72回目の成人式

今年の成人は28人で、式典への出席は22人。お祝いと期待を込めつつ、以下のような内容でご挨拶を申し上げました。

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第72回目の成人式を迎えられたみなさんに、村議会を代表して心からのお祝いを申し上げます。

私は、これまでの成人式の日のみなさんに、ふたつのことにしぼって大人としてのつとめをはたしてほしいことをお願いしてきました。その2つとは、選挙権の行使と戦争のない平和な国づくりをすすめることについてでした。

しかし、選挙権についてはすでに18歳から得られる時代になっておりますし、東成瀬村は若い方々もふくめ全国でもきわめて投票率の高い村ですので、今日は直接それにはふれません。今日はもっとひろい範囲で、みなさんのくらしに深く関わっている「政治」について、成人としてこれまで以上に深くそこに目をむけていただきたいということを申し上げます。

自然と違い、わたしたちの社会は、人間のはたらきかけ次第で様々な変化、結果をもたらします。政治はその典型であります。ひとつわかりやすい具体例をひきます。たとえば市町村合併のことがあります。

東成瀬村は昭和の合併の時も、平成の合併の時も、合併せずに単独ですすむことに村発展の道があると判断しました。近隣の自治体から合併への強力なはたらきかけがありましたが、拙速に走らず冷静に状況を分析し、引き続き東成瀬村で自治を進めることを決めました。その判断がまちがっていなかったことは、昭和の合併後も、平成の合併から十数年経った今も、村がすすめてきた政治の側面の多くの分野をみれば明らかです。

村の政治のごく一例をあげますが、全国的に評価される村独自の手厚い子育て教育政策、福祉政策、産業振興策などは、村という単位でなければおそらく実現できなかったであろう政治の姿です。そういう地方自治の本来のあるべき政治を行えるのは、自立の村を大人の責任として選んだ村民全体の判断でした。

市町村合併を例にひきましたが、より良いくらしのために歴史の歯車を前に進める、そういう役割、そういう大きな責任が我々大人にはあります。みなさんには、25歳になれば村の政治に直接携われる場としての被選挙権も与えられます。より暮らしやすい社会をつくるために、大人としての社会へのはたらきかけの大切さを、ぜひこうした村の歴史などからも学ばなれて、被選挙権の行使にも若い時から挑んでいただけたらと思います。

最後にもう一つみなさんによびかけておきたいことがあります。それは戦争のない平和な国づくりにつとめてほしいということです。今日はちょうど終戦から74年目の夏です。

村では、168人の方々がこの戦争で亡くなられております。その中には、遺族会の資料をひいてわかるだけで10代、20代で、135人の若い命が戦争に奪われているのです。内容をみますと、10代の4人をふくめ、ちょうど20歳までの方が9人。それには16歳で大陸で命を落とされた看護婦の方も含まれます。中国大陸、あるいはフィリピン、ニューギニアなど南方の島々、千島列島、シベリア、沖縄の地で、村の若者たちは、終戦間際に集中した玉砕と言い表された戦闘、軍艦の沈没、栄養失調(つまり飢え)、あるいはマラリアなどの病気によって、生きる希望を戦争によって絶たれました。

みなさんへ心の底から申し上げます。人の命が幾百万人、幾千万人規模で奪われた戦争は、自然災害とちがい人間の判断によってひきおこされました。誤った判断により国家の名のもとで、このように戦争で命を奪われた村の若者たちの無念の思いを、どうか心に留めてほしいのです。

村では戦没者への追悼式を毎年春5月に行い、役場庁舎には「平和な日本をめざす」宣言が掲げられております。この宣言をみなさんにも真正面からとらえていただき、尊い命を犠牲にして制定された世界に誇れる平和憲法を大切にし、戦争の惨禍の歴史を見つめ、成人としての最も大切な使命のひとつといえる平和をまもる役割を、どうか若いみなさんが引き継ぎ果たし続けてほしい。そのことを結びにお願いしまして、私からのお祝いと期待をこめた言葉といたします。本日はまことにおめでとうございました。

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▼あたりまえのことですが、成人式に出席のみなさんとは一年経つごとに年の差が一つ増し、まぶしいほどにきらめく彼らの若さがうらやましくなります。そして、自身の成人式の頃を、彼らの姿に重ねて思い出します。

