増田山岳会の写真展へ

過ぎた土曜日の11日、第11回目を数える増田山岳会(佐藤隆一会長)の写真展へ向かいました。会場は増田地域局(旧増田町役場)の1階フリースペース。

同会の写真展を観賞したのははじめてのこと。古道・仙北街道歩きなどでいつもごいっしょする増田町のIさんからご案内のお便りをいただいたのが向かったきっかけでした。

Iさんとは、今年3月に胆沢川流域の県境雪上歩きへ向かった時、偶然出発地点まもなくでいっしょになり、「よかったら同じコースを!」とお誘いして一日を過ごす機会がありました。Iさんはその時に撮られた写真もふくめ、山岳会のみなさんと登られた花の百名山・焼石岳や栗駒山、秣岳などもふくめたくさんの写真を出展しておられました。

ほかの会員のみなさんの写真も、焼石連峰や栗駒連山をはじめIさんと同じように魅力あふれる写真が多く、会場では、いろんなことでご縁のある方々とも出会うことができました。別のことでお世話になっている知り合いの方の中には「えっ、貴方が、山岳会員だったの?」と初めて「山好き」なことを知ることになった女性の方もおられました。その方もやはり素敵な写真をたくさん撮られており、撮影時の山行談を楽しくお聴きしました。

会場受付けで名前を記していたら「オオッ!」の声が。机のそばに座られていた受付係の年輩の方が突然マスクをはずしました。なんと、その方はわが村で長い間教鞭をとられ、校長を最後に村から異動となり今は退職のN先生で、焼石岳の登山ではその筋で広く名を知られた方。先生も、こちらも「マスクをしているから、すぐには、わからなかった!」というわけです。新型コロナ禍、マスクでカオはほとんど隠れ、見えるのは目だけというマスク社会だからこその「相手がどなただかすぐにわからない」こんな場面が暮らしの中では時にあります。先生とは、焼石連峰雪上の山歩きを幾度かいっしょにした仲間です。

同じ山に登られても、また山への愛着はそれぞれ同じであっても、写真に向ける視点はそれぞれ個性に満ちあふれています。何に、あるいはどんな思いを込めてシャッターをきるかで写真はみんなちがうもの。久しぶりに、山や自然の美しい風景に触れることができました。Iさんとは「また、機会があったら、いっしょに」と、山行へのお誘いをして別れました。ご案内ありがとうございました。

こんなうれしい出会いや縁がうまれるのも、山を愛する、山を歩くという共通の思いがあればこそのこと。撮影された方々をご紹介の作品リスト冊子の表紙に踊る六つの字は「山に魅せられて」でした。山に魅せられた人々には、私も感ずることがありますが、相通ずる何かがあるのですね。ちなみに増田山岳会は現在の会員数は27名(女性14名、男性13名)。年会費は1,000円で、会員を募集中の旨も冊子に記されております。そこには(山ガール大歓迎)の字も添えて記されておりました。前述の女性もふくめ今回の写真展には女性の会員4人の、とっても見ごたえある作品が出展されておりました。

5議員の一般質問終わる

村議会12月定例会議は、10日(金)、5人の議員による一般質問を終えました。

質問通告の内容からして、傍聴の方が一定数おられると推測していましたが、予想に反して傍聴の方は中途から1人。これは意外でした。

思ったより早めに会議は進み、質問後には陳情の審議まで終え午前中に本会議は散会しました。午後には予算特別委員会とともに、次期総合発展計画や総合戦略の骨格について全員協議会で説明を受けました。

総合計画は、今後、素案がまとまった段階でもう一度議会として説明を受け、意見をのべる会議を開き、それらの後に計画案が仕上げられる運びです。新たな総合発展計画の議案は3月定例会議で審議される予定となっています。

▼人里の積雪は簡易観測でゼロ㌢となった週末から休日にかけての村でした。散策コースには、4~5日の間隔をおけばエノキタケが顔を出していてくれます。おかげで、摘みたての新鮮な天然キノコで毎朝の味噌汁がごちそうになれます。

