村長選挙、無投票で佐々木氏6選

村長選挙がきのう告示され、佐々木哲男氏が連続4回の無投票という結果で6選を決めました。

平成の市町村合併という大激動のなか、単独での自治方針を決めた村は、小さいからこそできる隅々にまでゆきとどいた政治の実現につとめてきました。いくつかの先進的な政策は自治体関係者、とりわけ市町村や地方議員からも注目されていて、私のもとにも県内外から問い合わせが時々あります。

成果として積み上げられた全国に誇るべき政策の継続とともに、子や孫たちの世代も安心してくらすことのできる安定した行財政運営のために、諸策の評価・検証、今後にむけた緻密な計画、そして到達目標を明確にした行財政改革にもいっそう心がけられることを期待するものです。

▼赤滝に向かった13日の日曜日は、ブナの森深山へトガクシショウマの花を拝みにも足を運びました。

今年は、十数年に一度ともいえる花の開き具合の見事な年で、花群落がいつもの年よりはるかに広く地面を占めています。何かと、野の花のよく咲いた年なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そばにはシラネアオイや、どなたにも手折られることなくゼンマイもいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブナの森の日向斜面にはキジムシロとみられる花やオオバキスミレの黄花が小さな群生を見せ、木漏れ日が差す新緑の林内にはムラサキヤシオツツジやタムシバが彩りを添え、地にはイワウチワがシーズン最後の花姿をかろうじて残していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

谷に滑り落ちた雪崩の量はやはりこの山でも今年は多く、雪崩上には雪とともに滑り落ちた木々が横たわり、岩石がころがっています。こういう状態からの落石もよくありますから、山歩きは油断できないのです。どこから石が落ちてくるかわかりませんからね。

今年初の赤滝詣で

13日、今年初の赤滝詣でに向かいました。

もう少し早め、萌葱はじめの頃に訪れようとしていて、その機会はなくしていました。予定より半月遅れでしたが、それでも滝周囲の雰囲気はまだ新春。ムラサキヤシオツツジやタムシバが咲き、ショウジョウバカマもかろうじて花が残っていました。

この日お目当てのイワナシは、滝壺のそばでは花が過ぎています。あきらめかけていたら、赤滝神社裏手にかろうじて花形の残る株がありましたので、ありがたく拝ませてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼きのう午後は、奥羽・羽越新幹線整備促進期成同盟会の総会とシンポジウムで秋田市へ。

戦傷病没者追悼式、そして集落の春祭り

戦後73年目の春、村の戦傷病没者追悼式が11日に行われました。

議会事務局提供

私は戦後の昭和26年3月生まれなので戦争そのものの体験はありません。したがって、昭和20年8月15日の終戦で日本の支配層が、これまで主張してきたことをぐるっと180度転換、きのうまで国民に徹底して悪と教え唱えたものがいきなり翌日は善となった歴史の激動も知りません。

一方、戦争で命をうばわれた人々をはじめあの終戦当時を過ごした人々なら、昭和天皇のことは骨の髄にしみるまで詳しく教えられたであろうことを想い、73年前の8月15日にラジオで放送された終戦詔書(玉音放送)の一部を引かせていただき御霊にもお知らせいたしました。

この終戦詔書とラジオ放送の実現にいたるまでは、当時の支配層の間ですさまじい「たたかい」のあったことが歴史の事実として記されております。それだけに、歴史を振り返り詔書を読むこと、玉音放送を聴いてみることは、戦争の過ちと終戦時の激動を知るうえでとても大事なことだと思います。

そのために私は、終戦詔書を知ることなく命を奪われた無念の御霊へ、詔書の一行だけでもお伝えしておきたいと思い、詔書にある戦陣に倒れた方々への叙述部分を追悼の言葉に引かせていただいたものです。

朝鮮半島をはじめとするアジア情勢の直近の激動が平和の方向への道をよりひろくきり拓く転回になれば、武力対武力ではなく、対話という人類の叡智こそがあらゆる争いの唯一の解決策であることがあらためて証明されるでしょう。

