吹くは降るはで最深積雪

真冬日の吹雪のなか、一部建屋や家周り法面などの雪寄せにほぼ一日を費やしたきのう。

わが集落は村内でもとりわけ風の勢いが強い地区。そんなわけで道路は時々吹雪でホワイトアウトとなりました。スキー場へのお客さんの往来(どこかの学校のスキー教室もまだあるよう)や、冬場は極端に少なくなっているダム工事関連車両の通行も一定数ありますから国道は要注意。車がまったく見えなくなるほどの吹雪なので排雪運搬のトラクター作業ではこの荒れ空に邪魔をされました。

今朝のわが集落はずれの庚申塔です。今後の天気予報をみると、おそらく今日か明日あたりが今冬最深積雪クラスと思われましたので、雪と塔の様子をいつもの年のように記録しておきました。疫病や災難からのがれようと藩政時代の人々が建てた庚申塔。現況のコロナ疫病禍と重ね合わせて伝染病に苦しんだ当時の人々のくらしに思いを馳せました。

今冬最深と記録される今日午前8時30分現在の積雪は、役場所在地の田子内223㌢、庚申塔写真の岩井川246㌢、椿台277㌢、大柳294㌢。この塔が見えなくならないうちに冬本番は勢いを緩めるものと思いたいのですが、果たしてどうなるか。

▼全国の特別豪雪地帯の積雪状況をみると、今日の午前7時40分現在のアメダスで、北海道・幌加内町231㌢、山形・肘折313㌢、福島・檜枝岐村223㌢、新潟・津南町285㌢、新潟・十日町市269㌢、長野・栄村は村の簡易測定でしょうか9日で225㌢などとなっています。わが村が県内一、全国有数の豪雪の土地だということがこれら名うての豪雪地方との比較でもよくわかります。

冬本番分かれ目の日か

立春を過ぎてからもっとも厳しい冬本番が戻ってきました。

まもなく旧暦の小正月がやってきます。例年この時期の県南地方は、かまくら、ぼんでん、犬っこ、竹打ち、紙風船上げなど伝統の小正月行事でにぎわうのですが、今冬は新型コロナ禍で観光客の多いそれらほとんどが中止や規模をずっと縮めての開催予定となっているようです。

昨日朝は30㌢前後の新雪で真冬日。今日も寒中と同じ吹雪で真冬日が予報されています。でも、豪雪の村の人々は「冬本番は小正月行事の冬祭りが行われる頃まで。それを過ぎれば雪のピークは終わる」と、長い暮らしのなかで季節が移り変わる節目の時が2月半ばであることをとらえています。

予報は、今日あたりまでは大雪への注意を告げていますが、それ以後は通常の2月らしい予測をしているようです。雪寄せしていても横なぐりに吹き付ける雪が眉毛について真っ白。吹雪で顔が凍るほどに厳しい今日ですが、今週で「最も厳しい冬」とはお別れできるだろうと期待感をもちはじめた小正月前です。

吹雪にまみれる家

16日に豪雪被害視察

5日に開いた災害対策特別委員会の打ち合わせ会議。会議では、村内の被害状況を確認し合いながら、被害の現状や豪雪対応で課題となる箇所の視察を特別委員会として16日に行うこととしました。
2月5日会議
豪雪と向き合う諸課題には、村だけでなく全国の特別豪雪地帯に共通するものもあり、全国的な視野で課題解決策が求められています。それらの中には先進の教訓もあると思われますので、これまで以上にほかの豪雪自治体から学ぶことも重視したいと思います。

▼村の2月から雪解けにかけての季節は、一年のうちで野の生きものたちが食の確保にもっとも苦労する時と記しました。

そうした兆候は、鳥や獣たちの様々な動きで知ることができますが、我が家ではたとえばアオゲラの動きでもその様子を観察できます。

我が家のそばを棲息範囲としているらしいアオゲラが一羽いて、秋以来、柿の実を食べたり周囲の幹に留まって虫をつついている姿を見かけてきました。ところが、つい先日は、そのアオゲラが家の軒に止まり天井のボードを激しくつつきました。その音は、ちょうど木の中の虫を探して食べようとする時のドラミングといわれるあの連続音で、木ではなく軒にいる蜘蛛か何かの虫をとらえようとボードを嘴でつついた時に出る音です。

実は数年前にもそんなことがあり、軒のボードに2箇所の穴をあけられたことがありました。穴を空けられるだけでも困りものですが、その穴に今度はスズメバチが巣をつくるという二重の被害があり大迷惑をしたことがあります。以後、2年ばかり軒への穴開けアオゲラはやってこなかったので「あの世へいったのかな?」と安心していたところへの、タタタタタタの今回のツツキ音です。

特徴的な音なので「あっ、またアオゲラだ!」と、響き音のする軒に駆けつけ「コラーッ」と大声を出したら、軒から大きなアオゲラが飛び去りました。

軒のそばには豊かに実をつける柿の木があり、その実を食べるアオゲラを秋に写真にしておきました。軒をつついたのもおそらくこのアオゲラでしょう。我が家の軒天ボードは、よく見られる鎮守の森の社などのように、そのうちアオゲラにつつかれ続けて穴だらけになってしまうかもしれません。