冬の季節、雨天の後には日本海で低気圧が発達し冬型の気圧配置が強まるのが村の常。自然の法則通り、今朝からは積雪こそ少ないものの猛烈な吹雪の村となりました。今後しばらくは天気予報に雪だるまがならびましたので、「これで完全に根雪」を覚悟しました。

世間を騒がせたクマ公たちも、このお天気をみて、例外をのぞけばそのほとんどは冬眠穴に入ったでしょう。その冬眠穴も、最高級の穴もあれば、「これでよく雪の冬を越せたもの」という、穴とはいえないようなお粗末な「穴」も中にはあります。それでも半年間、寒さに耐え飲まず食わずで生きられるのですから、彼らの生命力には驚嘆です。

ナラ枯れ被害木へキノコ

村内の里山、そして深山のミズナラへと、ここ10年ほどの間に被害がいっきに拡大したナラ枯れ病。病におかされ無残な姿を見せるナラ林は、村内をふくむ県内の広範な地域に見られます。被害が甚大な山では、それは、さながら廃れた森ともいえる有様です。

「新雪にクマの足跡があるかな?」と訪れた近くの里山。わが集落でも、病で枯れ死したナラの幹の立ち枯れ状態が年々増え続けています。枯れた幹にはキノコのムキタケやナメコの菌がいち早く取り付き、木質の分解をうながしているようです。

2010年代から2020年代は、村や県内でナラ枯れ病が最も勢いを増した時と歴史に記されるかもしれませんが、そのナラ枯れ木に大量のナメコやムキタケが発生した姿も、生物界、キノコの世界のめずらしい記録として刻まれることになりそうです。

こうした現象は県内にとどまらず他県でも見られるようです。一昨年にお会いした仙台キノコ同好会会員みなさんからの情報では、宮城でも「ナラ枯れ木にナメコ大量発生」はあたりまえの現象になっているようです。

キノコそのものをいただけることはありがたいのですが、それがナラ枯れによるものと思うと、喜びは半減。なにしろ病枯れ木に生えるキノコは採れてもわずか数年で終わりでしょう。一方で、ナラの菌根とともに共生し長年楽しませてもらえるホンシメジやシシタケ、シモフリシメジ、それにホウキタケなど、いわゆる高級でおいしい「土キノコ」は、ナラの木の死滅でほとんど発生できなくなると思われるからです。

ナラ枯れ病は、深刻な森林荒廃を起こすとともに、キノコの世界にも大きな影響を与えます。まだ寿命に到達しない生物が、病というあたりまえでない状態で滅んでゆくのですから、目に見えないところでは、もっと広く生態系への負の影響があるものと思われます。

ナラ枯れ病は、伝染性の萎凋病といわれますが、なぜこの病菌は数多ある樹種のなかでナラやカシ類などだけに取り付くのか不思議なものです。ナラ類は病気に着かれやすい生物としての何か大きな欠陥、弱さがあるのでしょうか。

雨と晴天で里の雪が消え、ナラ枯れ木にキノコということもあり、もう終わりだろうとあきらめていたキノコ便りをまた載せることになりました。最後の3枚のキノコ写真は、ナラ枯れ病とは関係なく生えたジェンコシナダゲ(オツネンタケモドキ)とヤマドリモダシ(クリタケ)です。

オツネンタケモドキ(越年茸擬)は、その名のように年をまたいで雪解けの春になっても丈夫で生きているキノコという意味もあるのでしょう。また、集落の方言ジェンコシナダケの「ジェンコ」は「お金」という意味で、傘の形か色のどこかがお金に似ているから昔人はそんな名をつけたのでしょうか?

