高原も花のバトンリレー

過ぎた週末、所用で須川高原に上がった途中に少しの花たちをながめてきました。

オゲッコツツジ(ウラジロヨウラク)はかろうじて遅咲きの株に花が観られますが、春の花たちは終わりを告げ、シャクナゲやヒツジグサ、キンコウカなどが花盛りで、高原も春から夏の花たちへのバトンリレーがつづいています。

途中、国定公園に入ってすぐの国道端に真っ黒な物体が見えます。車が近づいたらそれはゆらりと動きました。大きなクマです。カメラを取り出す間もないうちに、こちらに気づいてすぐにやぶの中へ入りましたが、これがもし徒歩や自転車、バイクなどの方が通っていたときならと思い、ゾッとしました。

時々、自転車乗りの方や歩いている方を見かけますが、人通りの少ない山地や集落でも山際の道ではラジオなど音を出して通ったほうがよさそうです。クマと人がお互いに運悪く近距離で遭遇してしまったら、これは危ない。とくに親子グマは。県内の出没情報では、車に体当たりしてきたクマもいたそうですからクマも様々。油断はできません。

通常スポーツ大会にかわる試合

小学校から高校まで児童生徒たちのスポーツや文化行事の大会、コンクールなどが新型コロナ禍で中止となり、それに代わる試合や行事などのとりくみが各方面で行われています。

学童野球もそのひとつで、湯沢雄勝では通常の大会の代わりとして湯沢市雄勝郡小学校野球大会が過ぎた土・日曜日に計画されました。

ところが両日ともあいにくの雨天。土曜日は雨が止んだ合間を縫ってプレーはつづけられましたが予定した試合のうち一部は雨で順延。日曜日予定の試合は完全に無理で順延となりました。村の小学校チームは土曜日に雄勝小学校との対戦となり、雨天で中断をはさむなど両チーム泥まみれになりながら熱戦を繰り広げ、雄勝が勝利しました。

雨のなか懸命にプレーをする子ども達の元気さ、健気さ、ひたむきさは、保護者をはじめとする応援の人々の心にひびくものがあります。オリンピック、パラリンピックは観客の心に響き感動を呼ぶ大会の最たるものでしょうが、この日の子ども達の一途な動きからも、心を揺さぶられるスポーツのすばらしさをあらためて教えられる気がしました。
それに加えて私が感じたのは、こういう雨のなかで審判や監督、コーチなどをつとめられるみなさん、水たまりの球場を整備するために懸命となる関係者のみなさんの力添えの大切さ、ありがたさです。スポーツを、子ども達を愛するそういうみなさんの日頃の熱い思いがあるからこそ、子ども達はああして元気いっぱいの動きができるのですね。試合の日だけでなく練習もふくめて学童たちの成長を支えるすべての方々へも感謝です。

直売所に村特産のトマト並ぶ

暖冬少雪の年だったので春先には夏の水不足がやや心配されていました。しかしこの雨の長続き。まだ断定はできませんがこれだとその心配はほぼ杞憂となりそうです。

それどころか、雨続きの毎日で農作物、とくに畑作物は「花が落ちる」とか「病気が出る」とか、負の影響がずいぶん目立つようになっているようです。

そんな中で、多くの方々が待ちこがれていた村特産のトマトがやっと直売所の棚にならぶようになりました。「東成瀬のトマトはおいしい」と村外、県外からも来店の方が多く、トマトはまさに村を代表する農産物。今は生産量の多い「麗夏」という品種が先行していて、今後は、村での生産量は少なくなっているものの長年つくり続けられてきた「桃太郎」の名がつく品種も並ぶ予定です。

棚には、イチゴやジュンサイも並び、やはり特産のリンドウも早々と顔を見せています。山菜は採取期間の長いミズ(ウワバミソウ)や今が本番のホギ(フキ)が途切れずに棚に見られます。が、直売所のこれからのカオ役はやはり収穫が本格化する夏秋野菜です。

