当初予算案など説明の全員協議会

3月定例会議を前にして、きのう議会運営委員会と全員協議会が開かれました。

運営委員会では、定例会の日程を3月3日~18日までと決めました。一般質問は10日に行われる予定です。全員協議会では、令和2年度予算案をはじめとする提出予定議案の説明が詳しく行われました。

令和2年度の一般会計当初予算案は32億9,700万円。特養施設幸寿苑への村職員派遣は今年度限りでゼロとなり、介護サービス事業は特別会計としては2年度からなくなります。ほかの特別会計予算案は、国保事業勘定が2億7,792万円、直営診療所が⒏,746万円、後期高齢者医療が約2,808万円、介護保険事業勘定が約3億7,082万円、簡易水道事業が約7億4,420万円、下水道事業が約9,618万円となり、一般会計と特別会計を合わせた村予算案の総額は約49億円となります。

保育所の民営化移行、地域への各種補助金の統合、コンビニでの住民票など各種証明書交付実施、循環拠点システム(くん炭製造施設)の指定管理移行、学校給食センターをこれまでの業務委託から直営に移行、4つの農村公園のトイレ管理を各自治会、部落に業務委託、基金からの少なくない繰り入れによる予算編成等々、一般会計の特徴点やこれまでより変化のあったことなどもいくつか説明されました。

特別会計では、簡易水道事業のうち施設の更新統合による中部地区の工事費(一部に南部地区約1千万円含む)と委託費などを主にして約5億8,400万円となります。

▼新型コロナ関連による全国や県内などの行事動向への対応などが考慮されたのでしょう、3月1日に予定されていた岩井川地区恒例のコミュニティ文化祭は急きょ延期される旨の連絡が入りました。

その連絡を受ける前には、3月2日から春休みまで、小中高、特別支援学校のすべてを臨時休校とすることで国から各都道府県教育委員会へ要請されることもきのう突然発表されました。危機管理の在り方を問う見解が連日報道され、国会でも同じような質問がされています。

世界人口80億人ほどといわれるわれわれの社会は、経済をはじめ様々な分野で地球規模の大きなつながりをもつまでに発展してきました。地球にはやがて100億人台の人々が暮らすようになるようです。その時代には地球規模の人の移動やつながりはもっと大きくなり、あらゆる面で及ぼし合う範囲はさらに広がるはず。新型コロナは、そういう社会に沿ったあらゆる面での危機管理の在り方で我々に警告を発しているのでしょうか。

郷愁にかられるバス車庫

まもなく3月。わらし(童)だった頃のこちらにとっては、春休みが早く来ることを待つはじまりの3月でした。

集落では、それぞれの部落ごとにわれわれ童どもの集まり場所(遊び場)があり、春が近づいたわが集落では、たとえば城下の我が家そばにある「三吉様」と呼ぶ小高い神社の境内はその一つ。我々にとってはめったにないことでしたが、それからちょっと遠くまで遠征すれば合居の羽後交通バスの車庫も大切な春の遊び場でした。

とくにバスの車庫は雪がありませんから、バスが駐まるようになってからの合居の童たちにとっては冬から春にかけての絶好の遊び場だったと思われます。城下からも稀に我々が遠征したのですから、上野、東村までをふくめそこには集落の童どもがこぞって集まったのでしょう。

そこでの主な遊びはコマ回しとパッタブヂ(メンコ打ち)。コマ回しでは、曲芸師のような技でコマをあやつる凄腕の先輩が必ずいて、そういう先輩が手にしている歴戦のコマはどっしりとしていて、コマ木も鉄の軸も風格がほかより違うように見えたものです。

コマとは違いパッタ(メンコ)は、新しくて大きなのが童たちのあこがれの的。そういうパッタを買ってもらえる童はごく限られていました。刷られた表絵の紙がぶさぶさになってわずかの絵が残り、少しの風であおられれば裏返しされたり飛んだりするような薄いパッタで厚く新しいパッタを手にした時は実にうれしかったもの。そういう勝負の場にめぐりあえる機会も実際はそんなになかったのですが。

