成瀬ダム堤体工事の初打設式

大きな被害を広域規模で発生させた台風19号。その惨状が報道されるなか、きのう成瀬ダムの堤体打設工事の初打設式が行われました。

式では、まず最初に、台風19号で亡くなられた方々への黙祷が行われ、心からのお悔やみが一同からあらわされました。

CSGという新たな工法でつくられるダムとしては国内最大(世界最大)の成瀬ダムでもあり、工事の安全と、計画にもとづいた事業進捗を願いながら玉串を献げました。後の催し事でも台風被災者へのお悔やみとお見舞いをあらわしながら、ダムについても式典と同じ思いをこめながらごあいさつを申し上げました。

堤体の基部となる岩盤(上流域側)をこの日初めて目にし、クレーンで吊られた容器からコンクリート状の物質が岩盤基部に落とされる初打設の瞬間を目にしっかりと刻んでおきました。

お世話になったSさん御夫妻来村

20歳の頃、住み込みの農業研修で1年間お世話になった相模原市のSさんご夫妻が久方ぶりに10日来村され、10数年前お越しになられた時と同じ栗駒山荘や、今回はホテルブランにもお泊まりいただき、14日まで村に滞在されました。

実は、Sさん宅には、研修生としてのこちらだけでなく、集落の幾人かの方々もおよそ半世紀前に宿泊や訪問などでお世話になったことがあります。それから10年ほど過ぎた時、Sさんご夫妻の長男Kさんが中学生の頃に友達と村を訪れています。その機会に、現在ダム建設現場となっている北ノ俣沢の転流口付近の渓流で魚を獲り、川原で焼き、水辺で遊んでもらった時、ごいっしょしてもらった村の先輩たちもおり、Sさん宅の方々とは様々なことで村人との縁がうまれた過去があります。

Sさんの令息そのKさんは、以前にも記したことがありますが、医師の職を経て、現在は大手航空会社で旅客機ボーイング777(トリプルセブン)の機長職に就かれております。

そういう縁の積み重ねということもあってでしょうか、数年前、Sさんの娘さんご家族も、子どもの夏休み時に村の栗駒山荘に幾日かお泊まりいただきました。

経営としての農業からは引退したSさんですが、こちらがお世話になったおよそ50年ほど前の論理明快で熱い語り口は、まるで若者のようにずっと当時そのままです。

海外も、何10ヶ国と視察や旅で訪れておられるSさんとご夫妻です。令息のKさん(奥さんは元客室乗務員)も各国へしょっちゅう飛びますからご一家の視点はいつもグローバルなのでしょう。Sさんがとらえられたそれら諸外国の特徴(人と自然、政治、農業など)や、だからこそよく見えるであろうわが国の姿(やはり人と自然と政治、農業など)について、それらの比較など感想をお聴きするのも私の楽しい学びのひとときとなります。

息子さんは医師からパイロットへの道に進みましたが、その息子さんのお子さんもまた父親が学んだと同じ大学の医学部に進んだということで、そういうこともあってでしょうか、Sさんは、医療課題への関心もとりわけ深いようです。高校教諭の娘さんご家族や、役所勤めをされている夫と暮らす娘さん(やはり元役所職員)ご家族もおられますから、教育や地方政治等々Sさんの話題の引き出しはとても多く広く深く、農業関係だけでなくそれらからも私が学ぶことは今もたくさんあります。

北から南まで各県の研修生を過去に何10人と多く受け入れ指導されたSさんご夫妻です。なので、Sさんを通して間接的にうかがうそれぞれの地方の情報や特徴、人間観察眼なども勉強になります。Sさんご夫妻は、半世紀前も、今も、こちらのありがたい師です。

