涼し過ぎるお天気の下、消防の熱い夏

13日は村の社会福祉大会。14日は消防訓練大会と大会つづきでした。

社会福祉協議会の会長が交代となり、新しい体制のもとでのはじめての福祉大会です。福祉分野で村民の心の拠り所となる組織ですので、今後も、組織の原点となる活動目的にそい「頼られる存在」として大いなる飛躍をねがいたいものです。

訓練大会は、半袖の人々では少し大げさにいえば「鳥肌がたつほど」という涼し過ぎる「東風(下り風)」の下で行われました。訓練そのものは、日々の練習に励まれた技を、こちらは熱く披露していただき、我々も一年ぶりに背筋がピンとするひとときを過ごしました。

団員の多くがお勤めの方で、自営業の方も含め仕事の都合でそろって練習の時間をとるのが大変なことをよくお聞きします。そういうなかなんとか都合をつけ練習を重ねての大会です。成績はもちろん大事でしょうが、練習の日々こそが、団員の絆を深め団結をかためる最も大切な時となっているのではと、大会前の練習に励むみなさんを見て思います。

小型ポンプ操法で連続優勝した第3分団第3部(大柳地区)と、規律訓練で優勝した第1分団は、湯沢雄勝の支部大会での勝利めざしてまた猛練習の日々となるでしょう。支部の大会でもみなさんの栄えある成績を期待いたします。

▼12日は、県の町村電算システム共同事業組合議会の7月定例会、町村会と町村議長会の政策研究会が開かれました。議会では、議長選挙も指名推選でおこなわれ、引き続き私が議長職をつとめることになりました。システム統合の項目内容が多いにもかかわらず、全町村が加わってこれだけの事業を安定して運営していることは、各方面から注目されています。引き続き事業発展のために、議会としてのつとめを果たしたいと思います。

政策研究会では、県の企画振興部参事(兼)総合政策課長の阪場進一氏を講師にお招きし、「最近の国土交通行政について」と題して講演をしていただきました。

国道342号整備促進同盟会総会

国道342号の整備促進を目的にした同盟会の総会が岩手県一関市できのう開かれました。

同盟会は、一関市、登米市、横手市、東成瀬村の4自治体で組織されています。今年度の事業計画を、別途転載のような内容で決めました。

きのうは、太平洋側からの寒気(下り風)が強く、岩手側はもちろんのこと、わが村も半袖ではやや寒いほどの天気となりました。今朝も肌寒い雨空です。田んぼはこれから稲株の中で穂が作られ始める時。こんな低温が続けば困りもの。寒気が気になりはじめました。

▼帰路、成瀬ダム工事現場を展望所から眺めました。ダム堤体の基礎掘削、原石山採取箇所、堤体工事に伴うプラントなどの主要工事が真っ最中です。何百人もの方々が働いておられるのでしょうが、広い工事区域でもあり、動いているもので主に目につくのは大型機械。近代化されたダム工事特有の現場が展望されます。

▼妻が若い頃お世話になった千葉・館山市の花卉農家Sさん宅から、先日トルコギキョウが贈られてきました。今年は、お天気の変動が大きいなかでの栽培となっているようですが、市内で最も花卉栽培歴が長く著名な篤農家のひとりだけに、作り上げられた花は見事なものです。「出荷最盛期で大忙し」という日々のようです。

花壇のようなウツボグサ

きのうは田んぼに入り、残していた溝切り仕事を終えました。これで、田んぼの中干しはようやく完全排水状態になりました。「干し」が順調にすすむかどうかはこの後のお天気次第です。一週間ほど前からたんぼの「水見」をしなくてよくなり、朝夕にそれで空いた分の時間の余裕があって気が幾分楽になります。

家周りの野原ではサシドリ(オオイタドリ)が最大限に伸びています。サシドリは、サグ(シシウド)の仲間と共に最も背高ノッポの野草で、2㍍をこえる草丈です。しかもサシドリは群生しているためにそこはちょっとした「草の林」のよう。地面への陽当たりが少ないのでほかの雑草の勢いがなく、「草林」の中に入れば土肌がよく見えるほど。

