澄み切った晴れ空の下、畦塗り

きのうは我が家も手作業の畦塗りです。畦塗りも機械化が当たり前の時代。ですから、きのうお伝えした先輩のSさんや我が家など、こういう手塗りのしごとはわが集落ではほんの数軒だけとなっています。

晴天でも風が強かったせいでしょうか、空がとっても澄んでいて、いかにも青空といいたくなるような「真っ青」な空、その空に浮かぶ雲もひときわ白さがひきたちます。

晴天でも風があり、この季節特有のサクラガ(桜蚊・大きな蚊)も寄って来ずで作業はまことに快適。塗りおえた後の畦と田んぼを見れば、毎年決まったように「手仕事をした後は、気分いいな」の言葉がごく自然に出ます。

今日からは、畦の草を刈り、本代掻き(最後の代掻き)、そして田植えと、月末まで農繁が続きます。冬の間の運動不足でやや溜め込んだ腹回りの脂肪も、春作業の連続でほとんど燃え尽き、今度は腰痛やあちこちの筋肉痛がとれない日々となります。春をむかえ、鍬を持つ度に、年齢を否応なく意識させられてしまいます。なにしろ、コロナ禍でなければ、この6月末に松島で古希祝い(急きょ中止)の同級会をやる齢となっていますので。

荒代掻き

きのうは荒代掻き(一回目の代掻き)に一日を費やしました。本代掻き(二回目の代掻き)を能率良く進めるためと、手作業の畦塗りをするためもあっての作業です。

これが終われば次は畦塗りが待っています。

いつの年もこちらより早く畦塗りを始めるのは、同じ集落の先輩Sさんです。きのう朝の5時前、田んぼの水見回りにでかけたら、Sさんご夫婦はすでに田んぼに繰り出し一区画の畦塗りを終えようとしていました。夜明けが早くなっているこの季節、朝早くからの仕事ができるので、農家のみなさんは秋の倍近い時間の野良仕事ができて大助かりです。

田んぼに初水入れ

畦塗りを前にして、きのうは田んぼに初の水入れです。

毎年のことながら、水路の口を開けて田んぼに初めて水が流れ込む様子を見ると、「さあ、今年も、始まるぞ」の思いがふつふつと湧いてきます。同じ作物でも、「水」を相手にするお米づくりの、これは一種独特の心情といえます。

水路の脇にはモミジイチゴやキバナイカリソウがひっそりと咲き、日向にはスミレの小群落がいずこにも。モミジイチゴは例年より花のつきがよいようですから、初夏には大粒でおいしい実がたくさん見られるかも。

夏のようなお天気の下、転作で栽培している我が家のワラビがどんどん顔を出し始めています。村の農家の5月半ばから下旬は、代掻き田植えといよいよ春の農繁真っ盛りのシーズン入りです。

深山も山菜真っ盛り

春祭りの食卓につきものの山菜をもとめて山に入った人々は「雪が少なかったのに、山菜の時期はそれほど早くなかった」と言います。

私が通う里山近くの谷でも、「山の進み(緑化)はそんなに早くない」という印象を持ちました。

深山渓谷でもそれは同じで、9日に通った深い谷では今がウドやシドケの真っ盛り。昔のハギミ(山菜キノコ採りを生業とした人々)の方々が、国有林にあるゼンマイをめざして何十年も通い続けたガンクラ(崖)のゼンマイも、これから真っ盛りとなります。

以前の今の季節なら、この谷には集落の幾人かのゼンマイ採りプロの方々が山入りしていたもの。谷が幾筋もあり大きいので、おそらく競合しないように「Aさんはこっちの沢、Bさんはこっちの沢、Cさんはこっちの沢」と、それぞれ採り場をすみ分けしていたのでしょう。

それぞれの谷につけられた春先の山道を一番最初によく手入れしたのはゼンマイ採りプロのみなさんでした。なにしろ、中には一歩まちがえば百㍍前後もの断崖を滑落してしまう急斜面を横切る山道もあり、彼らはそこを重い荷を背負って横切ったのです。時にその道を歩いた私も、そういう断崖の箇所では息を一瞬止めて、慎重過ぎるほど慎重に歩を進めたものです。つかめるモノは何も無し、滑落すれば一巻の終わり、ほんとにそれは危険な道でした。

