雪消し池の泥上げ、杉の葉ひろい

本格的な冬支度としては最後の作業となるエドカギ(井戸掻き・雪消し池の泥上げ)を、晴天のきのう終えました。

この日は池に放たれている鯉を一年ぶりに水からあげる時です。昔なら池にはほかにイワナ、ウグイ、カジカがいたり、泥の中にはドジョウやスナメロ(スナヤツメ)もいたりで、こちらがガキの頃のエドカギは、子どもの心がわくわくするほどに楽しい一日でした。

今年のエドカギは平日で、近くに住む手伝いの童(小学4年)の姿はなし。この作業は、やっぱり童たちとワイワイ騒ぎながらが楽しいのですが、こちら、妻、童、それぞれの都合で最近は土、日曜、祭日は全員がいっしょの作業ができず、きのうも高齢者だけの坦々とした泥あげ作業となりました。

▼泥あげを終えての午後は、杉の落ち葉ひろいです。

落ち葉ひろいといえばたいがいは掃除のための作業で、それは広葉樹の葉っぱと思うでしょうが、きのうの我が家の作業は燃料用に焚く枯れた杉の葉の落ち葉ひろい。薪ストーブの焚き点けにこれはあつらえむきの材料だからです。

これには、落ち葉拾いを楽しがる近くにすむ3歳になる童が今年もお手伝いで参加。こうなれば、作業というよりは、みんなの動きも語り合いもレクレーションになってしまいます。

落ち葉のそばに見られるガマズミやニシキギの仲間、エビヅル、ナルコユリの木の実、草の実をながめて楽しんだり、野の花ではもっとも遅くまで咲いている黄色の花(ブタナ?)とそれに止まる蜂の仲間や蝶々、陽射しに体をあたためるアカトンボたちを目にしたりで過ごしました。

 

 

 

 

 

 

 

きのう朝はマイナス1℃で終日の晴れ空。まだ里への初雪はありませんが、木々は里山まですってんてんに葉を落としきりました。家々も、木々たちも、もう体を真っ白の冬毛に替えた野ウサギなど生きものたちも、いつ雪の季節になってもよい支度をほぼ終えました。

まだ雪の白さがなくてあたりの地面は土色のまま。そんな時に真っ白になってしまった野ウサギは、天敵の目から体を隠すのにたいへんですから、「早く、雪が降ってくれれば」と思っているのかも。

3市町村議員交流会

湯沢市、羽後町、東成瀬村の3市町村議会の交流会が当番地の羽後町できのう行われました。

おなじ管内に市と町と村という3つの自治体があり、3市町村は、広域行政もいっしょに構成している同士。ここは日本の地方自治の構成体としてはひとつの象徴のようなところです。

スカットボールという軽い運動に興じた後、懇親会で年に一度の交流を深めあいました。その締めで、お互いに学びあいながら議会活動を強めてゆく決意を込め「こういう時代だからこそ連携をいっそう深めてゆこう」の旨で一言を申し上げました。運動を指導していただいた羽後町のみなさん、来賓の羽後町副町長さん、東成瀬の副村長さん、そして開催地の羽後町議会のみなさん、ありがとうございました。

▼過ぎた11日、野球で日曜日にはなかなかいっしょになれなかった童がめずらしく訪れ、二人で家まわりの小沢や川原の林を散策しました。かれこれ10年余も続いている四季折々の散策です。

成瀬川のほとりでは流木に出たナメコがいいかたちで顔を見せ、二人でキノコを眺め、川をながめ、ゆっくりと採取。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユギノシタキノゴ(エノキタケ)もいっぱい。なかには草むらに覆われているエノキタケも稀にあり、それには日光があたらないために色が白色。なんだか色だけはあのモヤシ栽培のエノキタケとおなじのも時々見られます。

