警察署開所式、サライダ市訪問団と交流の夕べ

老朽化した庁舎をまったく新しく建て替えた横手警察署。その竣工を経てきのうは業務の開所式。署管轄内の横手市とわが村へそのお祝い式典のご案内があり、村長とともに出席しました。

わが村は、県地域振興局のくくりも広域行政も、湯沢市雄勝郡管内ということで行政が運営されています。しかし、警察署は湯沢署管轄ではなく昔から平鹿郡の増田警察署で、増田警察署が横手署に統合され幹部交番となってからも、旧稲川町は増田署から湯沢署管轄へと変わりましたが、わが村だけは横手署管轄ということになっています。

村は電話番号の市外局番くくりも、横手平鹿の0182番からはじまります。くらしと経済のエリアも増田、十文字など平鹿方面とのつながりもやはり昔から濃く、湯沢圏域と横手圏域2つとの縁が同じようにあるという固有の地勢的条件にある村です。

地縁、血縁関係も、増田をはじめ、十文字、平鹿醍醐地区とも絆が深く、横手市山内(旧山内村)の三又集落などは、村のわが岩井川集落に構える龍泉寺の檀家さんが集落の半数近くにのぼるといわれてきました。当然、双方集落家々間の血縁も代々重ねて築かれてきました。龍泉寺の檀家さんは横手市増田の旧西成瀬地区湯ノ沢にも多く、湯ノ沢は、わが村田子内に構える永伝寺の檀家さんはもっと多いでしょう。上吉野地区にも永伝寺の檀家さんが一定数おられます。村の2つのお寺も横手・平鹿との縁が濃いのです。

あれやこれやで、雄勝郡でありながら横手平鹿地方との縁もこのような村ですので、横手警察署管轄に何の不自然さも村は感じていません。むしろ、横手、湯沢、二市とこういうかたちで関係を結べることは、村のひとつの強みといえるかもしれません。

▼きのう夜は、27日夜から31日朝までの日程で村を訪問いただいている米国コロラド州サライダ市のみなさんとの交流会へ。サライダ市からの訪問団は副市長のシェリル・リー・ブラウンさんをはじめ6名。それに関係された合気道日本館の本間さんご夫妻もいっしょに来村され、ご一行8名のみなさんと楽しく意義ある夕べを過ごしました。

わが村から一昨年サライダ市を訪問したことを縁に、サライダ市とわが村が姉妹都市関係を結ぶ方向で先方は考えておられるようで、そういう趣旨をあらわした議会の決議文が交流会で紹介されました。

世界の人々はみな兄弟姉妹、宇宙船地球号の同じ一員で共に今の時代を生きている者同士。そういう「共・友」という相通ずる思いを大切にし、いっそうの交流が深まることに願いを込め、初めて「通訳をしていただきながら」の乾杯のご挨拶発声に立ちました。

全国の町村議会議長・副議長研修会

28日~29にかけては都内にいました。全国町村議会の議長・副議長研修会が東京国際フォーラムで開催されていての滞在です。

会議の内容はパンフレットの写真のとおりです。報告や発言をしていただいた議会のみなさんの真剣なとりくみ、講師の方々が紹介される具体事例は様々な面で参考になります。

自治体それぞれのおかれる条件はみな違います。「自分たちの村には何がもっと必要か。何が可能か。何が不足しているか」それをよく考え行動するのが「自治」のカナメとなります。学んだなかで活かせる事例はジワリジワリと活かしたいと思います。

28日は、トランプ米国大統領が訪日(天皇陛下即位後最初の国賓)最終日滞在中、それに大阪でのG20が控えているということもあってでしょうか、都内では、駅の中の人の動きがいつもと少しちがい、通勤時間帯でないのに電車を利用する人々が普段より多いと感じました。また駅ホームのごみ捨て場所もきれいに片付けられていました。

豪雪の土地の証は今の季節の残雪の多さでわかります。ちょうど鳥海山の西側山麓に残雪が多いのと同じで、新幹線の車窓から栗駒連山、焼石連峰を岩手側から眺めると、その残雪(写真)も今年は特段に多いように見受けられます。

タケノコの発生遅れる

「山に雪が多い」と何度も記してきたこの春。春先の低温は山菜の発生を全体として遅れさせているようで、タケノコもいつもの年より深山での芽出しは遅いようです。

田植え後にはいつも向かう山に入ってみましたが、発生の早い箇所でもまだ地面から顔を出したばかりの小さな芽が多く、採れるのは限られた狭い範囲だけ。多くの方々でにぎわう広い範囲のチシマザサ群生地には、まだタケノコの姿がほとんど見えません。

こちらは冬や残雪の山歩きで雪の早く消える箇所をわかっているので、山をあっちに歩きこっちに歩きと渡りながら必要な量は今でも採れます。が、どなたでも楽に採れるシーズン盛りはもう少し先のようです。それに今年はカラカラ晴天が続いていて「雨後のタケノコ」のようなお天気の加勢もありませんから、なおさらです。