村へは2度目の訪れでもあり、県内や隣県の観光地へも度々来ておられるお二人なので、今回は、一般的な観光地めぐりとは別の滞在日程を急きょ考えました。それらは、村と近郷の自然(須川高原と合居川渓谷、胆沢川渓谷、胆沢ダム、成瀬ダム建設現場)と農業(我が家の田んぼとトマト栽培農家、横手市増田と平鹿地区のりんご農園と農家)、まるごと自然館とふるさと館、ゆるるん、村役場、五郎兵衛清水、湯沢雄勝、横手平鹿の人々のくらしや農村の風景、岩手と秋田県南の各道の駅や農産物直売所、それに、村のお寺さん(了翁禅師剃髪の龍泉寺と、もうひとつの歴史をもつ永伝寺)や各神社の彫刻などです。それに、村へ移住しておよそ20年になる五里台のSさんについて、前回来村時にもご紹介していたことから関心があったらしく「いま、どうしてる?。会える?」ということで、語り合いのひとときも設けました。村の直売所では、あけびづる細工を買い求められました。

それに、西馬音内の盆踊り会館(踊りの実演がちょうどやられていたので、終わりの少しの時間)や、横手市の石坂洋次郎文学記念館、かまくら館、増田の蔵めぐり、まんが美術館、湯沢市稲川の川連漆器伝統工芸館、いなにわうどんの里などをめぐりました。川連漆器の伝統工芸館は前回も訪れていただき、お求めになられた漆器をいまも使われているようで、今回もお気に入りの漆器があったようです。うどんも。村の自然や温泉と食、それに近郷近在の食べ物や伝統産業と名産品、蔵、文学館、温泉、盆踊り、祭り、道の駅、ちょっと山を越えれば、岩手と宮城の同じような見所、食べ所も豊富です。秋田県南全体、あるいは宮城、岩手の関係圏域とよく連携をとった観光などのとりくみがとても大事ということを、あらためて感じた5日間でした。「いっそう協力し合い、お互いを、活かし合わねば」です。

▼ご夫妻滞在中には、大型で強い台風19号が関東、信州、東海、東北地方に襲いかかりました。激甚被災となった多くの皆様へ心からのお見舞いを申し上げます。

災害による「避難指示」などお聞きすることのないSさんお住まいの相模原市でも、山間部緑区での大きな被災や、城山ダムの緊急放流と相模川沿い「水郷」地帯などの報道も流れました。Sさん御夫妻の住宅はそうした被災の心配はない地にありますが、ご親戚や知り合いには報道されている土地近くにくらしている方々もおられるようで、台風禍、地元に住んでおられる娘さんたちなどを通じて頻繁に連絡を取り合うなどしておられました。滞在後半は不安な日々をお二人は過ごされたと思われます。海外便で飛びパリにいる息子さんも、台風報道で相模原の地名が流れたことを知ったらしく家族に連絡があったようです。娘さんの夫も、市役所職員として懸命の災害対応にあたられている最中のようでした。

ご夫妻は、13日昼に帰りの予定でしたが、秋田新幹線が仙北市内路線への倒木により停電でストップ、東北新幹線も白石蔵王駅への土砂流入などで運行見合わせ、航空便も全部ストップとなり、結局お帰りは翌日の新幹線に切り替えるということになりました。

滞在中には、国内外の農業と政治、国内と世界各地の人々の考えとくらしのことなど、前回村を訪れていただいてから後10数年間の新たな体験をふくめ、多くをまたご夫妻から学びました。それと、利用していただいた村の観光施設や、各地をおとずれた際にもたれたご感想なども率直に語っていただきました。利用していただいた村の施設へのそれら貴重なご意見やご感想も含め、学びは私の今後の活動に活かしていきたいと思います。

 

少しずつ深まる里の秋

過ぎた6日の、我が家まわりのシラグヂ(サルナシ)、アギビ(アケビ)などの木の実です。里でも、この頃になればこれらの木の実は熟期の盛りを過ぎようとしていました。ヤマグリも、樹上の実はもうほとんどが落ち終わる季節です。

同じ日、それら木の実のそばの野原や里山では、サモダシ(ナラタケ)やラグヨウ(落葉・ハナイグチ)が食べ頃盛りの姿で見られました。ハタケシメジも晩生はこれからも出ますが、通常の秋に顔を出すキノコはそろそろ終わりの時期です。

