賑やかで楽しくて、そして寂しくて

家々も、村も、一年で最もにぎわったお盆。それも、あっという間に過ぎ、にぎやかだった家の中も、道通りも、元の静けさに。

我が家は、家庭をもつ子供たちがみな近場に暮らしています。童たちとのつかの間の大賑わいが過ぎ、これほどいつでもすぐに会える所にいながらも、ひとときの「バイバイ」ながら別れとはさびしいもの。

それが「また会えるのは半年後か一年後」という遠くから帰省のご家族をもたれている方々など、家前から遠ざかる車、駅のホームから離れる電車を見送り、涙ぐまれた方々もきっと多かったのではないでしょうか。じいちゃん、ばあちゃん、父さん、母さんと村で楽しいお盆を過ごされた子供たちや童、ご家族ほど、別れのさみしさ、涙の粒は大きかったと思われます。

そんな夏の思い出を家々や多くの人々の心に刻んだでしょう山里も「盆すぎれば、秋風吹ぐ」です。奥羽の山並みはオホーツクからの涼しい風によるフカゲ(吹っかけ・ヤマセ)がこのところ連日寄せていて、その風の先端がわが家の盆ばなこ(盆花こ・オミナエシのこと)を揺らしています。

きのうは送り盆で境内のお墓へ。山里にくらす私にとって、心にある一年の半分区切りはお盆。気持ちを引き締め、さあ、後半へ向かいます。

70回目の成人式

第70回目の村の成人式がきのう行われました。

議会事務局提供

今年の新成人は23人。こちらは、いつもの年と同じ内容であいさつを述べました。柱は2つで、世界と日本の人々が平等の選挙権を獲得した歴史に学び、この権利を必ず行使してほしいことと、終戦記念日にもちなみ、平和をまもることが成人の大きなつとめであるということについてです。それに今年は、直木賞作家の重松清氏が秋田魁新報紙7月1日付けの「暦の余白に」欄でのべられていた「おとなの条件とは」のなかの一文を引き加えさせていただきました。

重松氏は、その日付けのエッセイの終わりの部分で『誰かのことを「幸せになってほしい」と願う人は美しい。そして、幸せを願う相手がいることこそが、おとなの一番の幸せなのではないか』とのべています。とても深みのある言葉だと思ってその日の紙面欄を切り抜いていて、晴れて成人となられたみなさんへのおくる言葉に含めました。

▼お盆は曇りや雨天マークの週間予報だったので「今年はできるかなぁ」と思っていた童たちとのお盆川遊び。予報ほどではなく、合間合間の陽射しの下での14日、ちょっぴりの肌寒さを感じながらも、童たちは水の子として存分に川の流れを楽しみました。瀬に出てジッと虫を狙っていた様子のカジカも、突然の来訪者たちに驚いていました。

夏の焼石、花山行(その4)

頂上着9時20分。この時間、頂上にいる人はこちらをふくめて4人。小学生の女の子を連れたお父さんらしい方がいて、ちょうど朝食を終えようとしている様子。まもなく二人は岩手側へ下りてゆきました。

この時間に頂上ということは、こちらと同じで朝早く岩手側からのぼってこられたのでしょう。お父さんと小学生の娘さんの山行、ほほえましさを感じた頂上でのひとときでした。

ゆっくり一服していたら、秋田側からも焼石沼周辺までのぼってこられたグループが見え、岩手側には、眼下の泉水沼にもたくさんのグループがいて、ほかにも夏油コース、南本内岳コースと、次から次へと登り来る人々、迂回する人々の姿が続きます。

花の焼石山行では、横岳コース歩きは私にとって欠かせぬところ。頂上を9時45分に下り始めて、まずは横岳方面に向かいます。途中、写真を撮って妻に送ろうとしましたが、頂上から少し下がったので携帯は通信できず中断。


横岳方面にしばらく上がり、頂上すぐ下部からまだ咲きそろっている初夏のハクサンイチゲと夏の花たち(あまりに多くて名はあげません)のそろい咲きのなかを歩き、迂回コースの締めくくりは雪田跡に咲くヒオウギアヤメ。こういうのを花競演とも呼びますが、見事な、焼石ならではの百花繚乱を堪能です。

