異常な猛暑とお別れ

11日の一般質問は予定通り行われ、4議員が質問に立ち新型コロナ対策や村の第三セクター経営などについて議論が交わされました。

この日は予算特別委員会も開かれました。やはり国の補正予算にともなうコロナ対応を柱にした予算案が柱で、多くの質疑応答もそこに集中しました。

明日と明後日は、令和元年度各会計決算の審査が、議長、監査委員に就いている議員を除く8名構成の特別委員会で行われます。

▼おとといで季節外れの猛暑続きとはどうやらお別れのよう。村はようやく9月らしい気温となり、風通しの良すぎる我が家の夜など、半袖暮らしもこれで終わりという感じです。

過ぎた休日は稲刈り準備のための機械の調整やいろんな段取りに時間を費やしました。これでいつでも作業に入れるようにはなりました。ただ肝心カナメのお天気の方は、収穫シーズン近くなったら連日の雨降りマーク予報です。

田んぼの稲穂も、稔りで重くなり次第に倒れる圃場が各地で目立ちます。我が家も、標準より施肥はだいぶ少なめとしているのに、一部でだいぶ倒れが進んできました。こういうのを「痩せ倒れ」というのでしょう。

9月も半ば、涼しさをおぼえるようになると、ひときわ目立つのはアサガオやヒルガオの花たち。二つの花とも夏から咲いているのですが、どういうわけかこの季節になると見栄えがよくなるように感じます。同じ仲間の花ですが、季語の世界では栽培種のアサガオは秋、自生のヒルガオは夏と分けられているようです。

野のリンドウも秋を告げる

異常なほどの暑さが続いた9月でしたが、来週末には彼岸の入りをむかえる季節となりました。

気温は夏のようでも日の出は遅く日の入りは早くなり、その日の短さを植物たちはいち早く感ずるのでしょう、我が家の台所そばにある野生のリンドウも花が目立つようになってきました。集落近くでもこうですから、栗駒国定公園・須川高原のリンドウは花盛りとなっているでしょう。イワカガミ湿原のウメバチソウも花盛りかな。

我が家の9月は、リンドウと花期の長いオミナエシを窓外にながめ、いかにも山村らしい花景色を前にして食卓を囲みます。

その食卓には、おととい採ってきたウスムラサキホウキタケが煮物であがりました。添えられたのは瓶詰め保存されていた春の山の幸ネマガリタケノコ。彼岸が近づくにつれ、あるいは彼岸からは、秋の山の幸が順調に顔を出してくれれば、秋キノコたちが今日ひとつ、明日またひとつと食卓に増えてゆくはずです。

▼今日は9月議会の一般質問と予算特別委員会が行われます。一般質問には4議員が立ちます。予算特別委員会では、コロナ対策関連の補正予算案などを柱にした一般会計と各特別会計補正予算案などが審査されます。

あわび貝のようなウスムラサキホウキタケ

今年最後の田んぼの畦草刈りをきのう終えました。

春の代掻き前から秋の刈り取り前まで月に一度の割合で作業にあたる畦草刈り。5回目の秋ともなると地面を這うような草が多かったり、やや茎が堅くなったりで仕事は少々手間取ります。

作業を終えて後、自宅近くの里山へ入りました。目的はネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)。「そろそろ出ている頃だが、今年は猛暑続きでムリかな?」と半ばあきらめながらむかいました。

このキノコは発生箇所がごく限られる稀少な種。私は3箇所の発生場所しか知らず、きのう向かったのはそのうちの2箇所。一箇所はわずかの発生だけですが、もう一箇所は例年並みに見事な菌列をつくり生長していました。

食べられるホウキタケの仲間のうちでもこのネズミハギモダシは特に肉厚で大型。幼菌はまるでサンゴのように華麗で、株の根元などアワビ貝のように厚みがあり、ホイル焼き、吸い物、煮物、鍋物、一夜味噌漬け、てんぷら、刺身風等々いろんな料理で楽しめます。

