むかし、ノウサギ猟で雪の季節の冬山を歩けば、待ち役、追い役を繰り返し、一日に3万歩ほどはおそらく歩いたでしょう。所と季節によっては、それをはるかに上回る一日中歩きの猟があたりまえでした。
同じ歩数でも雪歩きです。靴での歩きとちがい、カンジキ履きで、しかも深い雪こぎ(はでこぎ・ラッセル)ですから、これはなかなか疲れるし、汗もかき、おなかもすくもの。
朝に出かけるときのリュックには、二食分たっぷりの「握りまま(にぎり飯)」を詰め込むのが猟には欠かせぬ「心得」でもありました。時代がさかのぼるほどに、それはなぜか、ただのにぎり飯ではなく、大きなにぎり飯を焼いたもの。
「心得」というとやや大げさめいてきますが、この言葉には理由があります。まずは猟場に着くまでに長い雪こぎがあります。昼飯時ににぎり飯を食べますが、「全部は食うな」が冬山歩きでの長い体験からくる教え。後のために必ずいくらかのにぎり飯は残しました。
天気の急変する冬山では、それから夕方まで何があるかわかりませんし、昼飯後の猟でも歩きはさらに続き、撃ち獲ったノウサギが幾羽も背のリュックに重なり(私の体験では、最高7羽・わが集落ではノウサギを数えるには匹ではなく羽の言葉をつかう)、それに銃、銃弾、双眼鏡、食料、飲料、などが加わりますから、さらに荷は重くなり、体内のエネルギーは最大限に消耗されます。さすがに、7羽となるとウサギでも重い。
ですから、夕方、山中や下山の雪上で二食目を摂るのはごくざらにあったものです。そういうこともあって、奥羽深山、遠出の猟では、帰りの荷を軽くするために、ノウサギの腹を割き内臓を取り出し、雪に埋め残してくるという方も。県境部など遠出のノウサギ猟では、天候急変や遅い刻までの猟などで帰りが真夜中になることもあり、こんな時は、山中で3食ということもままありました。
先日に記していた山中でのこと。下山途中の斜面にタッチラの木(ダケカンバ)がありました(写真)。自然にめくれるこの木の薄い外皮は、焚きつけ材として最適で、狩りをしながらこの薄皮をいくらか手ではがして懐に入れ、昼食時の焚き火につかったむかしを思い出したのです。思いは山とにぎり飯にも及び、それで記してみたのです。
それは、まだ銃をもたない中学生の頃のことだったでしょうか。主にノウサギ猟や釣り、山菜、きのこ採りで生業をたてていた亡きTさんたちに連れられ、里山のヘゴ(勢子・追い出し役)役で猟に加わった当時のことだったと思うのですが、もう半世紀ほど前のことで、記憶がおぼろげになりはじめています。