歴史の道・仙北街道(手倉越)歩き(その3)

古道には節目節目に道標がある。その多くは岩手、秋田両県の古道復元に尽力されたみなさんが背負い上げ設置されたもの。

この道標のなかで標石碑のない「笹道分かれ」がどこにあたるのかを毎回の踏査行の時と同じように関心をもって歩いた。「山神」を過ぎたあたりから「粟畑」までの間にその「笹道わかれ」があることを村の郷土誌は記す。ほかに「鶴ァこぶ」「だしの坂」「四十文坂」なども、今は道標がどこであったかの特定できる標がなく、私にはわからない。ただ、「笹道わかれ」だけは、主に椿川地区の村人が笹森山周辺にタケノコを採りに行く際、仙北道から分かれて平安の昔から通い続けた分岐の道であると推測され、そこは私にとっては関心がひときわ深い道標地点なのである。

国道397号が開通してからは、笹森山へのタケノコ採りはその国道を東進し「かいち橋」そばの大きな砂防ダム下流を越えて「うしころ沢」を登る岩井川の人々が昔から開いていたルートに固定したようである。今のように車道終点の「姥懐」まで車が通れる林道もまだなかった時代は、街道の廃止とともに山菜、キノコ採りで使われていた街道はだんだんと廃れ、平成のはじめに復元されるまではタケノコ採りすら前述の理由で「笹道わかれ」まで歩かなくなり、ついに「幻の古道」といわれるまでになったのだと思われる。その「笹道わかれがどこか?」を谷藤会長や加藤会長と語り合いながら「春山などを歩き、文献などをにらみながらいずれ特定を」と思った。

「山神」を経て「粟畑」を過ぎ急な下りに入るとやがて小出川の瀬の音が聞こえてくる。梅雨の長雨で今年の奥羽山中の渓谷はいずこも流水量の豊富状態が続いていた。しかし、8月半ばからの連日の干天でその水量も日毎に下がり、北上川支流の胆沢川は、その上流部で2つ目に大きい支流のこの小出川も流量は予想したようにかなり下がっていた。それでも、普段の年の8月終わりよりはやや水は多いと思われた。小出川到着11時15分。

街道には道標箇所を主にしていくつかの所で魅力あふれる景色がひろがるが、この「生出の越所」(川の名は小出川だが、越所の名は生出と村郷土誌は記す)は、昼食休憩をとるおきまりの場所でもあり、川原での居心地もよい。一同、体をゆっくり休めることができるとともに心癒やされる場所だ。

昼食も終わり時となったら、それまで持ちこたえていた雨雲からポツリポツリとまとまった雨が落ちてきた。雨具をつけるほどでもないうちに雨雲は通り過ぎた。この踏査は、小出川、栃川とつなぎ沢といくつかの渡渉がある。雨雲がある時は、「川を渡り終えねば安心できない」がここの街道踏査の鉄則。この日午後は途切れ途切れの降雨なので十分な休み時間をとり栃川へ進む。ここは沢景色とともにそばにひろがるカツラ大木などの河畔林が見事なところ。栃川もツナギ沢も、渡る箇所の上下流の淵尻には大きなイワナがよく見られた。栃川落合の淵では30㌢を越えると見られるイワナが人がそばにいるのに悠々と岸辺に寄ってきた。訪れる太公望が少ないためかよく釣り上げられないでいるものである。