目指したネズミハギモダシはありましたが、里山の林内には、いつもなら顔を出しているほかのキノコたちの顔がほとんど見られません。サクラシメジもはしりが出るころですが、それも見られず、ほかの食毒数多のキノコたちも極端に少ないようです。猛暑の影響かもしれませんが、それにしてはネズモハギモダシはよく並の量が出ていたものです。自然は人間がとらえているよりもっともっと奥深い生態の輪の中で動いているのですね。

村産業祭の実行委員会

第53回目となる村産業祭(なるせ物産まつり)が10月23日~24日の二日間にわたって行われます。きのうはその実行委員会が開かれました。

今年はいろんな点でいつもの年と内容のちがう産業祭となります。ひとつは日程で、例年なら10月の最終土曜日を柱にして催事がおこなわれますが、今年は県の種苗交換会が横手市でちょうど同じ時期に開かれるため、重なりを避けて村の祭りは一週早めて行うことにしたことがひとつ。もう一つは、新型コロナ禍なので内容も大きく変わったこと。会場内で飲食することを取りやめたり、表彰式行事は行わないことなどです。

管内でコロナのクラスター発生などがもしあった場合は、状況をみて中止もあり得るという覚悟で祭りは開催されます。その頃になれば一定の収束をみせると思われますが、こればかりは一定の広がりをみせているウィルスが相手ですのでわかりません。

こういう時だからこそ、日々のくらしの元気の成果、象徴でもある多くの農林産物が出展されることを大いに期待したいものです。

▼きのう朝の畦草刈り払いの時、夜中に田んぼの稲穂に止まり休んでいたボンアゲヅ(盆秋津・アカネトンボ)たちが日の出にあわせていっせいに飛び立ちました。

黄金の稲穂波打つ田んぼに羽色を反射させるアカトンボの群れ。農山村の原風景のような場面がほんの一瞬でしたが田んぼの上にひろがりました。

一般質問は4議員から通告

11日におこなわれる9月定例会議の一般質問通告がきのう締め切られ、4議員から通告が出されました。

新型コロナ関連、第三セクターの秋田栗駒リゾート(株)関連、村の財政計画課題などを内容とする質問がされる予定です。

きのうは猛暑のなか今年最後の畦草刈りに汗を流しました。今日は暑さを避けて早朝から作業にとりかかりました。朝早くなので田んぼのなかにはアゲハチョウが稲穂に止まったままでした。どうやら夜は田んぼの中で過ごしたようです。

刈り取りや乾燥、籾すり機械なども少しずつ準備を進めており、気分はもう収穫作業モードに切り替えられつつあります。

何かと作業段取りの早い先輩のSさんは、自然乾燥用のハサ(稲架)をもう組み立て終えました。お天気次第ですが、今年は収穫の秋がもう2週間も経たずにはじまるでしょう。

9月定例会議はじまる

村議会9月定例会議が4日に開会しました。

会議は18日まで行われ、11日には一般質問と予算特別委員会、15~16日は決算特別委員会、18日は条例案などすべての議案審議の運びです。

4日は、各常任委員会などからの報告、村長、教育長による行政報告が行われました。

私からの諸般の報告はいつものように文書で為されました。例年行われていた県や全国町村議会議長会の一連の行事、各期成同盟会などの総会や要望活動、村や村内各団体の行事などがおしなべてコロナ対策で中止となり、総会は一様に「書面議決」。こんなに活動量の少ない報告をするのはこの職務に就いてからはじめてです。

どこの市町村議会の議長さん方もそれは同じようで、先日語り合ったある議長さんも「ほんとに行事出席が少ない」とのべておられました。私も、当然ながらこんなに諸々の行事での「あいさつ」の要請がないことも初めてで、そういう面でも「拍子抜け」したような数ヶ月間が続いています。

有効なワクチン開発が前提となるでしょうが、世界的な大流行が一定の収束をみたあかつきには、新型コロナとゆるやかな共存のくらしを一定年数覚悟しなければならないでしょう。それにあわせてわれわれの活動のなかでも、慣例として行われてきた活動スタイルの中でこの際見直しをすべきこともあるはず。くらしや諸々の活動について新たなスタイルでの組み立てを今から想定しておかなければと思います。