アジア諸国がたどってきた大戦時の歴史にも想いを寄せる、そういう面からも、詔書は私たちもよく知っておくべきと思います。放送はインターネットですぐに聴くことができます。若い方々は是非一度お聴きになってほしいものです。

▼4月末からはじまる村内各集落の春祭り。わが部落の祭りはきのう行われました。降らず照らずの絶好の祭り日となり、山神社へ奉納の親子会の神輿や青年会の恵比寿俵の練り歩きも快適な運びの様子。まことに気分よしとお見受けしました。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家でも久しぶりに子供たちがそろい、あざみの茎鍋や、竹の子、あいこ、うど、しどげ、ほんな、うるい、こしあぶら、たらのめ、みつば、それに天然キノコのヒラタケなど、旬の山菜で祭りの夕餉を楽しみました。


祭り日にあわせるかのように、岩手の方から10数年前にいただいていたシロヤシオツツジが数年ぶりに花を見せてくれました。こちらではなかなか咲いてくれなかったのです。

議員の辞職願いで急きょ臨時会議

現村議会の任期は来春の改選までおよそ1年ほどを残すのみとなっています。そうした折、佐々木正夫議員から「一身上の都合」を理由とする議員辞職願いが7日に提出され、昨日の臨時会議で辞職を許可することを全会一致で決めました。

村政の一翼を担うべく選挙によって託された大事な議席ですので、特別の事情がないかぎり任期いっぱいつとめるのは議員の責務ともいえることです。今回のようなかたちでの任期途中の辞職については議会人のひとりとして残念至極の思いであります。おそらく、同僚議員のみなさんもほぼ同じ思いであると推察されます。

佐々木議員は5期連続で就任、現村議会のなかでは2番目に年齢の若い議員として活動してこられました。これまでの氏の活動を労うとともに、今後もなんらかのかたちで村の発展振興にご尽力いただくことを願いたいものです。長い間の活動ご苦労様でした。

臨時会議は、補正予算の専決処分報告などもほかに審議されました。

▼今朝は5時から、たんぼ用水路掃除の「堰普請」へ。村内の主な用水路がそうであるようにここの水路延長のすべても側溝で整備され、土砂や木の枝がかぶさる箇所には蓋もされていますから、掃除に要する時間も労力も昔とは段違いの少なさで済みます。

この掃除が終わると台地の各たんぼへは新しい用水が次々と注がれ、代掻きの準備がいよいよはじまります。

たんぼ堀を終える

途中で止めていたたんぼ耕起をきのう再開し、終えました。

集落でももっとも雪解けが遅い台地にあり、なおかつ粘土質のわがたんぼはまだ水たまりが少しあります。そのたまりでは、畦削りのときに見られたカエルの卵からオタマジャクシがぬけ出しています。そこに機械を入れるのはかわいそうでしたので、妻がすくいあげてほかの水たまりに移しました。

たんぼの水たまりはすぐに乾いてしまうのだということを、ここのカエルたちは知らずに卵を産みつけます。たんぼ地面が不均一で、カエルが卵を産めるほどの水たまりをつくるこちらがいけないのですが、命をつながなければならないこのカエルさんも、野の生きものらしくもっとよく思案して卵を産む場所をえらんでほしいものです。

たんぼ耕起にあわせて妻が「家庭菜園」なみにつくる畑も耕しました。畑の脇を流れるヤマメとカジカの棲む小川そばにはユキツバキが満開で、斜面にはヒトリシズカやキバナイカリソウが花盛りです。そこには、山のアスパラガスなどとも呼ばれるシュデコ(シオデ)も。シュデコは、さっそく夕餉で初物をいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭先では、何年か前に仲間からいただいた白花のシラネアオイが鉢で咲き始め、露地に植えられたトガクシショウマも固有種らしい花姿を見せています。同じように露地に植えられたヤマシャクヤクは、雪だまりが多くて雪消が遅く、やっと芽をだしたばかりです。

