成瀬ダム建設の同盟会が現場視察

27日、成瀬ダム建設促進期成同盟会による工事現場の視察が行われました。

関連工事が始まって以来毎年行われている視察で、ダム堤体の基盤掘削現場や堤体用の材料をつくる大型プラント施設などの見学となりました。

CSGという新たな工法(この工法では国内最大級のダム)による堤体の工事では、多くの無人の重機がいっせいに動かされる予定のようで、そのデモンストレーションも目にしました。ダム工事でこのような大規模の無人重機の操作はこれまであまりなかったことのようです。

10月15日には、堤体工事を受注しているJVによってコンクリートの初打設式典が行われる運びで、26日には庁舎にお越し頂き直接のご案内を受けました。

週末から休日は、お米の籾すり作業を終え、合間にはブナとミズナラの森へも。

山の尾根では、集落のS先輩とばったり出会うという場面が。Sさんは、猟友会で長く山歩きを共にした方。クマ猟でも、ノウサギ猟でも、山岳遭難の捜索活動でも、先頭になって山に入る山歩きの達人です。先輩であると同時に気心通じ合う長年の山仲間で、山を深く語り合える間柄でもあります。同じ山に同じ日に入ることはよくあるのですが、こうして尾根の樹木の下でばったり出会うのはめずらしいこと。

その尾根に腰を下ろしてキノコや田んぼのことを語り合って後、「オレはこっち、オレはそっち」と、二人は別々の尾根を上ります。

Sさんは「これから帰って親戚の稲刈りだがら、すぐ戻る」といい短いコース取りをして上がり、すぐに下がるコースへ。こちらはそれより上部の尾根を上がり、若い頃にクマを追い出したクラ(崖)をのぞみながら目当てのミズナラを回る少し遠周りコースへ。

こちらの収穫は小さな老菌マイタケひとかけらと、わずかのマスタケだけ。短いコースをとって早く山を下りたSさんは「5㌔ほどの収穫があったらしい」と、直売所に詰める妻がSさんから聞いたことを夕餉に語りました。この日の山の女神は、私にではなくSさんに微笑んでくれたようです。

自宅前のサルナシが完熟期に入ったのでもぎ取りました。さわると軟らかくつぶれるほどに熟れています。摘んでそのまま口にふくんだら、山の果実では最もおいしいと私は思うキウイに似た味と香りが口中いっぱいにひろがりました。そばには熟れ時真っ盛りのアケビも。今年は我が家のまわりのアケビは不作気味のようです。同じ野原には、野生のホップといわれるカラハナソウの花も盛りで見られます。

赤滝神社解体される

赤滝神社がきのう解体されました。滝と神社に長年通った者の一人として、元神社だった建物を眺められるのはこれが最後の日。解体の様子を少しの間ながめ、前後左右から神社であった建物を写してきました。

「赤滝神社を保存する会」の立ち会いのもと、古くから神社となじみの深い元桧山台集落出身の建築業Mさんの手によって解体作業は手際よく進められました。

社の中にある装飾物や奉納物などのうち、とりあえず保存しておくべきと判断されたものは、去る4日と19日にすべてほかへ移されていました。

したがってこの日残っていたのは、元神社だった建物だけ。天井裏から「棟札などが出てくるだろうか」との淡い期待もありましたが、結局それらしいものは何もでてきません。何かの文字が書かれているらしい薄い板が天井の柱に打ち付けられていましたが、われわれには判読はムリ。それも寄せられて一時保存物の仲間入りです。

神社は、創建当初から何度も改修を重ねられています。真冬に撮った赤滝神社の写真をご覧になっていただければおわかりのように、毎年3㍍以上の豪雪で、雪下ろしが一度もされないのに長年つぶれずに雪の重みに耐えてきた神社。建築材も丈夫なものが用いられ、工法もすべて堅い造りので、解体は並の建物のようにはいかず、業者さんは汗をとばしながら渾身の力でバールを駆使していました。