イワナ、ヤマメ、カジカ、アブラハヤが棲む岩井沢の水辺に倒れた枯れ木にはムギダゲ(ムキタケ)もいっぱい。大好きで食べるナメコとエノキタケを喜んで採っていた童は、「なんだか気持ち悪い」と、ほとんど食べないムキタケ採りだけは、喜びが今イチのようでした。

美味さ増す晩秋・初冬の木の実

今年は実の着きがよくないシラグヂ(サルナシ)。我が家裏手すぐの沢筋にある大きな蔦にもわずかの実がついただけ。鳥やテンの食べ残しがそれでも少し見られます。

こちらがガキの頃の今の季節、草木の葉っぱが落ちた後の野山歩きは、見通しがすっきりしてブドウの実にたどり着くのも楽。時々痛い目に遭ったカネバヂ(スズメバチ)やアシナガバチたちも越冬に入りましたからそちらへの心配もご無用。時にはキノコも見つかり、イワナの産卵の群れにも出会えましたから、雪降る前の我が家まわりの野山は、ガキたちの天国のようなものでした。その喜び、楽しみは67歳になった今も体に染みついていておなじです。

写真は、ニシキギの実といっしょのサナズラブドウ(エビヅル)の実です。背丈の低い柴木のニシキギに蔦を絡ませて実を結んだ様子で、集落の民家庭先に実ったエビヅルです。

エビヅルは、ヤマブドウのように高木にからみつかず、日当たりのよい道路の法面や川原の石場など低所で採れ、それにヤマブドウよりも酸っぱ味のない特有の甘さがあります。半ば欠食児童のような当時のガキたちには、採りやすくておいしくて、とっても好まれた野の果実でした。ヤマブドウほど多くの植生がみられませんから、野の木の実のなかでは希少種といってもよいほどのエビヅルです。

一方のヤマブドウ。この季節まで蔦に残っている実はごくわずかですが、そういう蔦にめぐりあえたらこれもガキの頃はうれしいものでした。それは、この時期まで残っている実は完熟で、やはり独特の甘みをもつヤマブドウの最高の味が楽しめるからです。

最後の写真は、その遅くまでまだ実をつけている我が家そばのヤマブドウです。100㍍四方そこそこの範囲に野のサルナシもあればヤマブドウもある。ここはやっぱり昔も今も私にとって小楽園のようなところです。

▼成瀬ダム堤体打設工事を受注した鹿島・前田・竹中土木のJV工事事務所の事務所開きがきのう夕方行われました。安全祈願と餅まきなどへのご案内をいただき出席。

原石山工事を受注した共同企業体とあわせれば、宿舎もふくめ数百人の方々がはたらく事業です。今回開所した事務所はその拠点のひとつとなります。人口およそ2,500人の村にこれだけの人々が新しく入り暮らします。当然、平成35年夏まで、今後ほぼ5年の工事期間を通じて人と人との様々な新しい出会い、縁もうまれるでしょう。

それらが村の発展と末永くおおいに結びつくことを願いながら、事務所が事業の円滑な進捗のための拠点となることをお祈りし、お祝いのごあいさつを申し上げました。

小集落に雅やかな社ふたつ

早朝にめずらしい帯状の赤雲を見た去る9日。週末の所用で村内を駆け回る途中、肴沢の山神社と八坂神社の境内が「晩秋」のたたずまいで目をひきました。以前から「冬囲いされないうちにながめてみよう」と思っていたので立ち寄りました。(暦では立冬を過ぎましたが、今年はまだ「初冬」の言葉がふさわしくないので、今日は晩秋と記しておきます)

昨年もお知らせしたようにいずれの神社も歴史が古く立派な彫り物がほどこされています。最盛期には600人もの鉱山労働者がいた肴沢の往時をしのびながら社と境内を眺め階段をのぼりました。

 

 

 

 

 

 

 

