「お盆前まで稲穂がちゃんと出るかなぁ?」と思っていましたが、田植えのやや遅かった我が家の田んぼも6日には出穂がはじまり、集落の田んぼも迎え盆の13日にはだいぶ稲穂が出そろってきました。それでも、穂の進み具合は最近にはないほどに遅れとなったようにみえる山里の稲田です。
8日には、日本経済新聞社の秋田支局長さんがお出でになり、自立を選択し歩んできた村のことなどでインタビューに対応。合併論議がはじまった10数年前、そして村が自立を表明した13年前当時をふりかえり、現在の市や町や村の到達を見ながら、久しぶりに「合併」を考え、語りました。
平成の市町村合併については、合併5年後に「自治の行方(秋田魁新報発行」と題する検証誌が出されました。しかし、以後、県内の市町村合併をマスメディアが全面検証されたお仕事を私は知りません。当時「10年経てば、いろいろ結果が見えてくる」と各氏が語りました。10年ひと昔。そろそろ、合併歴史の正確な検証に挑戦するジャーナリズムらしいお仕事にとりくむところがないのか、期待しているところです。
10日には主要地方道横手東成瀬線の現地視察を経て、横手市内の今年度総会会場にむかいました。地元選出の来賓県議の方々は、急きょ開催された県議会全員協議会を終えてからとなり、遅れての出席となりました。全員協議会の主要案件は、激甚災害指定を受けるほどに被害の大きかった先の秋田の大雨被害の際、問題となっていた知事の行動等に対して県議会として正確な把握をし、かつ意見をのべるために行われたもののようです。
災害対応への心がけのみならず、首長と職員間の私的な部分でとるべき「関係距離」の「あるべき保ち方」は、全国の地方行政全体に常に問われていることと思われます。それは、国政で問題視されてきた特定者への「忖度」問題などとあわせ、国から地方まで、政治に身を置く者の基本倫理として、道にはずれない行いに常に心がけねばならぬことでしょう。
▼11日朝5時、お盆前の道や公園などの草刈りが部落総出で行われました。煤けアブと呼ぶ中型のアブや、ツナギと呼ぶ小型のアブに時々刺されつつ早朝から汗だくに。田子内から大柳まで村内の集落国道筋は、ごく一部をのぞきこれですっかりきれいになりました。
12日、13日と、お盆の夏祭りが村内のいくつかの集落で行われ、伝統の田子内盆踊りや花火の打ち上げ、子供たちの太鼓や催し物への歓声が夏の山里に響きました。
お盆は、ご先祖さまたちも加わるからか、一年でもっとも家の中がにぎやか、和やかになれるとき。我が家でも、妻がつくる完全無農薬栽培のトマト、ピーマン、インゲン、キュウリ、ナスをはじめ、ほかに村産の野菜と、おまけにブナの森のワゲ(ヒラタケ)なども食卓に加わり、一年で畑からの取れたて食材が豊富に並ぶのもお盆。人にとって大切と思える「心豊かな暮らし」が、農山村にこそあることを感ずる、食と家族がそろうお盆です。