シナは「しない(撓い、堅い)」という意味です。かみ切れないほどの撓さがあるキノコという意味でもあります。私は、アシグロタケと同じように時には乾燥もして味噌汁や煮物、うどんのつゆなど出汁用によく使います。クリタケも甘みのある出汁があり、さくっさくっと噛み応えのあるおいしいキノコ。やはり味噌汁やおでんで味わいます。

くらしをささえる堰(用水路)

全国どこの地区でもそうでしょうが、集落のくらしをささえるカナメとなるのは先ずは水。その水を引く用水路を人々は永い歴史のなかでまもり続けてきました。

わが村内、集落でも、通称、堰(へぎ)と呼ぶ水路は数多ありますが、それらのなかでも基幹となる水路をわが集落では「オオヘギ(大堰)」と呼びます。

夏の間の農業用水をはじめとするあらゆる生活用水に、冬は、流雪溝やエド(池)などでの除排雪、消融雪用として、この「オオヘギ」はまさにくらしをささえるカナメの水を通す役割を担います。

そのオオヘギ。初冬の共同掃除作業もすでに済み、厳冬の豪雪の季節を前に今は満々の水を受け流れています。根雪となる前は大量の木の葉が水路に流れ、各家々の取水口にこの葉っぱが詰まり水を引くうえでの管理は大変。

そろそろその木の葉も雪で押さえられていい頃ですが、今年は寒気の緩さでいったん積もった雪もまた消えつつあります。地肌が再び現れはじめたので、堰での頻繁な木の葉除去作業はもう少し続くようです。

カラスの存在は人が生きている証

やや堅苦しい言葉の見出しをつけましたが、カラスという鳥の存在は、「人がそこに生きているひとつの証」のようなものということでこんな言葉を使いました。

数多い鳥の仲間たちのなかでも、カラスとスズメ、それにツバメ、ムクドリなどは、人間のくらしとともにあるような生きものたち。たとえば何かの事情で人が住まなくなった集落では、おそらくスズメは棲んでいられず、カラスも定住の群れは人のいないそういう集落にはなかなか居を定めるものは少ないでしょう。ツバメもそれは同じはず。かれらの生きる主なよすがは人のくらしと深く関わっているように思えるからです。海沿いの集落ならカモメもそれらの仲間に入るでしょうか。

彼らの群れは人のくらしと一体になっていると私には見えます。カラスやスズメは農作物などへの被害もあり、益より害を感ずることが時にありますが、自然の掃除役や害虫を食べるなど益の役割も大きい彼ら。それ以上に考えさせられるのは、スズメのいる、カラスのいる自然というのは「人がそこに生きている証」ということで、彼らはいわば我々といっしょの世界をつくる「心の仲間」ともいえます。チュンチュンとさえずるスズメのいない自然、朝にカァーカァーとカラスの鳴き声のない集落というのは、これは寂しいものだと思います。

さて、そのカラス。クルミの実が稔り落ち始めると、咥えてせっせと道路のそばに運び、舞い上がってはアスファルトに実を落として割ったり、道に実を転がし車に轢かせて割ったりと、その利口さを私たちはよく目にします。

さすがに積雪の真冬はそんな「くるみ割りカラス」の姿は少なくなりますが、また雪解けの春には同じような姿が見られます。やはり賢いカケスやリスと同じで、きっと秋のうちどこかにいっぱいのクルミの実を蓄えているのでしょう。その隠し場所をいつか見たいものと思っていますが、まだその希みは実現していません。

▼10日の一般質問にむけ、5人の議員から通告が出されました。内容は議会ブログをご覧ください。10日には予算特別委員会も開かれ、また、村の新たな「総合発展計画」の骨格について説明の全員協議会も開かれます。

雪に輝くエノキタケ

この季節になると、様々な発行物への新年のあいさつ文や、年始行事などでのあいさつの内容を準備する時となります。

過ぎた土曜日は、議案審議の準備とともにそれらのことに少しずつ手をそめながら、お天気具合をみていつものように河川敷を散策。日曜日は地域政治新聞に載せる原稿書きです。

