地元集落の敬老会

きのうは敬老の日。それぞれの家庭においてはもちろんのこと、お仕事や奉仕活動などもふくめ、様々な分野でみんなに必要とされ、家々の暮らしやこの村をささえてこられた人生の先輩たち。村の敬老会は、8日(田子内)、15日(椿台・大柳)、16日(岩井川)と大字単位ごとに開かれました。

きのうは、それらのうちの一つ地元岩井川集落の敬老会へ案内をいただき出席。村の敬老会は70歳から(69歳も少しふくまれる)の方々を対象にご案内をしていて、岩井川集落で参加されたのは対象者188人のうち50数人ほど。

70歳といえばこちらより1学年だけ上の方々。年齢はたしかに「高齢者・老」の階層かもしれませんが、昔とちがいこの齢だとみなさんまだまだあまりに若いですから、どうも「敬老」という言葉がピンときません。この年齢のままだと、私も来年は対象者の一人となってしまいます。

敬老会の案内対象枠のことは毎年ほうぼうで話題にのぼります。人生80年、90年はザラの時代。さらに社会の労働力不足や年金だけでは暮らしてゆけない現状も多く、70歳はまだまだ「働かねば」「現役」という世代でもあります。

だからでしょう、「70歳で老などとはいってられない。敬老会の対象を75歳からにしている自治体が今は増えている。村も段階的にそうした方がよい」という声がじわりとひろがっているようです。ただし、そうなると、大字ごとの開催では「年々少なくなっている」という参加者がさらに少なくなることも考えられます。

それへの考慮から「年齢を75歳にして村全域で集う敬老会とすればよい」という声もあります。しかし、それぞれの地域の敬老会のやり方、持ち味というものもあり、また人数の関係から会場設定のことなどへの思案が必要となるかもしれません。いずれ、それら全体を様々な角度からよく考えて、今後の祝う会の持ち方をもう一度詰めて検討する時期となっているようです。

きのうは、昭和10年代はじめ生まれの岩井川のある先輩が書かれた文章を引きながらご挨拶を申し上げました。その文章は、我が国の歴史上きわめて厳しい第二次世界大戦という時代に小学生だった方の戦中、終戦、戦後すぐのことを書かれた短文です。

いまの70歳代後半から80歳代、90歳代は、戦争というまれにみる歴史の惨状のなかを生きてこられた方々です。戦後すぐをふくめ当時の農山村の暮らしをはじめとするその体験は、我々にとって学ぶべきことが極めて多く、今後も、地域や村づくりのうえでご助言いただきたい旨をお願いしました。