年代もののバスの車庫は、そんな遊び場だっただけにガキの頃の郷愁を誘う建物なのです。合居に最初あったバスの車庫は1台のバスしか駐められない造りだったようです。元バス運転手のSさんは「バス2台を駐車できる今の車庫は、確か『旧大森町にある車庫をここに移したもの』と聞いた。昭和43年で現在の車庫があったから、移し建てられたのはその何年か前だろう」と語ります。

我々が遊んだバス車庫は、今ある車庫なのか、それともその前の車庫なのか、ちょうど境目の年代あたりなので私にはわかりません。ただ、やや傾き古びた車庫の柱や板を見る度に、いつかも書きましたが昭和30年~40年頃の郷愁に私はかられるのです。

真白き嶺が目立つ季節

所用で湯沢へ向かったきのう午後。吉野でまた田んぼの土がほとんど出ていました。

例年、高校の卒業式がはじまる3月1日には、早い年であれば「真人へぐり」にまんさくの花が見られます。それで「今年なら、もう咲き始めたかな?」と車窓からながめましたが、走る車の中からは花の確認はできませんでした。開花はまだなのかな。

日向斜面では、岩井川集落の里山でさえ雪のない箇所が広がっています。増田、十文字地区の田んぼには北帰行途中の白鳥たちが舞い下り、2月なのにモミなどを食べているほど。

白鳥たちは「秋田市方面まで行かなくても、増田、十文字あたりで2月に田んぼで食事ができるのは初めて」と助かっているでしょう。今冬の渡り鳥たちは、中継地で餌のとれる範囲があまりにも多くありますから、秋田県南の食味特A級のお米「あきたこまち」のたっぷりの栄養をとって大陸へ帰れるはず。

村も平野部も土肌の占める黒い範囲がそれだけ多くなっているので、西の鳥海山や東の焼石連峰の真白き山容がひときわ目立ちます。こちらがながめた昨日午後は残念ながら曇り空を背景の山体でした。これが午前のような晴れ空に浮き立つなら、白雪を抱く見事な美の景観となります。その景観は横手盆地に春が来たことを感ずるひとつの季節指標ともなります。

もっとも早いフクジュソウ紹介

このブログを書き始めたのが2007年。 それからずうっと村の四季だよりを記してきていて、フクジュソウは春告げ花として真っ先に群生地の様子をご紹介してきました。

今年は、そのフクジュソウが、書き始めて10年以上経つ間では最も早く花を見せ始めています。写真に切り撮ったのは過ぎた22日ですから、おそらくその何日か前から花は咲き始めていたものと思われます。村では記録ものとなるフクジュソウの早咲きです。

そばには、おそらく村内ではここだけの植生かと推測される常緑のセキショウが少ない株で見られ、バッケもどんどん顔を出し続けています。23日の吹雪で花もセキショウも10㌢ほどの新雪に覆われましたが、その新雪は昨夜の雨でほぼなくなりました。

集落入り口の我が家の田んぼも20日前には畦をまた出していました。80歳代、90歳代のお年寄りの方々も「こただに雪のびゃっこだ(少ない)冬は初めでだ」と言います。記憶だけではなく科学的な統計でももしそうだとしたら、10年間ほどどころでない、およそ一世紀間隔でみても異常な冬を我々は過ごしたということになります。なにしろ世界有数のこの豪雪の村で、雪下ろしを一度も無しで済ませた方々もいた冬でしたから。

村内集落の里山に見られるこの季節特有のヒラ(底雪崩)も、今年は斜面の積雪が少なく規模の大きなものはほとんど見られません。これもめずらしいことで、今春は、雪崩の箇所に発生する山菜の発生時期にも一定の影響が及ぶでしょう。

桜の開花予想がされる時期となり、例年よりかなり早い開花予想日が報道されています。桜より早い梅の花は、やはり例年よりはるかに早く咲き始めているようです。豪雪のために遅すぎる春も困りものですが、雪が少なくて早すぎる春のおとずれも農家にとっては不安です。農作物、とりわけ果樹などに影響(萌芽や開花が早すぎるための霜害など)が及ばねばよいのですが。

