要望会、そして豪雪対策本部会議

主要地方道横手東成瀬線の整備を期する同盟会の要望会が、道路管理者の県に対してきのう行われました。

例年のように、市と村の首長、議会代表、横手市山内三又地区と当村岩井川地区住民代表が、時に代理などで入れ替わりながら、雄勝、平鹿の地域振興局、県庁では建設部、鶴田県議会議長へと要望書を届け、引き続きの整備促進をうったえました。

県側からは、これまでの活動と同じように整備につとめる考えがしめされるとともに、同盟会が要望している内容について、今後にむけた前向きな考えもしめされました。

要望活動には、大関県議も同行していただきました。

 

 

 

 

▼県庁から帰ってそのまま夕方5時半からは、12日11時に設置された村豪雪対策本部の会議へ議会の両常任委員長と出席。副議長は対策本部員として出席。消防団正副団長、各部落長などが出席し、役場担当課の民生課から対策本部としてとられる業務について説明があり、また消防分署長、警察駐在所長からは、豪雪のなかでの心がけなどについて語られ、出席者とのあいだでいくつかの質疑応答がなされました。

豪雪対策本部設置は平成26年以来のこと。豪雪と対策の文字の間に「災害」という字こそ入っていないものの、対策本部設置ということは、油断すれば大きな災害にむすびつくこともありうると私はうけとめ、最大限の警戒に心がけねばと思っています。

すでに積雪3㍍を優にこえる集落もあります。こういうときに最も大切なのは、お互いに注意し合い、声をかけあい、助けあうこと。そしてもうひとつ大事なのは、事故に結びつくようなムリをしないこと。交通事故と同じで高齢者を主にしてムリな雪作業による事故が報道でも目立ちます。

幸い、1月や2月始めの対策本部設置ではなく、2月ももう半ばになっての本部移行です。今後の雪の様子をよく判断しながら、あせらずムリな作業をつとめて避ける、これも、事故防止のひとつのカナメでしょう。

今冬ほぼ最深積雪のなかで

6回目ほどを数えることになるのか、雪下ろし続きの週末、連休となりました。村内外でも、「11日からの寒波があるので」という備えもあってでしょう、雪下ろし週末、連休の姿が多く見られ、それもあって県内各地では雪下ろし転落事故も続出しました。
12日には田子内でいっきに2㍍越の積雪。村は雪害警戒部から豪雪対策本部設置へ移行。

今回は家族全員がインフルエンザに罹患した娘宅の雪下ろしにも手を出すことに。そこでは小学3年の童が感染のはじまりで、家族全員が次々とほぼ同時感染。31人の童の学年はまもなく学年閉鎖となり、親と子が枕を並べて学校と職場に通えなくなるという散々な羽目に。今冬、こういう同時罹患、あるいは全員罹患の家庭はかなりみられるようです。

保育所も学校もインフルエンザの猛威のなかを過ごしている2月、まだまだウィルスが行き先を求め各所に満ちているでしょう。なので、これまではウィルス感染に案外無頓着だったこちらも、今冬からは警戒を強くして、めずらしく予防マスクなどをかけ、手洗いやうがいもこれまでにないほどの丁寧さに心がけているところです。それに、「ウィルスに負けない体づくりを」ということで、素人思いつき予防法でしょうが、ニンニクをせっせと食し、蜂蜜をしょっちゅう飲み、「免疫力・抵抗力」を高めようとしているところです。

それらの何が功を奏してなのか、娘宅での毎日の滞在も含めこの半月ほどインフルエンザウィルスと各地でかなり接触しているはずですが、今のところまだ強烈ウィルスに侵されずに済んでいます。得意がることではありませんが、ワクチン接種などはこれまで学校卒業以後はやったことが一度もなし。昨年に続き今冬も、ごく普通の風邪もまだひいていませんから、何かのおかげでこちらの体には「抵抗力」がついているのでしょうか。