直売所では、隣接の加工所で村の女性たちが手塩にかけてつくり続けている加工品もたくさん売られています。トマトのケチャップやピューレ、焼き肉のたれ、昔ながらにオヤマボクチの葉っぱをつかった村伝統の「ごぽっ葉餅(草もち)」や「小豆でっち」などなど、魅力的なおいしい加工品がたくさんあります。加工品購入には、新型コロナ対策で村が交付したクーポン券も使えますので、お土産や贈答用などへの利用が多くあるようです。

▼先日、ゲンジボタルの発生状況を少し記しました。その後、椿川・手倉西集落の最も北側はずれで、多くのゲンジボタルが確認されたとの報が入りましたので追記しておきます。首都圏から移住されて手倉にお住まいのSさん御夫妻(村ホタルの会員)からの調査報とのことです。10日には同会現会長のSさんも早速現場にかけつけ、その様子を「数が多くてまさに乱舞状態だった」という旨を後に知らせてくれました。

ゲンジとヘイケが舞う季節

七夕の頃から、先に羽化したゲンジボタルと遅れて羽化したヘイケボタルが混じって乱舞の季節入りとなりました。

ところで、自然豊かな村では、その豊かな自然をまもるために地道な努力を長年続けている方々がおります。村の「ホタルの会」で長年会長をつとめた佐々木克郎氏(元村教育長)もそのうちのお一人です。(現在、会長は別のS氏がつとめています)

佐々木氏は、ホタルの増殖や保護、村内の生息状況調査などを先導、ホタルの棲める環境をまもるために様々な提言をしながら会の柱となって活動してこられました。

同会は、村内の調査地点を定めるなどして毎年行ってきた「調査」を今年も行っていて、一般の方々を募る観察会は新型コロナの関係で中止しましたが、会員による合同調査はすでに二回も行われています。ほかに、会員個々が観察地点を特定してのゲンシボダルの生息調査も例年のように今も続行中で、まもなく今年の状況がみなさんから報告されます。

会では去る6日に、ホタル保護と自然環境保全を旨とする「趣意書」を村に届け、「日本でもっとも美しい村連合」の一員である村の立場からも、ホタル保護へのとりくみをひきつづき強めることを村に直接伝えました。「趣意書」はとくに、ホタルのエサとなる「カワニナ」の生息環境保護を強調しています。それは、村の木・秋田杉、村の花・山百合、村の虫・ほたる、村の魚・いわな、村の鳥・やまどりと、ほたるが村の例規集の最初に書かれる総規のなかに定められている虫だからでもあります。そういうこともあって村はこれまでもホタル関連諸策に先進的なとりくみをしてきましたが、ホタルといえばやはりカワニナ保護であり、これもまた今後の大事な村の課題となります。

これらの調査や行動にも、今年88歳となられた佐々木氏は精力的に参加し、研究や活動で積み重ねられたホタルへの熱い思いを、論と行動で村や会員のみなさんに伝え続けております。ホタル保護のためは、それをエサとする「カワニナ」保護と増殖が大事であり、会は今後その視点からの活動にも力を注ぐことにしています。

ところで今年のゲンジボタルは、村からの発信にもあるように田子内・五郎兵衛清水の流域と滝ノ沢センターそばの水路周辺でとくによく見られるようです。

岩井川では、例年生息数の多い上野・野田地区でやはり一定数が見られ、会員の調査では昨年ゼロとなっていた真戸地区や岩井沢周囲でもいくらか生息が確認され、岩井川ではほかにも新たな2箇所での生息確認がされています。椿川地区も、間木や五里台地区での生息がひきつづき観察されました。

なお、首都圏から村に移住されて長いSさん御夫妻(会員)のデザイン協力による「幟旗」も今年つくられ、ホタルのシーズンにあわせて掲げられています。

水上の宝石・ヒツジグサの花

「水上の宝石・ダイヤのような」と私は呼ぶヒツジグサの花。その姿を拝みに年に一度は里山の沼へ通います。須川高原の池塘でも所々で見られるこの花、沼や池塘がそれほど多くない村の中では稀少な植物の分類に入るでしょう。

