予算特別委員会終わる

昨日で予算特別委員会の審査が終わりました。4年前に設置された委員会は、突発的なことがなければ19日本会議での委員長報告で任期中のつとめを果たし終えることになります。

議会事務局提供

特別委員会(議長をのぞく全議員構成)の採決では、予算案をすべて全会一致で可決とした内容の報告がありました。

▼きのうまでは3日連続の雨天。川は一時の黒い濁流から、この時期特有の笹濁り色へと流れの趣を変えています。(写真は成瀬川支流、合居川の流末)

笹濁りの流れの底では、そろそろカジカたちが卵でおなかを膨らましはじめている頃でしょうか。今シーズンの渓流釣り解禁も間近にせまっています。イワナ、ヤマメをねらう太公望のみなさんは、期待ワクワクの3月となっているのかな。

予算案審査

来年度の村会計予算案などを審査する予算特別委員会が昨日と今日の日程で開かれています。

議会事務局提供

きのうは、今年度の各会計補正予算案と一般会計の来年度予算案審査が行われました。

住民要望と執行当局側の政策目標、事業の緩急、軽重、財源確保、将来を見通した財政運営の堅実性等々、予算審査にあたって大事な視点がいくつかあり、議員は様々な角度から予算案を見つめた議論を準備します。きのうの審査を終え、提案側、議員双方、それぞれどんな感想をもたれたでしょうか。

▼二日続けての終日の雨天で、村内の里山ではヒラ(底雪崩)が多発。

ワス(表層雪崩)とちがい同じ雪崩でもヒラは、地面と接した雪をすべて落とすために斜面の土肌を削り取ります。毎年、雪といっしょに土が落ちるので、ヒラが落ち止まる斜面にはその土が少しずつながら溜まりを繰り返し重なります。

長年かけて溜まったその土はやがて良質の腐葉土となり、そこには最高級のアエコ(アイコ・ミヤマイラクサ)やウド、サグ(ニオサク、エゾニュウ・シシウドの仲間)がよく育ちます。ヒラは、斜面からいち早く雪を落としてくれるので獣たちにとってありがたいのですが、われわれ山人にとっても、高品質の山菜をいただけるありがたい自然のうごきです。

一方のワスも、強烈な威力で立木をなぎ倒して滑り落ちることが多く、冬に倒された木々にはやがて天然のキノコが大発生してくれますから、これも山人にはうれしい恩恵をもたらしてくれます。残雪の春山を歩き、ヒラとワス、二つの雪崩に運ばれた土や木々を目にし、山人は、その後の山菜やキノコ採りの「採り場」を見定めるのです。

かた雪わたり

晴天が続いていての過ぎた9日は、この春一番の「かた雪」状態。

林の中や斜面など一部はまだ雪に足が沈みますが、平らな雪原はカンジキなしで自由に歩き回れるほどに雪が堅くなり始めました。

ちょうど日曜ということもあって、遊びに来ていた童らと犬もいっしょに歩き慣れた川辺の散策を久しぶりに楽しみました。

雪が堅く締まった雪原を歩き走る「かた雪わたり」は、こちらが子どもの頃には春休み一番の楽しみ。昔のガキどもは、歩きながらネコヤナギを手折ったり、ノゼリやバッケを摘んだり、ヒロッコを掘ったり、たたかい(チャンバラごっこ)用の木刀に使う柴木をナタやノコで切り取ったり、小沢でイワナを釣ったり、ヘギ(小さな水路)の泥を上げてドジョウを捕ったり、堆肥運びに使われたカナジョリ(鉄が滑り面に打ち付けてあるソリ)を親たちに隠れて持ち出し滑り乗ったりと、どこまでも自由に動き回れる雪原は当時の子どもたちの小さな楽天地でもありました。そんな旧き時から60年ほど経った今の童も、雪原にむかえばやはり水辺のネコヤナギをめざし、こちらと歩いて採り慣れた湧水のノゼリやクレソンの群生地に立ち寄ります。

柳の根元では人なつっこいミソサザイがさえずり、本流の淵には、これから遠いシベリアに渡るアオグビ(マガモ)や地ガモのドロガモ(カルガモ)、オシドリたちが群れで戯れる姿も目にしました。

本番らしい「かた雪渡り」ができたのはその日曜だけ。きのうは終日の雨となり、成瀬川も各地の支流と小沢も冬の流れをようやく解き、この春はじめての雪代(ゆきしろ・雪解け水)本番です。川は、雨量の少ない割には濁りの濃い流れを見せていました。いよいよ、一雨ごとに、ドッカドッカと雪が解ける季節入りです。

▼きのうは、18日に予定されている広域市町村圏組合議会に提出される議案などの説明を受けました。来年度の組合最大の事業は、旧雄勝総合病院跡地に工事中の消防庁舎建設完成にむけての仕事です。

中学生33人の門出

開会中の村議会は、8日に一般質問がおこなわれました。

陳情案件も審議され、消費税10㌫引き上げの中止をもとめる内容や、全国一律の最低賃金制度確立と中小企業支援の拡充を求める内容の陳情などを採択。政府に対する意見書案が最終日に議決されます。

