北海道南の二つの町を視察

29日~30日、県町村議会議長会の行政視察で北海道南の八雲町と鹿部町を訪れました。

内浦湾(噴火湾)に接する二つの町は、北海道でも比較的温暖な地方。まもなく11月をむかえる季節ですが、視察中もほとんど寒さを感じないで過ごすことができました。わが村など東北もそれは同じですから今年は特別かもしれませんが。

北海道の町村とりわけ道南地方の自治体は、議会活動の活性化がよくはかられているところです。八雲町では、その活動についてとりくみ事例をお聞きしました。

説明には、議長さん、副議長さんに加えて、議会運営委員長と運営委員のみなさん全員が出席してくださいました。我々の質問に対する回答もふくめ意見交換では、八雲町議会の改革にかける熱意と論理明快な考えを、議員各位のいきいきとしたご発言からうかがうことができました。言葉の一つ一つから、八雲町議会の活動水準の高さを感じたところです。

八雲町の少なくない方々は、北前船などをはじめ本州から渡ってこられた人々を祖先にもたれておるそうで(議長さんの祖先も能登地方からということ)、全体として「開拓者」にみられる積極的な熱い血潮が引き継がれているのか、北海道の地方議会活動は全国の自治体が学んでいる先駆例を次々とうみだしています。

我々のために長い時間を割いていただき、意見交換をたっぷりとできたことはありがたく、あらためてみなさんにお礼を申し上げます。村の縄文遺跡から出土した世界最大級の磨製石斧の原石アオトラ石のことも「その石はここにもあるよ」と懇談で話題に上りました。

鹿部町では、リゾート開発とあわせた移住定住策(写真は短期滞在型の貸し付け住宅)で、定年退職の御夫妻を主とした移住者が数百人規模になるというユニークな事例のとりくみをご説明いただきました。鹿部町の副議長さん(議長さんは公務で出張)、議会事務局と施策を説明していただいた役場職員のみなさんなどに厚くお礼を申し上げます。

わが村の人里よりなんぼか秋の深まりが早いかと思われた渡島半島。バスの中から、あるいはホテルそばや道の駅などの外から、渡島半島の人里、内浦湾、駒ヶ岳の裾に開けた農と漁のある秋の風景をしっかりと目に焼きつけてきました。「海のある軽井沢」とでも表現したくなるような駒ヶ岳と噴火湾がつくりあげた景観のなかで人々がくらしている。それが今回訪れた土地の光景ではいちばんの印象でした。

最後の写真は、きのう鹿部の道の駅でごちそうになった昼食です。ご飯の上に大きなカズノコが一つ。私はイクラがダメなので海鮮丼は大の苦手ですが、カズノコは大好き。前日泊まった八雲町のホテル(副議長さん経営)の夕食も海の幸が豊富でとてもおいしかったし、この昼食も、ソイという白身の魚もふくめおいしかったですね。秋田も食の美味しさではひけをとりませんが、北海道もほんと、食べ物は豊かで美味しいですよね。

新消防庁舎を視察

広域市町村圏組合の臨時議会がおととい開かれました。

案件は、電算システムの導入に関する随意契約案件(3,7356,000円で湯沢市の(株)ロイヤルパソコンシステム)と、新消防庁舎建設関連事業の財源にあてる目的でふるさと市町村圏基金317,137000円を取り崩す議案の二つです。いずれも全会一致で可決されました。

建設中であったその新消防庁舎がこのほど完成しており、この日は、完成した庁舎を視察しました。

現庁舎の解体費も含めた総事業費が約25億4千800万円の新庁舎は、広域の消防署や消防本部とともに、広域行政の事務局も現在の広域交流センターから移ります。

来年3月からは新庁舎での業務が開始される予定です。

人里の紅黄葉も真っ盛りに

家の神棚にお餅をあげて祝った旧暦でいう刈り上げの節句も過ぎ、山里の秋もいよいよ深まってきました。

刈り上げの節句の頃になれば人里の紅黄葉も真っ盛り。同じ山でも、春に若葉の萌えが美しい所は秋の燃え色も美しく、各集落にはそういう紅黄葉美に見ほれるところがたくさんあります。

奥羽の脊梁はすでに落葉が終わり、いつ初冠雪してもおかしくない季節となりました。これから根雪までの11月の日々は、冬囲いや自家用野菜の収穫など、冬を越すためのいっぱいの仕事が待っています。