きのう5日朝には、「これで根雪かな」と思わせるほどにまわりはすべて雪の世界となりました。前日に土と雪を交互に踏みながらこうして地面を散策しキノコのカオを見られたのは幸運でした。今後一週間はおだやかな天気が続くようですが、雪の村では、今シーズン、広い場所で自由気ままに野の土を踏めるのは、これがほんとの終わりとなるかもしれません。

対面できるキノコは、この季節に盛りとなるユギノシタキノゴ(エノキタケ)と最晩生のムギダゲ(ムキタケ)です。これでまたしばらくの間、味噌汁やおでんの具としてエノキタケの味覚を楽しむことができます。

河川敷の枯れ木には、エノキタケと間違ってしまいそうに色褪せた猛毒のニガクリタケも混じって見られますから要注意。このように猛毒キノコと似ていることもあって、エノキタケ採りは警戒されて採る方が極端に少ないのでしょう。なにしろニガクリタケは、死に至る毒をもつキノコで、しかもクリタケやエノキタケと隣り合わせて発生し、なおかつ食茸と間違いやすいから怖いのです。

雪の中、黄金色に輝き生長している食べ頃のエノキタケには、樹上から落ちたウメボドゲ(ツルウメモドキ)の赤い実を載せた傘も見えます。きっと、ヤマドリが飛んできて実を啄み落としたのでしょう。雪上にはヤマドリの足跡がいっぱいついていましたから、今年生まれた一家族、兄弟姉妹たち若鳥の群れでしょう。

そばにはヤマブドウの実もまだ蔦に残っていますから、それも彼らの大事な命の糧となります。雪国のこれからは、野に生きるものたちにとって食の確保に難儀する時。栄養満点のヤマブドウの実は、主に夜はテン、早朝と夕刻はヤマドリの糧となります。まわりの糧がさらに枯渇してくると、夜の活動が多いテンが、日中でもブドウの蔦に昇っている時もあります。

12月定例会議始まる

2021年最後の定例会となる令和3年12月定例会議を3日に開会しました。

1月に召集された通年議会は会期を17日までとしていますので、最終日の本会議は自動的に17日となります。10日には一般質問が予定されています。何名の議員による質問となるのか、質問内容通告の締め切りは今日正午までです。

会議初日の3日は、議長や常任委員会などからの諸般の報告、村長、教育長の行政報告、議案の上程、説明が行われ、陳情審査の常任委員会が後に開かれました。

この日は、今日と同じようにおだやかな晴れ空の下での議会となりました。補正予算案は、約1億2,200万円の公債費(繰り上げ償還)を除けば、新型コロナ感染症対策が柱です。世界規模で猛威をふるい国内では感染第5波となったデルタ株に続き、今度は新たな変異株(オミクロン株)が拡がりを見せています。それでなくても密状態でウィルス感染が懸念される冬、行動規制が緩和されたなかでむかえる年末年始、帰省や忘・新年会シーズンなので、予防策にいっそう心がける必要があります。

そういうこともあり、今年も議会は、当局と合同で実施してきた年末懇談会(議会が開催当番)を昨年に続いて中止することをすでに決めています。また、各団体からご案内をいただいている年末懇談会についても、大人数での飲食をともなう集いには出席しないこととし、お断りのご連絡をしているところです。

出席できないのは大変残念ですが、マスク飲食や席の間隔配置、「お酒をついで立ち歩かない」の徹底がたとえ呼びかけられても、いざ飲食をはじめればなかなかその徹底はムリな状況になることを承知しています。なので、大人数の飲食の席は慎重にならざるをえません。もし「濃厚接触」などの事態がそこでうまれれば、各地の事例にみられるように広い範囲の人々、職場、学校、保育、介護施設等に大きな影響が及ぶ可能性があります。

とりわけ、感染症防止のみならず、村民の命と暮らし、行政全体に責任を負う村と議会はこのことにつとめて留意しなければなりません。村では現在も「出張から帰れば抗原検査が必須」を特別職から職員まですべてに徹底を続けている状況でもあります。油断できないからです。新たな変異株「オミクロン株」への警戒も強められています。役場など公共と関係する場から「もし」が起きれば影響が大きいのでこれは当然です。