山菜やキノコで春から秋の生計をたてた彼ら山の先輩たちのほとんどが鬼籍に入られ、雪解け水の激しい濁流をこえてこの谷に入るプロのゼンマイ採りはもう誰もいなくなりました。以前のように森林管理署職員のみなさんも山深く入る姿はほとんど見ることがなく、ハギミのみなさんの山入もなくなったので、渓谷の道はほとんど廃道となり、とくに崖の道は完全に通れなくなっています。私の春と秋の渓谷歩きは、今は廃れてしまったそこの山道を通い続けた往時の人々をしのぶ山入りともなります。

雪が少なかったといっても、そこは国内有数の豪雪の深山。最大級の雪崩が起きる谷にはヒラ(底雪崩)の雪がまだ厚い塊で長く広く残っています。

雪崩の斜面はいずこも山菜の宝庫。そこは人だけでなくツキノワグマの大好物のサグ(エゾニュウ、シシウドの仲間)が多く、今々クマさんが食事をした足跡もありました。この日はめずらしくイワダラ(ヤマブキショウマ)を食べた痕跡もみられました。

山菜のオンパレード、静かな春祭り

今日は、連休前後から撮りためていた山菜やキノコたちを勢揃いさせました。

ホンナ、アエコ(ミヤマイラクサ)、ウド、シロデホンナ(ソバナ)、アザミ、コゴミ、シドゲ(モミジグサ)、笹子(ネマガリタケの細めの竹の子)、そしてワゲ(ヒラタケ)をまず並べました。

よく通う渓谷には大きなヒラ(底雪崩)で落ちた雪が被さり、それがほぼ5月中は川への雪の橋となって残っているのが普通です。でも、予想したように雪の極端に少なかった今年は、その雪の橋が4月末にはもうなくなっていました。気温が真夏日のようになった翌日で夜から朝にかけても気温が高かったので、雪解け水で勢いのある川を越えるのにひと苦労しました。

4日の沢のそばにはニリンソウが群生で見られ、エンゴサクの仲間も花盛りでした。

田んぼ脇の土手では、童に手ほどきしながらゼンマイやウド採りです。野に出れば、そこに棲む虫や生きものたちとの出会いがたくさんあり、童はそれで自然に遊んでもらえます。

木々の萌えがすすみ、山暮らしの人々の心おどる「春紅葉」の季節です。ブナの芽吹き前線はいっきに尾根と斜面を駆け上がり、標高千㍍ライン前後まで届いたでしょう。5月に入ってからはお天気に恵まれ田んぼも乾き、山里では耕起作業がいよいよ終盤です。

▼きのうとおとといは、わが集落の山神社と分社の春祭りの日でした。いつもなら4つの親子会それぞれによる恵比寿俵や神輿、青年会や社交クラブの若者たちによる恵比寿俵と、それらが集落をびっしり半日練り歩き奉納されるのですが、新型コロナ禍で今年はいずれも取りやめです。一年でもっともにぎやかとなる神社までの沿道と家々は、人の動きとしてはかってないほど静かな祭り日となりました。

祭りの日は、訪れていた童らとともにちょっとの時間自宅前の沢へ。曇天と小雨の合間を縫っての魚とりです。岸辺の草の根などを足で踏みつけ追い出すと、魚はおどろいて下流側にあてがった網へ逃げます。網を上げると「あっイワナだ、あっヤマメだ、あっウグイだ」童らは大はしゃぎ。

この日の網には入りませんでしたが、沢にはほかにもカジカやドジョウ、スナメロ(スナヤツメ)、ニガペ(アブラハヤ)などがいっぱい棲んでいます。本流の成瀬川だけでなく、山里ではこうした小さな小川でも心を踊らせ童たちは遊べるのです。獲られた魚は少しの間水槽で観察され、すぐに沢へ放たれます。

堰普請、高原の雪上歩き

5日は田んぼ水利組合の堰普請(用水路の掃除作業)。いつもの年よりはるかに雪の少ない冬だったので、倒木や落石も比較的少なく、朝5時からの作業は順調に短時間で終えることができました。水路沿いのユキツバキが花真っ盛りです。