これだけ感染力が強く、症状も重くなるインフルエンザですので、子供たちへのワクチン接種と同じように、働く方々もワクチン接種の准義務化をはかるなど職場の健康管理を徹底しなければとも思います。罹患者が出れば職場としても円滑な運びがとれなくなり、また、個人や職場だけでなく、社会的にもその損失は大きいからです。「自分や家族の健康のため、仕事や職場のことを考え毎年ワクチンを接種している」と、ある働く女性がこの間私に語りました。それは立派な心がけだと感心、大事なおしえとうけとめました。

写真は、今冬最深積雪前の村内の様子です。また先日「管理されていない空き家」のことを記しましたが、今冬一度も雪下ろしをしていないそうした空き家のうちのひとつも載せました。ふんわり新雪ではなく、鉄のスコップでも容易に突き刺さらないほど堅く締まった約2㍍の積雪を載せた空き家です。新雪は1㎥あたり約100㎏、締まった雪だと1㎥あたり約300~500㎏といいます。面積100平方㍍の屋根だと約50トン荷重。この屋根全体にかかっている荷重はいかほどか。

小正月行事のように雪は時にメルヘンの世界に私たちを誘いますが、もうひとつ、並の思案をこえる前述のような荷重、雪崩、落雪の破壊力というすさまじい顔も豪雪はみせます。

雪状況を視察

 

村議会常任委員会の村内雪状況視察がきのう執行当局同行のもとで行われ、行動をともにしました。

福井など北陸地方を主にして襲った寒波の直後でしたが、北日本わが村の雪降りはそれほどでもない寒波中休みのような天気の下、午後から村内全体を視察しました。

視察で注意してとくに目を配ったのは、雪崩や法面の雪落下、管理されていない空き家など雪下ろしにまったく手がつけられていない家屋、流雪溝などの水流状態、国道との交差点などを主にした道路の雪壁や公共施設の雪状況などです。

空き家一般ではなく、「管理が放棄されている空き家」が、とくに雪との関連で安全なくらしを脅かしている事例は、それが個人の財産であるだけになんともむずかしい処理課題です。

同じ空き家でも、2~3㍍の積雪荷重が放置され廃屋と化した空き家は、そのほとんどで軒が折れ下がり、窓や戸が破れています。その様は、空き家の場所によっては住民の安心安全のくらしを脅かし、また「美しい村」の名や山村景観にも直接かかわることです。「管理放棄空き家」をなくし、これ以上増やさないために、困ったにとどまる現状からぬけだす「個人、地域、村、県、国として何が必要か」を、もう一度思案の整理をして抜本策を練らなければと思います。


さて、今冬の村の積雪ラインは、雪害警戒部から豪雪対策本部へきりかえるかどうかの境目にあり、次の寒波が「来るぞ」と予報されているこの2~3日後にどれだけの雪が降るかが、豪雪対応としてはある意味での分かれ目となりそうです。

 

集落ですでに2㍍前後から3㍍近い積雪の村となっています。これだけの積雪になれば、大きな雪崩だけでなく、屋根や法面などわずかの範囲の落雪でも重大な事故につながりかねません。斜面を近くにしての雪のなかでの建設工事も警戒が必要です。これからは、雨と雪の繰り返しが多くなり、雪が緩みます。危険箇所をよく確かめ、知らせあって、油断なく2月、3月をのり切りましょう。

戦争の過ちを繰り返さぬために

ためていた書類などの整理をしながら、一年でもっとも読書の時間がとれる日々をも過ごしています。そのためにいくらかの本の買いだめもしているのですが、とくに目を通しているのは一度か二度読んでいて、「さらに、もう一度」と、繰り返し手がのびる著書です。

先日、NHKBSテレビは、第二次世界大戦当時、中国大陸にあった旧日本軍731部隊の特集番組を報じました。内容は、戦争のなかで捕らえた侵略地の人々に対する同部隊の「様々な人体実験」について、「悪魔の行為」ともいえる非道の事実を知らせるものです。