我が家では、秋になって枯れたこの半ば木質の茎を時々刈り取って保存します。空洞でも案外堅くて軽い茎を、翌年にはキュウリやインゲンなど蔓状作物の補助支柱などにも時々用います。稀に燃料の補助焚き点けにも枯れた茎は使われます。

日当たりの良い農道の脇ではウツボグサがいま花盛りです。人里で見られるごくありふれた野の花ですが、こうして群生していると、ちょっとした花壇のようにも見えます。

それら野草のそばでは、クマイチゴの仲間が熟れどきを迎えたところもあります。この季節になれば1歳と6ヶ月ほどになった昨年生まれの子グマ(子グマといっても親より一回りほど小さいだけ)が母親から離される時。これからは、親離れした子グマたちが自分の力だけで生き抜くために人里近くにも近づくでしょうから、出没情報がこれまでより多くなるかもしれません。(今年の冬に生まれた子グマたちは、もう一冬を親といっしょに過ごし、来年の今頃に、親離れです。)

今の季節、クマはキイチゴやクワの実を大好物としてそれらの木によく近づきます。山や里でもそうした木の実のあるところは要注意ですよ。

白神山地・津軽ダムの西目屋村へ

8日、議会常任委員会の視察研修に同行して青森の西目屋村へ向かい、きのう帰りました。

目的は、平成28年10月に竣工した津軽ダムと村政の関わり、ダム完成後の具体策などをお聴きし、直に目にすることです。

昨年には当村職員も西目屋村を訪れ、ほぼ同じような視察をしていたようですし、インターネットなどであらましの情報はつかめます。しかし、自分の目で直接見て、体験しなければ実際の状況はわからないもの。物事の的確な判断をするためには「まずは現場が大事」です。これはどんな仕事にもほぼ共通する心がけでしょう。今回の議会の視察は、そうした観点もふくめ行われたものと思われます。

山村の振興発展、ダムをかかえる地域の振興策といっても、おかれた条件は同じ山村でも、地勢、歴史などによってみな違います。ダムひとつをとっても、湖面に水が湛えられている姿だけは共通するものの、ダム湖のある諸々の周辺環境、集落や、道路、都市部からの距離、ダムの構造、流入する河川形態と規模、建設目的等々、特徴を細分化すればするほど、どれ一つとして同じ条件のダムはないでしょう。

そういうなかで、成瀬ダムが完成後に、人間がつくりあげる構造物としては最大級のこのダムを、主たる建設目的とはまた別の面でどう人々のくらしに活かすか、これが村の私たちにつきつけられています。

ここで議会が視察の視点にあてているのはダム建設後に、「ダムをどう活かすか」ですが、その「活かす」ことの具体策によっては、ダム建設中に一定の配慮や考慮が必要なこともあるかもしれません。完成後に、「建設中にこうしておけばよかった」ではどうにもならないこともあり得るからです。

村も、議会も、当面、完成後のダムを活かす「村として可能な、最大限の具体策」について智を集めなければなりません。これも、議会の当面の大きなしごとのひとつといえます。

▼津軽平野と西目屋村への往き来に車内や道の駅などから目に入るのは岩手山と岩木山。二つとも名山の誉れ高く名を知られる山ですが、豪雪地帯に座する鳥海山や、栗駒、焼石、月山、飯豊連峰などと比べれば残雪が極めて少なし。同じ東北でも、降雪の多寡によって、夏の山の表情はほんとうにちがうものです。

帰りに立ち寄った田舎館村の道の駅では、岩木山を背景に「たんぼアート」と、男はつらいよの寅さんや美空ひばりの「石アート(こちらは小石で絵を描く)」を見学しました。こうなれば、アートというだけあってもう「芸術」の世界。見せ(魅せ)ますね。