▼きのうは村小学校学童たちの郡市規模の野球大会があり応援観戦へ。

今年はコロナ禍によりあらゆる催し事の中止や変則的な開催を余儀なくされていて、学童たちのこの野球もそれは同じ。

村小学校チームは接戦で試合には敗れましたが、最後まで全力でがんばる姿をみんなにみせてくれました。6年生たちにとっては最後の試合となり、彼らの熱い夏はこの日でひとつの締めくくりとなりました。

▼一時は特別警報発令の可能性もあるとされた台風10号。昨夜から九州地方の一部を暴風域にまきこみ通過、朝には対馬方面まで達したとのこと。180万人ほどへ避難がよびかけられたといいますが、被災の方々へ心からのお見舞いを申し上げます。

わが村はその台風の影響といえば猛暑だけ。今朝も朝からおだやかな晴れで夏のような暑さ。狭いようでいて広い列島。梅雨時や雪の季節と同じように、南北に細く長い列島における気象条件のちがいを教えられるシーズン入りです。

あきたこまち黄金色に染まり始め

台風9号からはるか遠くにあってもその影響があってでしょう、県内は9月に入っても猛暑日がつづいています。

おとといから村は、東よりフェーン状の生温かい風が吹き、きのう朝も岩手境の尾根にはフカゲ(東風の霧)が厚くかかっていました。気温は高いものの風があるので村は過ごしやすかったのですが、盆地のほうは暑さでつらい一日だったと思います。

稲穂がだいぶ稔り色を濃くしてきたので、きのうは田んぼのぬかるみ状態を確かめに圃場の中に入ってみました。

4日のにわか雨の後なので表土にはまだ湿り気があります。でも水はけは適度になっていて、このまま予報通りの天気が続いてくれればまずまずの状態で刈り取り作業を進められそうです。田んぼには尻尾を赤くし始めた各種トンボたちの姿が増えてきました。生きものたちも秋の始まりを自然の何かから感じ取っているようです。

晴天続きでいっきに穂の登熟が進んできましたから、今年も稲刈りは案外早くとりかかれるかもしれません。週間予報どおりだと、20日からの連休は平野部を主に県内の稲刈りいっせいスタートの週間となるかも。

圃場の一部には、今年2度も抜き取り作業をしたのに「ビッキの鼻通し」(クログワイ)と呼ぶ雑草がまだ多く、抜き取りにほぼ一日を要しました。

歴史の道・仙北街道(手倉越)歩き(その4)

つなぎ沢の最後の沢渡りを終えてからはゆるやかな登り道が続く。

街道全体が豊かな原生ブナの森の連続だが、なかでも国内有数の森林生態系保護地域に指定される小出川中上流域はその保存地区であり核心部となる。千古斧の入らぬ原生林、豪雪の土地特有の典型的な大木の林は威厳すら感ずるほどの見事さだ。ここを通る時は、一瞬息を止めて見入り、深呼吸をしたくなる。

「又鬼坂」を登り終えてからは、展望の利く「大ぐるみ山」コースと迂回コースへと、隊はここでいったん2つに分かれた。疲労がピークに達した方々もおられたからである。

道の刈り払いがしばらくされていないのでやはりここも草木が結構厚く道を覆い歩きにくい。草と柴木をかきわけ「大ぐるみ山」到着は3時。「大ぐるみ山」の頂上も草が生い茂りいつものようにきれいにされてはいない。雲はまだ厚く遠望は利かないが、栃ケ森などははっきりと山の輪郭が見える。ここでも「山の神」に次いで記念写真を班ごとに撮る。

さあ、後は登りはなし。平坦なオウレン街道を進みながら左右のブナ林をながめ、やがて街道から分かれて大寒沢林道への急坂を下る。ここは疲れた一同の足に厳しい下りで、しばらくつらさを堪える歩きが続き、それが終われば終着点が待っている。