仙人様の大イチョウも落葉

わが村役場の住所は田子内字仙人下。その役場そばにある仙人様の大イチョウが、きのうまでの吹雪で葉っぱをほぼ落とし終えました。

この大イチョウ。幹の太さが胸高まわりでおよそ4㍍ほどあります。直径はその約3分の1とすれば約1.3㍍もあるまさに大木です。幹がここまで大きくなるほどの長い歴史のなかである時には、何かの事情で伐り倒されそうになり「一度、幹にノコギリを当てられたこともある」という言い伝えも聞く古木です。

この地で人々のくらしを永く見つめつづけた大樹は季節指標の一つともされ、「仙人様のイチョウの葉っぱが、みんな落ちれば、根雪になる!」とむらの人々はおぼえてきました。

その大樹の葉っぱがほぼ落ち終えましたから、村はそろそろ根雪の季節入りでしょう。里山で生きていたクマたちも、いよいよ穴入りを始める季節。穴に向かうクマたちの足跡が雪上に見られ始めるのも今頃からです。なかには、りんごのあった里山から一休みもせずまっしぐらに県境の尾根を越え、奥羽深山の「自分の穴」に向かうクマも昔はいたものです。

大イチョウの落葉終え。クマの活動終え。二十四節気暦では7日が大雪。人々のくらしも何から何まで冬構えを整え済みの師走入りです。

臨時会議開く

特別職や職員の報酬・給与の条例改正や予算補正などで村議会の臨時会議をきのう開きました。

また、3日に開会する12月定例会議について運営委員会を開催、後の全員協議会で堤出議案の説明を受けました。議案などの詳細は議会のブログをご覧ください。

午前は比較的おとなしい天気でしたが、午後には予報通り雨も激しくなり、積もっていた初雪がほとんど解けて川は久しぶりに荒ぶる流れとなりました。

そして今朝。予報の通りだと本格的な雪寄せになると覚悟していましたが、積雪は少なく除雪車の出動もなく、雪かき無しで済みました。ただ、朝以降は降雪がやや激しくなり、道路はかなり危ない雪状態となりました。

うれしい小春日和

雪少しあり、青空ありのおだやかな小春日和が、村にはめずらしく2日もつづきました。

こんな時はじっとしていられません。もちろん散策の足は河川敷などへ向かいます。

河川敷といってもそこは度々ご紹介するように伏流水が所々に湧く柳の林。林にはきのこシーズンの終わりを告げるユギノシタキノゴ(エノキタケ)が次から次へとカオを出しています。

春とちがい今年初冬のエノキタケは、近年ではもっとも発生量が少なかったのですが、それでも枯れ木や倒木にほんの少しずつ見られます。

そばの枯れ木には、若干クセがあるものの食べられるヌメリスギタケモドキも見え、地面にはハイイロシメジ(現在は毒きのこ扱い)も雪をかむりながら生きています。ほかにも雪のなかでかよわい姿を保っている名を知らぬキノコも見られました。

河川敷はクレソン(オランダガラシ)やノゼリ、ツルウメモドキ、ヤマブドウ、ウルシなど木の実の宝庫でもあります。ナルコユリの仲間の草もまだ倒れず実をつけたまま。それら常緑の野草や、木の実、草の実を食べに寄ってきたヤマドリの足跡がこれからの雪上には絶えません。

完熟のヤマブドウをふくんだら、とっても甘~い味覚が口中にひろがりました。こんなにおいしく栄養満点の実ですから、クマもテンもヤマドリもヤマブドウが大好き。でも、そのクマは、そろそろ冬眠の穴入りに向けての動きをはじめる頃です。

畑に取りのこした白菜のまわりに初雪が積もっています。「雪にあてた野菜は甘くなって美味い」というのが昔からの評。新雪に映えるこの白菜の姿をみれば、ただ眺めるだけでもほんとに美味しそうに見えます。