タケノコ山はすべてブナの群生地。朽ち枯れたブナには、最高品質のワゲ(ヒラタケ)が出ています。早速、味噌汁の具でおいしい出汁味をいただきました。宝塚音楽学校の象徴として唄われる「すみれの花咲く頃」のスミレはどんな種なのでしょうか。ブナの樹下では、そのスミレ花とカタバミ(コミヤマカタバミ?)の花が真っ盛りです。

真夏日のような暑さで田植え

23日は管内道路関係4つの期成同盟会の総会で湯沢市へ。

24日は予定通りに田植え。暑い日がずっと続いていて、村の週末と土曜日曜に集中した田植えは30度前後の夏日、真夏日の下での作業となりました。おかげで早苗の活着はすこぶるよさそうです。その一方、畑の作物は水ほしさで管理が大変の様子です。

田植えを終えた日、妻はいつものように神棚に御神酒を献げ、仕事への感謝と豊作を祈りました。

代掻き、そして田植えの時期となったら、成瀬川の流れはまた少し水位が下がり落ち着いてきました。雪解け水が少なくなったことと、たんぼに水が引かれ溜められるからでしょう。

「たんぼはダムの役割を果たす」といわれます。その意味が、田植え時期の川と田んぼをみればほんとうによくわかります。

晴天に似合うのは我が家のレンゲツツジとシバザクラ。それに野に真っ盛りのフジの花。わが集落で白花を咲かせる野生のフジも今年は花をたくさんつけました。季節の変化はまことに早し。わずか一月で外の景色をあっという間に落ち着いた緑に塗り替えてしまいました。

田んぼ作業の合間に妻は、25㌃ほどに植えているワラビ採りも。時間がなかなかとれなくてワラビの成長速度に「採り」が追いつけないようです。

シロヤシオツツジをながめに須川高原へ(その2)

ツツジ観賞に時間を要しなかったので、その分をほかの高原歩きに向けました。

今年は残雪が多いので、吹きだまりの稜線なら雪を渡ってまだかなり遠くまで歩けます。稜線でなくても雪の多い箇所が多く、カッコーの鳴き声を時々耳にしつつ、雪上に芽吹いたブナの若葉を眺めながらの散策です。体と心がみんな洗われるような清々しさにひたれるひとときでした。

ミズバショウ、タムシバ、ショウジョウバカマ、イワナシ、タカネザクラ、ムラサキヤシオツツジなど、高原には春一番の花たちがほかにもいっぱいです。

昨秋に実ったブナの実の殻が冬から春にかけて雪上に落ち、全体としては実が不作の年でも「これは実をつけた木だったんだ」ということを知ることができます。

▼23日は、山形と結ぶ高規格道路の整備や、国道108号、398号、西栗駒縦断道路(わが村の仁郷大湯線も含む)など4つの道路関係整備促進団体の総会へ。

シロヤシオツツジをながめに須川高原へ(その1)

妻と二人の時間がとれたので、きのうはシロヤシオツツジをながめに向かいました。行き先は須川高原。

昨年の記録をみたら、ちょうど同じ22日にやはりツツジ観賞に向かっています。

ゴヨウツツジとも呼ばれるこのシロヤシオ。奥羽山脈の自生地北限は焼石山麓(岩手側)といわれますが、大群生となれば奥羽山脈の北限はおそらく須川高原(岩手側)でしょう。同じ山脈なのに、山の東西で異なる植生がいくつかあります。シロヤシオツツジもそのひとつ。緯度がほとんど同じでも、日本海側の村の山麓ではこのツツジを私は見たことがありません。

同じ須川高原の豪雪の山に分布する樹木ですが、土か風か何かの条件が、植生の適地を決めるカギとなっているのでしょう。どうして栗駒山系でも焼石山系でも、秋田側には自生しなかったのか、私にとっては不思議さを思わせられる植物です。

さて花観賞です。国定公園地域の高原の国道沿いも、ブナの林内も、遠くの山々も、「この時期に、こんなに雪が多く残っているのは久しぶりのこと」と思うほど。今年の雪解けの遅さはこでもはっきりとわかります。

目当てのシロヤシオツツジは、花そのものは真っ盛りというところ。でも、花芽の着きは昨年より格段に少なかったらしく、木が大きいだけに花数が少なく、なんだか寂しげです。

このツツジは、年によって咲く花数が極端にちがうので、現地にゆくまで「今年は、どうかな」と期待を抱きながらいつも向かいます。昨年、久しぶりにすばらしい花姿を見せていただいたので、それが記憶に濃く刻まれ過ぎていてか、今年は「ちょっと、残念」が正直な気持ち。