村ではラグヨウともマツシタキノゴとも呼ばれ、カラマツの樹下に発生するハナイグチ。今年は多くのキノコ類と同じで発生時期がかなり遅れました。日照の多さ、雨天不足が今年のお天気の特徴でしたから、その影響がキノコたちの世界にも及んだと思われます。今年はハナイグチにとって発生条件がよかったらしく、我が家では毎日ごちそうになっています。

その里山には、おいしいキノコだけでなくやはり恐ろしい猛毒キノコも見られます。写真は、テングタケの仲間でコテングタケモドキに似ている猛毒種でしょう。私には正確な名前がわかりません。それほど出会いは多くないキノコです。

▼妻がつくる畑で夏から秋にかけて収穫されたトマトやキュウリはいよいよ終わりの時期となりました。ナスとインゲンはまだまだ健在です。これからもしばらく、おいしい秋ナスが食卓にあがりつづけます。

我が家の野菜のほとんどは完全無農薬栽培。ごく一部の作物は一回だけ消毒の栽培ですから、それこそ安心安全の食を毎日いただくことができます。自家用栽培はなんといってもそこがいちばんの魅力です。

紅葉の本番はまだ里山へは下りてきません。でも、たんぼの刈り取りもいよいよ最終盤。畑の換金作物も多くは収穫のピークを過ぎました。よく食べられる野の木の実もほとんどは熟期かその盛りを過ぎ、おいしいキノコたちも、秋深まる季節に発生する仲間へとバトンタッチがされ始める季節です。

三重県名張市議会のみなさん来村

きのうは、三重県名張市議会の3名の議員さん(うち1名は女性議員)が教育行政視察でお越しになりました。

議会の常任委員会活動ではなく、政務活動として来村されたものです。きのうは小学校を会場にして村の教育行政全般を教育長から説明していただき質疑応答で終わりました。

歓迎のご挨拶と質疑応答のなかで、「産業振興、教育など我々のどのとりくみも、発達した国の新たな課題として人類史上、日本の歴史上、みな新たなことへの挑戦である。たとえば村で築きあげた子育て策、教育政策についても、それがいずれは国の政策として普遍化されるまで、われわれは村としての成果を継続してあげていけるよう努力したい」という旨を込めながら一言申し上げました。

教育、医療、介護、福祉、産業振興、生活環境整備などの先駆的政策では、それほど大きくない市や町や村などの地方自治体ではじまった創意あるとりくみが全国に広まり、やがてそれが都道府県、国の政策として採り入れられるという事例が少なくありません。先駆の多くを生み出しているのは小さな地方なのです。

教育政策もその典型といってもよいでしょう。村で行われている内容の「人づくり」諸策は、本来国が率先してとりくむべきものであり、国会も、政府も、多数がそのことに早く気づかれて、国として政策化してほしいものです。

名張市議会のみなさんは、かなり前から周到な準備をされたうえで視察の計画をたてたらしく、質疑内容の深さからそのことがよくうかがえました。昨夜はホテルブランにお泊まりいただき、今日も、午前は中学校、午後は小学校で各校長から説明をしていただき、授業の視察を行います。いつも記すように、全国のみなさんから村を訪れていただくということは、その機会に私たちも多くのことを学ぶ時となります。きのうもそのことを深く感じた日でした。

紅葉の焼石岳だより(その2)

10月なのに、標高1547.9㍍の焼石岳山頂でも真夏を思わせるようなお天気です。

頂上には、東成瀬側コースをこちらの先になって登ってこられた先行の男性お一人だけ。ごあいさつをしておたずねしたら、「石巻市から」という方でした。

寒くないので頂上の西側に腰を下ろします。「南の森」と、南裾の大岩沢、小岩沢のカッチ(最上流部)の紅黄葉、それに胆沢川の南に沿う仙北街道(手倉越え)ルート筋の尾根などをそのまましばらく眺め続けます。みな、若い頃に春山の残雪歩きをした山や谷です。近くの栗駒山、遠くの鳥海山、岩手山はモヤにかすんでいてわずかに輪郭がわかるだけ。そういう案配ですから、さらに遠い月山などは晴れなのに山のかたちもわかりません。

