戦傷病没者追悼式、そして集落の春祭り

戦後73年目の春、村の戦傷病没者追悼式が11日に行われました。

議会事務局提供

私は戦後の昭和26年3月生まれなので戦争そのものの体験はありません。したがって、昭和20年8月15日の終戦で日本の支配層が、これまで主張してきたことをぐるっと180度転換、きのうまで国民に徹底して悪と教え唱えたものがいきなり翌日は善となった歴史の激動も知りません。

一方、戦争で命をうばわれた人々をはじめあの終戦当時を過ごした人々なら、昭和天皇のことは骨の髄にしみるまで詳しく教えられたであろうことを想い、73年前の8月15日にラジオで放送された終戦詔書(玉音放送)の一部を引かせていただき御霊にもお知らせいたしました。

この終戦詔書とラジオ放送の実現にいたるまでは、当時の支配層の間ですさまじい「たたかい」のあったことが歴史の事実として記されております。それだけに、歴史を振り返り詔書を読むこと、玉音放送を聴いてみることは、戦争の過ちと終戦時の激動を知るうえでとても大事なことだと思います。

そのために私は、終戦詔書を知ることなく命を奪われた無念の御霊へ、詔書の一行だけでもお伝えしておきたいと思い、詔書にある戦陣に倒れた方々への叙述部分を追悼の言葉に引かせていただいたものです。

朝鮮半島をはじめとするアジア情勢の直近の激動が平和の方向への道をよりひろくきり拓く転回になれば、武力対武力ではなく、対話という人類の叡智こそがあらゆる争いの唯一の解決策であることがあらためて証明されるでしょう。

アジア諸国がたどってきた大戦時の歴史にも想いを寄せる、そういう面からも、詔書は私たちもよく知っておくべきと思います。放送はインターネットですぐに聴くことができます。若い方々は是非一度お聴きになってほしいものです。

▼4月末からはじまる村内各集落の春祭り。わが部落の祭りはきのう行われました。降らず照らずの絶好の祭り日となり、山神社へ奉納の親子会の神輿や青年会の恵比寿俵の練り歩きも快適な運びの様子。まことに気分よしとお見受けしました。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家でも久しぶりに子供たちがそろい、あざみの茎鍋や、竹の子、あいこ、うど、しどげ、ほんな、うるい、こしあぶら、たらのめ、みつば、それに天然キノコのヒラタケなど、旬の山菜で祭りの夕餉を楽しみました。


祭り日にあわせるかのように、岩手の方から10数年前にいただいていたシロヤシオツツジが数年ぶりに花を見せてくれました。こちらではなかなか咲いてくれなかったのです。