雪を負とだけ見ず

県南にはまたも大雪が予報。多くの人々にとって豪雪はくらしにとって大敵以外のなにものでもないと思うなかでこの冬を過ごしているでしょうが、それは大人社会に限ったこと。

子どもたちにしてみればスキーや雪遊びのできる冬は、春、夏、秋と同じように、あるいはそれら夏季よりもなお楽しい季節なのかもしれません。

自分の子ども当時のことを振り返っても、記憶に濃くのこる数々の出来事の多くは冬の遊び、雪の遊びでした。かまくらの数倍もの大きな雪の山の中に雪の洞窟通路を縦横につくり、お化け屋敷のように真っ暗な通路やたくさんつくった室のなかでふざけあったり、いちばん大奥の大部屋の中には稲ワラやむしろを敷き、ろうそくで灯りをとりながらトランプや花札遊びをすることなどはしょっちゅうありました。スキーも、まわりの山などをふくめあちこちの斜面でお金をかけず自由に滑るのがごくあたりまえでしたから、今の児たちよりもなお雪遊びは多彩だったのです。

わが集落ではマタギと呼ばれる狩猟者も多く、そこの子どもたちは小学校高学年から中学にかけてはウサギ猟の勢子役(追い出し役)として父親たちと同行することも時々ありましたから、それも楽しい遊びのひとつだったわけです。そんな猟のまねごとをして、木や針金でつくったパチンコを手に、小鳥を撃ちに雪の山をかけまわったり、リスやバンドリ(ムササビ)の巣をのぞこうと高い杉の梢にのぼったり、樹洞をさがしたり、ウサギを捕らえる括りワナをしかけたり、テンやイタチをガバサミ(小型のトラバサミ・現在は狩猟法で使用禁止の猟具)や竹筒ワナで捕り小遣いかせぎをしたりという子ども当時の体験を思い出せる方もいるはずです。

遊びの内容は時代とともに変わりますが、雪を楽しむ子どもの心はいつの時代も豊かです。過ぎた休日は、久しぶりに訪れた童たちの雪遊びにおつきあい。

近くにある手頃な高さのクルミの木に、にわか支度のブランコをつくったり、河川敷堤防の斜面でそり乗りをしたり。歓声があがったかと思えば、ブランコから逆さまに落ちて泣いたりと童たちの世界はにぎやかなもの。そんなひとときを過ごしている時は、「雪は大敵」の思いがどこかに飛んでいってしまうものです。

大人社会では「豪雪は大敵」がごくあたりまえと述べましたが、その雪がなければ暮らしや経営が困る方もおり、また逆にその雪を活用しての人の営みもあります。なにごとも適度であってほしく、被害を大きくするような「度の過ぎた豪雪だけ」は困るという程度の今社会の人間の愚痴なら、自然も聞きとめてくれるでしょう。

▼昨日から今朝にかけては雨。村の各地で大小のヒラ(底雪崩)が頻発しました。台風規模の低気圧により今朝からは雨に変わり猛吹雪。今後三日間ほどは新たに1~2㍍の降雪も予報され、今日予定した災害対策特別委員会の豪雪被害調査は24日に延期しました。