これからの村をつくってゆくのは、新たに成人式となったみなさんを含め若者たちです。保育園、小学生、中学生、高校生と、その成長ぶりを見つめ続けてきた彼らが、晴れて大人の仲間入りです。親御さんやご家族のみなさんの喜びが目にうかびます。彼らなら、私たちの期待にしっかりとこたえる若者の役割を果たしてくれるでしょう。

▼田んぼの稲穂も、成人のみなさんと同じように豊かな実りを見せはじめ、穂の傾きが日毎に増してきました。

病害虫の防除

村のお米作りで最も困る害虫はカメムシ。カメムシは、まだ稔りきらない軟らかな米粒の液を吸い取り、粒に黒い染みをつけてしまいます。一方の病気では、葉茎や稲穂を死なせてしまい被害の大きいのがイモチ病。

お天気と行事予定を見計らって、その2つの防除作業にきのう取りかかりました。田んぼでの病害虫防除の農薬散布は我が家では毎年この一度だけです。

近年は、村内でもカメムシ被害が一部でひん発していますが、こちらは品質に影響が及ぶほどの被害にはまだ遭っていませんから、防除管理は的確に行われているといってもよいでしょう。

例年のようにひきつづき食味値80ほどの特おいしい「あきたこまち」が出来上がるまで、今年の栽培管理もあと一月半ほどのところまできました。

お盆も真夏日

真夏日が続くなか、今夏で最も暑い昨日お盆をむかえました。

帰省の方々も「暑さは東京と同じ」とか、「東京より暑い」などと語りあっていました。風がほとんどなく湿度も高かったきのうは、「暑い、暑い」と言う言葉を今年に入って最も多くつぶやいた 一日となりました。

でも、村では「盆過ぎれば、あぎがぜぇ(秋風)、ふぐ(吹く)」といい、秋の彼岸を待たずに、お盆の頃が夏と秋を分ける境い目の季節とされてきました。おそらくこの暑さも、心配されている西日本のお盆を直撃しそうな台風10号まで。それが過ぎればやはり夜朝の肌は「秋風」を感ずるようになるでしょう。

きのうは帰省していた身内の人々をご案内して須川高原まであがり、栗駒山荘で久しぶりに昼食をとりました。お盆のお墓参りもあってでしょうが、秋田側も岩手側も、駐車場には予想したより車の数が少ないと感じました。

お盆には、村の各集落で夏祭りがあり、それぞれで花火も打ち上げられました。おおよそのたんぼでは稲が開花期を終え実を結んだので、あきたこまちの稲穂が膨らみ始め傾いてきました。お盆を過ぎれば、秋風にのせられて人々の心も秋へ秋へと移ろわされます。

盛夏に完熟、モヂエヂゴ(餅いちご)とスモモ

10日朝7時半近く「こんな、おがだち(雷)様は、久しぶり」というほどのピカ、バリバリの天地を裂くような雷鳴がとどろきました。空は荒れ狂わんばかりの黒雲に覆われ、吹きつけるように強い雨が降り注ぎました。

日照りに困っている民のために祈祷師が雨乞いをし、その祈りが通じて突如雨が降り出した何かの映画の様子を連想させるような、そういう劇場的ともいえる突然の暴れ空の朝でした。

短時間でしたが、それはまさに「恵みの雨」。連日のカラカラ天気で畑作物はもちろん、庭の草木に続いて野の草や木までもが枯れ始めていました。ですから、人も、あらゆる動植物たちにとっても、あの一降りは待ち望んでいた慈雨となりました。

カラカラに乾いた大地に少ししみ込んだ久しぶりの雨で、弱っていた草木たちもいくらかは元気をとりもどしたでしょう。この雨がなければ、地上に生きるものたちはほんとに「困った」のままでしたが、自然はよくできたもの。ほんとにありがたい雨でした。

盛夏となりモヂエヂゴ(餅いちご・エビカライチゴ)が完熟しています。20年ほど前に植えたスモモ(果肉が紅いので品種はソルダム?)も今が熟期。雷をともなう風雨に揺すられほとんどが簡単に落ちてしまいました。熟し始めたのでそろそろクマが訪れる頃と見計らっていましたが、今年はクマより先においしくいただくことができました。消毒無しなので虫食い果が多かったですが。