横岳コース、そして姥石平の遅咲きのハクサンイチゲはもう少し経ったら花はほとんど終わっていたでしょう。今回はとてもタイミングのよい花山行でもありました。

帰りには、タゲのすゞ(岳の清水)を2本のボトルに詰めて家族へお土産に。久しぶりの長歩きでややくたびれた足取りながら車到着2時半。約3万2千歩近く程度の歩きなのに今回は靴下履きをおろそかにしたため、これまでにないほど足を痛めた山行でした。

今年も早お盆入り

「お盆前まで稲穂がちゃんと出るかなぁ?」と思っていましたが、田植えのやや遅かった我が家の田んぼも6日には出穂がはじまり、集落の田んぼも迎え盆の13日にはだいぶ稲穂が出そろってきました。それでも、穂の進み具合は最近にはないほどに遅れとなったようにみえる山里の稲田です。

8日には、日本経済新聞社の秋田支局長さんがお出でになり、自立を選択し歩んできた村のことなどでインタビューに対応。合併論議がはじまった10数年前、そして村が自立を表明した13年前当時をふりかえり、現在の市や町や村の到達を見ながら、久しぶりに「合併」を考え、語りました。

平成の市町村合併については、合併5年後に「自治の行方(秋田魁新報発行」と題する検証誌が出されました。しかし、以後、県内の市町村合併をマスメディアが全面検証されたお仕事を私は知りません。当時「10年経てば、いろいろ結果が見えてくる」と各氏が語りました。10年ひと昔。そろそろ、合併歴史の正確な検証に挑戦するジャーナリズムらしいお仕事にとりくむところがないのか、期待しているところです。

10日には主要地方道横手東成瀬線の現地視察を経て、横手市内の今年度総会会場にむかいました。地元選出の来賓県議の方々は、急きょ開催された県議会全員協議会を終えてからとなり、遅れての出席となりました。全員協議会の主要案件は、激甚災害指定を受けるほどに被害の大きかった先の秋田の大雨被害の際、問題となっていた知事の行動等に対して県議会として正確な把握をし、かつ意見をのべるために行われたもののようです。

災害対応への心がけのみならず、首長と職員間の私的な部分でとるべき「関係距離」の「あるべき保ち方」は、全国の地方行政全体に常に問われていることと思われます。それは、国政で問題視されてきた特定者への「忖度」問題などとあわせ、国から地方まで、政治に身を置く者の基本倫理として、道にはずれない行いに常に心がけねばならぬことでしょう。

▼11日朝5時、お盆前の道や公園などの草刈りが部落総出で行われました。煤けアブと呼ぶ中型のアブや、ツナギと呼ぶ小型のアブに時々刺されつつ早朝から汗だくに。田子内から大柳まで村内の集落国道筋は、ごく一部をのぞきこれですっかりきれいになりました。

12日、13日と、お盆の夏祭りが村内のいくつかの集落で行われ、伝統の田子内盆踊りや花火の打ち上げ、子供たちの太鼓や催し物への歓声が夏の山里に響きました。

お盆は、ご先祖さまたちも加わるからか、一年でもっとも家の中がにぎやか、和やかになれるとき。我が家でも、妻がつくる完全無農薬栽培のトマト、ピーマン、インゲン、キュウリ、ナスをはじめ、ほかに村産の野菜と、おまけにブナの森のワゲ(ヒラタケ)なども食卓に加わり、一年で畑からの取れたて食材が豊富に並ぶのもお盆。人にとって大切と思える「心豊かな暮らし」が、農山村にこそあることを感ずる、食と家族がそろうお盆です。

夏の焼石、花山行(その3)

沼の岸べで一服し、さあ、百花繚乱が予想される上へ向かいます。

都会の方で、村に仮住まいされながら冬のスキー、夏の山を楽しんでおられるAさんが、先日焼石に登り「ナデシコも咲いていた」というお話をお聞きしていました。8合目から9合目まではまさにそのなでしこ満開ロードの様相。希に、白花のなでしこもみられます。

8合目まではきれいに草木が払われた後で整備された登山道も、そこから上は所々に草木が覆い被さり足元が不安の箇所もあります。昨年だったか、高山植物(とくに花々)もふくめて幅広く刈り払われたということで問題視されたことがあったようです。そういうこともあってか、8合目から上方はまったく払われないためにこうなっているようですが、景観と保護を考慮しながらも、人が足を踏む幅ぐらいの道は草木で覆われないようにしておくのがごく当たり前のことと思われます。