期待していた、胆沢平野の田んぼと散居集落の美しい風景も、直下なのにやはりモヤに霞んで写真に撮るような景色はみられません。運がよければ、稲田、集落、防風用の屋敷林「えぐね」が調和してつくりあげるすばらしい景色が初夏も秋も眼下にのぞめるのです。

まだ10時前でお昼にはあまりに早く、そのまま岩手側コースへ下り姥石平を迂回するいつもの行程をとります。下り始めたら、岩手側を登ってくるご夫婦らしい何組かと行き会いました。秋田側への下りでも、やはりご夫婦と思われる2組と行き会いました。そういう時は「夫婦で、登れるなんて、いいもんだなァ」とつい思ってしまいます。

でも、高齢者一人での歩きの方とも時々出会いますから、その時は、「オレのような方もいるんだな」と思い、それでご夫婦登山のみなさんへのちょっぴりのうらやましさは相殺されたりもします。こちらも若い頃は、妻と子どもも連れて焼石に共にのぼったのですが、今は妻の足や体が丈夫でないので、いっしょの山行きは無理となっています。

さて、その後の歩きでは、遅咲きのハクサンイチゲやシロバナトウウチソウ、ハクサンシャジンをながめ、姥石平へ。途中、雪解けの遅い泉水沼の周囲ほんの一部には焼石らしい紅葉がかろうじて残っていました。南本内川最上流部のシゲイシのカッチも残雪が遅くまである所なので、そこも草紅葉をはじめなんとか紅黄葉らしい景色がながめられました。

この日最後に期待していた神社東側のもっとも美しい紅葉景色もやはり落葉や色褪せが進み見頃は過ぎています。色づき真っ盛りなら、ハイマツの緑と岩肌に映えるカエデやツツジ、サラサドウダンなどの紅や黄色は、まさに自然がつくる大庭園の秋景色を彩る所です。ここの錦模様は多くのみなさんにご紹介したい、私にとっては横岳、南の森とともに焼石の絶景の紅葉ポイントなのです。

やや過ぎ具合の紅葉を眺めてからは、「あとは用無し」でどんどん下がります。いつものようにタゲ(焼石)のすゞ(湧き水)に浸しておいた梨を口にし、家族への土産に湧き水をペットボトル3本に詰め、車到着は1時。まずまずなんとか満足の山行きとなりました。

紅葉の焼石岳だより(その1)

去る10月2日、久しぶりで紅葉の季節の焼石岳に登りました。「紅葉の季節にも、ぜひいっしょに」と山行をお誘いし、ご希望の方々がいたのでしたが、急な決定でしたので申し訳なさを抱きながらも今回は一人での歩きとしました。

いつものように突然の山行きを妻に告げて、にわかに出発。林道終点駐車場には宮城と岩手の車が2台あります。フロントガラスには露がいっぱい着いていて曇ったまま。ここで車内泊でもして早暁に山へむかった方たちなのでしょうか。

こちらの歩き始めは6時15分。夏場とちがい花の数が少なく歩きははかどります。時々、若い頃ブナの伐採搬出(雪上のバチ橇運材と架線による集運材)作業をした大森沢のブナの林を見つめて立ち止まり、ツバメオモトの紫の実や赤いマイヅルソウの実、それに秋の花ウメバチソウやダイモンジソウをながめつつゆっくりペースで進みます。

8合目、タゲの沼(焼石沼)手前のタゲのすず(すゞ水・湧き水)に、いつものように果実(和梨)を冷やし、まずは沼の岸辺で一休み。もう8時15分になっています。沼には相変わらずイワナの姿が多し。

小山ながらもわが集落からよく見える湧水そばの「もっこ・モッコ」森と材木岩(柱状節理の崩れた跡の岩)の周囲はいつも紅葉の美しいところ。ここら辺りがなんとか見頃の紅葉で、それより上部はもう葉っぱの散った木々や色褪せた木が多くなっています。つまり、思わず「息をのむような」焼石のもっとも見事な色づき盛んは残念ながら少々過ぎ具合。「無理して、みなさんに声をかけないでよかった」と、そんなことをまず思いました。