私は、人体実験の対象にされた「マルタ」とよばれた人々の無念さへの情とともに、731部隊の幹部の方(軍医を含む)が、再生された裁判の録音テープのなかで、自らが冒した非道の実験について涙を見せ痛恨の反省をする、人としてのあるべき本来の姿に胸がしめつけられました。部隊のうち幹部の多くは、戦後の国際裁判でも罪が問われず、国公立大学医学部等の教授や薬剤会社への職務につき戦後を生きたことを放送は伝えました。

実は、それとはかなりちがいますが、あの戦中、満州への開拓移民などが全国から募られたという歴史がわが国にはあります。満州へはわが村からもむかっています。敗戦時にはこの移民のみなさんが大変な状況におかれ、わが湯沢雄勝地方でも多くの方々が犠牲(集団自決もふくめ)になった惨状が毎年報道されます。

この移民策でやはり多数の人々を満州へ送り出した当時の長野県。そこの旧河野村(現豊岡村)村長・胡桃澤盛氏は、満州へ多くの村民を送り出し、その方々の72人が終戦の混乱の中で集団自決に追い込まれたことへの自責の念から、終戦の翌年、46歳で自死しています。わたしがこのことを知ったのは「それでも日本人は「戦争を選んだ」東大大学院教授加藤陽子著、新潮文庫」によってですが、故胡桃沢氏は、終戦直後の11月の日記で「何故に過去の日本は自国の敗けた歴史を真実のまゝに伝える事を為さなかったか」と記していることを加藤教授は著書のなかでとりあげています。この旧河野村のこと、胡桃澤氏のことが、明後日10日の日本放送テレビ「決壊」の題で10時半から放映されます。たまたま同じ日のNHKBS1でも、2時から「731部隊」が再放送されます。

戦争と人間。人間と権力争い。日本が内外で冒した大戦時の罪(治安維持法も含む)だけではなく、ヒトラーのドイツ、ベトナムや広島・長崎でのアメリカの残虐、旧ソ連や中国によるアフガンやベトナム侵攻、スターリン、毛沢東、ポルポト政権の幾百万人が犠牲となった大粛正も、みな、人間社会がうんだ出来事です。なぜ、社会は、幾度もの戦争、粛正、残虐をとめられなかったのか、止められなかったどころか、なぜ戦争や粛正に高揚したのか。未来社会を展望するうえでも、歴史の事実をよくとらえねばならず、それでも日本人は「戦争を選んだ」の前述の著書をまた取り出しました。それと、あのヒトラーが実は圧倒的に支持された歴史がドイツにはあり、そういうなかでの反ナチの運動を書いた「ヒトラーに抵抗した人々(對島達雄著・中公新書)」の著書をこれもまた取り出しました。みな、戦争と粛正の「なぜ」を知り、過ちをおかさない社会になってほしいためにです。

陳情の方々へ対応

春闘の時期ということもあってでしょうが、先に県労連などの方々から議会に届いていた陳情についてきのう役場への説明ご訪問があり、内容をお聞きしました。

陳情のみなさんは、地方と大都市部の最低賃金には時給で200円近くも差があるのに、生計費ではほとんど違いがないという現状を引き出した調査資料を前にして、最低賃金の改善必要を力説されました。

全労連という労働組合の全国組織がおこなった、全国の25歳単身者の生計費資産調査というのがその資料です。それによれば、秋田市は最低賃金額が2017年で738円、大阪府堺市はそれが909円、ところが、秋田市の月額最低生計費は約21万7千円で、堺市は約21万1千円という調査数字がはじきだされています。

「賃金には大きな格差があるのに、生計費はほとんど同じ」というのがこの調査にもとずく説明の論拠で「だから、最低賃金の差をなくして」が主張のようです。陳情の方々は、地方の賃金引き上げは中小企業経営者の方々への国による支援策があわせてとられることが必要と語り、とりわけ中小業者の社会保険料事業主負担への支援や税の減免支援策、そして大企業と中小企業間の地位の改善について法整備なども必要と語りました。

人がくらす上で指標のカナメとなる賃金。全体としての生計費が地方も大都市も同じならば、賃金の高い方へ労働力はむかう、これは必定でしょう。一極集中を止め、地方の創生を本気ではかるのであれば、賃金の改善はもちろん、地方中小企業への国による特別の支援策が必要でしょう。これは、人類が築きあげ到達している「資本の論理」を越えた、新しい資本主義の考えにもとずく国策がもとめられているということかもしれません。