建築材の中でも目視で最も古いと思われるのは木製の土台。「クリの木だろう」とMさんは語ります。それは創建時の土台なのか、興味をひかれました。

来月中旬にはダム堤体の打設式典が行われる運び。神社の周囲すぐ近くまでダム関連工事は進み、木々の伐採もだんだんと赤滝のそばに近づいています。この日の神社解体後、境内の木々もまもなく伐採されるとのことで、赤滝らしい景観を眺められるのはあとわずかの日数しかないようです。

訪れたついでに、ここ10数年、春、夏、秋、冬と眺めつづけた滝壺脇の太い歴史もののシラグヂツル(サルナシ)を「これが最後のご対面」と写しておきました。滝頭の赤い岩の上に咲くほんのわずかのリンドウが花盛り。背景にはダムプラント工事の大きなクレーンのアームが3基にょっきり。これは緑のなかで目立ちます。

 

稲刈り終え、マイタケ初モノいただく

稲刈りをきのう終えました。

今年は、たんぼのぬかるみもほとんどなく、雨の心配もまったくなし。こんなにスムーズに稲刈りを終えたのは久方ぶりのことです。

刈り終えて乾燥機に点火をしてからの午後、「彼岸が明けないうちにお供えするミャゴ(マイタケ)を採ってくるか」と、ブナとミズナラの深山に足を向けました。

連休中に、プロ、セミプロなど多くの方々が山入りした後ですし、加えて今年はマイタケが不作なのか遅れているのかあまりよい作柄情報が入りません。そういうことで、収穫への期待はそれほどもたずに、まずは目当てのミズナラ10数本をめざして峰や斜面を上がり下がりします。

かって採取したことのある10本ほどのミズナラをめぐりましたが、やはりゼロ。「今年は、まだダメか」と半ばあきらめながら、かって幾度か大収穫した巨木に近寄ったら、なんとありました、ありました。最高品質、クロフのマイタケが、あっちにモッコリ、こっちにムックリ。

まだ採るに少し惜しい幼菌や採り頃の株も含め、まずまず満足できるほどの量が出ています。このまま大きくしたら3~5㌔㌘ほどの株になるような見事な塊も中にはあります。もう4~5日したら、「よいしょ」と声を出して背負うほどに大収穫できたでしょう発生状況です。

何度も何度も天然の逸品たちを眺め、手を合わせて「山神様」に感謝しながら、最高級の山の幸をいただいてきました。土から株を離すときには、ゴクッ、ゴクッ、と心地よい音がします。

今年は、お彼岸のうちにマイタケを供えるのはムリかなと思いましたが、ぎりぎりセーフで仏前に初モノをお供えできました。キノコをそんなに食さない妻も、「ミャゴ(マイタケ)とヒメジ(ホンシメジ)の若いのは好き」と言います。早速、サトイモを掘ってきて、畑と山の初モノでキノコ鍋の夕餉となりました。天然マイタケは、香り、歯ごたえ、味と、やはり格が段違いです。

 

新米を神棚に献げ収穫に感謝

20日に刈り取りしたお米は、乾燥後の22日、早速籾すりに入りました。

コンバイン、乾燥機、籾すり機械と、始動の時はまず一呼吸の間を置き、「さあ、始まるぞ、トラブルなく順調に動いてくれよな」と、少々大げさながら祈るような気持ちで機械のスイッチを入れるのは毎年のこと。

乾燥では、胴割れ米(お米の粒が割れてしまう現象)を防ぐために急激な水分低下をなるべく避けるのは農家の常識。我が家では標準よりもさらに乾燥に時間を長くかけゆっくりゆっくりと水分を14㌫台に下げます。今年のお米は青米が少なく、乾燥も予想よりはるかに時間がかからずに済みました。

グオオーンとうなるような音をたてて動く籾すり機械。そこで玄米となった新米は、選別機を通って次々と出てきます。それを手にしてまず品質を一見、「だいじょうぶ」と判断を下すことができたその時は、収穫の喜びをじわーっと感ずるうれしい瞬間です。