見頃の紅葉なら、沼の水面に姿を写す「南の森」も、8合目から上部の登山道沿いの錦の絨毯も一服しながらの眺めがお見事なのですが、今回は、そういう「息をのむ」錦模様とはいえません。それでも、晴天続きで葉っぱが落ちずにかろうじて残っているカエデ類があるので、「とりあえず、頂上まで向かってみるか」という気分にはさせてくれます。

遅咲きの夏の花ハクサンフウロとタカネナデシコを時々目にしながら9合目の山の神(焼石神社)近くまで上がったら、神社には先行の方が一人見えます。こちらも神社で、今年最後の諸々の感謝と今後の安寧・無事への祈りを込めて拝礼し、さあ頂上へ。

頂上着は9時20分。焼石の紅葉は、何ヶ所かで「オッ、これは、すごい」と立ち止まり息をのむ見事な観賞の場があり、そのうちの一つが、焼石頂上からすぐそば、登山道のない「南の森」の紅葉です。南の森は、笹の緑が木々の紅をひきたて、実に見事な錦秋景色をつくります。「南の森」の東南麓すぐにひろがる小さな湿地の周囲も、草黄葉から低木の黄葉が美しいところ。全体として連峰の頂上周辺と直下はどの山も紅黄葉は「過ぎ具合」です。が、雪解けの遅い「南の森」東部斜面などはかろうじて「これを見られただけでよかった」と思わせられる錦模様を、ぎりぎりセーフで山ノ神様は残していてくれました。

静岡・清水町議会のみなさん来村

全国の地方議会から村への教育行政視察が今年も続いています。きのうは、静岡県清水町議会のみなさんが来村されました。あの富士山の伏流水による清流柿田川で名高い清水町です。

人口が今年4月1日現在で32,510人。町の面積が8.81平方キロ。1平方キロ当たり3,690人が住むという極めて人口密度の高い町です。わが村は203.6平方キロに2,563人ですから、清水町の密集度合いが想像つくと思います。

議員定数は14名で、この日視察にみえられたのは副議長さんを含む民生文教常任委員会のみなさん7名。議会事務局主幹の職員さんと、ほかへの視察目的(一関市と横手市)で同行されたのでしょう、町の長寿介護課課長さんも同席されました。

きのうは小学校での説明(教育長、学校長)と授業風景を視察していただき、質疑を受けるといういつものかたちでの応対となりました。

校内視察では、「学校がきれいだ。こういうところに、(教育の)結果があらわれているんですね」という旨の言葉を今回の視察の方々からも寄せていただきました。「視察に来てよかった」という旨の声もありました。お越しいただいた側としては、視察の目的にそえたかどうかが最大の関心事でありますので、そうしたご感想をいただけたことをうれしく思ったところです。

視察の受け入れでは、我々自身も訪れた皆さん方から生の情報を得ることができ、「何を視察の視点にされているのか」など、様々な考え方や議会・議員の活動姿勢も学ぶことができますので、とても勉強になる機会ととらえております。

今月はこの後、日程が決まっている議会の視察団として、三重県名張市議会、兵庫県小野市議会のみなさんがお越しになる予定です。

キノコの顔ぶれ増えてきて

深山、里山もふくめ、きのうまでに写しておいた森の精たちを、少し長くなりますがならべてみます。

まず一番目は、ミャゴ(マイタケ)。昨年とちがい、今年はどちらかといえば豊作とは言いがたいと思われるのですがどうでしょうか。ただ、「一本のミズナラで30㎏ほど採った」という集落の方もおりますから、もう少し時を経てみないと結果はわからないのか。こちらは、わずか4本のミズナラでの収穫だけに今年は止まっています。