八坂神社の立派な石階段は77段、私が知る限りでは村の神社のなかでは最も段数の多い参道です。苔むした石段を踏みながら古に思いを馳せつつ、「高齢の方のお参りは、これは大変。お酒が効いた後の祭典時の恵比寿俵担ぎの奉納も大変だったろう、帰り道もおっかなかっただろう」などと、余計な思案をして時々現実に戻ったりしながらの素敵な社ながめでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼所用駆け回りでは、大橋場方面から滝ノ沢と山内の武道、三又地区の郡境となる大日向山も車を止めて眺めました。自治会入会林のブナはすでに落葉を終えています。写真の範囲内には私が知るだけでもクマの越冬穴がいくつかありますが、まだ彼らはドングリなどを旺盛に食す活動中のはず。冬眠前の姿をながめてみたいものだと思っているので、つい車を止めて山をながめてしまいます。

▼その9日昼近く自宅まわりの林に入ったら、晩秋から初冬に顔を見せるユギノシタキノゴ(雪の下きのこ・エノキタケ)やヤマドリモダシ(クリタケ)が、「あなたの来るのを待っていたのよ」というような採り頃の姿であっちにもこっちにもいっぱい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キノコ大好きの童たちが、おいしそうに食べる顔を思い浮かべながらカメラに切り撮り、
後に枯れ木からゆっくりと摘み取りました。そばにはシーズン最後のハタケシメジも。さらにお隣の枯れ木にはジェンコシナダゲ(オツネンタケモドキ)が見られました。深山などではそんなに手をかけないキノコですが、すぐ家まわりに出ていて「うどんの出汁にはもってこい」なのでこれも手にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまたすぐそばの枯れ木にはおいしいトヂナメラコ(ヌメリスギタケ)が、地面にはおなじ仲間のツチスギタケとハイイロシメジが列や輪をつくって大量に発生しています。

 

 

 

 

このツチスギタケとハイイロシメジ(キノコ写真の終わりから5枚)は、食べられるキノコとされているガイドブックもあれば、毒種扱いをするガイドブックもあります。私は、樹上に発生するヌメリスギタケの仲間は食べますが、地上に大量発生するツチスギタケは、「もったいないなァ」と思いながらも食しません。ハイイロシメジも毒とされ、あるいは「体質によっては毒に注意」とされていながらも食べられているところがあるようですし、おいしそうな香りとかたちをしています。しかしこれも私は食べたことはありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼11日は地元部落総出の越冬支度作業へ。水路、公園、神社と降雪前最後の役務です。
家々の冬囲いもほぼ終わり、部落がまもりつづける施設・設備も冬を越す準備をこれですべて終え、里はいつ初雪が下りてきてもだいじょうぶです。

成瀬ダム工事事務所との行政懇談会

年に一度行われてきた村議会の行政懇談会が、今年はきのう午後に開かれました。

議会事務局提供
議会事務局提供

 

 

 

 

以前は様々な行政機関や団体などの幹部さんや代表などを講師にお呼びした懇談会でしたが、成瀬ダム事業が本格化してからのここ十数年は、湯沢河川国道事務所長さんをはじめダムに関係する幹部職員のみなさんとの、ダム事業にしぼった懇談会となっています。

さらにダム工事事務所が設置されてからは、当然ながら懇談も河川国道事務所ではなくダム事務所長さんと幹部職員のみなさんにお越しいただくというかたちとなり、事業説明やそれらについての質疑応答という内容で懇談はすすめられてきました。

今年は、ダムが本体工事に着手したということもあり、様々な分野での人の動き、車の動き、機械の動きと、工事の規模に大きな変化があります。議員からはそれらにともなう様々な質問(議員の考え、住民の声など)が、いつもの年より多く出され、それにたいして事務所側からは資料添付もふくめ一つ一つていねいに答えていただきました。

あれこれの行事が重なり、研修課題に関連する議会からの事前の質問届けが懇談会ギリギリの時になってしまいましたが、懇切な回答もしていただきました。ご多忙のなか、懇談会のためにいろいろと時間を割いていただいた村山英俊所長さんをはじめダム事務所のみなさんへあらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