豪雪の村は積雪2㍍越が続く

暦は春を告げましたが、長い期間にわたって積雪が2㍍を越えている中でまだまだ冬のくらしが続くわが村。

私の地元集落の簡易測定積雪深は今朝で225㌢。同じその集落でも最も積雪の多い入道地区を貫く県道脇は今冬も高い雪の壁となっています。でも毎年お伝えしているように、到達した現在の積雪深だけでみるならばこれが豪雪の村のごく普通の姿ともいえます。

それなのに軒の破損や農業用パイプハウスの倒壊など近年稀にみる被害多発となったのは、12月半ばからの休まずのいっき降り積もりが繰り返しあったためです。それに対応しきれなかった家々や経営体が多く被害が拡大しました。村にも議会にも農業団体や農家からの切実な支援要請が届いています。

今日は、こうした被害状況や豪雪課題に関わって予定している現地調査などを前に、各委員会の委員長にも出席していただき災害対策特別委員会の打ち合わせ会議を開きます。

▼きのう、所用で村内を巡っていたら、柿の木に一羽の鳥が止まり、実の形がほとんどなくなったへたの部分をさかんにつついていました。2月ともなれば、すでに村内のほとんどの柿の実は雪で落下したり食べ尽くされてしまい、実のついている木を見つけるのは難しい季節となります。柿の実で命をつないできた鳥たちにとってこれから雪解けまでは、食を摂るのにもっとも厳しい季節となります。

カラスなどは、どこかに貯えているのでしょうクルミの実を道路に運んで車に割らせる姿を見かけますが、ウルシなど各種木の実にまで食を求めて集まる姿もこれからは散見されるようになります。

豪雪と果樹

貯蔵しているリンゴが甘みを増し、これまでより口に運ぶ回数が増えています。

わが村でも昭和7年(1932年)に菅生田で栽培がはじまったりんご。昭和31年には村に「果樹研究会」が組織され、菅生田・滝ノ沢で41戸7㌶、下田で27戸5㌶、田子内18戸4㌶、岩井川3戸0.5㌶、手倉2戸0.6㌶、五里台3戸0.6㌶、大柳3戸1㌶、草ノ台2戸1㌶、計9集落の99戸で19.7㌶もの面積に栽培されていたことを村郷土誌は記します。

当時の品種は、「国光」「紅玉」「祝」で、改良に改良を重ねた今のような高品質のりんごではありませんでしたが、実の締まった堅い「国光」は貯蔵が長持ちし、春先になると甘みが増しおいしかったことを懐かしく思うことがあります。

村でもその後、ふじをはじめとする主力品種が次々と栽培されるようになりましたが、農業や産業構造の変化にともない昭和40年代には下田と滝ノ沢の2集落だけでの栽培に激減。以後決定的な打撃となった48豪雪をはじめとする相次ぐ豪雪被害や農家の高齢化と後継者不足、他作目への転換などで栽培農家・面積は漸減をたどり果樹研究会も解散、ついに先年、樹園地のほとんどのりんご樹は姿を消してしまいました。

我が家も、滝ノ沢の妻の実家がりんご農家でしたが数年前に栽培を止めていて、今ごちそうになっているのは横手市の身内で栽培されているりんごです。

わが村よりははるかに雪が少ないものの、県内一の果樹産地として知られる同じ特別豪雪地帯の秋田県南地方。これだけの豪雪の土地であるにもかかわらず県内最大の果樹地帯(りんご、さくらんぼ、ぶどう、ラフランス等々)としての地位を築いてきた人々の努力は並みのものではないはず。おそらく、世界でもっとも厳しい自然条件(豪雪)の中で、豊かな果樹生産地を築いてきたのが県南地方の農家のみなさんといってもよいでしょう。

今冬も、我が家がごちそうになっているりんごの樹園地をはじめ県南地方の果樹園は1㍍を越える積雪です。豪雪の被害、雪との格闘を時々お聞きし、また報道でも苦労の様子が度々伝えられます。

大変でしょうが、「秋田県南の果樹、りんご、横手のりんごはおいしい」という全国、世界の方々の声をささえにがんばってほしいもの。贈っていただいた甘みを増したりんごを積み重ねている箱から取り出しながら、県南地方の生産農家のみなさんへ励ましと感謝、敬意の一言を申し上げる次第です。

立春で冬にまたもどる

予報どおり荒れ模様からまた冬本番へもどった立春となりました。

間断なく降り積もる今朝の様子だと、2㍍をこえている積雪はさらに増しそうですので、どうやら今冬は屋根の雪がつかえた軒の雪を寄せる「軒掘り」の2月となりそうです。

▼中学校卒業式への案内がきのう届きました。

新型コロナ禍、昨年の卒業式は全国的に異例のかたちで行われたところが多く、あの3月の残念無念さはとくに当事者の方々にとっては記憶に深く刻まれていると思います。

きのう首都圏などへの緊急事態宣言が来月7日まで延長され列島のコロナ禍は続きます。ただ村の場合、式典会場は広い体育館、村内の小・中学校はごく小規模の児童生徒数なので、せめて在校生や保護者、教職員のみなさん出席のなかでの式典ができればと願っておりました。来賓などへの招待はなくてもいいでしょうから。