▼11日は、国道、村道と公園などの草刈り作業。お盆前恒例の部落の共同作業です。日にちのちがいはありますが、村内各部落でも家々でも「お盆を迎える前に、お墓も道もきれいにする」ということで同じような作業が行われました。帰省のみなさんも、ご先祖などの御霊も、きれいな村でお盆を過ごすことができるでしょう。

簡易水道最後の浄水棟起工式

村簡易水道の中部(岩井川)地区浄水棟の起工式が今日午前におこなわれました。

統合更新される簡易水道事業では最後の事業区として進められている工事で、すでに今年度の配水管布設などは大方が工事を終えています。

簡易水道の統合更新では、事業のはじまりで水源と給水区域について大きな課題をかかえていました。結果的には今回の事業区域に入る地域住民からの意見を踏まえて当初計画を大きく変更するという課題解決を経ての事業スタートとなりました。そうした経緯がありましたので、議会での審議や関係地区の部落総会、住民の声が集められた署名運動などの当時を想いおこしながら神事の時を過ごしました。

▼たんぼの稲穂がだいぶ出そろいました。昨日第一回目の作況指数が発表され、東北は「やや良」とされました。我が家のたんぼも「そう悪くはない、まずまずの進み具合」と見えますので、「やや良」にほぼ近い状態と今のところはいえます。

実家から毎年おいしい「あきたこまち」を贈っていただいているお盆に帰省のみなさんは、出そろって傾き始めた稲穂が風に揺れる様子を目にすることができるでしょう。我が家はそのお盆中にカメムシやイモチ病の害を防ぐための消毒作業を予定。ただそれも「お盆を直撃かも?」とされる台風10号の進路次第です。

 

悲願は2つの地区を結ぶ通年通行

主要地方道 横手・東成瀬線(県道)の整備促進を期す同盟会の総会がきのう横手市の松興会館で開かれました。

総会の前には、三又、岩井川両地区住民や県議会議員の方々などといっしょの現地視察も行われ、一部改良事業の現場などを目にしました。

現道について、冬季閉鎖で車が通れない期間をより短くために必要な方策、そして、同盟会が設立当初から最大目標として掲げる通年通行実現のためには、今後のとりくみ(県道の路線を現道のままでの通年通行はムリなので、路線を変更するか)をどう方向づけるか、その方策を探る現場視察でもあり、総会でもありました。

運動の最大目標は通年通行。この悲願に向かってより早く実現できる方針をもつのが同盟会のつとめです。時代状況にあわせた方向付けについて、県の関係部局と市・村との具体的な協議がいよいよ重要な段階となっています。

花の百名山 焼石岳に夏の百花繚乱(その2)

盛夏の焼石岳は、花の百名山ともいわれるだけあり頂上も数々の花で彩られる。

ハクサンシャジンやミネウスユキソウ、トウゲブキ、ハクハサンフウロがそれらの代表格で、8月に入ればミヤマリンドウも咲き始めている。この日は強い風に花が揺れる。私の手では揺れる花を接写にするにはむずかしい。さらに老眼なのにメガネをかけないで撮るものだから、ブレていたりボケていたりの画面が多いことに、後で気づいている。

頂上の花を撮り終えてからは「横岳方面へ行こう」と岩手側登山コースへ下りる。そこではじめて濃い霧の中から「カラーン、カラーン」とクマ避け鈴の音が聞こえる。音はすれど人影は霧で見えない。しばらくして音が近くから響くようになったらご夫婦らしい登山者の方たちが登ってきた。下りるにつれて一人、また一人とのぼってくる方が増えてきた。

 

横岳分岐周辺は、初夏の花ハクサンイチゲが遅くまで咲くところ。まだつぼみ状態もあって小さな群落をつくっているが、霧が濃く群生は霞んでいる。風もまだ強い。これでは花見と展望を楽しむことはムリ。横岳行きはあきらめて姥石平へ直行する。さっきすれ違ったクマ避け鈴の方たちも頂上に着いてすぐに下山したようで、人影は見えねど霧の中からカラーンカラーンの響きだけがまたよく聞こえる。

ここからは、花期を過ぎたチングルマの風車状の実が美しいところ。トウゲブキやマルバダケブキ、キンコウカの黄色、ハクサンシャジンとタチギボウシの紫、カラマツソウやナンブトウキ、ハクサンイチゲの白、ハクサンフウロのピンク、朱のクルマユリと、登山道は花の道。時々、ベニバナイチゴ、ウラジロヨウラク、エゾシオガマ、ハクサンシャクナゲ、池塘脇にはイワイチョウ、ミヤマリンドウも加わり、立止まりつつの花見歩きとなる。