睡蓮の仲間であるヒツジグサの花言葉は「清純、純潔 」などとされているようです。一つの株にたった一つだけ純白の花を、水の透き通った池塘や沼の水面にひっそりと咲かせている姿を見れば、それが清らかな水上に咲く花だけにやはり花言葉にぴったりの印象を受けます。

ヒツジグサのまわりには、これも天然モノとしては貴重種になったジュンサイが花を咲かせはじめています。こちらは花よりも、水上に浮かぶ葉っぱの美観がまたすてきです。トロトロと粘っておいしいジュンサイの若芽はとっくに摘み頃をむかえています。年に一度は、澄み清らかな沼に育つ天然モノを摘んで、大事に大事に私はいただきます。

▼田んぼ脇のモミジイチゴもそろそろ実の熟れどきが終わりとなりました。シーズン最後の粒は味覚が一等級。今年は実の着きがほんとによく、こんなにたくさん食べられたのは久しぶりのことです。

村の大雨の歴史も教訓に

局地的に短時間降雨量が多かった1日の夕刻。その翌日に村の歴史で水害の大きかった7月のことを少し記しました。その後に、九州地方を特別警戒警報級の大雨が続けて襲いました。亡くなられ、被害に遭われた皆様に心からのお悔やみとお見舞いを申し上げます。

ところで、先に少し触れました1947年(昭和22年)7月の大雨。おそらくその年の7月22日から24日にかけての大雨は、ここ100年以内では、成瀬川が最も大きく氾濫した時と思われます。それは県史の上にも最大規模と記される大水害の年の7月です。

私の亡き祖父(1903年・明治36年生)の日記では、今から73年前のこの大雨の日の前7月14日から19日までは天気の記述を連日「晴天」とし、20日と21日は「時々雨」と記しています。そして大雨の22日がやってきます。日記は次のようにその水害のことを、それぞれの日にわずか二行だけの文字で記されています。()内書きは私です。

………「七月二十二日 雨 大水デル 午前カトリ柴ショイ 午後カヂカスキ 十七クシ(カジカすくい、17串) 」「七月二十三日 大雨 大水 草一セカリ カラ田大水 皆水見(現在は川、河川敷となっている我が家前の川原、ここには広く田んぼがあり、そこの地をカラと呼んだ。カラは川原の意)」「七月二十四日 大雨 朝食前バゝ(馬場)木ヨセ 大水又カラ田ウズメラレル」「七月二十五日 晴 フドー前の水トメ カラ イネオコシ(川原の田の倒れた稲起こし)」………。

この記述を見ると、7月22日から雨が降り始め、午後に網でカジカ掬いをしたほどの余裕ですから、まだその日は被害など想定されない降雨量だった様子です。しかし、夜から翌日も翌々日もさらに雨量が増し歴史的大洪水となり、23日には、ここにあった田んぼがすべて大水の下となり、その様子を皆で見ていたとなっています。翌24日には、馬場というところで流木?を寄せ、田んぼがすべて埋められたことが記され、かろうじて土砂の害を免れた田んぼでは、水で倒れた稲を起こしたということのようです。

この水害の後に、地権者、部落、村、議会と一連の交渉、相談、会議等が幾年かかけておこなわれています。その結果、県の工事としてでしょう合居川合流点から岩井沢合流点までの間に堤防が建設された経緯は、後の祖父の日記などで知ることができます。現在、田んぼはみな川原となり、堤防は改修されて当時の面影はありませんが、その位置は城下公園脇の現在の堤防(写真)とそれほど変わっていないと私には見えます。

この堤防は、村と県の歴史的大洪水被害を知るひとつの証のようなものです。村の場合は急傾斜地直下と各支流出口に集落があります。近年の豪雨で多発が特徴の「線状降水帯」の時間が長ければ、土砂崩れ、土石流など成瀬川本流だけでなく支流や山からの土砂災害発生の可能性が大きくあります。あらためて、梅雨時もふくめた前線に沿う局地的な大雨や台風による大雨も含め、洪水、土砂災害対策と避難の在り方(避難場所が適切かどうかもふくめ)に念を入れた備えが、村、関係機関、集落、個々の家々に必要と思われます。