この日の本会議では、開会冒頭に東日本大震災で亡くなられた方々を追悼し黙祷を捧げました。8年前の3月11日は3月定例議会の最終日でした。久方ぶりに副村長就任も決まり、ちょうど議会も改選の時と重なり、新しい節目をむかえて「さあ、これから」という時におきた魔の大震災でした。震災翌日は中学校の卒業式。それだけに、あの当時のことをあざやかに思い起こしながら、犠牲となられた方々へのご冥福をお祈りいたしました。

▼9日土曜日はその中学校の卒業式と祝賀会。立派に成長された33人の第72期卒業生と、その子どもたちを見守りささえ育ててくれた保護者、ご家族、先生方に感謝とお祝いをこめながら乾杯の発声をさせていただきました。

式典はいつものようにどの場面も感動あふれる内容につつまれました。生徒たちの涙、母親をはじめとする保護者のみなさんの、「これだけ、たくましく大きくなってくれて」という子育ての苦労をふりかえっての子の成長に寄せるうれしさの涙……。それらを目にして、こちらも目頭と胸に熱いものを感じました。

今年の卒業式では、もうひとつ特別な感慨もありました。実は、女性として前生徒会長をつとめ答辞に立たれた千田明さんは、昨年までわが議会で活動され病で逝去された故佐々木健夫議員のお孫さんでもあります。

いつも通りなら、来賓の議員席から、答辞を読むお孫さんの姿、卒業の歌の伴奏でピアノを弾かれた彼女を本来なら見つめていたであろう故人を思わず偲ばせられた卒業式でもありました。「健夫さんに、この日の卒業式を見せたかった。」きっと同じ思いの方が少なくなかったでしょう。式典会場には奥さんの姿が見られたようで、「それはよかった」と思いました。

人の社会、巣立つ、放す、離れるというのはよろこびでもありますが、それにはひとときの間ながらつらさも同居します。みんなそうやって一人前になってゆくのですからね。先日も記しましたが、我々が中卒の頃は、クラスの大半がこの3月から社会人となり、その半数以上は親元から遠く離れて首都圏などへむかいました。そういう面では、この先3年は家族と過ごすことができて、しかも学びに専念できる今の子どもたちは、ほんとうに幸せものということができるでしょう。

▼今日は、33人の卒業生のみなさんの門出をお祝いして、咲き始めた福寿草を贈ります。

50数年前の別れの3月を思う

3月に入ってから雪降りのない日々となり、雪寄せなしの朝が続いていて助かります。

明日は中学校の卒業式。今は中卒でふるさとを離れる方々はほとんどいないでしょうが、昔は、クラスの半数以上が中学卒業とともに首都圏などに就職しました。この3月は、長い間過ごした学校や友達との別れとともに、家とふるさとからの別れの時でもあり、なんとも悲しく、さびしい春でもありました。先だって、高卒されたばかりで県外へ就職されるみなさん、そのご家族の方々はそういう時を今過ごされているのでしょうか。

ふるさとに残った私などは、卒業と同時にソリによる薪引き作業などにつきましたが、たまたまその作業を道ばたでしている時に(おそらく、ソリに積んできた薪を下ろしていた時だったのでしょう)、椿川校舎の同期の方々が列をつくって、雪の一本道を歩いてゆく姿を見たのが記憶のひだに濃く刻まれています。

それはきっと、椿川で就職する方が上京する日で、同級生のみなさんがバスの出る岩井川バス停までか、あるいはバスにいっしょに乗り十文字駅まで行かれたのか、いずれ送りのために歩いていた列だったのだろうと思われます。

あれから50数年を経た春。道も集落も激変していますが、肥え穴こそないものの厚い雪に覆われたたんぼ、杉林の範囲がずいぶん増えたものの雪崩がひん発する集落近くの山々、真白き奥羽の峰(写真は東山と柏峠など仙北街道の尾根)は、みんな当時とほとんど同じです。そして、別れのかなしさ、つらさも。

雪のことで国へ緊急要望

5日~6日と、村長、建設課長とともに都内で村独自の要望活動を行ってきました。

今回の要望内容は、雪対策への支援を求めるもの。今冬は過去4年の決算額平均より1.3倍もの除雪費(1億1,401万円)が見込まれ、開会中の3月議会には約2千万円の除雪費関連追加補正予算案が提出されています。

こうした現状を理解していただき、特別の財政支援をお願いすることで、総理官邸では菅官房長官へ、そして議員会館、国交省、総務省、財務省へと要望ご説明に向かい、それぞれお忙しいなか時間を割いていただきました。

今冬の雪は、村など一部の地域への局地的な豪雪となりました。またその雪が湿り気の多い重い雪で、同じ積雪深でも雪が重いために除排雪にいつもより時間と経費がかかっていること、雪解けの速度も遅く今後の農道や農地などの除排雪経費も多額が見込まれること、現在も積雪2㍍ほどの集落があることなどが特徴です。それらを、要望の先々で村長とともにうったえました。