視察では、西目屋村の桑田議長さんや三浦議会事務局長さん、それに施策を説明していただいた三浦政策推進室長さんなど、大変お世話になりました。ここからも厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。

高級きのこハタケシメジ参上

家のまわりで生長を待っていた高級きのこのハタケシメジ。待ちきれずに7日に採りました。

生長の頂点に達した株もあれば、まだ採るには惜しい株もありましたが、一回でドンと美味しさを味わうためには一定の量も必要。片方の株の生長を待っていれば、別の株の生長が過ぎてしまうほど株の大きさがふぞろい。なので「やむをえない」と、みんな地面から離し、おいしくいただきました。

今年の我が家で食卓にあがった野のキノコは、雪解け直後のユギノシタキノゴ(エノキタケ)、ヒラタケに続く、ハタケシメジは3番目の登場ということになります。

この日は、山菜・きのこ採りセミプロ級の集落の方からワゲ(ヒラタケ)をいただきごちそうになりました。集落のブナの森では、昔からこの季節に最も多く発生するワゲきのこを「梅雨ワゲ」と呼びます。梅雨時はとくに大量に採れ、味も一等級なので人気のあるキノコです。写真最後の左側の白いキノコがそのワゲです。本来の色より白いのは、日のあたらない場所に生えていたためでしょう。

こちらも、「ワゲ採りだけを目的に、ブナの原生林へ」といつも思っていますが、このところ何十年も、今の季節のそんな目的の山入はできないでいます。写真の最後、左側が、いただいたそのワゲです。「梅雨ワゲ」は晩期の頃となっているようです。ハタケシメジと同じで、ワゲ(ヒラタケ)の仲間は春から秋まで採れる、キノコ好きにはとってもありがたい自然からの贈り物です。

ブナやミズナラの森では、もう少したてば色鮮やかな朱色のマスダゲ(マスタケ)が顔を出し、あと一月たてば、初秋のキノコたちも次々と登場します。

落水、盆アゲズ羽化、モミジイチゴ熟れ盛り

6日は早朝5時から、田んぼのある堰(ヘギ)組合の用水路沿い草刈り作業へ。

どこの用水路でも行われている夏に一度の作業です。用水路沿いにあるモミジイチゴが熟れ時で、甘~い梅雨時の野の実を口にしました。

この日は、共同作業後にたんぼの水を落とし、7日は排水をよくするために溝切りを始めました。我が家のたんぼは粘土質で土深く排水がよくないので、この作業は欠かせません。たんぼが平らでないということも、溝切りの少々の理由にはなります。

久しぶりにたんぼの中に入ったら、羽化真っ最中のボンアゲズ(盆秋津・アキアカネ)がいっぱいいます。シオカラトンボ、アキアカネ、ドジョウ、トノサマガエルや何種ものカエル、イモリ等々、水を張ったたんぼの中は多くの生きものたちの棲み処です。

何十年も続いてきたことですが、突然水を落とされて、みんなびっくりしているはず。まだカエルになっていないビッキキャロ(オタマジャクシ)の一部は命を亡くしてしまうかもしれません。月の下旬にまた水が入るまで、生き物たちの多くは小さい範囲で水のある水路そばなどに移動するのでしょう。

県南3か町村議会の研修交流会

美郷町、羽後町、東成瀬村の県南3か町村議会議員連絡協議会の研修会がきのう、当番地の美郷町でおこなわれ議員全員が出席しました。

前段で、美郷町長の松田知己氏による「美郷町と企業等との協定について」という講演がありました。松田氏は、よどみ、むだのない語りで、企業等との協定の経緯を引きながら町づくりについての理念を熱く語られました。

講演後には、これまでも訪れたことのある大地主の旧坂本東嶽邸(写真は、大隈重信や犬養毅からの書簡)や隣接して新設された千屋断層学習館、町が奨める薬草栽培圃場、よく知られるラベンダー園を視察。