8合目までの道は今のような払いでよく(湧水手前の希少なキヌガサソウ群落などは注意して)、そこから上の花の道は、ごく狭く、道に覆い被さるだけの草木を特定して払うだけでよいと思うのですが。

登山道の維持確保では、要するに全体を考えた配慮をし、極端を避けるということでしょう。これは、9合目から夏油コース分岐まで、あるいは頂上にむかうコースにもいえることです。東焼石岳・夏油コースから分かれて9合目分岐までの迂回コースはかなり道が草木に隠されてきましたから、来年あたりはまた払ってほしいものです。

さて、花です。ナデシコは日本海側から強風が吹きつける稜線の西側に群生し、同じ焼石でも太平洋側、つまり東側にはひとつも見えないのも不思議なことです。ナデシコの道はハクサンシャジン(タカネツリガネニンジン)の道、ハクサンフウロの道、トウゲブキ、マルバダケブキ、イワテトウキの道でもあります。秋の花ウメバチソウとセンジュガンピも1株を目に。背の高いクガイソウも目立ちます。ここに咲けばノリウツギもなかなかの花に見えます。

ミヤマリンドウが見え始めた9合目焼石神社で諸々の安寧を祈り、眺めがよいので少し時間をとって腹ごしらえです。

ここから頂上までは、ハクサンシャジンがひときわ見ばえのある岩場の稜線。ハイマツ、岩石、花々、紅葉と、春から秋まで訪れる人々が思わず歩をとめる天然の「築山」に何度もカメラを向けました。イワオトギリ、ミネウスユキソウ、そしてミヤマリンドウも咲きが続きます。

夏の焼石、花山行(その2)

早い朝飯を自宅でとり駐車場到着が5時25分。すでに2台の車があり、うち1台はこちらとほぼ同時着。それは羽後町の方で、「定年で都会から町に帰り住んでいる」といわれて、「いつも、自宅の方から焼石方面をながめ、いつかは登りたい山と思っての実行」との旨を語ってくれました。

早朝のブナ林歩きはまことに気分爽快。射し始めた朝の陽光が木漏れ日となって樹幹を照らします。何の鳥でしょう、姿は見えませんが小鳥らしい鳴き声も時々伝わります。

道沿いにはオトギリソウ、エゾアジサイ、ツルアリドウシの花がちらほら。五合目シャガヂアゲから南の森方面をながめたらそれらの頂上には厚いガスがかかっています。オホーツクの気団のせいでしょうか、栗駒方面にもガスが流れ寄せています。7合目「柳瀞」を過ぎての小さなミズバショウ群落地には、クマが茎を食べた新しい跡が見えました。

タゲの「すゞ(岳の湧き水)」がある焼石沼の草原到着は7時半。まず草原手前の昔の牛の監視小屋があった「すゞ」で顔の汗を流し、しびれるほどに冷たい「すゞ」で喉をうるおし、草原に出て高原の朝の空気をいっぱい深呼吸です。

草原には、この季節に熟れるエゾノクサイチゴの実が鈴なり。同じように熟れたサンカヨウの黒い実といっしょに、高原の味覚をたっぷりとごちそうになりました。天然のいちご園にはクマの親子連れもふくめ野の生きものたちが常駐でくらしているらしく、イチゴの草むらはかれらの通った大小の道筋があっちにもこっちにも。草原の石が不自然なかたちで何個も起こされていますが、これだけ大きな石を起こせるのはクマだけ。石を起こしてアリやアリの卵を食べた跡でしょうか。そばにはサグ(エゾニュウ)の茎を食べた痕跡も。

日中のかれらは、おそらくイチゴ園すぐそばの藪にひそみ休んでいるはず。「これは気をつけねば」と思いました。おいしいイチゴとサグが大量にあるので、クマたちがここから離れることは考えられないのです。イチゴの味を知るクマの数も一頭ではないでしょう。イチゴは8月いっぱいほどは実が熟し続けるでしょうから、山行きの方々は要注意です。