霧が濃くてすぐそばの焼石の頂上も見えない。それで警戒心が薄れたのか、キツネが突然目の前にあらわれた。写真におさめようとしたら、瞬時に身をひるがえして背高の草の中に潜み姿を消した。こちらも少々驚いたが、向こうはもっと驚いたような表情をしていた。

権四郎森(南本内岳)分岐手前の雪田もすっかり雪がなくなり、春の花リュウキンカが盛りだ。ミズバショウも霧に霞んで咲いている。コメツツジなども遅咲きの花が見られた。

沼まで下りたら、わずか一時だけ霧がやや上がり始め、薄い陽射しもあった。が、タゲ(焼石岳)も、南の森も、権四郎も、さんさげ(三界山)も頂上は霧に覆われたままだ。

沼の霧は上がり、オニシモツケの白花が朝よりも映えたのでここで一休みし、野イチゴもたっぷりとごちそうになる。妻へのお土産にタゲのすゞ(湧き水)をペットボトルに3本詰める。枡に浸しておいたトマトは、歯がしびれるほど冷たくなっていて、それを元気づけにして帰路につく。駐車場到着1時半。岩手ナンバーの車が3台あった。車道脇で、実を結び始めたマタタビや色鮮やかなエゾアジサイを撮りおさめ、俄な山行きを終えた。

徳島県議会のみなさん来村

きのうは東北中央自動車道新庄・湯沢地域間の建設促進要望で湯沢河川国道事務所へ。同盟会(会長は山形の金山町長)の会員(関係首長と議長)や商工団体のみなさんといっしょの行動です。

午後は、村の教育視察で訪れた徳島県議会文教厚生委員会(副議長、委員長、副委員長を含む9議員構成)のみなさんをお迎えしました。一行は、県教育長や教育政策課長、保健福祉政策課長(他地域での視察のための随行)議会事務局なども含め14名。

会場の中学校で、教育長、校長から説明していただき、質疑応答、校内視察を終えたら予定した時間を大幅に過ぎていました。

夏休みなので授業参観はできませんでしたが、質疑応答のなかで、ある議員の方から「廊下にある写真をみて、子ども達の目の輝きがとってもいい」という旨の感想をのべていただきました。また、校舎そのものは旧い建物ですが、「校内がとてもきれい」という言葉も寄せられました。私もそれは常に感じていることであり、うれしく受けとめました。

軽米町議会の視察、仙人修行、消防訓練大会

2日、岩手県北の軽米町議会総務教育民生常任委員会のみなさんが来村されました。

目的は教育行政視察。中学校を視察会場にして、村の教育行政と学校の運営内容を教育長と校長から説明していただきました。軽米町議会もこの春に改選されたばかり。定数12人のうち女性議員が2人。そのお二人が同じ委員会所属で視察に加わっており、校内視察の際、盛んに質問をされていたのが印象に残っています。

3日は仙人修行の滝行を終えて後に開かれた交流会の夕べへ。昨年台湾から訪れていただいた女性の方が今年も参加、参加を重ねているなじみの方々とともに初めての方も多く、国内では高知県からが最も遠地からのお越しとなりました。

みなさん話題が豊富で、あっという間に時が過ぎゆきました。

仙人修行の最終日となるきのうは、郡市の消防訓練大会です。わが村消防団は、小型ポンプ操法に出場した第3分団第3部(大柳地区)が優勝し、県大会出場を決め、礼式の部に出場の第1分団は堂々3位となり、全体では総合3位を獲得しました。

連覇し県大会出場となった小型ポンプ操法は、指揮者、1番員、3番員が優秀選手賞にも輝きました。村消防団の技術の高さ、イコール結束力の強さが際立った大会でした。長年郡市の大会を見つめつづけてきていますが、大会全体のレベルを引き上げるうえでも、村消防団は貴重な役割を果たしつづけていると私は感じています。

暑いなかでの訓練大会ご苦労様。8月末の県大会めざして、消防の熱い夏もいましばらく続きます。出場の団員も、ご家族のみなさんも、練習をささえる消防関係のみなさんも大変でしょうが、健康に留意され、万全の準備で県大会にのぞんでほしいものです。