▼毎年この季節になると、若い頃お世話になった相模原市のSさんから、お知り合いの方が作られている小田原産のミカンがとどきます。農薬をセーブして栽培されているミカンで、今の時期のミカンですからもっとも晩生の種なのでしょう、味は、晩生ですから格別。

こちらが二十歳の頃に過ごした神奈川の台地。そこでの冬を過ごしてみて、雪国との違い、うらやましさをまず感じたのは冬でも露地の畑で育っていた緑あざやかなホウレンソウでした。この季節になるとあのホウレンソウの緑が連なる畑を今も時々思い出します。それから50年近く経ち、今は村でも冬のビニルハウスでホウレンソウが栽培されます。時代はほんとに変わったものです。

▼発達した低気圧による台風並みの強風はこの季節のつきもの。23日は前が見えなくなるほどの吹雪が時折荒れ狂いました。でも気温はそれほど下がらず降る雪も少なく、南極のブリザードのような寒中の猛吹雪を何度も知る村人にとって、寒気の緩いこの程度の吹雪は幕下クラス。ただ、ビニルハウスや、雪がなくなったトタン屋根の風害はさすがに気にはなりました。その荒れ空も一日で去り、新たに積もった少しの雪も昨夜の雨でほぼ消え、今日はまた朝からおだやかな陽射しを受けています。

2月下旬前で土肌がこんなに

2月6日に降った50㌢ほどのドカ雪もどんどん解け、我が家の屋根雪もほとんどがなくなってしまいました。これで「2度目の雪下ろしはせず」の判断は良と出たわけですが、なんと雪解けは予想より進んでしまい、屋根の風害防止としての重し役をする雪もなくなってしまったというわけです。

いったんは新雪に覆われた地面がまたまた現れ、土肌の範囲が広がり、季節にしては早すぎるバッケの顔も目につく場所が増えています。

きのうも春のようなおだやかな晴れ空。その青い空にさそわれ川辺のネコヤナギにもまた立ち寄ってみました。

▼県町村議会議長会の理事会がきのう開かれ、来年度の事業計画と予算を決めました。

県内では先日記したように町議会の3月改選が多くあります。すでに立候補予定者への説明会も開かれているようで、激戦が予想されるところの話題なども交わし合われました。

大蔵村役場周囲のたんぼは雪がほぼ無し

18日は、議会常任委員会の視察研修で大蔵村に向かいました。最初の写真は村の議場です。

視察の目的は、雪対策と6次産業化などで、ほかに再生可能エネとしての小水力発電のとりくみなども、そのごく一部を学んできました。

大蔵村さんは「日本で最も美しい村連合」発足当初の構成自治体であり、わが村も後にその一員となりました。それに加えて、高速道路関係の期成同盟会活動でも最上地方の自治体とはいっしょの行動が多く、3県合同の議長会研修などでもお世話となり、親しく交流させていただいております。

今回、常任委員会が大蔵村さんを視察先に選ばせていただいた主な目的は、前述のような内容ですが、同じ東北の内陸部、山村、豪雪、人口規模、トマトなどの産物、そして創立130周年の歴史などを含めまして、共通点がとても多いということも視察行の目的にあったようです。

類似団体を行政指標の参考にすることが我々にはよくあります。その点で大蔵村さんは、「参考になる自治体として常に頭から離れない村」と私は思っておりましたが、常任委員会のみなさんもそれは同じであったようです。

わが村では、新たな総合計画案づくりがこれからはじまります。産業振興、生活環境整備など中長期の村づくりのカギとなる総合計画ですので、よりよい計画を議決する上で議会の責務も非常に大きいものがあります。そのためにも、新たな計画づくりを先行させている大蔵村さんの事例をその面からも学び、参考にしたいと思い訪問させていただきました。