産業祭・ 村創立130周年記念式典

村創立130周年記念式典が26日午後4時から「ゆるるん」で行われました。次のような内容でご挨拶を申し上げ、130年の歴史を讃えました。

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東成瀬村という名をかかげて創立130周年の祝賀の日をむかえられたこと、村民のみなさんとともに心からのお祝いを申し上げます。

村として130年の歴史を築く上で私たちが学ぶべき最大の教訓は、戦後すぐに制定された憲法第八章にうたわれる地方自治の本旨を、村は何よりも大切にしてきたというところにあると思われます。

実は、この自治の精神を大きく揺さぶる出来事が、戦後の歴史には二つありました。一つは昭和28年10月施行の町村合併促進法と昭和31年施行の新市町村建設促進法にもとずいて進められたいわゆる「昭和の合併」です。この時、つまり昭和28年4月に全国で9,761あった町と村が、わずか3年で3,477に激減しました。現代政治史の最大出来事の一つといえるその激動時に、わが村は「地域の特殊性を考え、自立の道を選ぶことこそ村民福祉の向上につながる」として、自立の村を決断しました。

自治が次に大きく揺さぶられたのは、我々の記憶にまだ新しい平成の市町村合併です。 平成16年の合併特例法施行時には全国の町村数は2,405でしたが、2年後には1,041へと半分以下になりました。このときも、わが村は、村民、当局、議会が、一致して自立の村づくりを決断しました。村当局と議会は、あらゆる機会をとらえて自立の方策を探り、自立にこそ村の振興と発展の道があるととらえ、村民への啓発にもつとめました。

明治22年の市町村制施行時には15,820の町と村がありましたから、昭和、平成の大激動を経て、地方自治の枠がこれだけ大きく変化した中で、東成瀬村として130年の歴史を祝えることの意義は、なおいっそう大きいといえます。

130年の歴史の大半は、自立を確かなものにするための奮闘の日々でもあったといえます。それだけに、自立決断時の勇気だけではなく、自治の精神に沿った周到で粘り強い村づくりが、村民にも、村政を託された執行当局にも、議会にも、強く求められる歴史でもありました。

その結果、産業振興、生活環境整備、医療、福祉、教育・子育て、文化など、村づくりの柱となる住民福祉の向上策は、時々の総合発展計画と過疎法による計画などに基づき着実に推進されました。大筋において「隅々にまで、住民のくらしをささえる政治の光が差し込む」自治の本旨がよく体現されている村をつくりあげて来られたことは、村民の誇りであります。その成果を築き上げられたすべての先人・先達のご尽力に、議会としても心からの感謝と敬意をはらうものであります。

創立130周年が、令和元年というお祝いの年に重なり、その慶びはなおひとしおでありますが、あわせて、この機会を私たちは新たな決意で歩みを進める節目の年にしなければとも思います。「変革、改革なきところに進歩なし」とよく言われます。今後の村づくりにおいても我々は常にこのことを自覚し、現状に甘んずることなく見直すべきは大胆に見直しながら、孫子の代が安心して暮らせる持続可能な村政の道をつくりあげなければなりません。そのために、議会もいっそうの努力を怠らないことをここにお誓いし、お祝いの言葉を結ばせていただきます。本日は、まことにおめでとうございました。

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▼時折の陽射しに里山の紅葉が輝いたこの日は、第52回目の村産業祭(物産まつり)も行われました。自然景観の美と、よく耕された田んぼや農地が調和した美しい村を保つためには、ものづくりの象徴ともいえる農業、とりわけ村の場合は稲作との複合経営がカナメです。受賞のみなさんに学ぶことの大切さを強調しながら、表彰された方々を讃えご挨拶といたしました。

高位賞授与のみなさんのなかには、元議員や現議員のみなさん、農業委員会で活動を共にした方々、定時制高校で共に学んだ先輩や同級生たちなどが多くおられ、うれしさがいっそう増しました。

物産の展示会場には、村の生涯学習教室の方々がつくられたつる細工、陶芸、御殿まり、編み物などの作品がならび、世界最大級の磨製石斧が発掘された上掵遺跡からは、ことし掘り出された高さ70㌢ほどの縄文土器も展示されました。石斧のレプリカも。

