たんぼ・稲穂がめんこぐ(可愛く)なる

7月末から8月初めにかけて出穂のはじまったわが家のたんぼ。田植えからおよそ3ヶ月余で稲穂がもうこんなに傾くようになりました。

稲穂が出る。日毎に登熟が進んで穂が重くなりかしげる首が低くなる。さらに黄金色が深まる。そんな実りの季節になると、たんぼ、稲穂がめんこぐなり(可愛くなり)、たんぼへ通うのがとっても楽しくなります。

刈り取りまでほぼあと1ヶ月。これからは、実りが完結する時を待ちながら、収穫作業がスムーズにできるよう排水に努めたり、収穫機械の準備を整えたりして、最後の畦草刈りを9月半ば頃に終え、下旬には収穫に入ります。

夏日、真夏日続きのお天気のためでしょう「穂の登熟の進みが早い」とみられているようで、今年は例年より稲刈りが早くなる予想もされています。刈り取り期のお天気にもよるでしょうが。

▼9月議会の一般質問通告はきのう正午に締め切られ、佐々木悦男さん、佐々木正利さん、高橋清一さんの3議員から通告書が届きました。通告には、防災対策や、村長の行政報告に関連する内容などもかかげられております。

▼里山のハギモダシ(ホウキタケの仲間)が盛りの頃となりました。このキノコが顔を出す場所を10箇所ほど知っていますが、きのうは歩いて15分ほどのナラの林に入りました。

ピンクの色といい、列をつくって発生する姿といい、観るのがとても楽しいハギモダシ。今年の発生状況はやや少ないながらほぼ平年並みという様子です。これからは朝晩の寒さが日毎に増します。そうなるとホウキタケの仲間では、大型のネズミハギモダシ(ムラサキホウキタケ)が顔を出し、アガキノゴ(サクラシメジ)も早生モノが姿を見せる季節入りです。

 

村議会9月定例会議はじまる

村議会の9月定例会議がきのう開会されました。

常任委員会などからの報告の後、村長、教育長の行政報告があり、続いて議案の提出と説明がおこなわれました。この9月議会では、29年度決算全体の監査にあたった代表監査委員からの「決算審査報告」が例年おこなわれます。

議会事務局提供

審査報告では、審査を終えての意見が最後にのべられました。その内容は、一部要略すれば◆「………実質収支は全会計とも黒字だが、実質単年度収支では一般会計で2億7,123万円の赤字に転じ、特別会計の後期高齢者医療と介護保険(事業勘定)の2会計が赤字。赤字解消に向け、中長期的な財政計画による適正な運営が望まれる。村税等の不納や収入未済への厳正な対処を。多額の公費を投入した新規起業等育成支援事業について、実績や雇用状況の定期報告、計画と実績の相違に対する改善への対処が必要。補助金交付では、事業目的、趣旨を十分に説明し、漫然と長期・固定化することのないよう定期の検証・見直しが必要。中長期的に財源不足が見込まれる。義務的経費の増加と公共施設の大規模改修事業など財政需要の増大も見込まれることから、的確な事業計画により、身の丈にあった財政運営が望まれる。………」などというものです。こうした審査意見や決算資料などから引き出された議員各位の視点をもとに、11日と12日には決算特別委員会で審査が行われます。

例年、当初予算には計上されなかった事業などがこの時期には出てきます。これから新たな事を始める、あるいは予測される、および追加もありで、予算補正が必要となり、各会計の補正予算案も提出されました。平成29年度決算認定議案、教育委員・高橋養滎さん、佐々木一二さん両氏再任への同意をもとめる人事案件などが審議、議決されます。

議会中、9月4日の一般質問時には、10月26日に予定されている「子ども議会」開催のための事前勉強として小中学生のみなさんが傍聴に訪れるようです。

次代を担う子どもたちの目と耳に直接うつり聞いていただく議会です。充実した質問と答弁が旺盛に交わされる一日としたいものです。一般質問の通告は、きのうの行政報告をうけた後の今日正午までが提出の期限です。何人の質問となるか注目してるところです。