ここの圃場の用水路は、沼又沢の中流部から取水しています。集水箇所より上流には住宅がなく、沢はイワナの宝庫。用水路には沢からイワナが時々入りこんでいて、稀に田んぼでイワナが獲られることも。それもあり、「イワナが棲む清流で育つお米」を私たちは「誇り」の一つにしています。実際、我が家のお米も食味値80前後をしめすなど、おいしさ度の各数値で毎年安定しています。おそらく、水、土、気候が、秋田県南の食味値特A級のなかでもさらにおいしい村の「あきたこまち」を育くむ条件となっているのでしょう。村内には、ほかの山村と同じようにそういう条件を満たす圃場が各集落にあります。

まもなく代掻きのシーズンがはじまります。作業後には取水門のゲートがグンと上げられ
、雪解け水が勢いよく沢から水路に取り込まれました。

▼連休には須川高原の池塘に「そろそろミズバショウが咲く頃」と向かいました。残雪上のブナ林や高原を歩くのも目的にしてです。

さすがに標高1000㍍ラインまで上がれば、消え残っている雪もほぼいつもの年のように締まっていて、堅雪が緩んだ午後になっても歩きやすく、どんどん遠くまで足をのばすことができます。ようやく堅い雪の層まで雪解けが進んだ様子ですので、これなら、いつもの年の春山のように雪上歩きも遠くまで向かうことができそうです。

この土地の特徴ある池塘もだいぶ姿を現し、高原の植物では真っ先に顔を出すミズバショウとコバイケイソウがいくらか群生で見られました。

ここではショウジョウバカマがやっと咲き始めたばかり。イワナシはさすがにまだ小さな蕾のままでした。マンサクが雪におさえられながらも花盛りです。5日でブナの萌えがまだ1000㍍ラインの高原までは上がっていません。あとわずかで、高原は雪上にブナの新緑が映え、ムラサキヤシオやタムシバなども彩りを添えるようになるでしょう。

雪上散策は登山道とはちがってどこでも自由に歩けます。雪が締まっていて歩きやすく、道路からちょっと離れて見晴らしのよさそうな小高い丘に上がりました。視界は360度。そこでは、雪の上歩きでなければ望めない景色が眼前にひろがります。すぐそばにデーンと栗駒山、秣岳、北に焼石連峰、そして北東には胆沢平野の市街地のはるか向こうに早池峰山らしい姿が雪を抱いて遠望できました。

いつもなら登山者や温泉客、ドライブのみなさんでにぎわうゴールデンウィーク中のわが栗駒山荘は、新型コロナウィルス対応の営業自粛要請にこたえ、シーズン初めの最大の稼ぎ時なのに休業中でひっそり。ホテルブランと同じように休業は今月31日まで延長です。岩手側の須川高原温泉も同じようにまだ営業していませんが、好天に誘われた地元の方々なのでしょう、自然に流れる小川のような温泉で自由に足湯を楽しむ姿がみられました。

きのうもお知らせしたように里でも山でも桜が満開。各集落には、ご当地ご自慢の桜があるものですが、椿川谷地集落のヤマザクラ(オオヤマザクラ・ベニヤマザクラ)もそういう見事な桜のうちのひとつでしょう。

谷地と天江集落は、周囲里山のブナの萌えとヤマザクラ、成瀬川とそこに注ぐ大深沢の清流、その大深沢の水を湧き出す東山が東部背後にすっくとそびえていて、「これぞ山里の絶景」がよくのぞめるところです。

成瀬ダム工事現場もこの日は静まりかえってひっそり。北ノ俣沢は、ブナ樹林帯の萌えが上流に向かってどんどん進み、点在するベニヤマザクラが新緑の景色をひきたてます。

▼ところで、新型コロナ対応では、村の対策本部が連休中もふくめ6日までに数回の会議を開いています。村議会はこれに対応して、すでにお知らせしているように4月22日に全員協議会をひらき対策本部の説明をうけ、あわせてコロナ禍も見据えた今年度の議会の行動計画を話し合っています。