薪入れ作業

おだやかなお天気の下、きのうは薪入れ作業で一日を過ごしました。

外積みの薪には、雨がかからないようトタンやシートで覆いをかけていますが、その中にはアシナガ蜂たちが何百匹もジッとしています。越冬のためにあちこちから集まってきてシートやトタンの下に潜り込むという、毎年見られるアシナガバチたちの初冬の様子です。

来春にまでそのまま命が続く蜂は、このようにして越冬支度を終えています。なのに、おなじ昆虫でも冬を越さずにまもなく命が果てる赤トンボはまだ活動中です。陽射しで体をあたため、最後の飛翔を楽しむかのように穏やかな初冬の空を舞い、透き通る羽が時折キラッキラッと輝きます。

そんなトンボを見ながら作業をしていたら、妻が「これ、なんのキノゴだぁ」と、薪についているキノコを差し出しました。見たらそれはムキタケ。薪搬入前の山林で菌が材に取り付いていたのでしょう、よくあることです。「ムギダゲだぁ」と言葉を返したら、今度は「おしるこ(味噌汁)に入れる、キノゴ、ねぐなった。(キノコ、なくなってしまった)」と、一言ぽつり。

「んだら、えま、採るべぇ(そうか、だったら、今、採ろう)」と、作業の合間に家まわりの林に入り、真っ最中になり始めた黄金色のユギノシタキノゴ(エノキタケ)と少々のサモダシ(ナラタケ)を収穫。これでまたしばらくは、味噌汁で採れたてキノコをごちそうになれます。家周り100~300㍍範囲で簡単にキノコ採り、これがごくありふれた山の我が家のくらし方です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家のそばにはヤマブドウの実がゆっさりとまだ成っていて、ヤマドリたちなどが来るのを待っています。このヤマブドウによく実がついていたので「今年は豊作」と思っていましたが、ほかでは実の着きがよくなかった年のようです。このブドウ蔦だけなぜこんなにたくさんの実がついたのでしょうね。

和歌山市議会のみなさん来村

きのうは和歌山市議会の誠和クラブ(会派)のみなさんが来村。小学校を訪問し学校運営の説明を受けながら子どもたちの授業を視察されました。

議会事務局提供

会派の幹事長さんは若い議員さん。議員さんのなかには娘さんが教諭をされている方もおられました。質疑応答を通じて、村の教育と和歌山の教育の共通点やそれぞれの特徴について感ずるところがあったようで、率直な感想がのべられました。

午後は冬囲いの第2陣で夕方までびっしり。先日の第1陣で小さな花木たちは囲ってあり、きのうは住宅と小屋です。のこり第3陣の農機具格納庫囲いは里への初雪だよりが聞かれる頃になるでしょう。

畑では、88歳の母が夏から育てた大根と白菜の収穫を終えました。お米は約1年半分、味噌も2年分、山菜、キノコは瓶詰め、漬け物でたっぷり。そして野菜も春まで食べる分はこれでおつりがくるほど十分の蓄えができました。

燃料も2年分の蓄えがあり、水はいつでもあらゆる手段で手に入りますし、これに、果物(主にりんご)も半年分ほどをこれから求めますから、これで冬は安心して越せそうです。雪国農山村の冬は、クリ、クルミ、ドングリを蓄えて冬を越すリスやネズミとなんだかおなじような暮らしのスタイルですね。

冬支度その一、自家用生活用水の貯水タンク掃除

少しずつ、冬を越すためにしておかなければならない降雪前の支度にとりかかっています。

 

きのうはまず、自家用生活用水の取水口に設けている貯水タンクの掃除に出かけました。

 

タンクは清水の湧き口に取り付けているので掃除はいたって簡単。でも、そこまであがるのには一汗をかきます。

 