定住促進めざす三つ目の住宅団地

村では3箇所目の村営住宅建設準備が進められていた滝ノ沢地区で、きのう安全祈願祭が行われ議員全員が出席しました。

今回建設されるのは、先に田子内に建設された6棟の「若者定住促進住宅」と同じ目的の事業で、滝ノ沢地区には4棟が計画、予算化されました。

村発展のためには若者たちの定住促進がカナメとなります。私も定住のすすめを意識したうったえを、今年は成人式のお祝いの言葉にもはじめて間接的に込めました。厳しい財政事情のなかでも、「これは欠かせぬ」と村と議会が計画・判断し建設される住宅です。

安全祈願祭ですから工事の安全をお祈りすることはもちろんですが、事業目的にそい、より良い成果があらわれる住宅事業となることを願いつつ玉串を奉てん、乾杯の発声に立たせていただきました。

(天地人) 仙北道(手倉越)の現地踏査行

24日の議会運営委員会は、9月議会(定例会議)の日程を決め、全員協議会で議案の詳細な説明を受けました。

議会は明日から9月14日までの予定で、明日は行政報告と議案の提出・説明、常任委員会での2件の陳情審査。4日は一般質問と陳情審議、予算特別委員会。11日~12日は決算特別委員会。14日が議案審議という日程で進められます。

▼26日は仙北街道の踏査行へ「一番最初の参加申し込みです」と言われたほどに早めに申し込んでいて参加。実はそれまでの一週間ほど、過ぎた台風19号や20号のことがあり「雨が何より心配」とそのことが頭から離れませんでした。それはこの踏査行を主催した公民館部門を担う村の担当職員方も、「仙北道を考える会」の役員のみなさんも同じだったでしょう。

前夜の大曲の花火大会も雨が心配されました。幸い雨無しのなかで大会は進んだようで、NHKBS放送を夜9時半過ぎの途中から視たら大会の特集場面が録画で写されました。最後の「秋田県民歌」と大輪の連続打ち上げ場面は感動のクライマックスで、全国にまたこの大会のすばらしさを伝えることができたようです。

わずかの時間でしたがその感動にこちらもひたりながら「明日、大雨だけはないように」と祈るような心持ちで床につきました。

さて当日。朝5時半にバスは役場を出発予定。4時には起床しまずは天気予報にスイッチオン。雨マークは依然としてなくならず、雨雲もちょうど歩く街道筋を流れる模様。でもそれほど降水量は多くないようなので少しは安心。

街道歩きの公募人員は30人ほどに限定されます。それは、歩く区間の始まりと終わりに車で参加者を送迎しなければならないこと、コース全体に要する時間が8時間ほどかかり、渡渉や登り下りが多く、しかももっともトラブルの起きやすい谷に入ってからは携帯電話の通じない時間が長くあるなどの理由からです。全体として安全に円滑に踏査行をすすめるにはスタッフや体制のうえからもこの人員程度が今は限度とみられています。今回も、昨年に続きその限度をやや超える参加ご希望があったようで、結局参加は31人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参加された方々は多彩で、遠くは愛知、東京からも。気仙沼市からは昨年と今年の6月も歩かれたSさんのほかに新たに市の山岳会長さんらもご参加。横浜の82歳の方(カラコルムなどを登られた方)は今年新たに友人お2人(御高齢?)を誘われてのご参加です。

お天気はやはり無情。柏峠で雨具が必要なほどの雨となり、歩きの時間も予定より大幅に多くを要することに。それでも小出川はまだ増水するほどの雨とはならず雨無しのなか川原で昼食をとることができました。

昼食休憩を短くしての出発後は強弱の雨がほとんど降り続き、最後のツナギ沢を渡る頃には小沢の流れの色がやや変わり始めました。しかし、心配した増水も無くすべての渡渉を終え、歩きを先導したそれぞれの方々は「川をすべて渡り越えられた、ホッ」です。

