カラスの存在は人が生きている証

やや堅苦しい言葉の見出しをつけましたが、カラスという鳥の存在は、「人がそこに生きているひとつの証」のようなものということでこんな言葉を使いました。

数多い鳥の仲間たちのなかでも、カラスとスズメ、それにツバメ、ムクドリなどは、人間のくらしとともにあるような生きものたち。たとえば何かの事情で人が住まなくなった集落では、おそらくスズメは棲んでいられず、カラスも定住の群れは人のいないそういう集落にはなかなか居を定めるものは少ないでしょう。ツバメもそれは同じはず。かれらの生きる主なよすがは人のくらしと深く関わっているように思えるからです。海沿いの集落ならカモメもそれらの仲間に入るでしょうか。

彼らの群れは人のくらしと一体になっていると私には見えます。カラスやスズメは農作物などへの被害もあり、益より害を感ずることが時にありますが、自然の掃除役や害虫を食べるなど益の役割も大きい彼ら。それ以上に考えさせられるのは、スズメのいる、カラスのいる自然というのは「人がそこに生きている証」ということで、彼らはいわば我々といっしょの世界をつくる「心の仲間」ともいえます。チュンチュンとさえずるスズメのいない自然、朝にカァーカァーとカラスの鳴き声のない集落というのは、これは寂しいものだと思います。

さて、そのカラス。クルミの実が稔り落ち始めると、咥えてせっせと道路のそばに運び、舞い上がってはアスファルトに実を落として割ったり、道に実を転がし車に轢かせて割ったりと、その利口さを私たちはよく目にします。

さすがに積雪の真冬はそんな「くるみ割りカラス」の姿は少なくなりますが、また雪解けの春には同じような姿が見られます。やはり賢いカケスやリスと同じで、きっと秋のうちどこかにいっぱいのクルミの実を蓄えているのでしょう。その隠し場所をいつか見たいものと思っていますが、まだその希みは実現していません。

▼10日の一般質問にむけ、5人の議員から通告が出されました。内容は議会ブログをご覧ください。10日には予算特別委員会も開かれ、また、村の新たな「総合発展計画」の骨格について説明の全員協議会も開かれます。