坂本氏は先祖が岩手の西和賀町(旧沢内村坂本郷)から「真昼の山を越えて」千屋の地に居を構えたこと、増田の沓沢甚兵衛家からむかえたお婿さんの代に酒造業で隆盛をきわめたことなどをあらためてご案内いただき、山越えの理由や、秋田県南の大地主間の縁戚関係などをふくめ往時の歴史をしのびました。

陸羽地震によってあらわれた千屋断層を学ぶ「千屋断層学習館」に入ったら、この地震に学校や民家、道路などの被害が写真の記録としても展示されています。それらの中に、東成瀬村田子内の大きなかやぶき家屋が1階のすべてを倒壊した様子の写真もありました。

陸羽地震を伝える村の郷土誌は、災害の編で、六郷地震と題してこの地震の被害を5行にまとめています。その一部には「本村でもかなりの被害があったというが被害のようすは不明。家の倒壊もあったため、堆肥塚に板を敷いて一夜を明かしたところもあったようだし、誰も仕事に手をつける者がおらなかったそうである。余震が10日も続き不安が続いた。山にも亀裂が入った。」と記されています。地震は明治29年(1896年)、8月31日、午後1時32分に発生とありますから、写真のこの大きなかやぶき家屋は田子内のどこのどなたの家だったのか、被害規模を記す資料が村の内外でほかになかったのか、住人の被害はどうだったのかなど、写真を目にして関心を深くしました。今後の村の防災とも関わることだからです。

▼きのうの朝、突然の電話がはいりました。電話の先は、先月29日付けの秋田魁新報に載った焼石山行の記事を読まれた湯沢市のFさんと名告られる方で、「新聞の記事がよかった。すばらしい花景色なので、焼石に、妻と二人で登りたい。そのために、いろいろと教えてほしい」という旨の電話が突然です。

お話の様子では、焼石にはまだ登ったことのない方のようです。「この一週間ほどは、新聞に載ったミヤマキンポウゲとハクサンチドリが、タゲの沼草原ではそれこそ真っ盛りで、今ならエゾノクサイチゴの白花も加わっているはずですから、花のじゅうたんは見事なはず」とお伝えしました。

ほかにも、この新聞記事を読まれた方からの感想をお聴きしていますから、この週末、休日にかけては焼石に向かわれる方々がおそらくたくさんおられると予想されます。お天気も今日明日はまあまあのようですから、みなさんきっと思い出に深く刻まれる 山行となるでしょう。

▼先日載せたトンボは、どうもギンヤンマではないようです。「ルリボシトンボの仲間ではないか」という方もおりますが、私にはわかりません。ということで、誤解をふせぐために「ヤンマの仲間」とかにとりあえずしておきます。「トンボの仲間」としておけば間違いはないでしょうが、それではあんまり広すぎますからね。

今回トンボを見て感じたこと。動物、とりわけ昆虫は、どうしてこんなに種が多いのかということです。生物界としての植物、あるいはほかの動物にくらべてなにゆえに昆虫だけがこれほど種が大きく分かれて進化したのか、ほんとに不思議でなりません。命の尊さを知るなら「まず虫の進化を学ぶ」そんな気にもさせられる、トンボです。

これはなんでしょう?

童話か、おとぎ話の世界に出てくるような花の実。これは春にいつもご紹介しているトガクシショウマの実です。

早春、ブナの森深山に咲くトガクシショウマ。花そのものも、あまり人目にふれることのない植物のうちのひとつで、環境省指定の絶滅危惧種です。花だけでもめずらしいのに、真っ白の実を見たのはこちらもはじめて。

ツルウメモドキ、サルトリイバラ、ブドウやガマズミの仲間等々、実の美しい植物としてあげられるのはほとんどが木の実。そんな中、草の実でこんなに人目を引くのは、タケシマランなどをふくめこの地ではそれほど多くはないでしょう。