雨の中での街道歩きという貴重な体験ができたこと、会員や、ご参加の方々の中には「何事もプラス思考で」ととらえた方もおられたようです。トラブルなく全員が迎えの車に乗り、ホテルブランでの交流会も意義深く、楽しく過ごすことができました。

村を発信するうえでひとつの象徴ともなっている大切な仙北道。昨年に続き歩きに参加したのは、会員の一人として歴史ある街道歩きに魅力を感ずるからであるとともに「街道の維持・管理状態がどうなっているか、自分の目で確かめる」という思いがあったからです。

この街道を遺してゆくためには主に岩手側の刈り払い作業が大きな課題です。それは岩手側国有林内大寒沢の車道についても感ずることです。ほかにも、歩いたからこそ感ずることがたくさんありました。歴史遺産を後世にしっかりと引き継いでいただくため、今後にむけ各方面のみなさんと情報の通じ合いや語り合いをしたいと思っています。

踏査の初めから終わりまで、ご難儀、ご協力いただいたスタッフのみなさんに感謝し、ご参加の方々へお礼を申し上げます。来年は、よい天気の下で歩けることを願いまして。

今月28日から9月議会

村議会の9月定例会議が28日に開会されます。くわしい日程は今日の議会運営委員会で決められます。

この議会は平成29年度村各会計の決算審査案件があり、審議にのぞむ議員各位も、議案を整え答弁に対応する当局側も、それぞれいつもの議会より準備に時間と労力を要する議会といえます。

すでに、決算書や成果説明書もふくめ決算資料がドーンと届けられていて、こちらもそうですが議員各位もそれを開きながら審議にむけた準備の日々が続きます。

国道設置の温度計はきのう38℃。真夏日が続き異常な暑さで高温注意報が発令、村の防災無線からも注意がよびかけられたほどです。厳しい残暑とはまさにこういうことをいうのでしょう。台風20号一過でぐっと涼しくなればいいですが。

ピンク映えのキノコ

初秋のキノコといえば、村では深山のトビダゲ(トンビマイタケ)と里山のハギモダシ(ホウキタケの仲間)、それにどこにでも見られるチンダゲ(チチタケ)がまずあげられます。

もう8月も下旬入りなのでトビダゲは稀に見られる晩生をのぞいてシーズンは終わり。一方、里山ではハギモダシが真っ盛りに近づこうとしています。

里山のナラ林に出るハギモダシは、緑葉濃い林地にきれいな菌列をつくって発生。その色が鮮やかなピンクや橙色で、環境がよければ大発生しますから眺めるだけでもお見事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家では初秋の食卓に欠かせぬキノコで、炒め物、煮物、味噌汁、刺身風にしてなどでいただきます。このキノコが盛りになるのは来週あたり。残暑は厳しいですが、台風20号が去れば、いよいよ村の秋も本番へと入りはじめるでしょう。

そばには、うどんやそばの出汁につかえるアシグロタケの仲間のキノコも見えました。おそらくキアシグロタケでしょう、ジェンコシナダゲ(オツネンタケモドキ)と同じで簡単に裂けぬほど「しねェ(噛み切りにくい)」キノコです。

 

 

 

 

里ではミョウガも採れる季節入りです。夕餉にはハギモダシとミョウガの炒め物で初秋の味覚を楽しみました。(ハギモダシの仲間には毒キノコもあるようですから、写真だけで食・毒を決めつけないようにしましょう。)

「生活遺産」の間木堰

村内各集落のくらしをささえる用水路は、先達の苦労をしのぶうえで「生活遺産」とよびたいほどに貴重なものです。

それら数ある用水路のなかでも、椿川間木集落の開拓とむすびついた「間木堰」は、最も困難な山ひだと崖を堀り通してつくられた「堰(用水路)」で、村人の苦労を知る上で欠かせぬ歴史構造物です。

