豪雪と果樹

貯蔵しているリンゴが甘みを増し、これまでより口に運ぶ回数が増えています。

わが村でも昭和7年(1932年)に菅生田で栽培がはじまったりんご。昭和31年には村に「果樹研究会」が組織され、菅生田・滝ノ沢で41戸7㌶、下田で27戸5㌶、田子内18戸4㌶、岩井川3戸0.5㌶、手倉2戸0.6㌶、五里台3戸0.6㌶、大柳3戸1㌶、草ノ台2戸1㌶、計9集落の99戸で19.7㌶もの面積に栽培されていたことを村郷土誌は記します。

当時の品種は、「国光」「紅玉」「祝」で、改良に改良を重ねた今のような高品質のりんごではありませんでしたが、実の締まった堅い「国光」は貯蔵が長持ちし、春先になると甘みが増しおいしかったことを懐かしく思うことがあります。

村でもその後、ふじをはじめとする主力品種が次々と栽培されるようになりましたが、農業や産業構造の変化にともない昭和40年代には下田と滝ノ沢の2集落だけでの栽培に激減。以後決定的な打撃となった48豪雪をはじめとする相次ぐ豪雪被害や農家の高齢化と後継者不足、他作目への転換などで栽培農家・面積は漸減をたどり果樹研究会も解散、ついに先年、樹園地のほとんどのりんご樹は姿を消してしまいました。

我が家も、滝ノ沢の妻の実家がりんご農家でしたが数年前に栽培を止めていて、今ごちそうになっているのは横手市の身内で栽培されているりんごです。

わが村よりははるかに雪が少ないものの、県内一の果樹産地として知られる同じ特別豪雪地帯の秋田県南地方。これだけの豪雪の土地であるにもかかわらず県内最大の果樹地帯(りんご、さくらんぼ、ぶどう、ラフランス等々)としての地位を築いてきた人々の努力は並みのものではないはず。おそらく、世界でもっとも厳しい自然条件(豪雪)の中で、豊かな果樹生産地を築いてきたのが県南地方の農家のみなさんといってもよいでしょう。

今冬も、我が家がごちそうになっているりんごの樹園地をはじめ県南地方の果樹園は1㍍を越える積雪です。豪雪の被害、雪との格闘を時々お聞きし、また報道でも苦労の様子が度々伝えられます。

大変でしょうが、「秋田県南の果樹、りんご、横手のりんごはおいしい」という全国、世界の方々の声をささえにがんばってほしいもの。贈っていただいた甘みを増したりんごを積み重ねている箱から取り出しながら、県南地方の生産農家のみなさんへ励ましと感謝、敬意の一言を申し上げる次第です。