20歳の頃、住み込みの農業研修で1年間お世話になった相模原市のSさんご夫妻が久方ぶりに10日来村され、10数年前お越しになられた時と同じ栗駒山荘や、今回はホテルブランにもお泊まりいただき、14日まで村に滞在されました。
実は、Sさん宅には、研修生としてのこちらだけでなく、集落の幾人かの方々もおよそ半世紀前に宿泊や訪問などでお世話になったことがあります。それから10年ほど過ぎた時、Sさんご夫妻の長男Kさんが中学生の頃に友達と村を訪れています。その機会に、現在ダム建設現場となっている北ノ俣沢の転流口付近の渓流で魚を獲り、川原で焼き、水辺で遊んでもらった時、ごいっしょしてもらった村の先輩たちもおり、Sさん宅の方々とは様々なことで村人との縁がうまれた過去があります。
Sさんの令息そのKさんは、以前にも記したことがありますが、医師の職を経て、現在は大手航空会社で旅客機ボーイング777(トリプルセブン)の機長職に就かれております。
そういう縁の積み重ねということもあってでしょうか、数年前、Sさんの娘さんご家族も、子どもの夏休み時に村の栗駒山荘に幾日かお泊まりいただきました。
経営としての農業からは引退したSさんですが、こちらがお世話になったおよそ50年ほど前の論理明快で熱い語り口は、まるで若者のようにずっと当時そのままです。
海外も、何10ヶ国と視察や旅で訪れておられるSさんとご夫妻です。令息のKさん(奥さんは元客室乗務員)も各国へしょっちゅう飛びますからご一家の視点はいつもグローバルなのでしょう。Sさんがとらえられたそれら諸外国の特徴(人と自然、政治、農業など)や、だからこそよく見えるであろうわが国の姿(やはり人と自然と政治、農業など)について、それらの比較など感想をお聴きするのも私の楽しい学びのひとときとなります。
息子さんは医師からパイロットへの道に進みましたが、その息子さんのお子さんもまた父親が学んだと同じ大学の医学部に進んだということで、そういうこともあってでしょうか、Sさんは、医療課題への関心もとりわけ深いようです。高校教諭の娘さんご家族や、役所勤めをされている夫と暮らす娘さん(やはり元役所職員)ご家族もおられますから、教育や地方政治等々Sさんの話題の引き出しはとても多く広く深く、農業関係だけでなくそれらからも私が学ぶことは今もたくさんあります。
北から南まで各県の研修生を過去に何10人と多く受け入れ指導されたSさんご夫妻です。なので、Sさんを通して間接的にうかがうそれぞれの地方の情報や特徴、人間観察眼なども勉強になります。Sさんご夫妻は、半世紀前も、今も、こちらのありがたい師です。
村へは2度目の訪れでもあり、県内や隣県の観光地へも度々来ておられるお二人なので、今回は、一般的な観光地めぐりとは別の滞在日程を急きょ考えました。それらは、村と近郷の自然(須川高原と合居川渓谷、胆沢川渓谷、胆沢ダム、成瀬ダム建設現場)と農業(我が家の田んぼとトマト栽培農家、横手市増田と平鹿地区のりんご農園と農家)、まるごと自然館とふるさと館、ゆるるん、村役場、五郎兵衛清水、湯沢雄勝、横手平鹿の人々のくらしや農村の風景、岩手と秋田県南の各道の駅や農産物直売所、それに、村のお寺さん(了翁禅師剃髪の龍泉寺と、もうひとつの歴史をもつ永伝寺)や各神社の彫刻などです。それに、村へ移住しておよそ20年になる五里台のSさんについて、前回来村時にもご紹介していたことから関心があったらしく「いま、どうしてる?。会える?」ということで、語り合いのひとときも設けました。村の直売所では、あけびづる細工を買い求められました。
それに、西馬音内の盆踊り会館(踊りの実演がちょうどやられていたので、終わりの少しの時間)や、横手市の石坂洋次郎文学記念館、かまくら館、増田の蔵めぐり、まんが美術館、湯沢市稲川の川連漆器伝統工芸館、いなにわうどんの里などをめぐりました。川連漆器の伝統工芸館は前回も訪れていただき、お求めになられた漆器をいまも使われているようで、今回もお気に入りの漆器があったようです。うどんも。村の自然や温泉と食、それに近郷近在の食べ物や伝統産業と名産品、蔵、文学館、温泉、盆踊り、祭り、道の駅、ちょっと山を越えれば、岩手と宮城の同じような見所、食べ所も豊富です。秋田県南全体、あるいは宮城、岩手の関係圏域とよく連携をとった観光などのとりくみがとても大事ということを、あらためて感じた5日間でした。「いっそう協力し合い、お互いを、活かし合わねば」です。
▼ご夫妻滞在中には、大型で強い台風19号が関東、信州、東海、東北地方に襲いかかりました。激甚被災となった多くの皆様へ心からのお見舞いを申し上げます。
災害による「避難指示」などお聞きすることのないSさんお住まいの相模原市でも、山間部緑区での大きな被災や、城山ダムの緊急放流と相模川沿い「水郷」地帯などの報道も流れました。Sさん御夫妻の住宅はそうした被災の心配はない地にありますが、ご親戚や知り合いには報道されている土地近くにくらしている方々もおられるようで、台風禍、地元に住んでおられる娘さんたちなどを通じて頻繁に連絡を取り合うなどしておられました。滞在後半は不安な日々をお二人は過ごされたと思われます。海外便で飛びパリにいる息子さんも、台風報道で相模原の地名が流れたことを知ったらしく家族に連絡があったようです。娘さんの夫も、市役所職員として懸命の災害対応にあたられている最中のようでした。
ご夫妻は、13日昼に帰りの予定でしたが、秋田新幹線が仙北市内路線への倒木により停電でストップ、東北新幹線も白石蔵王駅への土砂流入などで運行見合わせ、航空便も全部ストップとなり、結局お帰りは翌日の新幹線に切り替えるということになりました。
滞在中には、国内外の農業と政治、国内と世界各地の人々の考えとくらしのことなど、前回村を訪れていただいてから後10数年間の新たな体験をふくめ、多くをまたご夫妻から学びました。それと、利用していただいた村の観光施設や、各地をおとずれた際にもたれたご感想なども率直に語っていただきました。利用していただいた村の施設へのそれら貴重なご意見やご感想も含め、学びは私の今後の活動に活かしていきたいと思います。