ヤマアゲヅ(山秋津・オニヤンマ)も羽化始まる

きのうは盆アゲヅ(赤とんぼ)の羽化がはじまったことをお知らせしました。今日はそれに続いてヤマアゲヅ(山秋津・オニヤンマ)の羽化がはじまった様子をお伝えします。

きのう朝、オニヤンマのヤゴが草に止まっていましたので、久しぶりに羽化の様子をはじめからじっくりと眺めました。山里でのオニヤンマの羽化は、盆アゲヅの羽化よりほんの少し遅れて七夕の頃にはじまるようです。

田んぼのビッキキャロ(オタマジャクシ)も、水を切る頃に合わせてカエルへといっせいに変身。イネには青い背色をした小さなカエルがいっぱい止まっています。(カエルは村の方言ではビッキ。キャロの意味はわかりません)

田んぼ脇では花の蜜でも吸うのでしょうか、コガネムシに似た昆虫がエゾアジサイの花にじっとしています。傍らではクマバチ?それともハナバチ?の仲間でしょうか、朝早くから忙しそうに花粉や蜜をとっています。そばには梅雨時の象徴♪♪でんでんむしむしのカタツムリも活動中です。

朝の田んぼには盆アゲヅがいっぱいで、イネの葉っぱや茎にはヤゴの殻がたくさん着いています。こちらは七夕の頃が羽化の真っ盛りとみてよいようです。

ただ、我が家の田んぼは7月2日と早めに水を抜きはじめたので、水中生活を続けていたヤゴはそれに感づき焦って羽化に入ったのかも。あるいは、雨天続きの合間を縫って雨が一休みした昨日のお天気をヤゴの本能が感じ取り、いっせいに羽化したのかも、などと勝手な憶測もしています。生きものたちの世界は、なんとも不思議なこと、私には未知のことがいっぱいです。

写真のヤゴは早朝より少し遅れて羽化したのでしょう、まだ飛べない軟らかな体の盆アゲヅが殻になったヤゴにつかまったままで見られました。

そんなことで、7月初旬の田んぼの畦では、盆アゲヅの羽化の様子があっちでもこっちでも何十、何百と見られます。田んぼは、命の大切さを知る教材がいっぱい詰まっているところ。そこの今は、お米を必要とする人だけでなく、トンボやカエルたちの命を育む場でもあることを知るにちょうどよい時期です。そして、ドジョウやタニシもふくめこういう生きものたちがいっぱいの田んぼで獲れるお米は、食の安心安全がよく保たれているところだという見方もできます。

ぼんあげづ(盆秋津)も羽化

2日には田んぼの水をいったん抜く中干しをはじめ、翌日には排水や水回りをよくするための溝切り作業を少し進めました。

イネの生長をみればまだそういう作業に入るのは少し早いのですが、お天気がずっと雨マーク続きを予報しましたので昨年より早く「水切り」に入りました。もともと多収穫をめざす稲作ではないし、なによりも我が家の田んぼは粘土質で排水がよくないので深くぬかり「干し」の日数は長くかけなければなりません。

「収量よりも、秋作業のことをまず第一に考えた稲づくり」なので、稲作の常道を歩む人様の真似はできないというわけです。したがって我が家の田んぼは、篤農家のみなさんには考えられないやや情けない株と色姿になっています。

溝切り作業をする田んぼのなかでは「ぼんあげづ(盆秋津・アキアカネ)」が羽化したばかりで、弱々しい羽根をひろげてやっとヒラヒラ。50㌢ほど低く飛んでは止まり、羽根を休め休めしていました。

田んぼそばには梅雨時に映えるエゾアジサイが花盛りで、ウツボグサやドクダミもよく目立ちます。妻はお茶がわり薬草用として毎日飲むドクダミを「今年も、そろそろ採る時期だな」と言い始めています。