参考のために、前記の調査資料を写真にして載せてみました。青年のみなさん、自分の現状と比べてみて、いかがですか。

タッチラの木の皮をみて

むかし、ノウサギ猟で雪の季節の冬山を歩けば、待ち役、追い役を繰り返し、一日に3万歩ほどはおそらく歩いたでしょう。所と季節によっては、それをはるかに上回る一日中歩きの猟があたりまえでした。

同じ歩数でも雪歩きです。靴での歩きとちがい、カンジキ履きで、しかも深い雪こぎ(はでこぎ・ラッセル)ですから、これはなかなか疲れるし、汗もかき、おなかもすくもの。

朝に出かけるときのリュックには、二食分たっぷりの「握りまま(にぎり飯)」を詰め込むのが猟には欠かせぬ「心得」でもありました。時代がさかのぼるほどに、それはなぜか、ただのにぎり飯ではなく、大きなにぎり飯を焼いたもの。

「心得」というとやや大げさめいてきますが、この言葉には理由があります。まずは猟場に着くまでに長い雪こぎがあります。昼飯時ににぎり飯を食べますが、「全部は食うな」が冬山歩きでの長い体験からくる教え。後のために必ずいくらかのにぎり飯は残しました。

天気の急変する冬山では、それから夕方まで何があるかわかりませんし、昼飯後の猟でも歩きはさらに続き、撃ち獲ったノウサギが幾羽も背のリュックに重なり(私の体験では、最高7羽・わが集落ではノウサギを数えるには匹ではなく羽の言葉をつかう)、それに銃、銃弾、双眼鏡、食料、飲料、などが加わりますから、さらに荷は重くなり、体内のエネルギーは最大限に消耗されます。さすがに、7羽となるとウサギでも重い。

ですから、夕方、山中や下山の雪上で二食目を摂るのはごくざらにあったものです。そういうこともあって、奥羽深山、遠出の猟では、帰りの荷を軽くするために、ノウサギの腹を割き内臓を取り出し、雪に埋め残してくるという方も。県境部など遠出のノウサギ猟では、天候急変や遅い刻までの猟などで帰りが真夜中になることもあり、こんな時は、山中で3食ということもままありました。

先日に記していた山中でのこと。下山途中の斜面にタッチラの木(ダケカンバ)がありました(写真)。自然にめくれるこの木の薄い外皮は、焚きつけ材として最適で、狩りをしながらこの薄皮をいくらか手ではがして懐に入れ、昼食時の焚き火につかったむかしを思い出したのです。思いは山とにぎり飯にも及び、それで記してみたのです。

 

 

 

 

それは、まだ銃をもたない中学生の頃のことだったでしょうか。主にノウサギ猟や釣り、山菜、きのこ採りで生業をたてていた亡きTさんたちに連れられ、里山のヘゴ(勢子・追い出し役)役で猟に加わった当時のことだったと思うのですが、もう半世紀ほど前のことで、記憶がおぼろげになりはじめています。

ふんわり降雪の都内

1日~2日は、予定通り仙台と都内での要望活動に副村長とともに出席。山形新庄最上地方すべての市町村、湯沢市、横手市の首長や議長、その代理のみなさんとうごきを共にしました。

厳しさで今冬2度目の寒波による積雪予報(大雪警報も)が首都圏に出されたなかでの滞在でしたが、今回の雪は大きなトラブルをおこすほどではありませんでした。

それでも、朝、ホテルの部屋のカーテンをあけたらふんわりふんわりとした降雪が続いていて、自民党本部、議員会館、国交省、財務省と30数人の要望団一行がすべて徒歩での移動中も、傘をさしての歩きとなりました。降雪の中での都内歩きは、こちらにとっては久しぶりのことです。