先年、機械力により大幅改良工事が施されていますが、堰そのもののコースはほとんどむかしと同じです。その間木堰を、去る11日に取水口まで訪れ、そばの滝にも下りてみました。深山でありながら里からすぐに行ける明通沢は、沢の景観も伐り残されたブナの森も素敵なところ。合居川、北ノ俣沢、赤川とならび魅力あふれる渓谷美がいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、間木堰が完成したのはいまから101年前。前後5年の歳月をかけて約3.6㌔㍍の堰が大正6年(1917年)5月26日に竣工したと村の郷土誌は記します。

明通沢から初の水が引かれたときの喜びはいかばかりだったでしょうか。もちろん当時は機械力はなし、ほとんど手掘りだけでの作業だったのでしょう。垂直どころか、逆にかぶさるような堅い崖をタガネで堀り、いくつもの小沢を横切りこれほどに見事な水路を掘削した当時の人々の、生きるための堅い意志にはただただ敬服するばかりです。

それは、困難の大小にかかわらず、ほかの村内各集落の用水路掘削の歴史にもいえることです。ただ、間木堰はやはり掘削の困難さでは特別だったことが、この水路を歩いてみればよくわかります。堰の延長と構造の条件をみれば、掘削後の維持管理にも想像をこえた難儀さがあったことを推し量ることができます。

こういう苦労を体験した方々ですから、その後の時代変化の荒波も「これぐれぇの難儀など、なったごどねェ(どうってことない)」と越えられることができたのでしょう。「若い時の苦労は、必ずためになる」といわれてきましたが、苦労の体験があるとないでは、人の器にも、地域の文化にもそうとうのちがいがでてくることは今も同じようです。

古代の歴史を探り知ることも大事です。同時に、水を引き田を拓いた近世の歴史もすぐそばに堰という「くらしの遺産」があり私たちは学べます。生きた証人が幾人もおられる戦争をはさんだ苦労の歴史も、今なら直接学ぶこともできます。ひろく先達の苦労の歴史をみんなで語り伝えていきたいものです。

花の百名山・8月半ばの焼石岳(その3)

横岳登山道で行き会ったこちらと同じ歳ほどの登山者は、「一関から来た。東成瀬コースをはじめて登ったが、案外近いし、楽。これから南本内岳(権四郎森)にも回る」と語られた。健脚な方のようだ。

姥石平の夏を彩ったトウゲブキやタチギボウシは完全にあるいはほとんど花が終わり、いま目につくのはキンコウカ、イワオトギリ、ミヤマアキノキリンソウやキオンかな。黄花たちなのでよけい目立つ。イワショウブやシロバナトウウチソウもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏油コースから別れて9合目分岐に向かう途中の南本内川源流部のシゲイシ(スゲイシと記す方もいる)には残雪が見られる。ここから9合目までは、まもなく訪れる紅葉の時期には焼石で最も素敵とこちらは思う絶景が広がるところ。

分岐手前の雪田跡には、ここも雪解けが最も遅い所なのでタチギボウシをはじめ夏の花たちが登山道を覆うように咲いている。花盛りのときなら焼石連峰全体が花の道となるのだが、そこは遅くに咲いた花の道だ。道には、ハイマツの実だろうか何ものかの食べ跡も。

 

 

 

 

 

 

 

 

分岐で休んでいたら釣り竿を背に釣り用の長靴を履いた青年が登ってきた。「奥州・前沢から胆沢川(登山道6合目与治兵衛周辺)によく釣りに来る。今日は、せっかくだから頂上まで初めて登ってみようと。いやァ、きついですねェ」と汗を見せながら語ってくれた。

