猛烈な荒れ

今から67年前の2月末から3月初めにかけての家族の様子を記した祖父の日記には、「2月23日、ヤナギ沢杉切リ ガン四九羽飛ンデ行 西北ニ」、「2月26日、コヘヅカホリ」「2月27日、ヤナギ沢杉出シ 山ヨリ炭下ゲ コエヒキ」、「2月28日、夜 東南大雨風」「3月1日、東南雨風、大水 橋オチル」などと記されています。

67年前のこの時期も、北へ帰り始めた雁の群れが早くも目にとまり始め、発達した低気圧により南東の風雨が吹き荒れ、堆肥穴掘りや堆肥のソリ引きが始まり、山では杉の伐倒とソリでの運び出しと、自然にも人の動きにも春の気配濃くなっていたことがわかります。

67年前の、その大水で橋が落ちるような時の朝「九時半に産する 長之ババタノム」と娘(私の母)のことを記している祖父。それを時々読むこちらは「オレは、大荒れの日の朝に生まれたのか。とりあげてもらったのは、地元上野の、長之ばあさんだったのか」とその日のことを知ることができています。

それから67年後のきのうの村も、ちょうど同じように南東の風雨となり、各地の積雪が緩みました。そのため朝から村はパトロールを強めるなど特別の態勢をとり警戒にあたりました。自然の緩みを雨にも雪にも感ずる3月。高校の卒業式もはじまり、体も心も春近しをしっかりととらえはじめています。

我が家前の成瀬川も、おだやかでしばれる真冬の流れが解かれ、今年初めての増水を見せました。

そうして迎えた夜、アマゲェシ(雨返し)の「爆弾低気圧」がやはりやってきました。台風一過などといいますが、この春先の低気圧は、村にとっては大型で強い台風並みで、台風よりも吹き荒れる時間が長いと思われ、その分恐怖の時間も長く続きます。

南極のブリザードとはほぼこういうものなのでしょうか。深夜から早暁、そして夜があけても、ものすごい吹雪が荒れ狂っています。台風は風が見えませんが、吹雪とともに荒れ狂う低気圧は白魔ともいえる風の形相がそのまま見えるだけに、すさまじさに怯んでしまいます。

その強風のためでしょう短時間停電もあり、家は軋みの音をたて続けています。「大きな被害がなければよいが」と、今日から始まる議会の最終備えの仕事部屋で、魔のように吹き荒れる音を聞きながらパソコンのキーをたたきました。