不思議な太い山梨の木

わが集落の山の中ではおそらくここにだけと思われる一本のめずらしい木があります。

 

 

 

 

それは胸高の幹周りおよそ1㍍70㌢ほど、樹高は15㍍近くの大きな山梨の木です。いつ、どこから、誰(何)によって運ばれてきてここに根を張ることになったのか、とにかくこれは有り様からして不思議な山の梨の木です。

その山の梨の木の花がいま満開。これだけ大きな梨の木ですが、杉林の中にあるので長年人目につくことはほとんどなく成長してきたのでしょう。天然の梨の木がこれだけの太さになるには相当の年数を必要とするのでしょうが、私らが子供の頃にも杉に囲まれていて見えなかったこの木の存在は知りませんでした。

秋にはきっと小さな実を着けるものと思いますが、これまでその実を確かめに近寄ったことがないので、今年は忘れずに訪れてみようと思っています。

その梨の木のある新緑の野ではニリンソウの花が地面を広く覆うようになり、木々ではイタヤの花やアケビも花盛り。我が家の池の庭木にからみついたアケビの花数も今年は結構多く見られますので、ブナの実と同じでアケビも豊作の予兆を察しているところです。

栽培もののゼンマイも盛りに

深山はブナの芽吹きが終わらず山菜もこれからが本番ですが、里山はその山菜が真っ盛り。

畑やたんぼの土手に栽培されている村のゼンマイもようやく採り時をむかえています。これからしばらくは、我が家でも88歳になる母ひとりで、採る、ゆでる、干す、揉むの手数を必要とするゼンマイとのつきあいの日々となります。

栽培ものといっても、もともとそこは自然のゼンマイがよく育っていた原野。今も、畑すぐそばの原野や林には天然もののゼンマイも豊富に見られます。

 

ただむかしとちがって、高齢化がすすみ、また食べられるまでの作業のめんどうさがつきまとい、山村の食生活そのものの変化もあるためか、自然のゼンマイを採る人々の姿もぐんと少なくなりました。そのため村の里山のいずこも、手折られずに育つゼンマイが以前とは比べものにならないほど豊かのようです。

また、昔のプロ山菜採りの生活をささえ大切な役割をはたした高品質ゼンマイが採れる深山でも、プロの方々のほとんどが引退するか鬼籍にはいっておられますから、里山よりもゼンマイ採りの姿はさらに少なくなっています。

長年の生業をささえたそのプロたちの採り場には、見事なゼンマイがまるで畑のようになっている所もたくさんあります。こちらも時々深山でそんな見事な天然の「ゼンマイ畑」を見かけることがありますが、わが家は栽培もので足りているので「うわーすごい」と思うだけで、深山から背負ってくることはありません。

わが家の周囲では細めのネマガリタケの笹子(タケノコ)も顔を見せ始めました。深山の太いタケノコとはちがい、細めは細めなりの食べやすさ、味の染みこみやすいおいしさがあり、私はもっとも好きなランクにあげる山菜のひとつです。

ブナの実が殻かたちに

ソメイヨシノが散り始めた連休後半には役場前のしだれ桜が満開となりました。栗駒須川高原に往き来する人々や帰省の方々も、山の新緑美とともにこのしだれ桜の華麗さにも目を注いだことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城下公園のブナがすべての葉っぱをひろげきり、冬の間に仕事部屋から眺めていた成瀬川も川面の多くが葉っぱで隠されるようになりました。花が散り始めたブナには緑の殻かたちの実が着いて見られます。

雪消の遅い村の里山でも山菜が真っ盛りとなりました。その頃になると、食卓から眺められるわが家の八重しだれ桜も満開となります。深山ではトガクシショウマも咲き始めた頃。妻が鉢植えしているトガクシショウマも、連休半ばにやっと花を見せてくれました。

 

 

 

 

こどもの日、生後半年になるいちばん年下の孫童が初節句をむかえました。それに先立つ3日は憲法記念日。11日には村の戦傷病没者追悼式が行われます。この童たちが大人になった時代も、憲法の平和条項が堅くまもられ続け、国際平和主義に基づき戦争しない日本国でありつづけるよう、国民の一人としてつとめねばとの思いを強くしたところです。