歓迎のごあいさつをいただいた加藤正美 村長、矢口智 村議会副議長、説明に同席していただいた安彦加一 副村長、海藤邦夫 産業建設常任委員会委員長、加藤忠己委員、長南正一委員、斉藤光雄委員の皆様と、高山和広 村地域整備課長、早坂勇一 議会事務局長、食品加工所で説明をしていただいた(株)三和食品の梅津大輔 工場長をはじめ会社の皆様には心からのお礼を申し上げます。写真のお弁当は加工場手作りのもの。とてもおいしかったです。

今年は極端に積雪が少ないことをわかっていながらも、豪雪の大蔵村を念頭において向かいました。が、その大蔵村は、最上川が流れるそばの役場所在地周囲のたんぼには雪がほとんどなく稲株が出ていました。名うての豪雪箇所はよく報道される肘折のごく一部のようで、同じ日に役場所在地で60㌢ほどの雪があるわが村とは積雪に格段の差があったことは意外でした。

なお、大蔵村議会常任委員会の皆様は3月末に教育行政視察で来村の計画があり、ホテルブランにもお泊まりいただく予定です。

帰路、大部分を厚い雲に覆われた鳥海山の、我々からすればその山体の裏側を酒田や仁賀保側からながめ、やや白波のたつ日本海を久しぶりに目にしました。

仁賀保市は、同じ県内とは思われぬほどに少々背高の南の地方に多い常緑広葉樹が目立ち、海岸部の雪はもちろんゼロ。雪がほとんどないのはお隣由利本荘市内の平野部もおなじ。しかし、出羽丘陵を越えて横手市方面に入り、雄物川を渡って焼石連峰をのぞむわが村に入るにつれ「さあ、また雪国に帰ったぞ」という気分にさせられました。それでも、今年はこちらも異常に雪の少ない冬ですからね。

2月半ばでネコヤナギ盛り

久しぶりに河川敷を散策した15日。3~4月並のお天気が続く2月ですから、予想したように川岸のネコヤナギはいずこでも衣を脱いでいました。

散策では、いつものようにクレソンとノゼリを摘み、真冬(春)の野の菜のみずみずしさを味わいました。

河川敷の木立には、忙しそうに動き回るコゲラがみられ、コゲラのそばには、それよりさらに敏捷なシジュウカラの群れがやってきて、ながめているネコヤナギにも止まりました。

昨年は、3月6日に「岸辺のネコヤナギがほころびはじめている」と記しています。今年は、2月15日でほころびはじめてから数日たっているこんなネコヤナギの様子です。成瀬川も雨天でやや増水。春、雪解けはじまりのような流れをみせ続けています。季節のうごきが例年よりあまりに早く春に近づいていることがこれらでわかります。

▼14日、村の小学校のそばを通ったら、小5年生の児童たちが雪中田植え行事の最中でした。村のふるさと教育で尽力されているSさんのご指導によるもので、昔の小正月行事のひとつを体験する授業です。

村の郷土誌は、この雪中田植えについて「農耕の模擬行事で、一五日、屋敷内に僅かな面積の雪をかきならし、『もみ』を播き、田にみたてる。また、五、六寸(15~18㌢)ぐらいに切ったわらをさし、田植えをする家もある。」と記します。

雪中田植えは、農事に関わる数多くある「予祝行事」のひとつですが、お祝いの願いがお天道様に届いてくれることを今年はとくにのぞみたいものです。

雪が少なすぎるし、春があまりに早く訪れそうだしで、農家のみなさんは「どうか、雪解け後のお天気があたりまえでありますように。水不足が心配で、適度な雨も降ってくれますように」とねがっているのです。

村芸術文化祭

14日、県町村電算システム共同事業組合議会の定例会で秋田市へ。

総額約7億4,100万円余の令和2年度一般会計や補正予算案などを審議し、いずれの案件も可決、承認されました。

先の町議会改選で新たに議長就任となられた井川町の遠藤政勝氏とは、この議会が初顔あわせとなりました。県内では、むかし「秋田ミニ統一選」ともいわれた地方議会の選挙が今年は集中します。この後に3月は、小坂町、藤里町、五城目町、羽後町が告示となり、さらに9月までが任期の大潟村も改選をひかえます。