下りの途中で下方に向かい大声をあげたら、駐車場方面からも反応の声がある。後で聞いたことだが、村のほうでは日中に強いにわか雨があったらしく、我々がいた山脈方面は黒雲に覆われ見えなくなり我々の踏査行を心配されたようだ。予定より少し遅れたがまずまずの時間で全員無事に到着し、踏査の一同はもちろんだが、それを送迎していただいたみなさんも「まずは安心」で、出迎えのみなさんが用意してくれた冷たい飲み物でめでたく乾杯、最後の記念写真をおさめた。

前述したように昨年は悪天で交流踏査が中止となり、歴史の道百選になってから、両県側がいっしょに踏査をしたのははじめてのこと。参加されたみなさんには、それぞれ街道の管理の実態もご確認いただいたので、今後はそれについても前進がはかられるものと確信している。今年は「新たな視点での合同街道踏査」の始まりの年となったが、来年からはさらに充実した街道歩きが期待できるものと思われる。隊長をつとめられた鈴木さんを始め、岩手側からご参加の各位に心からお礼を申し上げ、また村の関係者と車などの手配にご尽力いただいたみなさんにも厚く感謝をのべたい。

最後に、街道歩きの途中でカメラにおさめたキノコと花たちを載せて、踏査行だよりのしめくくりとする。キノコは順に、チチタケ、アカヤマドリ、タマゴタケ、そして私のように老い始めたトンビマイタケ。花は、ダイモンジソウ、トリカブト、チョウジギク。

▼今回参加いただいた岩手県議の千葉秀幸さんは、大リーグで活躍中の菊池雄星選手や大谷翔平選手の母校である同じ花巻東高校の野球部ご出身で、平成17年夏の甲子園大会に2回戦まで出場した時の選手であることを知った。岩手大学教育学部を卒業後、水沢信用金庫につとめられ、現在は家業なのだろう建具製作所の取締役という経歴をもつ方である。

歴史の道・仙北街道(手倉越)歩き(その3)

古道には節目節目に道標がある。その多くは岩手、秋田両県の古道復元に尽力されたみなさんが背負い上げ設置されたもの。

この道標のなかで標石碑のない「笹道分かれ」がどこにあたるのかを毎回の踏査行の時と同じように関心をもって歩いた。「山神」を過ぎたあたりから「粟畑」までの間にその「笹道わかれ」があることを村の郷土誌は記す。ほかに「鶴ァこぶ」「だしの坂」「四十文坂」なども、今は道標がどこであったかの特定できる標がなく、私にはわからない。ただ、「笹道わかれ」だけは、主に椿川地区の村人が笹森山周辺にタケノコを採りに行く際、仙北道から分かれて平安の昔から通い続けた分岐の道であると推測され、そこは私にとっては関心がひときわ深い道標地点なのである。

国道397号が開通してからは、笹森山へのタケノコ採りはその国道を東進し「かいち橋」そばの大きな砂防ダム下流を越えて「うしころ沢」を登る岩井川の人々が昔から開いていたルートに固定したようである。今のように車道終点の「姥懐」まで車が通れる林道もまだなかった時代は、街道の廃止とともに山菜、キノコ採りで使われていた街道はだんだんと廃れ、平成のはじめに復元されるまではタケノコ採りすら前述の理由で「笹道わかれ」まで歩かなくなり、ついに「幻の古道」といわれるまでになったのだと思われる。その「笹道わかれがどこか?」を谷藤会長や加藤会長と語り合いながら「春山などを歩き、文献などをにらみながらいずれ特定を」と思った。

「山神」を経て「粟畑」を過ぎ急な下りに入るとやがて小出川の瀬の音が聞こえてくる。梅雨の長雨で今年の奥羽山中の渓谷はいずこも流水量の豊富状態が続いていた。しかし、8月半ばからの連日の干天でその水量も日毎に下がり、北上川支流の胆沢川は、その上流部で2つ目に大きい支流のこの小出川も流量は予想したようにかなり下がっていた。それでも、普段の年の8月終わりよりはやや水は多いと思われた。小出川到着11時15分。

街道には道標箇所を主にしていくつかの所で魅力あふれる景色がひろがるが、この「生出の越所」(川の名は小出川だが、越所の名は生出と村郷土誌は記す)は、昼食休憩をとるおきまりの場所でもあり、川原での居心地もよい。一同、体をゆっくり休めることができるとともに心癒やされる場所だ。