創立記念では、記念コンサートと祝賀会があり、翌27日には、プロ棋士谷口由紀女流二段を迎えての山百合将棋大会と子ども将棋教室、懇親会へのご案内もいただきました。

記念式典を祝うコンサートではダニエルコフリンさんによるギター演奏の音色がすばらしく(とくにオリジナルの2曲)、後にCDを買い求め、早速就寝前の枕元で聴いております。ダニエルさんは、わが村と同じ「日本で最も美しい村連合」に加盟している福島県大玉村ご出身。素敵な演奏をありがとうございました。

式典では、村出身の漫画家高橋よしひろさん、詩人の佐々木桂さん、ソプラノ歌手の長谷川留美子さん、首都圏なるせ会会長の冨田秋雄さん、元地域おこし協力隊員の佐藤喬さんの各氏について村のPR大使を引き受けてくださることが紹介され、後の祝賀会でも式典にご出席していただいたみなさんを囲み楽しいひとときを過ごし合いました。

この日は、村に建設されていたFMあきたのラジオ放送中継局設備が開局となり初電波が流れました。また、佐々木謙吉副議長が消防団長などの活動で、高橋健議員が議員活動で村の自治功労表彰を受けるなど、お祝い事がさらに重なった一日でした。

「いずくら」の崖紅葉とブナの森の幸

ブナの森深山、渓谷断崖の紅葉美としては村内一、あるいは県南一、県内屈指といってもよいでしょう、合居川渓谷「いずくら」と天正の滝周囲の崖紅葉が真っ盛りです。

柱状節理の断崖で、谷川から尾根までの高さが500㍍ほどあるこの切り立つ崖「いずくら」は、岩肌に立つヒメマツ(キタゴヨウ松)の緑と落葉広葉樹の錦絵のような赤と黄、尾根筋のブナやイタヤカエデ、それにしぶきを見せて下る渓流が合わさり、まさに息をのむような渓谷の紅黄葉美をうみ出しています。

こんなすばらしい景色が道路からながめられるとはなんともうれしいこと。みなさん、ホテルブランや栗駒山荘、村の温泉をたのしみながら、是非、国道397号から入る合居川渓谷、天正の滝方面に車を進めてみてください。

「こんなに近くに、こんなすばらしい渓谷の紅葉美があったのか!」と、はじめての方ならきっとそう思うでしょう。天正の滝の展望台からながめる紅葉もお見事、滝の所のような案内看板はありませんが、滝のすぐ手前「いずくら」の崖を道路からながめる紅葉はさらにお見事です。こういう景観は、車で行ける方々だけで楽しむのはもったいなし。みんなの財産「宝の景観」は、新聞やテレビなどでもご紹介してもらいたいものですね。

▼錦秋の谷は、宝の景色に染まるとともに「山の幸」キノコも育てます。

この時期のブナの森深山で私がめざすのはナメラコ(ナメコ)。出の早いナメコは今が盛りで、晩生は小豆大の粒々がようやく見え始めています。

ナメコのそばには、美味なブナシメジやムギダゲ(ムキタケ)、ヂヂナメラコ(チャナメツムタケ)も顔を出しています。眺めても(とくに群生)食べても、人気の高さではキノコ界のトップクラスにあげられるというナメコ。今年は、久しぶりで「ええな、ええな(すばらしい、すばらしい)」とつぶやきながらシャッターを押せるような群生に出会えました。

帰路の尾根では、倒れた枯れ木の根元にナラタケ(モッコラモダシ)がいっぱい。これも、なんとか写真に収められるほどに傘の黄色が保たれていました。採る時には、このモッコラモダシ特有のポキン、ポキンと柄(茎)の折れる音が響きました。

谷の最上流部ではブナも落葉が始まり、中流部は高木から低木まですべてが色づき、全山が錦のじゅうたんに染め上げられています。

今年は、ブナの実がゼロ。ミズナラにもドングリがほとんど見えなかったので、地面にはいつもの年のような木の実がなくさみしい限りです。われわれは「さみしい」程度で済みますが、ドングリをこの季節の主食とするクマなど生きものたちにとっては「死活問題」でしょう。母グマの子宮に着床せず夏の間子宮内を漂っている受精卵も、木の実で母親が栄養がとれなければ着床できないかもしれません。とりわけ、越冬用の脂肪をたくわえるためのドングリがめずらしく凶作となったこの秋、冬眠前のクマたちがこれからどこに向かうのか、気になる10月末です。

