梅雨末期、豪雨への備えを

きのう夕刻の短時間の豪雨のすさまじさには驚いた。

集落の基幹用水路・遠藤堰も、用水路に直交する各小沢が瞬時に増水し、水路の下を沢が通過している所をのぞき、そうでない箇所の沢からあふれた水を側溝がのみ込めず、水は道を流れ、すべて堰に入りこんだ。

このため、堰が短時間で増水し、場所によってはあふれ寸前にまで水かさが増した。尋常でない降りようなのでそれぞれ住民同士が連絡を取り合うなどして必要な対応をし、こちらも用意してあった「土嚢」を道に積むなどでかろうじて水止め措置をしたが、「豪雨には油断がならない」とあらためて思わせられた。

今朝になって集落を巡回したが、やはり側溝が水を処理仕切れない小沢では、道に水があふれた箇所がほかにもあった。田んぼ用水路からの溢水もみられた。集落の真東に見える焼石連峰の一座となる「三界山」の裾近くにある「鎧の滝」も、きのう夕刻より水量がだいぶ落ちただろうが増水でその姿がくっきりと見えた。今朝の成瀬川と合居川合流点もかなり水が引いてこんな状態。

土は雨をたっぷり吸って飽和状態。これからも雨予報が続く。気象情報をよくとらえながら、お互い必要な備えを怠りなくとろう。梅雨末期は村でも洪水の歴史が多い。昭和22年の村と県の歴史にのこる大洪水もそれは7月23日だった。昭和44年も、昭和47年も、県南を襲った豪雨は7月だった。