日本人によってはじめて学名がつけられた植物とされるトガクシショウマ。種そのものも希少で、かつ花も美しく、実も不思議な魅力を見せる植物です。

▼妻がつくるナスとキュウリが、今年も食卓にあがり始めました。新ジャガイモも試食できるようになっています。畑からはもう少し日が経てば、トマトも収穫できます。完全無農薬でつくられる野菜。自家栽培の良さはなんといってもそこにあります。

野イチゴの季節入り

草取り仕事をきのう午前で終え、田んぼを中干し(排水して干す)できる準備が終わりました。

たんぼそばのモミジイチゴが熟れる頃だろうと立ち寄りましたが、いい形で食べられるほどになったのはまだ一粒二粒ほど。梅雨時なので、実のそばではカタツムリさんが活動中でした。

もう一週間ほど経ったら、オレンジ色に熟れた実がきれいにならんだ樹の姿が見られるでしょう。

▼妻が自家用野菜をつくる畑では、とちおとめイチゴが毎日のようにもぎとられています。

ここ2年ほど、苗の植え付けしごとに手をかけられないので、「野イチゴみでぇになった」と妻は言います。確かに味も実の大きさも、とちおとめの「とち」の字ぐらいまでにとどまっているようです。

でも完全無農薬で食べられるとちおとめイチゴですから、それだけで、おいしさのマイナス分を補って余りあるのです。ほったらかしですから、こうなればもう、野イチゴといってよいのかもしれませんが。

▼かなり前から、「タノクロアゲズ(たんぼの畦でよく見られるトンボ。シオカラトンボ)」が、羽化したたんぼで見られるようになっています。野山では、写真のようなトンボ(ギンヤンマでしょうか?わかりません)もよく目に入ります。

トンボたちの羽化も、ゲンジボタルが羽化する頃とみんな重なりますから、梅雨時は水棲昆虫たちの羽化はじまりの季節とおぼえておけばよいようです。

ビッキの鼻通し取り

きのうは、ほぼ一日たんぼの草取仕事。たったひとつ春の除草剤が効かない「ビッキの鼻通し」と呼ぶ手強い水田雑草の「クログワイ」が伸びて来るのが今の季節。ビッキはカエルのことですが、ホタルイやクログワイになんでこんな名がついたのでしょうね。

この雑草に対しては、ほとんどの農薬会社の除草剤が「クログワイにも効く」と効能を書きますが、春期の除草剤散布では効果がほとんどありません。これから、地上部だけを枯らす農薬はありますが、塊茎はどうもほとんど生き残るようです。

まもなく田んぼの中干しの時期。通水をいったん絶つ前の草取り仕事です。この時期の除草では、手作業などとてもやっていられないと、除草剤で枯らす農家もあります。しかし、こちらは「除草剤はこれからの季節は使わない」が方針なので、草は抜き取るしかありません。

まことに腰の痛い草抜き仕事ですが、芋状になっている根を抜き取らなければ絶やすことができません。我が家のたんぼでは、ほかの雑草はほとんどなし、これがたったひとつの最強の雑草です。

▼梅雨時になったら、味も形も高級キノコのハタケシメジがカオを見せ始めました。いつもの年より発生が遅いようです。もう一週間ほど成長させて、極美味の初モノをごちそうになろうと思います。

味覚も姿も高級キノコの仲間にしてはめずらしく、梅雨時から晩秋まで節目節目で続けて収穫できるという、わたしにとってはなんともありがたい野(山ではなく草原)からの贈りものです。

▼20歳の頃に農業研修で1年間お世話になった相模原の野菜農家Sさん宅から、今年も相模野の台地で手塩をかけて育てたトウモロコシを贈っていただきました。

私が滞在していた当時、Sさん宅の広大な畑に家畜の堆肥を大量に施すしごともしました。あれから48年、このトウモロコシは、もしかしたらその畑で育ったのかもしれません。露地栽培の、とっても甘いトウキビでした。