猛暑の中で薪割り

村の行政無線放送が「猛暑なので熱中症に注意を」と呼びかける中、ヤマユリの花香漂う野で、おとといから薪割りしごとに手をかけています。

薪割りといっても、昨年までとちがい今年はマサカリを振り下ろすのではなく、機械による作業です。

かなり前に電力で動く薪割り機械を購入していましたが、「まだまだマサカリでだいじょうぶ。第一、機械はめんどうくさくてはかどらないだろう。機械の助けを借りるのはもっと齢を増してから」などと、昨年までは若者当時からの強気のままでいました。

ところが、数年前に沢の山行で転倒した際、腰を岩に強打。それが古傷となっているのか年中痛みがとれず、その度合いもややひどくなっています。そういうこともあって、試しに機械を使ってみようかとついに思案を変え、今年から動力へ頼ることにしました。

いま使用しているのは電力で動く機械ではなく、昨年に果樹農家の方から新たに斡旋していただいたエンジンで動く薪割り機械。これは馬力がありますから、たいがいの薪を難なく割ることができます。

これなら、女性たちでも気軽に作業をすすめることができ、こんなに能率良く作業できるなら「もっと早くから使えばよかった」と反省しているところです。めんどう、能率が悪いなど、やってもみないでのキメツケはよくないもの。これはいろんな仕事、活動にもいえること。キメツケ主観は時に正確な判断を鈍らせます。

▼ところで、国政は、ひとまずの焦点だった委員会の閉会中審査が行われました。先日の委員会審議の一部を視聴し、あるいは各テレビ局の報道なども含めて考えれば、問題の本質は依然として明かされていない、というのがごく常識的な見方と思われます。

この問題について、よく「水かけ論」という言葉をマスコミの紙面でも、テレビのワイド番組や解説番組などの報道でも見聞します。水掛け論とは「双方が互いに理屈を言い張ってはてしなく争うこと(広辞苑)」といいます。

互いに主張するその理屈がどちらも真っ当であれば「水かけ論」といってもよいでしょう。が、どうも、今回焦点になっている国政問題とそれに関わり主張する双方の「言葉」を聞けば、明らかに一方の言葉に虚偽が、一方の言葉に真実があるように思われます。この間国会で交わされた問答を「水かけ論」として片付ければ誰に利となるか、考えねば、です。

今回の問題に真実はひとつしかなし。国政を揺るがすほどの件だけに、歴史は、その真実を明らかにしないまま進むことはありえないと思います。その真実の扉を開けるのは国民の力でしょうが、はたして、いつ、どういうかたちでそれは開かれるのでしょうか。