晴れの3月、別れの3月、涙の3月

10日には村議会予算特別委員会が特別会計の審議を終えました。11日には中学校の卒業式と祝賀会、きのうは村猟友会のノウサギ巻き狩りへご案内をいただきました。

今年の中学校卒業生は21名。70回目の卒業式は折しも3月11日の挙行。開会冒頭、東日本大震災の犠牲者へ黙祷が捧げられました。11日が休日でしたので議会は前日に黙祷を行ないました。原発事故被害も重なりいまだ続く被災地の苦難を思い、命の重み、生きていることのありがたさ、普通のくらしの大切さを教えられる日々が続きます。

卒業式は、文字通り1つの業を終えてむかえる晴れの日ですが、業を終えるまでの晴れの日に到る3年間、教えられる側にも教える側にも、共に学び合った生徒同士にも、そして小さな命を授かってから15の春まで我が子を育てた親御さんにも、積み重ねた様々な思い(苦労と喜び)がよぎるのでしょう、胸にせまる場面が続きました。卒業生の歌、在校生も共にならんでの全校合唱、在校生全員の吹奏楽器演奏のなかの入退場にも、東中の個性と誇りが光ります。

私どもの時代には、40名をこえるクラスの大多数がこの中学卒業式の後にすぐ働き手として親元から遠く離れ、あるいは地元にのこっても准働き手として社会に半巣立ちしました。子を離す親も、親と家から離れる子も、そういう意味でもむかしの3月はいろんな理があってつらい月でしたから、今は、親も子もその点では幸せということができるでしょう。

私が知るわが山里の鳥や獣たちの世界は、親にささえてもらうのは長くてもツキノワグマの1年半ほど、ほかの生きものたちは一年もたたずに親元から離され独立しなければなりません。人間社会は、ていねいにていねいに生きるための力を子供に備えさせ、15年で教育の「義務」を区切りますが、今はほとんどが高校まで進み、それより上の教育もごく普通。さらに18年間人生を学べばこれまでの成人と同じで昨年からは選挙権も与えられるようになっています。

18年間の長い学びの末の権利、社会人としての体験と学びは少ないでしょうが、18年間も長く人生を学ぶのですから、巣立った存在として認められるのは当然なのですね。この卒業の日のわが中学校生徒たちの凜とした成長の姿、あと3年たてば、社会を動かす原動力のその一員に彼らはもうなるのです。もう大人の仲間入り間近、立派に成長された卒業生のみなさんの前途にいっぱいの幸せあれ、です。