歴史の道・仙北街道(手倉越)歩き(その2)

この街道歩き、核心部についての踏査では年ごとに出発点を岩手、秋田交互からとしていた。しかし、岩手側の仙北街道を考える会が諸々の事情で会活動をできなくなってからはそういう申し合わせを活かすこともなくなり、村側からの出発で踏査がおこなわれていた。

奥州市側に新しく「胆沢古道の会」がつくられたので、隔年毎の出発地点変更が今後は予定されるのかわからないが、とりあえず今年の出発地点はわが村側からとなった。

当日、集合時間の朝6時よりかなり前から村教育委員会の担当職員や会員達が集まっていて、岩手から参加のみなさん12名(胆沢古道の会会員、岩手南部森林管理署中島章文署長と署員、千葉秀幸岩手県議、奥州市教育委員会職員)も早々と到着された。一行には、踏査には参加されないが見送り出迎えに、安倍正幸愛宕地域振興会会長、阿倍千明愛宕地区センター長、胆沢古道の会の佐々木孝男顧問や会員もみえられた。村からは佐々木村長と鶴飼教育長が出発式に出席し村長があいさつ。ほかに村側からは見送り出迎えに教育委員会次長や会の顧問、副会長、会員のみなさんが参加。みなさんには貴重な休日の早朝に大変なご足労をおかけした。と同時に、岩手、秋田両県民の「この大切な古道をなくされない」という思いで結ばれる堅い絆、熱い連帯の意思を強く感じた。

踏査隊は7名編成の4班となり、私は1班にくみこまれた。隊長は横手市の鈴木さん。これまで隊長をつとめていた古道復元当初時から大きな役割を果たしてきた藤原さんは今回急な事情があってどうしても参加がかなわず、やはり古道歩きで長年の経験がある鈴木さんが代わって隊長となった次第。同じ班には「胆沢古道の会」の加藤登会長、村の「仙北道を考える会」の谷藤会長、中島森林管理署長、千葉県議などが入り、歩きの様々な場面で、山中だからこそできる意義ある語り合いと交流ができた。

6時少し過ぎからの出発行事を終え、車数台に分乗して豊ケ沢林道終点の到着は7時少し前。踏査の安全祈願のセレモニーを済ませ歩き始めた時は7時をやや回った。

照らず降らずの歩きに快適の天気が続くが、街道の一道標となる展望豊かな「丈の倉」からは、いつも望める焼石連峰の頂きは厚い雲に遮られている。「山神」には9時半着。

いつもの途中祈願をおこない快適な歩きで一同小出川をめざす下りに入る。道標の「粟畑」までは村側でていねいな道の刈り払いを毎年行っているので道はまことに歩きやすい。しかし、その刈り払いが途切れる粟畑より先はここ数年手入れがされず、やぶのトンネルをくぐりぬけるような箇所も一部にある。

古道をしっかりと管理保全し遺すのが双方の会のねらいであり、それは歴史の道百選として認定した国、関係する行政機関の大きなつとめでもあろう。そういう意味でも今回の踏査行は大きな意義のあるものと思いながら歩を進めた。