花といえば、先日は、妻が若い頃研修でお世話になった千葉館山市の花卉専業農家Sさん宅からすてきなトルコギキョウを贈っていただきました。昨年の台風でSさん宅も園芸ハウスに大きな被害を受けましたが、なんとか今年の出荷にこぎつけられたようです。

そして、もう一つの花は、村が栽培試験に長年とりくんできた「プチホワイト(仙人ゆり)」。村の直売所周囲にも少し植えられていて、こちらも花盛りです。店を訪れるお客さんのなかには、「あまり見ることのないユリの花なので苗をほしいがどこで売っているの?」と問いかけがあるようです。

タケノコ採りシーズン終わる

6月を過ぎ、村のタケノコ採りは深山をふくめほぼ終わりとなりました。それはワラビ採りも同じでしょう。

このタケノコとワラビ採り、近年は、おそらく村の人々よりも村外の方が多いようで、県南地方からはもちろんですが、県外からも相当数の人々が見えられ、タケノコ採りなら山形ナンバーの車、ワラビ採りなら宮城ナンバーの車というのは、もう村では定着している光景のようです。

およそひと月の間、遠くは山形からまで村外の方々をふくめ多くのタケノコ採り人をむかえたブナの森。それも6月でまずは終わりです。これで村役場や消防団、遭難救助隊、警察、空から捜索のヘリ部隊のみなさんも「捜索出動」への備えがまずは落ち着き、一安心でしょう。

しばらくの間、クマさんの食事場所は人の声でにぎわいましたが、深山のクマさんも、雪消の遅い場所でゆっくりとタケノコやサグ(エゾニュウ)を食べているはず。栗駒や焼石の雪渓でクマの姿がよくみられるのもこの季節です。(写真は、2017年に焼石連峰・三界山麓の雪渓にいた大グマ)

さて、シーズン最もはじめに採った我が家のタケノコは、妻の手で40数本が瓶詰めにされました。先日は薪づくりのことで「煙を出すまでの作業が大変」と記しましたが、この瓶詰めもそれと同じで「出来上がるまでが大変」と、作業をそばで見ていてつくづく思います。

「水を飲む時は井戸を掘った人の苦労を思え」という言葉のように、日々のくらしでありがたく使い食べ飲んでいる多くのモノは、人々の数多の手間を積み重ねた結果であることにたまには心を寄せたいものです。

▼家周りでは今も木イチゴが熟れ続けていて、我が家では食後のデザートに時々登場しています。

梅雨末期、豪雨への備えを

きのう夕刻の短時間の豪雨のすさまじさには驚いた。

集落の基幹用水路・遠藤堰も、用水路に直交する各小沢が瞬時に増水し、水路の下を沢が通過している所をのぞき、そうでない箇所の沢からあふれた水を側溝がのみ込めず、水は道を流れ、すべて堰に入りこんだ。

このため、堰が短時間で増水し、場所によってはあふれ寸前にまで水かさが増した。尋常でない降りようなのでそれぞれ住民同士が連絡を取り合うなどして必要な対応をし、こちらも用意してあった「土嚢」を道に積むなどでかろうじて水止め措置をしたが、「豪雨には油断がならない」とあらためて思わせられた。

今朝になって集落を巡回したが、やはり側溝が水を処理仕切れない小沢では、道に水があふれた箇所がほかにもあった。田んぼ用水路からの溢水もみられた。集落の真東に見える焼石連峰の一座となる「三界山」の裾近くにある「鎧の滝」も、きのう夕刻より水量がだいぶ落ちただろうが増水でその姿がくっきりと見えた。今朝の成瀬川と合居川合流点もかなり水が引いてこんな状態。

土は雨をたっぷり吸って飽和状態。これからも雨予報が続く。気象情報をよくとらえながら、お互い必要な備えを怠りなくとろう。梅雨末期は村でも洪水の歴史が多い。昭和22年の村と県の歴史にのこる大洪水もそれは7月23日だった。昭和44年も、昭和47年も、県南を襲った豪雨は7月だった。