▼きのうは、先に届いていた医療、介護関連の二つの陳情書について、提出された団体代表が議会に見えられ内容の説明をしていただきました。総務教育民生常任委員長とともに、ていねいな説明をお聞きしました。きのうは、「雨の来る前に」と、来年春にそなえ、畦を削る箇所などたんぼ周囲への除草剤散布も済ませました。

根雪の前に、もう、来春のことを頭においた作業です。農家をはじめ雪国のくらしでは、まだまだ根雪の前にしておかなければならないことがいっぱいあります。雪が頭からはなれない、雪が軸になる。私たちの一年のくらしは冬を柱にして回っているようなもの。文字通り、ここは「雪国」というわけです。

紅葉見頃始まりの里山のキノコ(その2)

人里が紅葉見頃始めになると、晩秋のキノコたちも里山に顔を見せ始めます。

まずは、我が家の食卓を楽しませ続けてくれたハタケシメジです。ホンシメジなどシメジの仲間たちの多くが不作の年でしたが、秋深まるまでハタケシメジだけは並の作柄となりました。最高級の味をもつキノコですので、ハタケシメジのおかげで我が家の食卓らしい秋を楽しむことができています。いつもの年のように晩秋の最晩生もこれから顔を出してくれるか、心待ちにしているところです。

22日、クロモジの葉っぱが黄色に色づきはじめたミズナラやコナラの里山を歩くと、まず私の目に入ったのは倒れた枯れ木や立ち枯れに出始めたムギダゲ(ムキタケ)。

同じような枯れ木の根株には、ナラタケも見られますが、この日はヤマドリモダシ(クリタケ)の大きな群生と運良く出会えました。これだけ量の多いクリタケの食べ頃群生に出会えるのは一シーズンに一度あるかどうかの幸運。この群生だけでリュックがいっぱいになるほどの量でした。

クリタケのそばには、晩秋を象徴するムラサキシメジやチヂナメラコ(土ナメコ・チャナメツムタケの仲間)が顔を出していました。クリタケ、ムキタケ、ムラサキシメジ、チャナメツムタケの仲間は、みんな秋の深まりとともに出会えるキノコたちです。

10月ももうあとわずか。見上げる空には、北から渡ってきた雁の群れが奥羽の山越えをめざして南に飛ぶ姿が時々目に入ります。群れの方角からして、越冬地として名の知られるお隣宮城県栗原市の伊豆沼や長沼方面にむかうのでしょう。

春には北へ向かう空から、そして紅葉盛りの秋には南へ向かう空から「コォーッ、コォーッ」と澄んで響く雁のあの声。雁の季語は秋ですが、私は、どちらに向かう群れの声にも「オッ、今年も冬が来るな」「おっ、これで冬も終わりだな」と、これからむかえる季節への心備えを感じます。

紅葉見頃始まりの里山のキノコ(その1)

合居川渓谷の入り口「いずくら」の崖紅葉もいよいよ見頃始まりとなりました。そうなると里山の色づきもいっきに進み、村はいずこも錦秋の景色に彩られつつあります。

この頃になると里山のキノコの世界もいよいよにぎやかになります。ただ、今年の雨不足は、多くのキノコたちにとって発生環境がよくなかったらしく、食毒含めて林の中はいつもの年よりキノコの数も種類もずいぶん少なめです。そんなちょっぴりさみしい里山で、この5日間ほどの間に出会えたキノコたちを2回にわけてご紹介です。

最初は、よくホンシメジやウラベニホテイシメジなど、食べられるシメジと間違えられる毒キノコの代表格クサウラベニタケです。

次は正真正銘のホンシメジ。今年は、発生量が極端に少なく、出ている株も形がいびつで、本来のいかにもシメジらしい見事な姿とは遠くかけ離れた形です。

次は、なんという種なのか鑑定のむずかしいキノコです。柄(茎)は充実していますから毒種のクサウラベニタケではなし。しかし、ホンシメジにしては色と形がどうもおかしい、でも、毒種のイッポンシメジとは形も大きさも少し違います。発生条件によって同じ種のキノコでも大きさや色の違うことはよくあり、大小や色だけで食毒見分けのつかないこともあります。結局、このキノコは「危ない」ということでそのままにしてきました。

