アカショウビンが渡ってきました

何日ぶりの雨だったでしょうか、待ちこがれていた8日の雨はこれこそ「慈雨」。妻に植え付けられてから一度も雨にうたれていなかった野菜たちはぐったりしおれていましたが、恵みの雨でなんとかシャンとした姿勢を保てるようになりました。

6月にあんな夏日、真夏日が続き、しかもにわか雨さえしばらくの間なかったのですから、こんな6月はめずらしいという年のうちにはいるのでしょう。おかげで、根張りが弱く赤茶けていた田んぼの早苗もいくらか緑を濃くしてきました。ただし、もうほとんどダメそうな株も目立ってきましたが。きのうは脊梁越の冷たい風が肌寒くて、我が家は薪ストーブで暖をとりました。

ところで恵みの雨が降ったその8日、朝夕毎日続いている田んぼの水見回りに向かったら、林の方角からまことによく響くキョロロロローンの鳥の鳴き声が聞こえてきました。

すぐに「あっ、アカショウビンだ」と声で確認、急いで自宅にカメラをとりに戻り、林の中に入りましたが、鳥はやや遠くへ離れたらしく、声はきこえるが姿はもちろん見えず。(この鳥の姿はなかなかおがめないのです)。

実は、その一週間ほど前、早朝にたんぼのワラビ採りにでかけた妻が、「アガショウビン、鳴ぐけぞ(鳴いていましたよ)」と言ったのを聞いていたのです。その後、こちらが朝夕のたんぼに向かっても、ちょうどその時には声がなかったのですが、どうやらまだ声が聞こえるということは、この範囲で棲息しているということでしょう。妻は、何年か前にこちらといっしょにいる時、アカショウビンが鳴き、さらに運よく飛ぶ姿までみているのでわかるのです。我が家では、まだ床に伏している朝の寝室に、彼らの鳴き声が聞こえてくるときもありました。すぐそばの沢が生息エリアでもあるらしいのです。

妻は、半年間のパートなみ仕事をしている「直売所」にいても「合居のほうでも鳴いで、えだっけよ」と、キョロロロロローンの声を聴いたそうです。同じ個体なのかはわかりません。

2年前にもちょうど同じあたりに棲み着いていましたから、渡り鳥のかれらにとってここらは棲みやすい所なのだろうと思います。

私はアカショウビンを、あんまり美しく赤い鳥なので勝手に「火の鳥」などと呼んだりもします。その赤い鳥が8日朝に鳴いていた森は、むかしの川通り道(旧村道・いわゆるアカミチ)があったところ。その森の入り口には岩井川開墾組合が建立した「五穀神社」の石碑があります。碑には、確か「昭和17年」となんとか読める文字が刻まれています。戦中のその年にソリとかで高台へ運んで立てたのでしょうか。それは、先達・先祖の苦労の歴史をしのばせてくれる碑でもあります。

河岸段丘の川通りの台地は、我が家のたんぼもふくめ碑が建立された戦中に開墾されたのでしょうか。私は自分の父親の生家があり、私自身もそこで幼い時の数年間育った土地でありながらそのことをくわしく知りません。碑もそこへ至る山道も、カドリノ(川通野)の人々によって代々まもり継がれてきました。まれに、遠く県外からこの社のない神社を参詣に訪れる方もおります。その方にとってはきっと「ありがたい、遠くの神様」なのでしょう。いつか、開墾組合や川通の台地に人々が住み着いた歴史をどなたかにおたずねしようと思っています。

岩井川集落全体と開墾された田んぼや畑を見下ろす小高い森は、仙北街道に連なる歴史の道でもあります。心を休める場所としてもとても素敵なところで、私は時々ここに通い、古の人々も一休みしたであろう高台の森にからだを癒やしていただき帰ります。

その森にアカショウビンが渡ってきてくれているのです。そこに通う楽しみがまたひとつ増えました。いつか、偶然カメラにおさめられる時があればと夢みています。

そんな素敵な赤い鳥の鳴き声が響き渡る田植えのようやく終わった山里では、ハナウドの仲間とヤグルマソウが花を満開にしています。ほかの野草にさきがけて芽をだすハナウドの仲間を、私らはウドザグと呼びます。

ウドザグは茎は空洞、臭いがあまりにきついので人はまったく食べない野草です。ただ、いち早く新芽をだすために、厳しい冬を越し緑の草を待っていた野のいきものたちにとっては春一番最初のごちそうらしく、これはこれで豪雪の土地では大切な役割をはたしている野の草なのです。


 

 

 

集落そばの里山でも、大雪崩跡にはまだ残雪が見られます。雪崩の直撃で倒された木々がそこには横たわり、堅い残雪のある狭い範囲のそこは季節はまだ春。サンカヨウが咲いていて、ワサビ、アエコ、コゴミなどが今でも食べ頃で芽を出していました。そばには、今々ツキノワグマがサグ(エゾニュゥの仲間)の茎を食べた跡も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼きのうは、今年はじめて焼石岳へむかいました。

朝4時、「晴れの予報」をたよりにまったくの晴天を期待して向かったのですが、8合目からは冷たい東風と濃い霧が流れる中、雨具をつけての歩きとなりました。強い風にガスですから、カメラのレンズにはたちまちのうちに水滴がつき、それを拭いては撮りの繰り返しをしながら高嶺の花たちを拝んできました。後日、その山行の始終と花の百名山の初夏の花たちをお知らせいたします。