籾すりの結果も、今年はやはり青米が少なく、粒の品質もまずまずの様子です。この日に籾すりを終えた段階では、近年で二番米(選別で外れた規格外米)がいちばん少ない(例年の半分)出来秋となりました。日照が多かったので水稲にとっては稔りの条件が十分の年だったといえるようです。

新米は早速神棚に献げ、よい収穫をもたらしてくれた自然と、家族と自分の労働に感謝しました。(我が家の神とは「宇宙・自然」というとらえ方をしています)

稲刈り始める

20日、稲刈りを始めました。

刈り取り適期までにはもう2~3日の間を置けばいいのかな、と思ったのですが、この先の行事の関係、連休に影響があると予報された大型台風17号などお天気具合を考え、作業を強行しました。

20日の稲刈り始めは、コンバインをつかうようになってからでは最も早い記録となります。我が家の場合は、作物の稔り具合よりも「人の都合優先」で刈り取り日が決まるといってよいほどです。

20日の早暁に3時間ほどの雨があったものの、それまでの連日の晴天で田んぼはよく乾き、この雨でも田んぼには水たまりなし。排水にもよくつとめたので、田んぼのぬかるみはなく、ここ数年のうちでは最も作業がはかどりました。それでも、コンバインのちょとしたトラブルはあり、農機具屋さんには早速かけつけてもらいました。

21日の稲刈りには久しぶりに小5の童もほんの少しの時間加わりました。刈り取りが進む稲田の中からは、イモリ、トカゲ、イナゴ、アオガエル、トノサマガエルなど生きものたちが次から次へと姿をあらわし、童は手伝いよりもそちらに注目。

雨の心配ほぼゼロのお天気でしたので、昼食は田んぼでいただき。こういう野良での団らんのひとときも久しぶりのことです。

幸寿苑の敬老会

村の指定管理として、社会福祉法人・雄勝なごみ会が運営している特別養護老人ホーム「幸寿苑」の敬老会がきのう行われました。

各地区の敬老会に続いて行われる村の関わりとしてはこれが最後の敬老会です。村直営の時から毎年ご案内を頂いていて、雄勝なごみ会の理事長に就任されている京野公子氏と久しぶりにお会いしました。

京野氏は元県議、元代議士時代に村の要望などで我々がいろいろとお世話になった方です。こういうところで、こういうかたちでお会いできるとは思いませんでした。

村内から施設に入所されているほとんどは知り合いの方々です。また、集落でも、あるいは仕事でも、あるいは様々な活動でも行動を共にした方々です。その方々の若い頃の姿が記憶に深く刻まれているものですから、一年経つごとに高齢になられたお姿に接すると、複雑な心持ちになります。きのうは、半ば冗談で「そのうちに、オレも、ここにめんどうなりに来るから」などと笑いながら語り合いました。

会では、例年のように村の踊りの会のみなさんがお祝いを盛り上げてくれました。私も、いつものように田畑の作物や山の幸など村の様子をご紹介して挨拶とさせていただきました。

▼今日は彼岸の入り。我が家の背戸にある早生ヤマグリが3日ほど前からカネ色の実を落とし始めています。所用で村内をきのう回ったら、やはりあちこちで早生のヤマグリが稔って落ちています。

手倉では、住宅そばにある稔った早生ヤマグリにクマが目星をつけたようで、実を食べに通っているようです。あちこちの田んぼにも「稔った稲を食べる」クマの出没が頻繁で、それらのいくつかはワナで捕獲されています。

写真は手倉の田んぼの中を、稲を踏みつぶして歩いたクマの跡で、田んぼにはクマの足跡が残っていました。我が家そばの小さな神社下の畑にもクマの足跡が。いずれも成獣のクマです。

村議会9月定例会議終える

きのう9月定例会議の全日程を終え、村議会はいったん休会となりました。

教育長選任同意案、固定資産評価審査委員選任案、31年度各会計補正予算案、30年度決算認定案、指定管理者指定案、各条例改正案など、提出されたすべての議案は全会一致で可決、同意、認定されました。