ホンシメジ、クサウラベニタケ、ウラベニホテイシメジ、イッポンシメジの食毒4種は、よく間違われるキノコたちです。間違いやすいのは、ホンシメジと思いイッポンシメジやクサウラベニタケに手を出すことが一つ。もう一つは、ウラベニホテイシメジと思いイッポンシメジに手を出すこと。だから、この種の仲間でとくに中毒事故が多いのでしょう。

次のキノコも、私には鑑定のむずかしい仲間です。これまでは、ブナ林に列をつくって発生するこのキノコをアケボノサクラシメジとして紹介してきました。れっきとした食ベられるキノコですが、これまで何カ所もの違ったブナ林から採ってきて調理してもらったものの、いやな臭いがしてとても食べられた代物ではありません。

多くのキノコ紹介がある図鑑では、アケボノサクラシメジと並べて、このキノコと同じ仲間として、姿形がとてもよく似ているキノコも載せています。そのキノコには「フキサクラシメジ」という名がついています。やはり「煮干しに似た臭いが」などと記されていて、写真のキノコと特徴が似ています。ただしこのキノコの記述では「針葉樹下に発生」と発生地を限定しています。私が写真に収めてあるキノコはみなブナ林で出会うものばかりです。いやな臭いの特徴は同じですが発生地が違うのです。

図鑑の解説とちがうことが自然の現場では時にあること。キノコや植物では、図鑑の解説と現場を比べると「この図鑑の解説は、おかしい?」ということが時々あります。ブナ林に発生するが、臭いがきつくてとても食べられない、さて、これはアケボノサクラシメジか、それともフキサクラシメジか、私にはわかりません。いかにもおいしい形をしていますが、何度も採って、時には塩蔵までして調理してみても、臭いがひどくとても口に入れる気にはなれないキノコです。私にとってキノコの世界は、ナゾの深い不思議だらけです。

次はムラサキアブラシメジかムラサキアブラシメジモドキのどちらかでしょう。おいしく食べられるキノコのようですが、それほど多くは見えないので私は口に入れたことはありません。

次は発生量も多く採取も簡単で多くの方が好んで食べるナラタケ。私の集落では同じナラタケでも、里山でナラ類の枯れた根元に多く発生するナラタケはモッコラモダシと呼び、湿気の多い場所や倒木に大発生するナラタケはサモダシと呼んではっきりと区別します。発生条件も、形も、味も、色も、二つは明らかに違うからです。モッコラモダシは湿地にはほとんど見られず、やや風通しの良い林内のとりわけ枯れ木や半枯れ木の根元に多く出ます。歯触りはいいですがサモダシよりも粘りが薄く味もサモダシよりやや落ちます。ただ、株が大きくて柄も長くきれいで、傘の黄色がひときわ美しく、採る、撮るにはとてもうれしいキノコです。22日にはもう盛りを過ぎ、ほとんどは腐って崩れた株が多くなっていました。

次が同じナラタケの仲間で、これがサモダシです。写真のサモダシは、人里の湿地に倒れた枯れ木に発生していた晩生もの。今年はナラタケの仲間の発生がいつもの年よりかなり少ないようで、やはり極端に発生が少なかったシメジやシシタケなどとともに、雨不足の今年を象徴しています。

次は晩生のハナイグチです。ハナイグチは採取期間の比較的長いキノコで、たいていのキノコがそうであるように晩生になると逸品で、形も充実してすぐれ、味も濃くなります。

10月も下旬となった我が家の食卓には、食用菊、カボチャ、おいしさ秀逸の最後のトマト、そして秋ナスなどとともに多くのキノコたちが並び、私の食欲をそそり続けます。

毒で始まった今日のキノコ紹介なので、終わりも毒のスギヒラタケで。以前は、針葉樹からたくさん採れるおいし食キノコの代表として多くの人々に愛されてきたスギヒラタケ。特定の病気に罹患の方に限っての中毒死などが発生してからは、食茸ではあっても毒の仲間に加えられるキノコとなり、私も時には食べますがほとんど敬遠しています。「健康なので、今も同じくおいしく食べている」という方もいるようですが、おかしなもので、いったん毒扱いされると、食べてもおいしさが今イチなものです。

▼21日は県町村議会議長会の正副会長会議と理事会へ。会の30年度会計決算と補正予算などを審議。来月に開かれる知事と市町村議会議長との行政懇談会における要望内容や当面する活動などを協議しました。

