「医療は人道(仁道)業」

年に二回開催されている雄勝中央病院の運営委員会がきのう開かれ出席。

聞き間違いでなければ、院長先生は「医療すなわち人道(仁道)業」と語られます。ふるくから医は仁術ともいわれてきました。人を思いやる心で、医療というものの本質を最も大事にされながら経営努力にも力を尽くし奮闘されている病院のみなさんには、毎度のことながら頭が下がります。

地域社会に必要な医療体制を万全にすることは本来なら国の責任でなすべきことでしょう。国においては大都市へ、地方では県都へ一極集中が促進される政策がとられるもとで、「経営」が頭をもたげ過ぎると医療の本質からはなれることにつながると思えます。運営委員会は、その点、医療の本質というものを離さずに課題をかかげ議論されていますから貴重です。

国のかたちやしくみはちがうでしょうが、我々人間社会がつくりあげた医療制度で、いま最も先駆的な到達にある国はどこなのでしょうか。我が国のすぐれた制度到達部分を大切にしながら、医師偏在、看護師不足など大課題となっている問題解決のために、この国には「何が足りないのか」、国政の根本が問われていると考えるので、「世界の先進にも学ばねば」といつもこの会議に出る度に思います。

一般質問は二議員

本会議3日目のきのう、一般質問が二議員によっておこなわれました。

この日は、議会傍聴は初めてでないかと思われる方々をふくむ岩井川地区のみなさん5人もお出でになり、傍聴をよびかけていた議会側としてはうれしい一般質問の日となりました。

▼午後のひととき、「気分転換に」と自宅前の河川敷をカンジキ履きで散策。まもなく彼岸入りですが、3月初めに見られた春のおとずれを知るネコヤナギやフクジュソウの開花も、その後の吹雪や低温続きなどで一休み状態、あるいは新雪の下になっています。

それでも、湧水や小川など水辺の雪解けは着実に進み、今年最初のユギノシタキノゴ(エノキタケ)が顔を出していました。春の香りをいただこうと、野鳥たちも啄んだ様子のあるノゼリもきのうは少し手にしました。

エノキタケが出るのは河畔林の柳の枯れ木。立ち木の中にも枯れ始めがあり、枯れの兆候がわかるのは幹の中に虫が棲み着いたとき。それはキツツキたちがあけた穴の跡で確認できます。ここには、アカゲラ、アオゲラ、コゲラの仲間たちがよく飛来します。老いた柳は、その最後に木虫とキツツキを養い、倒れてからも各種キノコと虫を養い土に還ります。

ノウサギ巻き狩り、天然美味食材の宴

村猟友会恒例のノウサギ巻き狩りの12日。夜にふわっと重なった雪の上にはノウサギの新しい足跡がよくのこっています。カンジキを履いてもズホッズホッと足が雪に二度沈みし歩きにくく、やや肌寒し。でも時々晴れ間があり、風はなくまずは申し分のない狩り日。

今冬の最深積雪を3月10日に記録した椿台は200㌢、大柳は218㌢で、豪雪対策本部などが設置されない年にしては、めずらしく3月半ばに積雪が案外多い春です。そういう雪の多さもあり天気の条件もよかったのでしょう、巻きでは6羽(6匹ではなく、村のマタギたちはむかしからノウサギは鳥のような数え方もした)のノウサギ猟果があったようです。

夕刻からの宴では、ここの宿でしか味わえない、野生獣特有の臭いを消す独特の調理術でつくられた骨ごとぶつ切りのまことに美味なウサギ鍋、希少なロース肉と肝臓の刺身、腸の即製塩辛など「豪華」な料理がならび、捕る趣味(むかしは生業でもあった)につきものの「ホラ噺」などをふくめ愉快な懇談が続きました。

当日狩られたノウサギはすべてその場で競りにかけられるのが近年は恒例となっていて、バブルの頃よりは値が低いですが、一羽8千円ほどが競りでは平均相場となっています。競りといえば昔のクマ狩りの宴では、生薬として用いる高価な熊の胆をはじめ、皮、背骨、手足の骨、肋骨、頭、オスの性器、脾臓、脂肪(皮下脂肪、内臓の脂肪)、腸(時には肉の一部も)など、肉以外のほとんど体の部位が競りにかけられ、熊の胆だけで30万円代のときもあれば、30数年前のある日など、一晩で75万円ほどの合計競り値になったという記憶もあります。