今回の要望活動は、会長職をご難儀いただいている山形・金山町さんの手配ですすめられ、省庁、政府などへのご案内も山形側の国会議員さんと秘書さんにご苦労をおかけしました。また、秋田側からも中泉参議院議員の秘書さんに同行いただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼3日は、狩猟や山にまつわる怪談などに主なる的を定めて活動しておられるとうかがう、カメラマン、ジャーナリスト、作家の田中康弘氏の取材をうけひとときを過ごしました。

これは村のまるごと自然館を通じてアポがとられていたもの。こういうのを偶然というのでしょうか、あるいは何かの縁ともいうのでしょうか。取材に応じた後日にわかったことですが、実は、雑誌「狩猟生活((株)地球丸社発行)」の2017年VOL2、罠猟特集号をこちらは購入していて、たまたまこの号に、北秋田市阿仁でナガサ(マタギ鉈)をうつN鍛冶店を取材した田中氏の記事(豊富な写真と文)が載せられていたのです。

こちらも、そのN鍛冶店の鉈を長年愛用していて、ワナ猟免許もあり、また別記事としてあった熊掌料理など内容にも気がひかれました。それでその特集号をふと手にし初めて買い求めたのでしたが、その雑誌の終覧4ページをしめる写真と記事が田中氏によるものだったのです。

田中氏の名刺には、旅マタギ 撮影・取材・執筆の字が職名としてでしょう記されています。世の中、人の生きる道というものはまことに多彩なものだと、氏と別れた後、仕事部屋にある前述「狩猟生活」誌を脇にながめながら感じたところです。

▼きのうは、村の要望活動などでつねがねお世話になっているみのり川信英代議士の湯沢雄勝地区新春懇談会・国政報告会に出席。会場内の移動がたやすくできないほど満席のもとでの集いでした。国政や県南地域の状況について、代議士ご本人のあいさつをふくめ、来賓の国会議員など様々な方々の考えと言葉にふれることができました。

えッ、白いオオトカゲ?

新雪が降り重なり、キャンジギ(カンジキ)をつけてもなお腿のあたりまで足が沈むほど雪深いたんぼの雪原を歩いていたら、オヤッと思う姿が雪の上に。

 

 

 

 

オヤッの姿は、木に登っているオオトカゲのように見えたからです。この間は、ここの木についた雪がまるで梵でんのような形にも見えたのを紹介しました。雪は、厳しいばかりでなく、時々見事な景色や、感心するような芸術や造形をつくりあげてもくれます。

ウルシの実に集まるカラス

豪雪の村で生きるには、人間にとってもなかなかの覚悟がいりますが、野の生きものたちにとっての雪国の冬は、命の糧を得るうえでわれわれには想像できない厳しさがあるように感じます。

先日朝、役場へ向かう通りすがり、ウルシの実を食べている数羽のカラスを見て、「ほほう、カラスも、ついに、柿の実を食べ終え、漆の実にあつまるようになったか」と、かれらのおかれている食の厳しい季節到来を思いました。

雪国に生きるカラスやヤマドリなどやや大きめの鳥たちにとって、寒中の食をささえる最後の大切なささえのひとつがこのウルシの実。

むかしの狩人たちは「ヤマドリを獲るなら、ウルシの木へ向かえ」とよくいったもの。主に朝と夕に食事にむかうヤマドリなどは、一本のウルシの木に幾羽もの群れで飛来、ゆっさりの房実を食べていて、それを「下から順番に撃てばみんな獲れる」などと、冗談まじえで我々は教えられたものです。(ただし、メスヤマドリは狩猟禁止)

昔は、塗料としての樹液採りでウルシの木は大切にされたものですが、狩人たちにとっても「あそこのウルシの木は、誰それがヤマドリを獲る木」としてお定まりの木があり、それぞれの集落に幾本かあるウルシの名木がありがたがられていたものです。

そのウルシの木にカラスも集まるようになったのです。自然から淘汰されるか生き残れるか、これから春までの彼らの本格的な生存をかけた日々がはじまったといってもよいでしょう。それだけ厳しい雪国の2月入りです。

▼今日は仙台の国交省東北地方整備局へ、明日は都内で政府省庁、国会へ、山形のみなさんと要望活動です。