全国や県の議長会の研修行事、あるいは個別の議会同士の研修・交流会等すでに中止が決定、あるいは中止の固まったものが多く、村の議会常任委員会等の管外研修についても「コロナ禍の状況をみて判断」ということで当面は見合わせることが常任委員長各位の間で話されており、すでに先月の全員協議会時にもそのことが確認されています。

その他の活動も含め常任委員会等の調査活動は今後も病禍状況にふさわしいとりくみがなされるものであり、それとコロナ禍対策の予算はまた別個に総合的に検討されなければならないと我々は考えています。病禍対策で村としての必要な支出の財源は、基金はもとより、歳入としての国、県の交付・支出金も含め、歳出では議会費だけでなくすべての歳出をみて、つまり村予算の全体をみて補正判断しなければならないととらえているからです。

そうしたことも含め、村の対策本部の情報を議員各位に節々で伝えることを重視し、全員協議会開催に続き、副議長、議会運営委員長、事務局長との打ち合わせ会議を我々は適宜行ってきました。きのうも23日の打ち合わせ会議に次いで、6日に行われた村対策本部の会議に基づき4者で打ち合わせを行いました。その際には、村の対策に反映したほうがよいだろう気づいた点なども出されました。その打ち合わせを終えた後、村対策本部の新たな情報を議員各位へ発することにしたところです。

こういう非常時にあたり、とくに強く感じていることがあります。それは、通常のくらしのなかで、住民の暮らしをまもる地方自治としての政策がどれだけ先駆的に行われているか、その大切さがこういうときによくわかるということです。

村は、学校給食費の無料(約850万円)、修学旅行費の半額補助(中学校は沖縄、小学校は松島方面)、高校生通学費の8割補助(約650万円)、出生時、小中入学時、15歳時に支給する手厚い子育て支援金(約135万円)、手厚い保育料補助、村単独の小中学生医療費全額助成などなど、まず子育て・教育のあらゆる側面でくらしへの支援策をひろくとっています。高齢者への支援策しかり、中小事業者のみなさんへの起業支援策や雇用への支援策もしかり、農家支援策もしかりです。これら日常とってきた厚いくらし支援策が、こういう非常時にはとくに政策効果が発揮されていると思います。()内数字は平成29年決算。

非常時にこそ、通常やっておくべき政治の大切さがわかるというのは、今よくみえてきた国の医療対策の脆弱さだけでなく、地方自治にもいえることだと思われます。非常時にこそ、断面だけでなく、全体をよくみて考えなければということです。今日は、少し熱くなりずいぶん長くなってしまいました。

村内小中学校の臨時休業が解けました。生活のリズムを整えるのに戸惑ったでしょう子どもたちも、ようやくいつものような一日を取り戻せたでしょう。学校での子どもたちの喜びの姿、通常の職場に立つことができた先生たちのうれしい顔が目に浮かぶようです。

桜満開のなか田起し

2日は田んぼの耕起作業にとりかかりました。いずこも粘土質で土深い我が家の圃場は、予想したように土が乾きません。一部ではドジョウやタニシが圃場の溝に常にいるほど湿潤の土地なので、トラクターの車輪がいつもの年よりかなり深く土に沈みます。こういう時は、土を「掘る」というより「練る」といったほうがよい場所もあります。

▼こちらが狩りをしていた当時、ゴールデンウィークの頃は春のクマ狩り真っ最中。村内にある古くからのマタギ集落では「この週間はのがされない」と、県境の数あるクラ(崖)のいずれかにいくつかの狩り集団が向かったものでした。

そのうちの一つが天正の滝の合居川渓谷。この谷の冬から春にかけては、渓谷入り口から大中小規模の雪崩が発生、落石も春はとりわけ多く、昔から「冬の谷入りはワス(表層雪崩)で厳禁、春先はヒラ(底雪崩)に気をつけろ」とマタギの先輩たちからよく教えられたものです。

この時期は雪崩の雪と落石が道をふさぎ、危険なので車はもちろんまだ通行止め。長年の狩りや山仕事、山菜キノコ採りで山と谷の様子を知るこちらは、ここらあたりの谷の「どの時期にどこが危ないか」がほぼわかり、そういう学びの体験をもとにこの連休に渓谷へ入りました。