狩り人にとっては、猟のスリル・醍醐味への魅力もさることながら、競りもまた楽しなのです。なにより、競りは座がにぎわって愉快になりますからね。写真の笑顔をみればその雰囲気がおわかりいただけるでしょう。

当日、用水路取水口に詰まったゴミ掃除にむかいました。雪原のノウサギの足跡をみれば、多くは二匹が同じようなコースをたどっています。それに、「しょんべん、ぶっちらす」とマダキが表現してきた尿の茶色跡がしきりに残されるようになります。いずれも繁殖期特有の行動と印しです。昔から「春ウサギは、すぐそばに2羽いるがら、油断するな」と教えられたもので、雪国のノウサギ猟は、季節の別や新雪の深さ加減によって、12月、1月、2月、3月と、それぞれノウサギの生態に違いがあり、それをよく知ることが腕前上達の秘訣とされてきたのです。どこにいるかを知る、これは猟・漁に共通の技です。

ノウサギが繁殖期に入った3月半ば、用水路取水口の沢はまだこんなに雪があります。厚さは2㍍ほどでしょう。夏に童と戯れるヤマメやカジカが棲む小さな淵も今はまだひっそり。頭上にはヒラ(底雪崩)がぱっくりと割れ目をつくっています。その淵を取り囲む雪上にも、まもなく太公望の足跡がつけられます。まぶしい春も間近です。

晴れの3月、別れの3月、涙の3月

10日には村議会予算特別委員会が特別会計の審議を終えました。11日には中学校の卒業式と祝賀会、きのうは村猟友会のノウサギ巻き狩りへご案内をいただきました。

今年の中学校卒業生は21名。70回目の卒業式は折しも3月11日の挙行。開会冒頭、東日本大震災の犠牲者へ黙祷が捧げられました。11日が休日でしたので議会は前日に黙祷を行ないました。原発事故被害も重なりいまだ続く被災地の苦難を思い、命の重み、生きていることのありがたさ、普通のくらしの大切さを教えられる日々が続きます。

卒業式は、文字通り1つの業を終えてむかえる晴れの日ですが、業を終えるまでの晴れの日に到る3年間、教えられる側にも教える側にも、共に学び合った生徒同士にも、そして小さな命を授かってから15の春まで我が子を育てた親御さんにも、積み重ねた様々な思い(苦労と喜び)がよぎるのでしょう、胸にせまる場面が続きました。卒業生の歌、在校生も共にならんでの全校合唱、在校生全員の吹奏楽器演奏のなかの入退場にも、東中の個性と誇りが光ります。

私どもの時代には、40名をこえるクラスの大多数がこの中学卒業式の後にすぐ働き手として親元から遠く離れ、あるいは地元にのこっても准働き手として社会に半巣立ちしました。子を離す親も、親と家から離れる子も、そういう意味でもむかしの3月はいろんな理があってつらい月でしたから、今は、親も子もその点では幸せということができるでしょう。

私が知るわが山里の鳥や獣たちの世界は、親にささえてもらうのは長くてもツキノワグマの1年半ほど、ほかの生きものたちは一年もたたずに親元から離され独立しなければなりません。人間社会は、ていねいにていねいに生きるための力を子供に備えさせ、15年で教育の「義務」を区切りますが、今はほとんどが高校まで進み、それより上の教育もごく普通。さらに18年間人生を学べばこれまでの成人と同じで昨年からは選挙権も与えられるようになっています。

18年間の長い学びの末の権利、社会人としての体験と学びは少ないでしょうが、18年間も長く人生を学ぶのですから、巣立った存在として認められるのは当然なのですね。この卒業の日のわが中学校生徒たちの凜とした成長の姿、あと3年たてば、社会を動かす原動力のその一員に彼らはもうなるのです。もう大人の仲間入り間近、立派に成長された卒業生のみなさんの前途にいっぱいの幸せあれ、です。

予算案審議はじまる

議会事務局提供
議会事務局提供

村会計の今年度補正予算案と来年度予算案の審議が特別委員会で行われ、きのうは補正予算案と来年度一般会計予算案の審議が終わりました。

全員協議会、本会議と、二回の議案説明を受け、議案配布から審議までも一定の日数を置いていますから、議員はそれぞれ質疑にむけた用意が十分にあり、全議員の発言で旺盛な議論が続きました。

