県南3か町村議会の研修交流会

美郷町、羽後町、東成瀬村の県南3か町村議会議員連絡協議会の研修会がきのう、当番地の美郷町でおこなわれ議員全員が出席しました。

前段で、美郷町長の松田知己氏による「美郷町と企業等との協定について」という講演がありました。松田氏は、よどみ、むだのない語りで、企業等との協定の経緯を引きながら町づくりについての理念を熱く語られました。

講演後には、これまでも訪れたことのある大地主の旧坂本東嶽邸(写真は、大隈重信や犬養毅からの書簡)や隣接して新設された千屋断層学習館、町が奨める薬草栽培圃場、よく知られるラベンダー園を視察。

坂本氏は先祖が岩手の西和賀町(旧沢内村坂本郷)から「真昼の山を越えて」千屋の地に居を構えたこと、増田の沓沢甚兵衛家からむかえたお婿さんの代に酒造業で隆盛をきわめたことなどをあらためてご案内いただき、山越えの理由や、秋田県南の大地主間の縁戚関係などをふくめ往時の歴史をしのびました。

陸羽地震によってあらわれた千屋断層を学ぶ「千屋断層学習館」に入ったら、この地震に学校や民家、道路などの被害が写真の記録としても展示されています。それらの中に、東成瀬村田子内の大きなかやぶき家屋が1階のすべてを倒壊した様子の写真もありました。

陸羽地震を伝える村の郷土誌は、災害の編で、六郷地震と題してこの地震の被害を5行にまとめています。その一部には「本村でもかなりの被害があったというが被害のようすは不明。家の倒壊もあったため、堆肥塚に板を敷いて一夜を明かしたところもあったようだし、誰も仕事に手をつける者がおらなかったそうである。余震が10日も続き不安が続いた。山にも亀裂が入った。」と記されています。地震は明治29年(1896年)、8月31日、午後1時32分に発生とありますから、写真のこの大きなかやぶき家屋は田子内のどこのどなたの家だったのか、被害規模を記す資料が村の内外でほかになかったのか、住人の被害はどうだったのかなど、写真を目にして関心を深くしました。今後の村の防災とも関わることだからです。

▼きのうの朝、突然の電話がはいりました。電話の先は、先月29日付けの秋田魁新報に載った焼石山行の記事を読まれた湯沢市のFさんと名告られる方で、「新聞の記事がよかった。すばらしい花景色なので、焼石に、妻と二人で登りたい。そのために、いろいろと教えてほしい」という旨の電話が突然です。

お話の様子では、焼石にはまだ登ったことのない方のようです。「この一週間ほどは、新聞に載ったミヤマキンポウゲとハクサンチドリが、タゲの沼草原ではそれこそ真っ盛りで、今ならエゾノクサイチゴの白花も加わっているはずですから、花のじゅうたんは見事なはず」とお伝えしました。

ほかにも、この新聞記事を読まれた方からの感想をお聴きしていますから、この週末、休日にかけては焼石に向かわれる方々がおそらくたくさんおられると予想されます。お天気も今日明日はまあまあのようですから、みなさんきっと思い出に深く刻まれる 山行となるでしょう。

▼先日載せたトンボは、どうもギンヤンマではないようです。「ルリボシトンボの仲間ではないか」という方もおりますが、私にはわかりません。ということで、誤解をふせぐために「ヤンマの仲間」とかにとりあえずしておきます。「トンボの仲間」としておけば間違いはないでしょうが、それではあんまり広すぎますからね。

今回トンボを見て感じたこと。動物、とりわけ昆虫は、どうしてこんなに種が多いのかということです。生物界としての植物、あるいはほかの動物にくらべてなにゆえに昆虫だけがこれほど種が大きく分かれて進化したのか、ほんとに不思議でなりません。命の尊さを知るなら「まず虫の進化を学ぶ」そんな気にもさせられる、トンボです。