焼石沼はイワナやニジマスの宝庫。岸べに立ち寄ったらたった一角だけで、いるいるイワナが数えたら6匹も。うち1匹がこちらに近づいてきましたので草むらに身を沈めてカメラを向けました。沼全体ならどれだけの魚が棲んでいるのでしょうか。童の頃には近所の小学生たち4~5人だけで焼石に登り、水中メガネをかけ潜ったり泳いだりした沼で、釣りや突きで手にした魚を焼いて食べ、夜には草を敷いて寝た当時を思い起こしました。およそ50数年前の小学校夏休みの頃のことです。

8合目周囲では、やはり草原のオニシモツケとヤマハハコが夏の代表花。タカネナデシコもここから群落をつくり9合目まで登山道はさながら「なでしこロード」です。オニアザミとタテヤマウツボグサも夏に目立つ花。キンポウゲもまだ所々に残り咲きが観られます。

夏の焼石、花山行(その1)

6日の日曜日、「これだけは、観ておかねば」と恒例にしている8月はじめの焼石花山行へ。

この時期を代表するタカネツリガネニンジンやハクサンフウロ、ミヤマリンドウ、タチギボウシ、トウゲブキ、タカネナデシコなどが花盛り。それに初夏から咲き続けるハクサンイチゲも遅咲きの群落がまだお見事。8合目焼石沼草原のエゾクサイチゴも実の熟れが真っ盛りでした。

雪解けの遅い雪田跡には春の花リュウキンカも観られます。そんな豪雪の山ですから、咲く花の種類ではシーズンで最も多いと思われる8月の花百名山・焼石を今年も堪能できました。

仙人修行、オリでクマ捕獲

第33回目の村の「仙人修行」が4日~6日までの日程で行われていて、金曜の開講式と土曜日夜の交流会に向かいました。

今年の修行参加者は27名。村出身で現在大学生の方や、同じく村出身の若い教職員、県職員の方、あるいは親御さんが村出身という大学生の方など、その方々が友達といっしょに参加してくれているというなんともうれしい組み合わせなどもありました。

滝行に用いるわらじ造りや遺跡発掘などでは、村の年輩の方々が例年のようにあれこれと手ほどきに大活躍された様子をお聞きしました。ほかに座禅や写経などでは村の2つのお寺さんが指導にあたり、農作物の収穫体験では農家のみなさんが、村の産物を活かした手料理には加工グループのお母さん方などがと、観光物産協会や村の担当課職員もふくめ毎年のことながら修行のみなさんをささえました。

交流会では、ユーモアたっぷり話題の女性参加者やジョークを連発する若者たちと大笑いで語り合い、3時間近くはあっという間に過ぎてしまいました。その際「ブログを読んでいる」という方もおられました。当然ながらいろんな方々の目にふれ、しかも公的なところからの発信ですから「それにふさわしく書かねばな」と、あらためて思ったところです。

わらじ造りには、私の伯父(亡父の兄)も毎年元気に参加しています。今年数えで98歳になります。伯父は、第二次世界大戦で中国北部に配属され、終戦近くに「ニューギニア最後の死闘」といわれた南方戦線を経て、それこそ九死に一生の実戦体験をもちます。生々しい戦争体験を一度じっくりと聴いていますが、まだまだお聴きしたいことがいっぱいあります。

▼同級生のトキビ(トウモロコシ)畑にクマが出没、収穫期の実が食害され茎が倒されていて、防除のためにオリを設置したと先日役場の担当課から連絡をいただきました。

そのトウモロコシ畑は、仙人修行のみなさんが5日に急きょ収穫体験をした畑です。幸い、設置したオリでは4日の朝、クマが捕獲されました。

オリ設置現場に出向いてみたところ、クマはオリの中で静かにしていました。逃げようと入り口の扉から手を伸ばして掘ったのでしょう、そばに土が散乱し、クマの手も毛も土で汚れています。こちらの気配を感じてからは、狭いドラム缶オリの中で向きを変え、バックして距離を保ち、ちょうど闘牛のように前足を掻きたたせ、威嚇姿勢のまま全力で扉にガシーンと大音を響かせぶつかってきました。扉の鉄も牙でガリガリとかじります。この動きは逃げられず半狂乱となった姿でしょうが、「なんで里のモノを食べに来た。山のモノだけで生きればよいのに」と何度も思いました。クマにとっては、農作物も山の産物も食べ物の違いなど関係なしとわかってはいながらです。農家にとってクマや動物の食害がどれほど困ることなのか、仙人修行のみなさん、クマの荒らした畑も目にしたそうです。