取水口そばの小沢の石は何千年もの長い間絶えずに流れ続けてきたのでしょう清水の湿りで苔むし、そこはトトトト、トトトトと落ち下る清水の音、それに苔の緑が輝き、春から秋までなんとも素敵なところです。たとえば雪解けの春は草木の芽吹き、秋ならそれに紅葉景色や落ち葉も加わります。ですから、まるで清水が奏でるシンフォニーのなかで絵画をみているような、そんな場面が眼前にひろがっている雰囲気です。

 

こんなところに名の知られた作曲家がもし足を踏み入れたなら、どんな名曲がうまれるのかな、などと思いながら掃除を済ませました。

 

貯水タンクのそばに植えてある山ワサビは緑を濃くして年々大きく成長しています。沢筋でいま目立つ木の実は橙色のニシキギの仲間。むかしはこの柴木を竹ほうき代わりの外ぼうきとしてよく使ったものですが、いまそんな用い方をする方はいなくなったでしょう。

 

 

帰路、用水の沢沿いで耕されている畑をながめ車をとめました。幾度も記してきたようにこの沢沿いで耕作を続けているのは83歳になる集落のKさんの家だけ。かつては何戸もの農家がこの沢でもたんぼや畑をつくっていましたが、ついに一戸だけとなり、そのKさんも一昨年からたんぼは止めて畑だけに。それでも、たったお一人でも作物の栽培を続けていれば、農道も畑もたんぼも沢も荒れずにこうしてきれいに維持できるのです。

人の手が加えられるからこそまもられる自然と調和した農山村の典型的な景色。この沢でお米がつくられなくなったことは残念ですが、せめて畑だけはなんとかこうしてずっと作り続けてほしいものです。おいしいあきたこまちをこの沢でつくりたい方は、農地のご紹介を農業委員会がいつでもお引き受けできるでしょうからお問い合わせください。

 

最後は農道からながめた晩秋の集落の片隅です。先日の電車の沿線もそうでしたが、たんぼの穫り入れが終わった農山村って、全国どこでもほんとに静かなものですね。

▼5日付のさきがけ新聞27面は、4日の県ジュニア将棋大会の結果を載せ、わが東成瀬小学校4年の杉山秋さんが中学生と決勝を戦い準優勝獲得を伝えました。おめでとう。

 

国会と政府へ、そして首都圏なるせ会へ

 

 

1日~2日と、国会議員会館、国交省、総務省、財務省、菅官房長官(総理官邸)へ村の要望を届けにまわりました。

 

 

 

 

 

3日は首都圏なるせ会の30周年を記念する総会が行われ、要望活動に出席した議員全員で会場のホテル椿山荘東京に向かいました。

 

 

 

 

この5日間ほど、岩手山をはじめ東北の高嶺は薄い雪化粧のままですが、都内も村も列島はひろくおだやかな晴天続き。要望活動での永田町や霞ヶ関での屋外移動も、なるせ会での動きでも爽快な気分で歩くことができました。

 

要望ではいつものようにみのり川代議士事務所のみなさんにご難儀をおかけしました。毎年のことながらありがたく、あらためてお礼を申し上げます。

 

▼なるせ会の総会では役員改選もおこなわれ、同級生の冨田秋雄さんが新会長に就かれました。前会長の高橋政勝さんをはじめとする役員のみなさんのご苦労に感謝を申し上げながら、新会長をはじめ新しい役員のみなさんへの期待を込めつつ乾杯の発声をさせていただきました。

 

 

 

 

村のホームページをみて初めて総会に参加されたという40歳代の女性の方(Aさんとしておきます)が、こちらが会場に到着したらすぐに歩み寄ってこられ、ブログ、とくに山のことなどを楽しみに見ている旨を語られました。「ブログを読んでいただいている方々のそういうささやかな楽しみを損ねないよう、ていねいに発信しなければ」と、語り合いのひとときをつくっていただいたAさんに感謝しながら心に留め置いたところです。山歩きが大好きな方のようでしたので、「焼石などをご案内しますよ」とおすすめしました。

 