補正予算案については、一部内容について予算計上の時期の適切さについて言及された委員長報告がありました。決算案の審査では、厳しい財政状況のなか、いっそうの行財政改革が求められることなどに触れた委員長報告がありました。指定管理案についても、現状の管理内容について諸々の改善すべきことが質疑で指摘されました。

いつの議会でもいえることですが、一般質問、あるいは審査・質疑でとりあげられた内容のうち、村政運営上とくに重要な課題となっている事がらについては、議員個人の発言にとどまらず議会全体として意を注がなければならないものも当然あります。それら村政課題の改善や提言の具体化については、今後常任委員会などの活動を通して、さらに提言が促進されるようつとめられるものと思われます。

所用があり、議会を終えてから須川高原まで上がりました。温泉のある標高1100㍍ラインでも、ウルシをはじめ低木の色づきが始まっています。1600㍍ラインの頂上付近ならもっと色づきが多くなっているでしょう。

途中、イワカガミ湿原に立ち寄り、やや過ぎ目となっているリンドウとウメバチソウ、それに気品のあるサロメチールに似た香りをもつシラタマノキの実をながめてきました。

連日、季節外れの真夏日、夏日の晴天で田んぼの稲穂もよく稔ってきました。田子内地区の田植えの早かったところや、岩井川地区のハサ架け乾燥農家などでは15日前から刈り取りが始まっています。この週末になれば、いっきに稲刈りの光景が増えるでしょう。それもお天気次第ですが。

5回目の畦草刈り、合間にブナの森へ

週末から連休にかけては、田んぼの畦草刈りや敬老会、その合間にブナの森深山へ、そして久しぶりに訪れた童と川辺で過ごしたりの日々となりました。

畦草刈りはこれが5回目で、今シーズン最後の作業をきのう終えました。畦はきれいになり、排水をよくする作業も可能な範囲のしごとは済み、コンバイン、乾燥籾すり機械の準備・点検もすべてOK。あとは稔りの具合をみて稲刈りの時期を待つだけです。

ブナの森の深山へも、この時期にいつも通うように足を運んでみました。

山行きの目的は、早生のミャゴ(マイタケ)です。プロもセミプロも、「増田のお祭り(15日)来れば、早生ミャゴ、生える(おえる)」のことを体験から知っています。マイタケが早く出るのは完全な立ち枯れ木か立ち枯れ寸前の木、または倒れた木の根元が多く、まずはそういう木を狙って人々は歩きます。

しかし今年はその早生でもまだダメ。いつもの年なら量の多少は別にして採り頃となるはずのミズナラの枯れ木などにもマイタケはゼロ。幼菌もまったく見えません。その道のプロの方も、「まだ全然ダメ。こんなことはめずらしい」といいますから、今年は遅れが著しいのか、不作か、そのどちらかでしょう。もう一週間から10日ほどたてば結果がわかるはずです。

マイタケはゼロでしたが、ミズナラ大木の根元にはありったけ生長したナラトビ(オオミヤマトンビマイタケ?)が、翼をひろげたように大きくなって見えました。土地の人々は昔からこういう大きくなりきったキノコを「飛ぶようになった」と言います。言い回しの妙とはこういうことを言うのでしょう。このキノコはトンビマイタケとちがい生長しても軟らかく、「味噌漬け用に」と背負ってきました。二株ほどを採ったらリュックにいっぱいとなるほどの量です。人と比べればこのキノコの大きさ具合がよく分かるでしょう。

ミズナラの根元には大きなガマガエルが休んでいて、私の仕草をじっと見つめているようでした。

林を歩く途中、晩生のノギウヂ(エゾハリタケ)がまだ若い状態でブナの幹の高所にびっしりと張りついているのも目に入りました。まだまだ大きくしてから採ればいいのですが、
姿につい見惚れてしまい、半分ほどをナタで切りとり頂いてきました。残りは後にする予定です。これは味噌漬けにされ、珍味として村では昔から楽しまれてきた食文化の一象徴となるキノコ。市販価格も、天然マイタケやシシタケ(コウタケ)並かそれ以上となる、村や界隈の食通の間ではとっても価値の高いキノコです。