昼食も終わり時となったら、それまで持ちこたえていた雨雲からポツリポツリとまとまった雨が落ちてきた。雨具をつけるほどでもないうちに雨雲は通り過ぎた。この踏査は、小出川、栃川とつなぎ沢といくつかの渡渉がある。雨雲がある時は、「川を渡り終えねば安心できない」がここの街道踏査の鉄則。この日午後は途切れ途切れの降雨なので十分な休み時間をとり栃川へ進む。ここは沢景色とともにそばにひろがるカツラ大木などの河畔林が見事なところ。栃川もツナギ沢も、渡る箇所の上下流の淵尻には大きなイワナがよく見られた。栃川落合の淵では30㌢を越えると見られるイワナが人がそばにいるのに悠々と岸辺に寄ってきた。訪れる太公望が少ないためかよく釣り上げられないでいるものである。

歴史の道・仙北街道(手倉越)歩き(その2)

この街道歩き、核心部についての踏査では年ごとに出発点を岩手、秋田交互からとしていた。しかし、岩手側の仙北街道を考える会が諸々の事情で会活動をできなくなってからはそういう申し合わせを活かすこともなくなり、村側からの出発で踏査がおこなわれていた。

奥州市側に新しく「胆沢古道の会」がつくられたので、隔年毎の出発地点変更が今後は予定されるのかわからないが、とりあえず今年の出発地点はわが村側からとなった。

当日、集合時間の朝6時よりかなり前から村教育委員会の担当職員や会員達が集まっていて、岩手から参加のみなさん12名(胆沢古道の会会員、岩手南部森林管理署中島章文署長と署員、千葉秀幸岩手県議、奥州市教育委員会職員)も早々と到着された。一行には、踏査には参加されないが見送り出迎えに、安倍正幸愛宕地域振興会会長、阿倍千明愛宕地区センター長、胆沢古道の会の佐々木孝男顧問や会員もみえられた。村からは佐々木村長と鶴飼教育長が出発式に出席し村長があいさつ。ほかに村側からは見送り出迎えに教育委員会次長や会の顧問、副会長、会員のみなさんが参加。みなさんには貴重な休日の早朝に大変なご足労をおかけした。と同時に、岩手、秋田両県民の「この大切な古道をなくされない」という思いで結ばれる堅い絆、熱い連帯の意思を強く感じた。

踏査隊は7名編成の4班となり、私は1班にくみこまれた。隊長は横手市の鈴木さん。これまで隊長をつとめていた古道復元当初時から大きな役割を果たしてきた藤原さんは今回急な事情があってどうしても参加がかなわず、やはり古道歩きで長年の経験がある鈴木さんが代わって隊長となった次第。同じ班には「胆沢古道の会」の加藤登会長、村の「仙北道を考える会」の谷藤会長、中島森林管理署長、千葉県議などが入り、歩きの様々な場面で、山中だからこそできる意義ある語り合いと交流ができた。

6時少し過ぎからの出発行事を終え、車数台に分乗して豊ケ沢林道終点の到着は7時少し前。踏査の安全祈願のセレモニーを済ませ歩き始めた時は7時をやや回った。

照らず降らずの歩きに快適の天気が続くが、街道の一道標となる展望豊かな「丈の倉」からは、いつも望める焼石連峰の頂きは厚い雲に遮られている。「山神」には9時半着。

いつもの途中祈願をおこない快適な歩きで一同小出川をめざす下りに入る。道標の「粟畑」までは村側でていねいな道の刈り払いを毎年行っているので道はまことに歩きやすい。しかし、その刈り払いが途切れる粟畑より先はここ数年手入れがされず、やぶのトンネルをくぐりぬけるような箇所も一部にある。

古道をしっかりと管理保全し遺すのが双方の会のねらいであり、それは歴史の道百選として認定した国、関係する行政機関の大きなつとめでもあろう。そういう意味でも今回の踏査行は大きな意義のあるものと思いながら歩を進めた。