下りになったら、朝早くの登り時とちがい花の数が多いと感じた。とくにタカネナデシコなどは夜露、朝露で登り時は下向き加減が多かったのだが、陽に照らされると花の勢いをいくらか取り戻せるようだ。おかげで、なんとか花の道らしい焼石を歩くことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タゲのすず(焼石岳の湧水)に浸した桃太郎トマトは見事に冷え切っていた。リュックに入れてきた大小の空ペットボトル3本にその清水を詰め家族へのお土産に。タゲのすずは、帰宅後に仏前へも供えられた。亡き父も、それは生前よく飲んだ清水だ。駐車場到着2:30分。朝露があり川に少し入ったりしたので、登山靴は濡れたままの一日となった。

帰路、車道の脇に赤い実をつけた植物が見える。止まって確かめたら完熟のモヂイチゴ(エビカライチゴ)がいっぱい。野いちごとしては最高級の夏の味を口にしたら、たまった疲れがややとれたような気分になった。

▼全国農業会議所と県農業会議の会長職を長年つとめておられる二田氏がきのう専務理事や職員、県職員とともに村役場を訪れました。農地の有効利用に関する農業委員会の新たな制度についてその趣旨への理解をすすめるために会長自らが市町村を訪問している活動の一環です。首長だけでなく議会にも理解をということでこちらにもご案内があったもの。本題前のよもやま話の中では、県立農業高校・金足のことがやはり話題となりました。
▼畦の草刈りに出て帰った昼、金農の決勝進出が決まっていました。願う、東北勢初優勝。

お盆も童たちと大川で

やや大雨となった16日の前日までは、夏らしい天気が続いた今年のお盆。おかげで、「お盆は川で遊ぶ」を心待ちにしていた童たちも15日、こぞって自宅前の大川(成瀬川)へ。

大川は、お盆前の雨天増水で淵や瀬の石に着いていた泥もきれいすっかりに洗い流され、成瀬川らしい流れをとりもどしていました。

童たちは、飛ぶ、止まるを繰り返しながらゆうゆうと動くオニヤンマを目にしたり、澄んだ流れに身をまかせて泳いだり、ウルミゴ(今年生まれたウグイの子)やおたまじゃくし、カジカ、水棲昆虫をつかまえたりに夢中でした。ただ、この時期はツナギ(小さなアブ)が多く、さすがの童たちも攻撃が執拗で刺されると痛いこの虫はにがてのよう。そのため川遊びも楽しさは半分ほどに減らされたようです。

川遊びが最も快適なのは、この虫がいなくなってから訪れてくれる暑い日です。でも、そんな人間にとってムシのいい日は、朝夕は肌寒くて日中は夏日ということですから、これからだと9月上旬頃の晴天の日を待つしかないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日は、待望の安定した晴天がおとずれ、水稲の消毒作業へとりかかりました。田んぼでの害虫や病気防除の薬剤散布はこれ一回だけのわが家。穂首をかしげるようになった田んぼでは、この作業を終えた直後から今季4回目の畦の草刈りにとりかかりました。

農薬散布作業で畦を歩いていたら、突然マムシとご対面。そうです、これからの季節はたんぼの畦や畑の土手などにかれらがよく姿を見せるとき。子ども連れの時は気をつけねばと思ったところです。農薬散布器具のノズルを両手にしていてなので「武器」がなく、どうしようもありませんから、足で踏みつけ、マムシにはあの世にいっていただきました。草刈り途中では、たんぼの土手に顔を出したおいしいコムラサキシメジともご対面。

お盆を過ぎたら急に肌寒くなった村は、里も山も実りの季節にむかってまっしぐら。里山ではいつもの年より20日ほど遅れてキノコのハギモダシがようやくピンク色の顔を出し始めました。田んぼも9月末の収穫まであとひと月余です。

▼小学4年の童が、対横浜戦を視て「金足農業、すごいね」と、やや興奮ぎみに語っていました。童たちに希望をあたえ、われわれも様々な面から感動をいただいております。日頃の鍛錬からうまれるすぐれた技術と、決して「あきらめない野球」をみていると、学ばされることがたくさんあります。対近江戦も前日とは趣のちがったこれも名勝負でした。