初秋のカオ役キノコ続いて登場

今は、時間があれば、割った薪を乾燥させるために積込むしごとに汗を流しています。

その合間に妻と母は自家用ジャガイモの掘り獲りも。熱中症への注意が呼びかけられているほどに猛暑の連日ですが、昔から、暑い夏につきものの仕事だけに、農山村の人々は「夏に暑いは当たり前」と、炎天の下、畑仕事に勤しむ姿が方々で見られます。

家のまわりや里山には、先日ご紹介したタマゴタケとともに、初秋のキノコたちがやはりぼつぼつ顔を見せ始めました。まずは私の大好物のアカヤマドリ、そしてわが集落ではチンダゲと呼ぶチチタケの登場です。

アカヤマドリは大型のキノコですが、大きくなると傘がボソボソになったり、茎も堅くなったりで、おいしく食べられる部分はかえって少なくなります。写真のような成長度合いの頃がもっともおいしく傘も茎も全部利用できるのです。さっそくゆがいて、刺身風にしていただきました。

キノコは、地域や種類によって食文化のちがいがよくあらわれる食材で、チチタケはその代表格。ちょっした刺激を与えるだけで乳液に似た少し粘つく液がたちまちのうちににじみ出るからでしょう、名がチチタケ。とても好んで食べる県や地方があるようですが、わが村では一部の食通の方を除けばたいていの方が見向きもしない食茸です。

私は、時々、遊び心半分で食べますが、こんなにボソボソの食感はめずらしいというほどで「おいしい」という言葉はなかなか出てこないキノコです。一流の腕をもった料理人が「珍重な食材」扱いをして「すご技」で調理したら「おいしい」という感想をもつことができるのでしょうか。

立秋をひかえキノコたちがお出まし

再来年に焚く薪割り作業をきのうやっと終えました。「暑くならないうちに」と思っていたのに、今年もやっぱり終いは8月に。

こちらが学童の頃、学校で焚く薪づくりを請け負うのは集落の人々でした。その作業場は校庭。猛暑の季節に大きな発動機の音をタンタンタンタンと響かせ丸ノコで薪を切り、後には、上半身裸の真っ黒日焼けの体にマサカリを握り、汗をふきふき薪を割る姿が教室から眺められたものです。夏に薪を手にすると、炎天下の校庭ではたらく往時の人々の光景が目に浮かびます。

さてきのう、薪割りをしているそばの草むらになんだか赤い点々が見えます。近づいたらそれはきのこのタマゴタケ。とっくに顔を出していたらしく、幼菌時に特有の原色のような真っ赤な色はあせてしまい、オレンジへと姿は変わっています。

このキノコ、ヨーロッパでは高級食材ということです。わが集落でも「タマゴモダシ」という方言名がちゃんとあり、こちらも気がむいた時は食べますが、今回は写すだけにしておきました。

テングタケの仲間は猛毒や毒キノコが多く、タマゴタケと間違いやすいキノコもあります。食毒の判定に不安のある方は手にしないほうがよいでしょう。それに、こちらにいわせれば、高級と呼ばれる割には味も食感もイマイチ。不安をかかえながら口へ運ぶほどの食材ではないと私は体験から感じています。発生の所も量もごく限られているので、食の珍しさを楽しむという程度のキノコと私は位置づけています。

猛暑の連続といっても、まもなく暦は立秋。タマゴモダシも顔をだしていますから、さあ、初秋のキノコシーズンが今年もやってきたということです。

昨日、しばらく水を絶っていた田んぼへおよそ25日ぶりで水を入れました。今年は中干しの間にほぼ定間隔で降雨があり、加えてわが田んぼは粘土質で地深いため水気が強く干しの期間をやや長くとりました。もう少し干したかったのですが、稲が「そろそろ水がほしい」という姿をしていたのでやむなくかん水です。「稲の成長、品質よりも、どちらかというと刈り取り作業でたんぼがぬからない方を重視する」という基本はずれの稲作農家ですから、篤農家にいわせたら「何をやっているか」というところでしょう。

雪解けの遅い転作田のわらび畑では、いま頃ヤマユリが満開。そばには花盛りのオオウバユリもこちらの背丈より高く屹立しています。