そばには、一時「制ガン効果がある」などとして盛んに利用されたサルノコシカケ科のキノコも。きれいにならんでいたので写真におさめ、いくつかを飾り物用にと背にしました。

地元集落の敬老会

きのうは敬老の日。それぞれの家庭においてはもちろんのこと、お仕事や奉仕活動などもふくめ、様々な分野でみんなに必要とされ、家々の暮らしやこの村をささえてこられた人生の先輩たち。村の敬老会は、8日(田子内)、15日(椿台・大柳)、16日(岩井川)と大字単位ごとに開かれました。

きのうは、それらのうちの一つ地元岩井川集落の敬老会へ案内をいただき出席。村の敬老会は70歳から(69歳も少しふくまれる)の方々を対象にご案内をしていて、岩井川集落で参加されたのは対象者188人のうち50数人ほど。

70歳といえばこちらより1学年だけ上の方々。年齢はたしかに「高齢者・老」の階層かもしれませんが、昔とちがいこの齢だとみなさんまだまだあまりに若いですから、どうも「敬老」という言葉がピンときません。この年齢のままだと、私も来年は対象者の一人となってしまいます。

敬老会の案内対象枠のことは毎年ほうぼうで話題にのぼります。人生80年、90年はザラの時代。さらに社会の労働力不足や年金だけでは暮らしてゆけない現状も多く、70歳はまだまだ「働かねば」「現役」という世代でもあります。

だからでしょう、「70歳で老などとはいってられない。敬老会の対象を75歳からにしている自治体が今は増えている。村も段階的にそうした方がよい」という声がじわりとひろがっているようです。ただし、そうなると、大字ごとの開催では「年々少なくなっている」という参加者がさらに少なくなることも考えられます。

それへの考慮から「年齢を75歳にして村全域で集う敬老会とすればよい」という声もあります。しかし、それぞれの地域の敬老会のやり方、持ち味というものもあり、また人数の関係から会場設定のことなどへの思案が必要となるかもしれません。いずれ、それら全体を様々な角度からよく考えて、今後の祝う会の持ち方をもう一度詰めて検討する時期となっているようです。

きのうは、昭和10年代はじめ生まれの岩井川のある先輩が書かれた文章を引きながらご挨拶を申し上げました。その文章は、我が国の歴史上きわめて厳しい第二次世界大戦という時代に小学生だった方の戦中、終戦、戦後すぐのことを書かれた短文です。

いまの70歳代後半から80歳代、90歳代は、戦争というまれにみる歴史の惨状のなかを生きてこられた方々です。戦後すぐをふくめ当時の農山村の暮らしをはじめとするその体験は、我々にとって学ぶべきことが極めて多く、今後も、地域や村づくりのうえでご助言いただきたい旨をお願いしました。

決算審査はじまる

平成30年度村各会計の決算審査が、議長、監査委員をのぞく8議員で構成される決算特別委員会(佐々木悦男委員長)で始まりました。

きのうは一般会計の質疑応答を終え、今日は特別会計の審査へうつります。

いつも記すように、決算審査に添えて提出しなければならない主要事業の成果説明書が20数年前とは比較にならないほど充実しています。なので、以前のようにいちいち事業の内訳を質疑で聞き出す時間がかなり省かれ、本来の決算審査、つまり予算が目的にそって有効に使われたかどうかの議論にたっぷりと時間を割けるようになっています。継続すべき事業、見直すべき事業、成果を踏まえた新たな事業展開などへの言及も含めてです。

それでも、ある分野の事業では「事業の成果をもっとわかるように成果書に載せるべき」という旨の発言もきのうはありました。

とりわけ多額の予算額を必要とした村独自の政策的な事業については、現在も今後も村財政と大きく関わるだけに、成果をしっかりと村民に説明できるだけの事業効果をあげるために当局も議会も常に追求しなければなりません。決算審査は、そのための検証をして事業の在り方について認識を深め合う大事な機会なのです。