以前の予算案審議は本会議方式で、答弁に立つのは課長。それが今は定例会議の予算案審議はすべて委員会で行われますから、課長以外の職員も出席で、時に彼らも答弁をおこないます。質疑には、特別なことが無い限り原則回数制限をせず納得ゆくまで聞けるという柔軟性をもたせていますから、議論が深まる環境はしっかりと整っているわけです。

今朝も連続して雪寄せ。でも、この後の天気予報や時々の陽の差しよう、肌に触る風の流れから、トラクターを動かしての除雪はいよいよお終いに近づいたと感ずる月半ばです。

鮎が岩井川で、スーパーヤマメ、うれしい報告

広域市町村圏組合議会の3月定例会を前にしてのきのう、提出予定議案の説明や、当面の課題などについて担当課長さんたちから説明をうけました。

▼成瀬川漁協の総会資料が届き、その事業報告の冒頭、鮎について「岩井川地区では8月に1人一日12匹から20匹くらい釣れていた」という記述がありました。

昨年は降雨量が少なく流量減でアユの釣果が成瀬川流域全体ではよくなかったようです。そういう悪条件の中、「岩井川でよく釣れた」という報告をうれしく読みました。こちらは何十年もの間組合員でありながら釣りはほとんどしませんが、「きっとよく育つから何十年前のように岩井川地区にも鮎放流を」と役員さんたちに促しの言葉を投げかけ、それが実現していたからです。

同じ報告で昨年は「遡上鮎は確認できたが、いつもより少なかった」とあります。遡上鮎とは天然鮎のことでしょうか。そして事業計画では「鮎に関しては、成瀬川の鮎は姿形もよく、味、香りとも絶賛されております。また渓流魚に関しても県内外の遊漁者より、スーパーヤマメ(30㎝以上)」がよく釣れると好評です」とも述べられています。鮎といい、スーパーヤマメといい、もちろんイワナもそうでしょうが、成瀬川の豊かさをこれらの報告からあらためて確認できました。

そういう豊かな川は村の宝です。この清流を保つ努力をひきつづき村をあげてとりくまねばと思い、漁協の資料から「魚や、釣り人たちがとらえたほんの一コマ、現状」をご紹介したところです。

▼今朝は久しぶりに車庫前の除雪にトラクターを動かしました。作業をしていたら、国道を東から西へ向かってくる一匹の猫が。ここらでは数年前から顔なじみの猫の朝帰りです。
そういえば、最近はあんまりあの「おだけ声」を聞きませんが、発情期の春です。

何日かぶりに自分のねぐらに帰るところでしょうか。遠出をするところをみるときっと雄猫でしょうがたくましいものです。この猫、大ケガで足をひきずったり、顔から血を流したりと見かける時は重傷から軽傷まで負傷姿がざらですが、今朝はどこもケガがなく除雪後の国道を車などほとんど恐れずトコトコと歩いています。

こちらは、この猫を「ど根性ネコ」とひっそり名付けています。時に重傷を負いつつ、雪国で、これだけたくましく冬の遠征をできるネコはそうはいないでしょう。こういう姿を見ると「ほほう、たいしたもの、オレも、高齢者などと言ってられないなぁ」と、どこか彼に励まされます。ど根性ネコくん、夕べまで、どこで遊び暮らしてきたかも、だいたい想像がつきます。

3月議会はじまる

議会事務局提供

村議会3月定例会議がきのうからはじまりました。

諸般の報告、村長の施政方針と行政報告、教育長の行政報告、議案の説明、陳情の委員会審議などで第一日目は過ぎました。

条例案や予算案説明でものべられていましたが、これまで7課の執行体制を新たに環境課(上下水やゴミ処理行政)を設置し8課とすること、村職員の新採用を4名予定していることや、29年度(4月)から、まるごと自然館、ふるさと館の管理運営を指定管理から村の直接管理に切り替えることなども、これら報告のなかでのべられました。

