽吹きが少なく藪のないこの季節、川や湧水を眺めながら歩けるそこは、草木の葉がなくなる晩秋や冬と同じように私の絶好の散策コースです。

散策していて目に入ったのは、倒れた柳や洪水で流れ着いた枯れ木に出ているワゲ(ヒラタケ)。春最初のきのこは同じワゲでも肉厚で味も一等級。本格的に発生し始めたコゴミやカンゾウのそばにワゲはいいかたちで顔を出していました。

ワゲはユギノシタキノゴ(エノキタケ)といっしょにして味噌汁に入れたら、とっても濃い旨味が楽しめました。コゴミは味噌汁をはじめいろんな調理で毎日いただき、カンゾウの仲間も、ユリ科の山菜特有のとろりとした甘みを楽しみながらごちそうになっています。

▼今の季節になると集落の家々ではじまるのが自家用の味噌仕込み。我が家でも先日、国内産の大豆と自家産のお米でつくってもらった麹でたっぷりの仕込みを行いました。この味噌は、じっくりと発酵させてほぼ1年後に蓋が開けられます。

▼雪解け水が入ってまだ冷たい我が家のエド(池)の水ですが、渓流釣りの頃になれば池の鯉たちも隠れ家から出るようになりました。

この冬も、鯉はテンやイタチたちにいくらかは襲われたでしょうが、池の主の大鯉はまだ健在のようです。きのこ、山菜、花、そして渓流のイワナや池の鯉と、春を感ずる生物たちのうごきがどんどん広がっています。

イワナ釣り目につく季節

4月1日から渓流釣りが解禁され、成瀬川や各支流に太公望の姿がよく見られます。

村内のSさんも漁協組合員でイワナ釣りの名手。先日我が家の前で行き会ったら「ほらっ」と釣り上げたいい形のイワナを見せてくれました。Sさんは「オレは、雪解け時のイワナ釣りは、本流よりも支流がいい」という旨を語りました。そういえば、春は、本流よりも支流に釣り人の姿が多いようです。

こちらも古くからの漁協組合員ですが、釣りに行くことは今はほとんど無し。ただ、子どもの時にはよく釣りをしたもので、雪解けの今は、釣りの技の上手下手にほとんど関係なくイワナがよく釣れたもの。エサは、堆肥を積んであった「こえづか」から肥の中に棲んでいるシマミミズ。それをつかまえて家周りの沢の淵で釣り糸を垂れました。

雪解け時のイワナはおなかを空かせているからでしょう、次から次へとごく簡単に大きなイワナが釣れたものです。初心者が釣りのおもしろみを味わいたければ、雪解け時のイワナ釣りは最適といえます。とにかく、技にあまり関係なくよく釣れますから。ただし、釣り達人のSさんはこんな話とはまた別の次元の釣りをされる方ですからね。

▼彼ら渓流釣りの太公望が入る支流の沢は、里山では雪がほとんど無くなり上流でも残雪が少なくなっていますが、例年ならまだまわりは真っ白な頃です。

そんな沢を歩いて私の目にとまるのは、雪崩の急斜面で生長をつづけるモミジ類たちです。重い雪に押さえつけられながらも自身の体をしならせ雪の重みと雪崩に耐えるモミジ。

雪国の木々はおしなべてこうしたしなり強さを特徴としています。それは樹木のみにあらず、豪雪に耐える動物たちにもいえることでしょう。私は、生きるためのしなり強さを木々や生きものたちからも学びます。

▼新型コロナ禍、おととい湯沢雄勝保健所管内で初の陽性患者さんが出たため、村の小中学校も今日からまた休校という判断がきのうされました。

なんぼ外出を自粛といっても3~4月は、就職、進学、異動などをふくめ人の往来がどうしても避けられないことがあったと思われます。その他の経路もふくめ管内には別の媒体路でも新型コロナウィルスが入りこんでいるという前提で基本となる予防策につとめることが必要なのでしょう。ウィルスはすぐそば、誰でも感染する可能性はあるということで。

庁舎・職場内、会議、家庭と、これまで以上にマスク、消毒、手洗い、うがいの徹底につとめなければと思います。とくに手からの接触感染防止が大事のようですので、手すりやドアなどの消毒にもいっそう心がけたいものです。手袋も有効だが、マスクとともにそれも品不足とか。あれも不足これも不足、その主要因は政治、なんとも情けないものです。