2つめは、ワゲ(ヒラタケ・ウスヒラタケ)。これはひろく親しまれている誰もがご存知のおいしいキノコ。

3つめは、度々登場するオオワライタケ。黄色い株はまことにおいしそうで、東北のどこかでは「塩蔵して食べる」という土地もあるようです。しかしこれはれっきとした毒キノコ。

4つ目は、最強猛毒のニガクリタケ。国内では、死に至る悲惨な事故も数々おきている恐ろしいキノコです。晩秋、初冬まで、食茸のクリタケやナラタケと同じ場所に出ていることもあり、色も黄緑から褐色まで濃淡様々できわめて注意を要するキノコです。

5つめは、ベニナギナタタケでしょう。食べられるキノコの仲間ですが、私は口にしたことがなく、色鮮やかなので眺めを楽しんでいます。

6つ目は、ブナやイタヤカエデの幹に張りつくように生えるノギウヂ(エゾハリタケ)。今年は発生条件が良いらしく、あちこちでよく見られます。このキノコ、たいていは幹の中ほどに出るのですが、これはめずらしく根元(ブナ)に発生していました。村では好んで食されるキノコです。

7つ目は、シトリテデ(ウラベニホテイシメジ)。よく毒キノコのイッポンシメジやクサウラベニタケと間違われますが、こちらウラベニは大型で食べ応えのある食茸。我が家では主に塩蔵して冬にいただきます。今年はアガキノゴ(サクラシメジ)と同じで、集落里山での発生は極端に少ないようです。

8つ目は、チョレイマイタケ。この株は大きいのでついマイタケと勘違いしてしまうほどです。これほど大きなチョレイマイタケはなかなかお目にかかれないもの。ミズナラとは関係ないところに生えます。今年は偶然の出会いでした。ただし、老菌ですからうれしさはほとんどありません。でも、記録としての価値はあるので写しておきました。

9つ目は、スミゾメシメジ。茎が中空でなく全体として充実しているのでホンシメジかなと一瞬思いましたが、ちがいます。擦れたところや傷ついたところが黒変するという特徴がよく出て、根元に白い毛が見られるのでスミゾメシメジでしょう。ここでは採れる量はそんなに多くないキノコです。

10番目は、毒種としておいた方がよいでしょうシロオニタケらしい仲間。こちらは美的要素はあるので、やはり姿を眺めるキノコとしておきます。 

11番目は、アミッコ(アミタケ)。湯がくと紫色になり、イグチ科特有の粘りがあります。採取も村ではアカマツの樹下で簡単にでき、収穫量もあり、いろんな調理に向くので多くの方々に親しみがもたれているキノコです。今年はいつもより出遅れて発生でした。

12番目は、採取量も多く、村では最も多くの人々に食べられているサモダシ(ナラタケ)。写真はわが集落ではネスゲモダシと呼ぶヤチナラタケでしょう。サモダシもいよいよ本格的な採取シーズン入りです。きのう登った焼石登山道沿いでも随所に見られました。ナラタケの仲間は出汁がよく出るおいしいキノコ。そのなかでもこのネスゲモダシは最も出汁味の濃いおいしい種です。

13番目は、アシグロタケ。繊維を断つように切って、噛みごたえを楽しむキノコです。乾燥してうどんなどの出汁にも使います。

14番目はタヌキノチャブクロ。薄皮をむいて、真っ白な球体を味噌汁の具にします。キノコは軽いのでお椀の中に浮かびます。同じホコリタケの仲間のキツネノチャブクロと同じでシコシコの食感を楽しむキノコです。ほんわりとした感じの良い甘さもあります。

15番目はおそらくドクツルタケでしょう。キノコ界最強の毒をもつ恐ろしい存在です。

16番目は私は初めて見るキノコ。サナギタケの仲間でしょうか。おかしな姿を見せてくれるキノコもあるものです。

最後は、キノコとしては姿も味も最高級で、それに収穫量も多いハタケシメジです。マイタケ、シシタケ、ホンシメジ、クリフウセンタケとならべて、最も価値の高いキノコの仲間に私は含めるキノコです。