小学校学習発表会、椿川秋のフェスティバル

新庄・湯沢間を結ぶ高速道路の早期整備促進で、山形の新庄最上地方と秋田県南各市町村による要望活動が、湯沢河川国道事務所に対して18日におこなわれました。

19日は小学校の学習発表会、20日は椿川3部落地区(手倉・椿台・五里台)恒例の秋のフェスティバルにご案内をいただきました。

1年生から6年生までこの春の入学式から、心も体もひとまわり大きく成長した小学生の学習発表会。オープニングの子ども仙人太鼓、各学年の歌や踊り、劇や体操、金管バンド部の演奏と、どれも立派な発表でした。

橋本祥路先生作曲、小中の子どもたちが作詞した締めくくりの全員合唱「ふるさとの歌・悠久の風にのせて」は、いつもの年のように体育館全体に響き渡りました。94人のその一人一人から発せられる歌声は、児たちが成長した証の響きとなって聴く人々の心に届いたと思われます。父母や祖父母、多くの方々の感動の拍手が印象にのこる発表会でした。

子ども仙人太鼓で中太古と大太鼓を披露した小学5年生2人とたまたまトイレでいっしょになり「とてもよかったよ。自分でも満足のゆく演奏だったべ」という旨を話しかけたら、にこっと笑顔で「うん!」と明るく元気な言葉が返ってきました。その満足そうな笑顔と言葉に接して、こちらは、またうれしくなりました。

▼翌20日は、椿川地区3部落の秋のフェスティバル。今年で19回目を数える恒例の集いです。講演あり、音楽発表あり、芋の子汁あり、カラオケありと、進取の気概あふれる椿川地区らしく毎年多彩な内容で地区民が楽しむ集いで、こちらは久しぶりの参加です。

第1部の講演は、「縄文遺跡発掘から見えてきたモノ」と題して、村の上掵遺跡の発掘を指導されている櫻田隆ふるさと館館長の講話です。およそ1時間、世界最大級の磨製石斧が発見され、その後も貴重な遺跡が発見されている調査の途上と今後の上掵遺跡に駈ける「夢」を語られました。

第2部では、埼玉・大宮から五里台地区に移住して19年になる杉山彰さんとそのご家族によるギター演奏などのライブです。杉山さんご夫妻が移住後、ご夫妻の友達や縁のある方々が次々と村に移住されており、その輪がさらにひろがることを私は期待しています。

数多くの著書、各地でのギター演奏や音楽発表、あるいは講演、ラジオやテレビからと、外に向かってご自身の生活と村の様子を発信してきた杉山さんとそのご家族は、村にとっても誇りであります。杉山さんたちと縁があって移住された方々のみならず、村へ移住されているほかの方々がそれぞれの縁によって、村への新たな移住の輪が広がることを願いたいものです。ご家族のライブとトークはロック調の音楽が主体ですが、聴き慣れているお年寄りの方々は手拍子を打ちつつ観賞の姿も。私の耳には、ご家族全員で楽しそうに唄うそのロックが「移住賛歌、東成瀬賛歌」ともいえるように響きました。

▼その20日は、村猟友会の総会にも議会としてご案内をいただき、会員としても出席。当日は、村のライフル射撃大会(優勝・佐々木喜久藏さん)、スラッグ射撃大会(散弾銃で一つ弾のスラッグ弾を打つもの。優勝・高谷和道さん)も行われ、その表彰もされました。あっちへ、こっちへと、めまぐるしい週末と休日でした。

山神様からの素敵な贈り物

春から秋、そして真冬と、カメラをもって山歩きをしていると、心躍る気分でシャッターを押せる自然との出会いがよくあります。

とくに秋は、私の大好きなキノコのシーズンですから、そういう場面が一シーズンに2~3度はあります。

今年のこれまでは、キノコの仲間たちが一部の種を除けば全体としては不作だったり、マイタケのように所によって発生状況に極端なちがいのあった年でした。こちらはそのマイタケで、たまたま二本のミズナラの木でうれしい出会いがありましたが、ほかでは、例年発生する木に姿がゼロというのがほとんど。こちらが通う木では、マイタケは均せば不作の年でした。

そういうなかでも、1本のミズナラでおよそ10㌔ほどを収穫した今シーズン二度目のマイタケとのうれしい出会いを、まだ載せていませんでしたのでご紹介です。それは、先週半ば、久しぶりに訪れるお客様に「おいしい山の幸をごちそうしたい」と思って出かけた時のことです。

 

