豪雪もあと少し、がんばろう!

東北大学文学部教授をつとめられた歴史学者の高橋富雄氏は、著書「もう1つの日本史・徳間書店刊」の中で、越後塩沢の鈴木牧之(すずきぼくし・1770―1842)が著した『北越雪譜』を引用しながら、雪ぐにのくらしの特徴を述べています。

たとえば『北越雪譜』のなかの「雪意」の節を引いた部分の解説で高橋氏は、「生活も産業も労働もここでは、春は春、夏は夏、そして秋は秋とじっくり熟成した形をとることができない。冬型の陰の文化にユックリで、夏型の陽の文化にセッカチな人間類型は、こうして、長い冬の論理学の所産なのである。」と述べ、冬の間の半年間だけでなく、それ以外の季節も冬にそなえて生きる雪国の人々の特徴を記します。

とりわけ今冬の豪雪地帯は、鈴木牧之や高橋富雄氏の著書からもうかがえるような、雪とむきあう暮らしに内在する厳しい側面をそっくり感ずる規模の大雪となり、「雪国で生きるのは、なかなか大変なもの」と思われている方も少なくないでしょう。

そういう豪雪の県南の中でも、特別に雪の多い地区のひとつであるわが村。雪のそれほど多くないところ、あるいは西日本や太平洋側などのように積雪がほとんどなかったり降雪はあっても積雪が固定化しないところの農山村でも過疎化や高齢化が進む中、わが村はこれだけの豪雪の土地であっても、なんとか踏ん張って過疎でも高齢化でも雪のない地区とほぼ同じ指数位置で村を維持し、人々のくらしが営々と築かれてきました。これは、わが村だけでなく、県内の豪雪地帯、全国の豪雪地方に生きる人々も同じでしょう。雪国に生まれたから必然といえばそれまでですが、豪雪の土地に生きるのは、いろんな意味で「誇り」といえるのかもしれません。

前置きが長くなりましたが、豪雪の土地に生きることをじっくりと見つめ直してみたいと思い、以前に読んだ高橋氏の著書を棚から出して雪に関する部分の一部を引用したところです。

世界有数の豪雪の土地で、リンゴ、サクランボ、ブドウなど果樹栽培の長い歴史をもつ秋田県南地方。特産地としての誇るべき地位を築いた農家のなみたいていでない努力を先日ここでも記しました。

昭和の後半年代からはそれと同じように、豪雪の土地では以前には考えられないようなパイプハウスを利用した花卉園芸や夏秋トマト、キュウリなどの野菜栽培が、そして平成年代にはやはりハウス施設による菌床シイタケも急速に普及しました。

同じ雪国といっても秋田県南地方は、積雪のみられる地方という程度の雪ではなく、そこは文字通り「豪雪の地」。その土地で大雪と向き合ってこれだけの栽培実績を築いてきた農家のみなさんの努力はほんとうにたいしたものだと思います。

今日、このことをまたあらためて記したのは、今冬の豪雪のなかでもそういう努力を続けておられる農家のみなさんへの敬意を、あらためてあらわしたいからです。

災害救助法が適用されるという、豪雪の中でもなお異例の豪雪のなかで、施設の倒壊を防止できなかった農家や経営体が多くありますが、そこでは倒壊を防ぐための懸命の努力が続けられていたことを私たちは目にしています。しかし諸々の条件悪が重なったためか、被害をうけたというのが現実でしょう。

先日、パイプハウスで花卉栽培を長年続けている県南の篤農家のAさんから、今冬の豪雪の中でハウス施設を倒壊からまもった苦労体験をお聞きしました。そこはわが村とほぼ積雪量が同じ地区です。Aさんは「こんなに雪で難儀した年ははじめてだ。雪、落ちなくて、寝ないでハウスの雪寄せしないと間に合わなかった」と語りました。そうやって、彼は多くのハウスをひとつも倒壊させることなくまもりきったそうです。

この3日間、そういう努力をしている農家への追撃となるような大雪がまたやってきました。県南地方では今日も、ハウスをつぶさないための、果樹の枝を折られないための豪雪との懸命の格闘が続いています。

それは、暮らしのすべてが雪を抜きに語れない所に生まれ、そこで生きてゆく覚悟を決めた人間たちの誇りをかけた挑戦ともいえるのでしょう。度を過ぎた大雪はまさに災害。行政を軸に、ともにささえあいながらがんばりましょう。