雪が少なかったとはいえ雪崩落ちた雪が車道をふさぐ谷は、いま天正の滝周囲よりかなり上流部までブナが萌えています。この萌え始めの葉っぱは冬眠明けのクマの大好物で、我々狩人は「クマはブナのホゲザゲ(萌芽境目)」にいると言ったものです。3日のように晴天でかつ夏のような日ならば、大森山のてっぺんや渓谷内の見通しのきく尾根で合居川渓谷を一日眺めていれば、ブナの木に上っていたり、地面を歩き回るクマたちの姿があちこちで見られたでしょう。

所々のブナを眺めたら、花芽がほどよく着いている木もありますから、このまま結実できれば今年はブナの実が平年作ほどにはなるのでしょうか。尾根とは違い雪解けの遅い斜面樹下には遅咲きのチヂザグラ(土桜・イワウチワ)がいま花真っ盛りです。期待していたトガクシショウマとシラネアオイは、なんぼなんでもここではまだ早しです。

石英斑岩の柱状節理が垂直に切り立つ「イズクラ」の崖と山桜、ブナの若葉、それにヒメマツ(キタゴヨウ)の緑が彩る春の渓谷も、秋とはまたちがった断崖の美を見せてくれます。

▼谷の山桜とともに自宅前公園のソメイヨシノやヤマザクラも満開、鉢植えのトガクシショウマやサンカヨウも咲き、我が家のシダレザクラもやっと見頃となりました。

家の中や家周りで野鳥観察

いつもの年のゴールデンウィークなら人の大移動はあたりまえ。なのに新型コロナウィルス禍の今年は休日時の下り東北新幹線が乗車率0㌫~数㌫、1車両に一人だけの乗客という光景が報道されました。高速道路も同じようにこの時期にはありえないような車の少なさです。

お盆と同じように帰省のみなさんや県外ナンバーが多くなるこの週間も、今年はひっそり。我が集落でも、いつもこの季節に帰省される方々が今年はほとんど見られません。村の直売所もオープンは先送りされています。

さて、人の大移動にはこのように自粛制限がかかっていますが、自然界を移動する生きものたちは普段の年と同じ。この季節になると南の国から渡ってくる鳥たちはいっきに増え彼らの世界はにぎやかになっています。

我が家のまわりでは、シジュカラやカケス、ヒヨドリなどに加えて、ウグイスが毎日のように美声でさえずり、渡り鳥のオオルリなども群れで見られるようになりました。おかげで朝は、小鳥たちの鳴き声を聞きながらの目覚めです。

その年によってなかなかお目にかかることができないこともある私の大好きなオオルリ。今年は29日に薪切り作業をしている時に一羽が目に入り、その日の夕方自宅の中からも群れが目に入りました。

夕刻なのに動きは活発で、枝に留まっては、あの美しく長~い鳴き声、ちょっと言葉では表現のむずかしい声を響かせ、時折空中を飛ぶ虫でもとらえるような仕草を見せたり、歩く虫を見つけてなのか地面に舞い下りてすばやくまた枝に戻る仕草も見せました。

今回はヒヨドリを多く載せました。生息数も多く体色からしてふだんはそんなに気にかけぬ鳥でしたが、我が家そばの梅の木に毎日何回も訪れ、桜と同じように満開近くなった梅花の蜜を食べています。その仕草をじっくり眺めたら、地味な灰色の鳥と思っていたのにそれはこちらの思い込みで、どこか歌舞伎役者を思わせるような重厚な美しさがあることに気づいたのです。メジロも梅の花に似合う小鳥のようですが、このヒヨドリもそれと同じほどに梅の花に引き立ててもらい、梅の花もヒヨドリとならべるとその美しさがいっそう引き立つように見えます。

私は名を知らない小鳥たちがたくさんいますが、最後の写真の小鳥もそのうちのひとつです。大きさはヒヨドリとほぼ同じですが、胴体が丸く多彩で、嘴もおもしろい形と色をしています。これはシメという鳥にも似ているようですがよくわかりません。それらもふくめ、この間部屋のなかからや、家周りだけで目にした小鳥たちです。