発生時期が遅かった今年でも、すでに本格的なマイタケのシーズンは終わっていて、先週は晩生のマイタケが最終盤の採り頃、食べ頃の時期。うれしい出会いのあったこのミズナラ大木は、過去何十年と通い続けている木で、マイタケが発生するのは2~3年間隔でしょうか。

ミズナラの根元下部を遠くから見ても姿が何も見えませんが、近くに寄ったらマイタケ特有の芳香が一帯に漂っていました。長く山歩きをしていますが、マイタケの香りをこんなに強く一帯に感ずるのははじめてのこと。「んっ、おかしいな?」と根元の上部に回ったら、なんとなんと大きな株があっちにもこっちにもいっぱい。

しばらくそのままゆっくりながめて、根元から株を離します。その度に、ググッ、ゴグッと音がし、手にした株からはさらに強い香りが漂います。うれしさに踊るという表現がマイタケではよく使われますが、ほんとに踊りたくなるような気分になるものです。今年は、一本の木で30㌔ものマイタケを採ったという知り合い(二人連れの山行き)たちもおり、二人で背負いきれず携帯電話で先輩に連絡し3人で背負ってきたということもあったそうです。心躍ったであろうその方たちは、どんなうれしい言葉を交わし合ったでしょうね。

私が通う山ではマイタケ不作の年でしたが、今年は9月末に続いてこれが2度目の収穫。不作の年の10㌔ですから大収穫といってもいいのかな。今シーズンは、このように2本のミズナラで10㌔ずつほどの収穫ができるという幸運を山神さまは授けてくれました。こんな年も自然にはあるのですね。

ほかに先週からきのうまで撮りだめしていたキノコたちをならべてみます。

最初は今年は不作といわれるサモダシ(ナラタケ)とカノガ(ブナハリタケ)。

 

次は誰もが知っている中華料理によく使われるキクラゲ。ブナの伐採がほとんど見られなくなっている今、自然に倒れたブナの木に発生する天然キクラゲは貴重なキノコといえます。早速「酢味噌あえ」でいただきました。

 

次は、同じ仲間のハナビラニカワタケ。これも「酢味噌あえ」でごちそうになりました。
味噌汁にしてもとてもおいしいキノコです。

次はホンシメジ。私の集落では、オオヒメジともネズミヒメジとも呼ばれるホンシメジ。今年は極端な不作であきらめていましたが、たまたまこの老菌2株とやっと出会えました。

 

 

次はクリカラモダシ(クリフウセンタケ)。これはホンシメジに勝るとも劣らないおいしいキノコです。やはり今年は不作。やっと出会えた少しの老菌です。

 

次は度々登場してきたハタケシメジ。毒キノコの代表格である同じシメジ科のクサウラベニタケも今年は極端に少なく、食毒あわせてシメジ類が大不作で、これはめずらしいことです。それなのにハタケシメジだけはなんとか例年とほぼ同じ発生量を見せています。これも自然界の不思議を感ずる現象のひとつです。ハタケシメジは、ホンシメジとともにおいしさではキノコ界の代表格。かたちも大きく、大量に収穫できて、なおかつ美味いので、我が家ではもっとも人気の高いキノコです。

 

最後は、私はわからない正体不明のキノコです。傘の大きさ10㌢ほど、柄の長さ15㌢ほどで、おいしそうな香りと形をしていました。記録のために載せておきます。

3市町村議会の交流会

恒例となっている湯沢、羽後、東成瀬、3市町村議会議員の交流会がきのう行われました。

今年の開催地当番はわが議会で、村のパークゴルフ場を会場にスポーツ交流を楽しみ、語らいの時を過ごしました。

同じ広域圏の事務組合を構成している3市町村です。行政から観光、経済もふくめ連携をとりあってそれぞれの市町村の発展振興をはかるうえで、この交流はとても大事な役割を果たしてきました。

今回も、スポーツを通じてのさわやかでホコッとする交流で和み合い、多彩な課題や話題での情報交換など、意義ある時を過ごし合いました。

▼夜朝の冷え込みが強くなってきたので、おととい、今シーズンはじめて薪ストーブを据え付けました。

いつもの年より半月ほど遅いストーブ取り付けです。それまでは小さな石油ストーブの暖で間にあっていましたが、こう冷え込んでくるとそれでは広くて高い居間が暖まりません。薪の炎から伝わる温かみにありがたさを感ずる季節が今年もまたやってきました。