小中ともそれがかなう式典として計画されているようですので、当事者、関係者みなさんの「よかった」といううれしい顔が想像されます。来賓はごく少数にしたようで、それは当然のことと思います。あとひと月余、コロナの影響無くその計画どおりにお祝いができるよう願う限りです。

 

雪下ろし方式を切り替える

屋根の雪下ろしについて、高齢を自覚して長い間の慣わしを変えたことをひとつ記しておきます。

一気雪降りで150㌢をやや越えるほどの積雪を屋根に溜めてしまい、それを下ろした年末のあの難儀のことが今も体に染みついています。自宅の屋根にこんなに雪が多くなるまで積もらせていての雪下ろしはあまり体験がなかったからです。

そんな思いを持っているのはこちらだけではなかったようで、高齢者の間で雪下ろし体験が語られる今年の会話では「屋根さ、おが、雪ためれば、なんぎで、ダメだ。としょたば、おが、ほう思う。(屋根に、あまり、雪を溜めれば、難儀で、よくない。年をとったら、よけい、そう思う。)」などという言葉が結構交わされているようです。ただし、屋根に上がる回数が増えるのでその面での危険リスクは増えますが。

そういうことで、我が家の雪下ろしはあの後から「あまり溜めないで、やれる時にすばやく下ろす」という方針に切り替えました。これまではだいたい「50㌢~1㍍積もったら下ろす」でしたが、年末以降は30㌢ほどでも「やれる時はなるべく早く下ろす」に徹しています。

これにより一番時間がかかる自宅母屋で、一人の作業でも時間がそれほどかからずに済みます。雪が少なければ当然軽いので体への負荷も少なく、下ろした雪の量も少ないためにエド(池)や舗装面への流水による融雪も早く進みます。したがって、この雪下ろし方式は高齢者ながら自分で下ろす我が家の条件であれば理にかなっていると今のところは思いこんでいます。それにより、「今冬何度目の雪下ろし」というこれまでのような表記はあまり意味がなくなりました。前年との雪下ろしの回数を比べて積雪量を類推することは今年であれば現状にあわないからです。

そんなわけで日曜日も母屋へ上がりほんの短い時間でしたが雪下ろしを済ませました。でも、12月のようなあんな一気降り積もりがきて、ちょうどあの時のように荒れ空続きでしかも行事などと重なったら、なかなか「それっ」と少しの雪でもすぐ屋根に上がることはできないかもしれません。一晩、一日で1㍍前後積もることもありますから。

2月2日の節分は124年ぶりという今日、きのうの晴天に続き未明から朝はずっと雨で明日は立春。週間予報に雪マークが続き、荒れ空も告げられます。でも年末のような厳しい連続寒波ではないようですので、雪下ろしへの前述のような諸々の思案は必要としなくなるかも。

 

大役を果たす薪ストーブ

我が家の冬の暮らしをささえる薪ストーブ。15畳間のエドゴロ(居間)でとる暖房だけでなく、あらゆる煮炊きやお湯沸かし、そして洗濯ものの乾燥など薪ストーブは今冬も大きな役割を果たし続けています。

10年前の東日本大震災で停電の時、電気炊飯器が使えなくなっても暖房をはじめご飯などの炊事で薪ストーブは代役を果たしてくれました。炎から常々感ずる人肌にやさしい暖かさだけでなく、「さあ、困った、有事だ!」という時も薪ストーブは貴重な熱を伝え続けてくれます。

真冬の今は、塩蔵していた山菜やキノコたちが次々と食卓に上がる時。これら山の幸の鍋物、煮物にも薪ストーブは欠かせません。ほんの10年ほど前までの我が家なら、狩猟で捕獲した野の生きものたちの大鍋をつかったドンガ汁(骨と肉をぶつ切りにし、白菜や大根、ゴボウなどとともに煮込んだ鍋料理)にも、火力の強い薪ストーブは欠かせぬ器具でした。

昨年から今年にかけてのコロナ禍では、部屋の換気や湿度への心がけもよくいわれます。昔式住宅の我が家の居間は、四方が障子戸なので隙間だらけ、それにストーブの上には常にお湯鍋が載せられていて蒸気が上がりっぱなしですから湿度も換気も十分です。ウィルスにとってはあんまり居心地がよくないようで、これも薪ストーブの利点ということができるでしょうか。利といえば二酸化炭素の削減にもエネルギー部門で薪は小さな役割を果たしていることになります。木を切る、割る、積む、運ぶの作業は難儀ですが、薪にはこのように多くの利もあるようです。

▼この先一週間の天気予報には曇りと雪マークがきれいにならびました。それだけに、今朝の澄み切った青空と、県境の尾根から7時40分頃に顔を出したお日様をありがたく見つめました。またしばらく朝からのこんな陽射しと青空はやってこないでしょうから。