山菜シーズン本番入り

集落でも雪解けのいちばん遅いわがたんぼがある河岸段丘の台地。そこの畦に残っていた厚い雪の吹きだまりも連休はじめにはやっと消え終わりました。雪解けを待って咲きはじめたイチゲ花やエンゴサク、カタクリのそばで、今年最初のクワを持ち畦削りに汗を流しました。

 

 

 

 

連休には家向いの雪崩跡に上がり、これも今年最初の山菜たちとご対面。ゼンマイ、ホンナ、最高級のコゴミ、ウルイ、ウド、シロデホンナ(ソバナ)に加え、ワラビとナンブアザミの茎も少々手にしました。豪雪の冬でしたが、山の様子からして、わが集落でも山菜シーズン本番入りとみてよい頃となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高台の雪崩跡斜面からは、もえぎ色に包まれたわが集落のおよそ半分と、四季折々に私を楽しませてくれる成瀬川河川敷を眺望。帰り道の農道脇ではやっと芽をだしたカンゾウも目に。


 

 

 

 

 

 

 

コゴミをのぞいてわが家ではどれもみな初物。ウドとウルイとコゴミとアザミの茎をみんないっしょにし、サバ缶の出汁で今年最初の「山菜まとめ鍋」をいただきました。ホンナはもちろんおひたしで香りと歯ごたえを楽しみました。

ナンブアザミの茎は味噌汁にしても高級感あふれる甘い味と香りがお椀にひろがります。それだけに村人は昔から「アザミのトッコ(くき)」と呼び、最も親しみ深く利用してきた山菜のひとつ。我が家では、童たちにも人気がとっても高いトッコです。

でもこのトッコ、市場にはほとんど流通していない山菜ですから、都市部では食した体験のない方がほとんどでしょう。村の直売所にはすぐに食べられる皮むきの茎が時々ならぶようですから、ぜひ、お試しを。栗駒山荘やホテルブランでは、はたして食べられるのかな?

雪国の年始めは春4月?

27日には国道342号の冬季閉鎖解除で開通式へ。そのまま須川高原まで上がり今シーズンはじめの温泉周囲の景色をながめ、この日からオープンしたわが温泉ホテル栗駒山荘のレストランから眼下のイワカガミ湿原やブナ原生林の雪原、そして秣岳を展望しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

温泉の源からは、相変わらず勢いよく毎分6000㍑といわれる大量のお湯が湧き、源泉は小川と小滝になって流れていました。開通にあわせて山荘を訪れた方やスキーを楽しまれた方々は、人気の高い絶景の山荘露天風呂で「初湯」と雪景色を堪能できたでしょう。

 

 

20日以降の山里では、水稲の種まき作業が真っ盛り。27日も、村の育苗センターで出芽された苗が、農業法人の育苗ハウスにも運ばれ、総出での苗箱置きの初作業が行われていました。この日の夜は小中学校教職員の歓送迎会へも出席。

29日のダム工事現場周辺と北ノ俣沢の景色、それらのそばに咲くイワウチワです。今年はブナの芽吹きや桜の開花と同じようにいっきに春が進み、イワウチワも花はもう過ぎ模様です。東山とその麓の集落ではブナの萌葱とタネマギザクラが真っ盛り。村のいずこも、秋の黄紅葉が美しいところは新緑の彩りもひときわ目に映えます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日はわが部落の春の共同作業。いつものように区ごとに分かれて用水路や公園、神社などの泥あげと清掃、冬囲いほごしなどにみんなで汗を流しました。閉じていた道も開き、水路も掃除され、設備の冬囲いも解かれ、28日には集落にある村の直売所も営業を再開しました。

年度初めの春4月は、雪国に暮らすものにとっては、何から何まで「始め」と「初め」が多く、1月よりもなんだか「年始め」の気分が深いような気がしないでもありません。