仙人修行に参加の方も「秋田、東成瀬村がこんなに暑いとは?」と語っておられましたが、連日35度超えが続く夏です。

我が家のワラビ畑にあるヤマユリは、花びら全体にその暑い陽射しを燦燦と受け、強い芳香を漂わせています。カンゾウもそうですが、ヤマユリも猛暑の季節を象徴する花なのですね。

花の百名山・焼石岳に夏の百花繚乱(その1)

「夏に、焼石のご来光をもう一度拝む」と予定し、7月末に2度計画をたてた。しかし、一度目の予定は曇りで中止、2度目がこの31日夜に歩いてきのう1日朝のご来光拝観計画だったが、それも予報では曇りの様子が濃いので早めに中止した。

そうしているうちに、ご来光とともに出会いたい夏の花たちも一週間、2週間と経つので花によっては見頃を終わる種もでてくる。

それで「まずは花を観て、みなさんに紹介しよう」と、きのう急きょ焼石にむかった。急な山行決定なので、もちろん一人の歩き。

穂が出始めた田んぼに水を入れ、早めの朝飯をとり俄に出発。林道終点の駐車場から歩き始めは早朝5時半。まだ車は一台もなし。登山道は7月に刈り払い整備がおこなわれたばかり。

予想したより霧が濃く、時々ブナの幹が見えなくなるほど。霧のために山全体がやや暗いので、登山道脇に咲くツルアリドオシの白い花が小さいながらも目を引く。

胆沢川に下りてから登山道をはずれて川沿いに少し歩いたら、淵に棲むイワナがもう瀬尻に泳いで獲物を待ち受けている。彼らも朝の活動開始は早いのだ。

タゲのすず(湧き清水)到着7時50分。清水の枡に桃太郎トマトを冷やして沼の岸辺へ向かう。こちらでもイワナが盛んに活動中で、何度も岸に寄ってくる。一帯の草原では少しのノウゴウイチゴとエゾノクサイチゴの実が熟れ始めている。わたしらが小中学生の頃には、この2つのイチゴとイワナをめざして子ども達だけでタゲ(焼石)に登ったことは幾度も記した。その野イチゴを口にふくみ、テノマツ川(胆沢川の一部上流)の淵やタゲの沼に泳ぐイワナを見れば、その頃を決まって思い出す。

沼の草原に出たら、「ヒーヒー」と特徴ある小鳥の鳴き声がきこえる。いつの年の夏もこの草原で見られるウソ(里では冬にソメイヨシノの芽を食害する小鳥)だ。おそらくここらあたりで夏を過ごしているのだろう。草原には彼らの好む食べ物が多くあるにちがいないとも思われる。ここまで上がると風が強く霧がさらに濃くなり、草木にとまったウソも霞んでよく見えない。

夏の焼石の百花繚乱もこの草原一帯からはじまる。盛夏の季節、草原一帯に素敵な花姿を見せてくれる代表格は背の少し高いオニシモツケ。きのうは霧が濃くて青空も山もみえなかったが、背景にそれらがあるとこの背高の白い花は見応えがある。ヤマハハコとミヤマカラマツやモミジカラマツなどの仲間たちも、その白さがいい。

霧が厚いので長休みをせずに上へ向かう。沼から9合目のタゲの山の神様、そして頂上と進むにつれ花の種類も数もいっきに増える。代表格はタカネナデシコ、ハクサンフウロ、ハクサンシャジン、ミネウスユキソウの仲間、そして盛夏の焼石全体を象徴するマルバダケブキやトウゲブキ。時々センジュガンピも目に入り、クガイソウやキオン、ミヤマリンドウ、ミヤマホツツジ、遅咲きのウラジロヨウラクなども。すべてはあげきれない。ハクサンシャジンは均せば7月25日前後頃が一番の見頃だったと思われる。ハクサンフウロは花盛りだ。

山の神様で諸々の安寧をねがい、霧で湿っているために滑る岩を越えて頂上着は9時30分。体全体が動かされるほどに西風が強く、霧も厚いが、タカネツリガネニンジンやミネウスユキソウ、ミヤマリンドウなどを眺めて後、頂上の東側で風をしのぎ軽く休む。まだ誰も登山者はいない。