スポーツ人らしからぬ行為が続出し社会を驚かせていた今年でしたが、甲子園球児たちのあの熱きたたかいと汗と涙のおかげで「スポーツ本来のすばらしさ」が取り戻させられたように感ずる夏です。全国の高校球児のみなさんありがとう。県立金足農業高校のみなさんありがとう。全国が注目する金足農業、今日もまたスポーツのすばらしさを全国へ。

 

 

花の百名山・8月半ばの焼石岳(その2)

8時、8合目の沼を発つ。頂上を仰ぐが見える範囲に人影はまだない。

願ってもない晴天だが、花が揺れて写真を撮りにくいほどの風もある。

まだ朝が早く花たちは閉じ状態もあり、朝露に濡れていて姿もしゃんとしていない。過ぎた花も多いので見ばえはそれほどよくない。頂上までのコースで夏にもっとも目立つタカネナデシコとハクサンフウロは花期が終わりに近く、花びらの多くはくたびれ状態。マルバダケブキやトウゲブキも雪解けの遅い箇所をのぞきほとんど花が終わっている。遅咲きのミヤマキンポウゲやソバナがちらほらと見える。

いま目立つのはエゾニュウやミヤマトウキの白花。それらに集まるミツバチたちがとにかく多い。秋の花ウメバチソウがもう咲き始めている。人は花を愛でるだけだが、焼石と同じように全国の花の名山を最もうれしがっているのは、生きる糧の花蜜をもらえるミツバチや昆虫たちだろう。なにしろ春から秋まで、高山は花✾花✾花なのだから。


9合目やまのがみ(山の神・焼石神社)で小一服し諸々の安寧無事を祈願。

ここから焼石の夏~初秋の名花ミヤマリンドウが目に入りはじめる。今年はいつもの時期より遅い夏山行だったので、この花が行く先々で真っ盛り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩を渡り越え、頂上着が9:30分。秋田側コースからはようやく一人の登山者が9合目に見えた。頂上には岩手側から登られた女性の方が一人だけで、四方を眺めながら食事をとっておられる。その岩手側をながめたら、次から次へと頂上に向かう人たちの姿が続く。

10分ほど腰を下ろす。岩手山と早池峰が雲の上から頂だけを見せている。もしかしたら、日の出の刻に頂上にいたら雲海からのご来光が拝めたのかもしれない。

軽い食事をとっていたら、猛禽類の姿が視野に。そんなに大きな鳥ではないが腹部側が真っ白なのでタカの仲間のようだ。笹森山の向こうに連なる仙北街道筋の尾根もよく望める。

小休止している間に頂上の人数は少しずつ増えた。長居は無用と立つ。焼石連峰のなかで同じ種の花でも咲く期間が長く見られのは横岳方面。そちらをめざして岩手側へ下りる。

予想したように初夏の花ハクサンイチゲがまだ咲き、ハクサンフウロやハクサンシャジンも花盛り草株がほかより多い。ミヤマリンドウもここは植生が最も多いほうだろう。

横岳方面からは、焼石岳登山道と頂、それに残雪が筋のように伸びるとなりの南の森をいっしょにした山容がとても見ばえのするところ。秋の紅葉シーズンもそれは同じ。花も紅葉も、焼石に行くならぜひ足を延ばしたいところが横岳コースだ。


▼きのう16日は村農業振興地域整備促進協議会の会議が8時半から開かれ、議会代表として出席。

今回の案件は、いずれも農振地域整備計画地内の農用地区域の変更(除外)を求めるもの。内容は、田子内字小森(平良地区)地内への採石会社の資材置き場と、成瀬ダム事業などにともなう椿川立石地区への本体工事関連会社等の駐車場、現場事務所、宿舎棟敷地などとして用に供される目的。

▼村でも16日未明から特に強くなった雨。朝には成瀬川本流も支流の合居川も前日までの様子を一変させ小規模の濁流となりました。