きのうの施政方針や行政報告を受け、今日の正午までに一般質問の通告が届きます。どんな内容で、何名から通告があるか注目です。

▼妻が浴室に差していた椿の小枝に花芽が1つあったらしく、2週間ほど前につぼみが開き咲き続けています。緑が極端に少なくなる雪国の冬に、広葉樹でありながら厚い雪の下で常緑の葉っぱをつけて春を待つ椿。よく考えてみれば不思議で貴重な存在。それでなくても緑色は人の心を癒やす色。浴室に椿の緑、陽光が弱いので淡い花色。たかが小枝でも、一日の締めくくりに、こういうおまけのついた観葉ができると心がやわらぎます。

春はサガやヘギから

予想していなかった陽が差したきのう、「今冬は雪が少ないからセキショウが出ているかも」と、小さなヘギ(堰・用水路)にむかいました。

期待どおり、ほんの少しの範囲で、雪消の水辺に常緑のセキショウが見え、そばにはフクジュソウもつかの間の陽光を受け花開いていました。

ここでも、何かの緑餌を求めていたのでしょう、足元からメスヤマドリが勢いよく飛び立ちました。春はサガ(小川)やヘギからやってきます。ヘギと緑でわたしは心を充たし、ヤマドリは腹を満たしていたようです。

今朝はまた冬に戻りましたが、昨年と同じように比較的積雪の少なかった今冬、もう少したったら、日当たり斜面ではチャワンバナコ(イチゲ花の仲間たち)も咲き始めるでしょう。

▼過ぎた金曜日には、県の女性農業委員協議会の高橋会長さん(潟上市農業委員)と、山田副会長さん(美郷町農業委員)が、県農業会議の皆川専務理事兼事務局長とともに来村されました。

お越しになられた目的は、新たな制度のもとで選任される農業委員会について、女性登用を促進することで村長への要請があってです。同じような内容で議会への要請書提出もあり、お受け取りいたしました。

わが村は、現在の委員会において3名の女性委員が在職しており、女性の比率では県内でもトップクラスにあります。そういう現状を前提にして、村長への要請がお二人から熱く伝えられました。

▼今日から17日までの日程で3月定例会議がはじまります。今日は施政方針と行政報告、一般質問は14日に、予算特別委員会は9、10の両日に行われます。傍聴にぜひお出でください。

地元集落の文化祭

暖かな陽射しが注ぎとっても穏やかなお天気の下、40回目となる地元集落のコミュニティ文化祭がきのう開かれ、議会にもご案内をいただきました。

この地区文化祭は、40歳になる私の長男長女(双子)が子供の頃から、当時の親子会が地区ごとに分かれて大きなかまくらや雪像をつくったことなどでの思い出もある集いです。

その子たちと同じ世代の多くが今は親。次代を担うその親たちの童たちが文化祭の最初の舞台を開けました。

文化祭ですから、会場にはほかにも文化にちなむ地区住民の作品が展示されました。

今日からはまた予報に雪マーク連続の村ですが、きのうは成瀬川の背景に真白き三界山が望まれ、県境高地のブナ林は木肌に雪をまとっていました。こんな日に焼石連峰に足をむけたら、きっとすばらしい景色が拝めたでしょう。

春の窓が少しずつ開いて

きのうの外気温は11℃にもなり、日中は、自宅の仕事部屋でも今冬はじめて暖房を点けずにしごとができました。

作業小屋の屋根の一部がまだ厚い雪で覆われていて「これで屋根の雪下ろしは終わりだな」と妻と語り合いながらそれを除けました。

この3日間の暖かさで陽当たり斜面には土肌が少し見えてきて、雪のなかで芽を膨らませていたフクジュソウも一輪の軟らかな花を開いていました。3月はじめに開花を告げるフクジュソウ、陽射しがあれば花を開き、啓蟄をむかえてからはミツバチなどの虫を誘い、時に襲い来る吹雪となればつぼみを堅く閉じてを繰り返しながら、雪消とともに花群落が広がります。

村内では、標高の低い陽当たり斜面の地から始まったフクジュソウの開花。これから4月下旬頃までおよそ一月半ほどをかけて、雪解けの遅い成瀬川上流部や北側斜面の群生地まで、次々と開花リレーを続けます。

バッケ、そしてフクジュソウ、雪国の春を象徴する若草たちが積雪1㍍50㌢をこえる山里でも垣間見えるようになった3月。まだ吹雪の荒れはくるでしょうが、村でも2017年の新しい季節の窓が少しずつ開けられています。