豪雪のむらからひとつ奥羽山脈を越えただけで雪のない世界に入り、帰りは映画のフィルムを巻き戻ししたようにまた豪雪のむらへ。岩手山もまだ雪化粧していますが、その白さはお隣の八幡平や和賀山塊のような雪深い白さではありません。同じ東北の高山でも、岩手山は鳥海山の真白き姿とは比較にならないように見える雪状態です。山ひとつをみても、秋田県南、とりわけ宮城、岩手県境の奥羽山塊や鳥海山麓の雪がいかに多いかが、これからの時期には山の白さ度合いをみればよくわかります。

夕方に帰って自宅わきの雪の山を見て、「これは、別の国ではなく、別の星に住んでいるようだな」と、雪の有る無しの違いの大きさを感じた次第です。

今回の行動でも、みのり川代議士事務所のみなさんにご案内をお願いし大変お世話になりました。また、秋田県東京事務所のみなさんにもご足労ご助言いただき、スムーズな行動ができて大変助けられました。この場からも心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

▼動いている最中、県議の大関衛氏が命にかかわる尋常ならざる事態にある報に接しました。信じられぬままで帰路につく途中、急逝の報が続けて電話に入りました。あまりに突然のことで、いまは、ただ、謹んでお悔やみを申し上げ心からご冥福をお祈りするばかりです。

フクジュソウも開花

少しずつ進む雪のむらへの春のおとずれ。

「そろそろフクジュソウの一番花が見られるかな?」となじみの斜面に向かったら、咲いていました一年ぶりの新しい花が。

まだ雪解けの範囲がほんの少しなので群落とはゆきませんが、厚い雪と隣り合わせで咲く花のほうがフクジュソウにはお似合いです。ほかの新芽たちは、つぼみをふくらませたまま1㍍50㌢ほどの厚い雪の下で出番を待っています。

そばのヘギ(堰・用水路)では、日を浴び続けているセキショウがこの前よりも草姿をいきいきとさせ、雪を背景にその緑がいっそうひきたってきました。

くらしにも自然にも少しずつ春が

あっという間に2月が過ぎ、半年ぶりに暖かな陽射しを続いて浴びられる日々となっています。

2日~3日にかけては、地元集落のコミュニティ文化祭とそれにちなむ催しがにぎやかに、熱く行われました。開幕を告げる子ども仙人太鼓は、集落に春を告げる響きともいえます。

今年で42回目となる部落の文化祭。私ら世代が子育ての頃は、旧コミュニティセンターで行われ、親子会の活動として大きな雪像を各地区ごとにつくって出来映えを讃えあったことなど、あの当時の熱気も思い起こされます。演芸の出しものなどにも時代の変化が映され、回を重ねてきた文化祭の歴史を感じます。

▼雪寄せ作業なしの朝がしばらく続いています。地面の見えた場所や立木の根元が陽射しで暖められ、そこから雪のない範囲が少しずつ広がっています。

そんな少しの雪解け水があちこちから集まりはじめたからでしょう、成瀬川も冬のおとなしい流れを解き、幾分、瀬の勢いが増したように見えます。

先日ご紹介した川岸のネコヤナギも、冬の衣をすっかりと脱いで花を大きくふくらませています。こうなれば、雪原を自由に歩ける「かた雪」の季節が待ち遠しくなりますね。

ヒラ(底雪崩)割れで食のカモシカ

いよいよ春3月。高校の卒業式も始まる今日1日は「真人へぐり(国道342号脇、真人頭首工そばの斜面)」にいつもの年ならマンサクが咲き始めるので、私はあそこのマンサク花を春の訪れを覚るひとつの指標にしています。さて今年はどうでしょうか。

村ではヒラ(底雪崩)がごく普通に見られる季節入りです。

おととい、そのヒラの割れ目に遊ぶ2頭のカモシカを目にしました。ヒラが発生するようになると、雪が落ちて土肌がむき出しになり、そこには多年草の緑があらわれます。また、雪に押さえつけられたまま芽をやや膨らまし始めた柴木もあらわれます。

それらはみんなカモシカの大切な食の源。なので、これからの雪の野に生きる動物たちは、ヒラの落ちる斜面に多く集まります。それは4月に冬ごもりを終えて動き出すクマも同じです。

この日、ヒラの割れ目にいた2頭のカモシカは、あんまり遠くてその大きさ比較ができませんでした。おそらく親子なのでしょう、のんびりとした動きをしていました。

▼ヒラといえば、椿川ウルヰ地区にある畜舎上部斜面のヒラは油断がならないので、通りすがりには時々立ち寄って様子を観察しています。

昨年県によって斜面一部に防雪柵が設置されていて、その効果もだいぶあるようです。雪崩落ちのきのうの現場を見れば、ひきつづき同じような柵設備が必要なことを強く感じながら、落ちたヒラ、これから落ちるヒラを注視しました。