夏空のような下で朱沼神社祭典

毎年10月1日は、須川高原にある須川湖・朱沼神社の祭典日です。

鉄分が酸化した沈殿物で湖の底が朱色となっているため須川湖は昔「朱沼」とよばれ、そこに鎮座する社なので朱沼神社という名がつけられたようです。

成瀬川最上流域にある社として、直下の赤滝神社とともに訪れる人々や山麓の人々のくらしを見守りつづけている神社でもあります。赤滝神社がダム事業によって一時の遷座となっていますので、最上流域にある社としてこの先何年かは、朱沼神社が流域で働き暮らす人々の安寧無事を願う心の拠り所となる唯一の存在となります。

そういう思いを込めながら、玉串を献げ、乾杯の言葉を申し上げました。お祝いの席の栗駒山荘では、「研修」として派遣された村役場の若い職員達が、山荘の制服をピッと着け、接客業に一生懸命がんばっていました。

この祭典に向かう時は、荒れ空で、寒くて、湖面も秣下ろしの風(村最高峰の秣岳から吹き下ろす風)で波立つのを覚悟し、防寒への備えをバッチリ決めて行くのが常識。でも、きのうは1100㍍の高原でも3時なのに夏日のような温かさ、というより暑いほどでした。こんなことは祭典に20年近く通ってもはじめてのこと。日照が多いという今年の特徴をよくあらわしたまるで夏のような高原の秋でした。

でも、やはりそこは高原。1100㍍ラインでも木々の色づきがいっきに深まっています。須川湖キャンプ場管理人のSさんが、栗駒や秣岳の頂上を眺められるように口径の大きな望遠鏡を外に据えてくれていて「眺めて、見での」と私にうながします。その望遠鏡のレンズがとらえた頂上は真っ赤っかの紅葉盛りです。もう4~5日で須川高原温泉や栗駒山荘周辺まで紅葉の盛りラインは下がってくるでしょう。

Sさんも、「紅葉の時に、こんなに長く良い天気が続くのはめずらしい。頂上付近の紅葉の盛りの期間がこんなに長く続くのもめずらしい」と語りました。今年は、紅葉観賞に訪れる人々にとっては願ってもないシーズンのようです。

北の焼石連峰方面も、頂上が赤に染まっています。今日はその焼石に向かっています。

帰りは真っ暗。夢仙人大橋の上で、照明を受けて作業が進められている成瀬ダム工事現場を眺めて立ち止まりました。深山のそこだけが、まるで工場街のようになって見えます。

先達の難儀を偲ぶ「間木堰」

秋に1~2回はおとずれる明通沢。今年も先月末の休日に足を運びました。

この沢には、椿川・間木集落のくらしをささえる「間木堰」と呼ばれる、今から102年前に完成した用水路があります。

昔の人々のひとかたならぬ苦労を学ぶとしたら、村内ではこの「間木堰」こそ最良の教材といえるでしょう。堰の一番の難所は取水口から下流100㍍ほどの箇所で、そこに立てば、「田んぼのために、水を引いた先達の難儀」が身にしみてわかります。

ほんとうは、小中学生たちにもこの難所を見学させたいのですが、万全の安全確保策がないと危険がともない、おすすめできないのが残念です。

こういう現場を見れば、「お米の大切さ、先祖、先達の苦労」が直に理解できるはずですから、子たちが高校生か大人になったら是非一度は足を向けてほしいものです。

山を歩けばガマガエル(ヒキガエル)とのご対面がよくあります。明通沢の間木堰脇の道の上で、動画を瞬間停止させたようなこんな格好をしてガマ公が止まっていました。歩きの停止状態のまましばらく動きません。これは警報発令の動作なのでしょうか。

渓谷沿いの湿った岩場などに群生するダイモンジソウが、その堰脇にまで種を飛ばして増えたのでしょう、いま花真っ盛りです。リンドウ、ウメバチソウ、サラシナショウマ、そしてダイモンジソウ、これらの植物はなぜ春や夏ではなく秋に花を咲かせるのか、時にそういう不思議を感じながら私は深山を歩きます。