懇親の場ではほかにも「00の妹です」と3人連れのはつらつ女性のみなさんからも突然お声をかけていただきました。その方々は田子内地区のご出身で、ご三方いずれのお兄さんもこちらと同期で、先日に村内で同期会をおこなったばかり。その妹さんたちですから、村のそうした動きもご存知のようでした。パッとまわりも明るくなるような女性のみなさんの笑顔と元気な声での語り合いも、とってもうれしいひとときとなりました。

 

 

村の里山も、新幹線の車窓からのぞむ仙岩の峠(写真)も、往く1日は紅葉が盛りでした。それが4日後のきのうの村は色あせ、もう落ち葉のシーズン入りです。さあ、里への初雪がまもなくであろうこれからは、行事がなければ冬支度に明け暮れの日々となります。

県町村議会議長の視察研修で宮城県へ

議長会の視察研修で宮城県利府町(人口3万6,220人)と七ヶ浜町(人口1万8,909人)を訪れました。

利府町議会の櫻井議長さんは全国町村議会の会長在職中であり、ここでは議会活動の改革や町づくりについて学び、七ヶ浜町では東日本大震災後の町づくりと、やはり議会活動について学んできました。

利府町議会は、長年にわたって議会広報の全国コンクールでも優秀な成績を得ていて、その面でも全国の町村議会から注目されてきた議会です。たいがいの場合、広報活動が優れている議会は議会活動そのものも活性化されているものですが、利府町議会もそうした議会のひとつといえます。

議会としての典型的な活動のないところに優れた広報活動はまずありえないからです。「議会広報だけは立派」ということはほとんどなく、住民の代表としての議会活動がしっかりやられていればおのずと広報活動も充実してくる、住民のための広報活動という意識がゆきわたっていれば議会活動も充実してくる、そうした相互作用があるのかもしれません。

東北、北海道で一番面積が小さいという七ヶ浜町は、大震災で多くの町民が亡くなられ、
文字通り浜に接する町は大変な被害を受け、その復興・復旧にとりくんできました。

その歩みを役場でお聞きし、役場庁舎の屋上で太平洋や各湾を見渡しながら津波に襲われたその時の町の様子の説明も受けました。後に、震災後のまちづくりの現場各地を大町議長さんや町職員のみなさんにご案内していただきました。

お世話になりました2つの町の議会のみなさん、事務局長さん、担当の職員さん、七ヶ浜町の副町長さんには、あらためてお礼申し上げます。お忙しい中ありがとうございました。

▼約10日間成長を待っていた晩生のハタケシメジを先月24日にやっと地面から離しました。

たいがいのキノコがそうであるように、気温が低くなると成長の進みが鈍くなります。ごく普通に見られるハタケシメジはほとんどがシーズンを終えていますが、写真のきのこが顔を出す所は発生条件がすこぶる良いらしく、初夏から晩秋、初冬まで採り続けることができます。

しかも、ほかでは見られないほどの大きな株が多く、私にとっては採る、撮るの対象としてここのハタケシメジはとってもありがたい存在です。それに、味も、キノコとしては最高級の格付けをもちますから、そのありがたさは格別です。

この株の脇にはまだ小さな幼菌も見られます。それは里山に初雪が降りユギノシタキノゴ(エノキタケ)が顔を見せる頃まで成長を続けるでしょう。私のキノコだよりはそれまでいましばらく続きます。

キノコのことでは、これも記録的なことなので記しておきます。きのう宮城から帰ったら「これ、Aさんから、もらったの」と、大きな大きなムギダゲ(ムキタケ)を妻が差し出しました。

その大きさには、こちらもびっくり。長年キノコ採りをしていますが、こんな大きなムキタケを観たのは初めて。しかも写真(皮をむいた後)の一つ一つはひとつの株となって重なり発生していたのですから、これには「驚き」です。自然って、こういうケタはずれのことも時々ありますから、奥の深さがあるものですね。