それぞれ選挙にかかわる話題もありましたが、立候補状況もふくめどういう結果となるか、当事者のみなさんだけでなくほかからも注目が集まっているようでした。

▼きのうは村の芸術文化祭。小さな村ですから規模はこじんまりとしていますが、芸術・文化活動にとりくむ村民の意欲は多彩、旺盛で、表現や作品もすばらしいものがいっぱいでした。

こういう機会には出展・出場しないものの、芸術・文化活動、趣味を一つの生きがいにされている方はまだまだ村内にはたくさんおられます。そうしたみなさんもどんどんこうした場で展示・表現していただければ祭りはより豊かなものになるでしょう。「参加することに意義あり」は、いろんな分野にあてはまることです。そうやって、みんなで気軽に楽しみ合えればいいのですから。

赤滝の伝説をうたう「成瀬の源」をお聴きください

お気づきと思いますが、村のホームページから、元オフコースの大間ジローさんが作曲し歌う東成瀬村応援歌「成瀬の源」を聴くことができるようになって幾日か経ちました。

赤滝、能恵姫伝説、成瀬川、雄物川、そして日本海の大海原へと、成瀬の源から流れゆく水模様を叙情ゆたかにあらわした調べはほんとに素敵です。まだお聴きでない方は、ぜひお開きになってその魅惑の響きに触れてみてください。

▼月の上旬に今冬2度目となるいっきょに50㌢も降るドカ雪に見舞われた村でしたが、その後はまた「3月~4月並み」という気温が続き、きのうの雨もあって積雪深はまたぐっと下がりました。

気温だけでなく土肌が広がりを見せるまわりの景色も、またまた3月から4月なみ。かまくらなど雪を象徴する小正月行事のみなさんを嘆かせるおかしな冬が続きます。

今朝、その春並みの空を見上げたら、奥羽の脊梁を南東側から越えてきた雁の大きな群れをいくつか目にしました。彼らの北帰行もいよいよはじまったようで、これはその先がけの群れでしょう。伊豆沼あたりから飛んできて、途中の休憩地は大潟村あたりでしょうか。

岐阜白川町から教育行政視察

岐阜県白川町議会の副議長さんをふくむ5名の議員さんと、町教育委員会教育長、教育委員会職員の方々ご一行7名のみなさんが、きのう教育行政視察で来村されました。

人口8千人弱の町で、町議会の定数は9人。視察の議員さんのなかには女性議員の方が2名おられました。

みなさん、事前に村の情報などをよく把握されていたようで、小、中学校あわせて半日の視察でしたが、質疑応答のなかでも内容の濃い質問がたくさん出され、お一人お一人から視察後の感想もいただきました。それらは、いつもと同じように我々にとっても学びとなる言葉です。

みなさんは前日に村のホテル・ブランにもお泊まりいただいております。視察には総務教育民生常任委員長とともに同席し、歓迎とともにそのことへのお礼も申し上げました。ご一行の交通手段は往き来とも新幹線で、帰宅されたのは昨夜10時近くになったらしく、女性議員の方から視察お礼のお電話を夜にいただきました。

▼午後すぐには、3月議会を前に届けられている陳情書について、その内容を説明するために代表のみなさん5名が来庁。これにも常任委員長と対応しました。

きのうはここ数日の間では一番の晴天に恵まれました。役場庁舎裏手にはめずらしくノウサギの鮮明な足跡までみられました。久しぶりにおとずれた晴れの夜だったので、ノウサギさんはいつもより行動範囲をややひろげ、月の夜を楽しんだようです。

焼石連峰など真白き奥羽の嶺が青空にくっきりと映えた一日でもありました。役場の帰り、久しぶりの青い空と際立つ高嶺の白さに惹かれてつい車を止め、その景色を切りとっておきました。