それでも、なんとか花を拝めたし、残雪の多い中で芽吹いたブナの若葉や遠くに焼石連峰をのぞめました。チドリ花(ノビネチドリ?)、ネズモヂ(アカミノイヌツゲ?)の赤い実、残雪に押さえられながら花咲くマンサク、ムラサキヤシオツツジやタムシバ、ミズバショウもたっぷりと観賞でき、満足の高原行きでした。

久しぶりの雨天で代掻き

20日は県町村議会議長会の新旧正副会長による事務引き継ぎ。合わせて県と県議会、市議会議長会の事務局などへご挨拶にあがりました。

本降りの雨の中、きのうは一日いっぱい代掻き。田植え前の仕事としては、これが仕上げの作業となります。

我が家の田植え予定は24~25日。予報は連日の晴れマークをつけましたから、今年は快適なお天気の下での田植えとなりそうです。

日本固有種の名花トガクシショウマ

深山の雪解けが、ここ数年では例がなかったと思うほど遅れています。

そのおかげで、「もう花の盛りは終わったかも」と半ばあきらめていたトガクシショウマが、18日で花真っ盛りの見事な群生を見せていてくれました。

1属1種、日本固有種のトガクシショウマは、ブナ帯によく見られるやはり固有種のシラネアオイと隣り合わせて咲きます。急斜面が好きな花たちのそばにはゼンマイも畑のようになって群生しています。

ブナ林には、遅咲きのイワウチワやムラサキヤシオの花もまだ見られます。渓谷は雪崩でできた雪の橋がまだたくさんあり、深山への林道は雪崩などによる多量の雪で除雪も例年より遅れています。春先の気温がいつもの年より低かったのでしょうか、おかしな年です

商工会総会、小学校運動会、Sさんご夫妻の畦塗り

17日、村商工会と成瀬ダム振興事業協同組合の総会へ出席。

経営者として日々努力されている皆さん方の並大抵でないご苦労に、いつも尊敬の念をもっています。1つの経営体を維持し発展させるということがどんなに大変なことか、父親がかって小さな木材業経営をしていたのでそのことが私にはよくわかります。

秋田魁新報紙の「時代を語る」シリーズで昨年紹介された県南2つの経営体、おはよう納豆の「山田フーズ」、畜舎建設会社の「ダイヤ」。それぞれの会長さんたちが語った連載記事を例に引きながら、個々の経営と会の事業発展への期待とともに、村の産業振興策と議会へもひきつづきご意見を寄せてくださるようお願いし挨拶といたしました。

▼18日は小学校の運動会へ。

まったく心配のない快晴となり、グラウンドでの運動会ができたことはよかったのですが、予想もしなかった東の風が一日中吹き続けました。夏日の予報(県北では実際に真夏日も)でしたから、半袖シャツで向かいましたが日陰などはやや肌寒いほど。途中で上着を取りに戻りました。同じ東風でも、今はやや冷たい「下り風」なのです。

排水のよいグラウンドなので風で埃が舞い上がり、児童、応援の家族ともみなさん少々埃まみれの一日となりました。

▼きのうはたんぼの畦草刈り。本代掻き前の最終段取りしごとです。この日もやや強い東の風が一日中吹き、前日と同じように焼石連峰のそれぞれの頂きは「下り風」特有のガス雲に厚く覆われていました。東風の吹き寄せがない平野部は夏日でしょうが、県境寄りのわが村などは、やや冷たい東風が直に吹き付けるため気温はそんなに上がらず。作業には快適な一日となりました。

▼昨年も載せましたが、今年も手作業で畦塗りをされていたわが集落の先輩Sさんご夫妻です。

早朝5時少し前から作業を始めたのでしょう、こちらは田んぼの見回りの途中に立ち止まりです。お二人の作業をジッと30分ほど見つめながら、お日様の光が田んぼに差し込み始めた5時半頃まで、何枚かシャッターを押しました。

わが集落でたんぼのすべてを手作業で畦塗りしているのは、おそらくSさんと私とほかにわずか。そういうこともあって、後のためにしっかりと記録しておきます。

 

たんぼのクロ塗り(畦塗り)

田植えを間近にして、その準備作業の日々が続きます。

きのうは朝5時少し過ぎから畦塗り作業へ。作業を中断して午前には村農業振興地域整備促進の会議へ出席。それを終えたらまた田んぼへと、きのうは、一年で最も長くクワを手にする一日となりました。

いつの年も、代掻きが始まる頃になれば雪解け水は深山だけからとなります。成瀬川は荒ぶる濁流がほぼ収まり、水量は多いものの、おだやかな笹濁り色へと流れの様子を変えます。

毎年この頃になれば、わが田んぼの土手ではレンゲツツジが咲き始めます。自宅前の小川の岸辺には、どこから種が飛んできたのか、シラネアオイが真っ盛りの花を見せています。

里のレンゲツツジが咲き始めれば、山のムラサキヤシオやシロヤシオツツジが咲き始める頃。それにトガクシショウマも。今年は、まだそれらの花を観賞に向かえないでいます。